第5話:スキャンダル
握りしめていた瓶の炭酸水を、マホガニーの一枚板みたいなテーブルの端にコトリと置く。
壁はもやもやとしたグレーで、床は毛足の長い絨毯。背もたれがやたら細長い椅子。天井のシャンデリア的な照明は、自動で点灯した。
何の機械かわからない銀のオブジェみたいなものがシューっと音を立て、コーヒーのにおいがしてくる。
僕は一体、ここで何をしているんだ。
「ご自宅、ですか?」
台所(台所?)の方へ向けて、まわらない頭のままよくわからないことを言った。
いや、だって、ここもオフィスとか、不動産の試作品(??)みたいなものかもしれない。
でも、「まあ、自宅、だよ」と返ってきた声は自嘲気味で、「趣味が悪いって言ってくれていい」と笑った。
「あ、いや、そんな」
「はい、コーヒー・・・ぼくにはその水をくれるかな」
「え?あ、ああ、水?」
家の広さのせいなのか、家電か何かから重低音でも響いているのか、榛名の低い声はまるで何かに相殺されているみたいに聞こえづらかった。
何を話したのかは、よく覚えていない。
ただただ、住む世界が違う人なのにどうして同じ床の上にいるのか、不思議でしょうがなかった。
コーヒーを飲み終わるくらいの時間は、経ったんだろう。
何度も響く彼のスマホの通知の周期が短くなり、淡いため息が漏れたのを機に、きっと潮時だと思って「もう帰ります」と立ち上がった。
榛名は数秒の沈黙の後、「水のお金を払ってなかったね」と長財布を開いたが、「ああごめん、10円しかない」と。
思わず「そ、そんな・・・」とつぶやいたけど、『え、そんなことってあります?(億万長者なのに?)』というニュアンスのつもりが、『そんな、まさかお金を払ってもらえないだなんて・・・』みたいな悲痛な響きに聞こえてしまい、それは榛名にも伝わって、二人で何だか笑った。
「ごめん、ごめん、現金を持ち歩かないんだ。えっと、どこかに・・・ああ、これで」
今度は、どこかから1万円札がさらっと2枚。
「あ、いや、いや、こんなにいただけません」
「違うよ、交通費込みだ」
「交通費って、でも」
「君の分じゃない、ぼくの分。さっきのタクシーね、実は下で待ってもらったまま、お金を払ってない。また出掛けるつもりだったけど今日は無理そうだから、これ、代わりに払っておいて」
・・・タクシーって、待たせている間もお金がかかるはず。
「は、はいっ、お預かりします」
フリースを着て、急いで靴を履いて、「お邪魔しました」と言うと、握手を求められた。
・・・えらく、冷たい。
「ありがとう、助かったよ」
軽いハグ。語尾が聞き取れない、低音。
タクシーのところへ行くとすっとドアが開いて、とりあえず乗り込むと、ドアは閉じてすぐに発車した。
「あ、いや、運転手さん、お金を・・・」
「はい?もう頂いてますので」
「えっ?」
「笹塚駅でよろしいですね?」
「え、ど、どうして」
「変更しますか?」
「・・・え、いや」
笹塚は僕の自宅の最寄り駅だ。
どこでどうして、僕がタクシーで帰ることになっているんだろう。
「お金は、いいんです・・・ね?」と再度聞くと、「目的地まで頂いております」と。
・・・ああ。
もしかして、榛名はもともと笹塚へ行く用事でタクシーを待たせていたが、それをキャンセルにしたのか。
いや、でも、お金を払ってないと言ってたのは何だった?
うまいこと言いくるめられて、僕は高すぎる水代を受け取ってしまったのか?
モヤモヤしたまま、何となくスマホを出して、深く考えもせず「榛名正樹」と検索をかけた。
出てきたのはビジネスの記事ではなく、週刊誌のスキャンダル記事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます