第3話:MTG

 その総括MTGミーティングとやらでは部門ごとに「今期の成果のプレゼン」を行うらしく、チーフ何ちゃらの橘はその資料作りで日々ピリピリしていた。

 どうやらここの会社は、どこかのIT企業が作った不動産検索システムの事業・・・が急成長して独立した会社・・・からさらに独立した別の新規事業の会社?らしい。

 そして、うちの編集部はさらにそこから今後独立を期待されている新規事業、というわけ。

 つまりチーフ何ちゃらという肩書きは、もしかしたらそのうち「社長」になるかもしれない。だからいつもはフラフラと「旅行の下見兼営業」に出かけてSNSに映え写真を投稿している橘も、ここ数日は必死の形相だった。


 そんなある日、帰りのエレベーター。

 誰かが駆けてきて、慌てて<開く>ボタンを押す。

 誰だか知りはしないけどとりあえず「お疲れ様です」と会釈すると、「うん、お疲れ様」とバリトンボイス。

 さっと、1階のボタンに伸びる指。

 トレンチコートの袖から覗く、金のロレックス。

「・・・どう、もう慣れた?」

 反射的に、「あ、はい、お陰様で」と。

「仕事は楽しい?」

「は、はい、やりがいがあるっていうか」

「ははっ、そう。それは良かった」

 1階に着くと、紳士がボタンを押して「お先にどうぞ」と微笑む。

 誰だっけ。どの部署の人だっけ。

 よくわからないけど、この流れで、駅まで一緒に歩いたりするだろうか。

 たぶん何かエライ人。

 どうしよう、何を話してよいのやら。

 ロビーから外に出ると、小雨がぱらついていた。

「ああ、雨模様だねえ。紺野こんの君、傘あるかな?」

 え、名前、覚えられてる?

「は、はい、た、確か折りたたみが・・・」

 必死にカバンを引っ掻き回していると、「濡れないようにね。それじゃまた明日」と踵を返す紳士。

 ・・・え?帰るんじゃないの?

 どっちの道から行くつもりなんだ?

 僕があたふたしてるから、気を遣わせてしまった?

 しかし答えはどれも違って、紳士は停めてある黒い高級車に乗り込み、低いエンジン音とともに走り去った。

 橘が「このビルは車が2台しか停められない」とぼやいていたことがあるが、・・・そりゃそうか、ロレックスとフェラーリのお偉いさんがバイトの僕と徒歩で駅まで歩き、山手線に乗って帰宅なんてわけはないか。


 翌日、午後から総括MTGが始まり、紳士の正体がわかった。

 彼の名は榛名はるな 正樹まさき

 例の不動産検索の会社を先ごろ売却し、総資産200億とも言われている若きIT長者。

 今は社長業から手を引き、こうして顧問という立場になっている。

 ・・・200億?

 目を上げると、スクリーンに映し出された我が社の経常利益の推移は年間2000万。

 何だかケタがよくわからなくなり、このMTGも茶番に思えてきてしまう。

 その榛名がマイクを握り、やたら低い声で損益分岐点がどうとか、何とかマネジメントがどうとか、ビジネス用語で講釈を垂れる。隣で何度もうなずきながら力んでいる橘とは対照的に、榛名はやや投げやりというか、どうでもよさそうに見えたのは200億という先入観のせいか。

 まだ40代だろうに、ひどく疲れて見えた。

 

「それでは、最終発表の前にいったん休憩はさみます。榛名さんから差し入れを頂いてますので・・・」

 最後に部門別で利益の前年比を発表し、それによってはボーナスやインセンティブが出るというので皆そわそわしていた。

 そして、有名パティシエの高そうなスイーツが机に並べられ、わっと女性たちが群がる。

 「やば、あれは行かなきゃ」と隣の眞鍋が俊敏に立ち上がり、僕は何となく、席を外した。

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