第27話 魔術師、雷の大公老師に罰を与える

 翌日、欠伸を噛み殺しながら学院へ行くと、水の大公老師が呼んでいるとのこと。

 顔を出せば、いつものよう彼女はデスクにいて。

「やあ――ぼくが来る時はいつも、なんだか疲れたような顔をしているけれど、ちゃんと休んでいるのかい?」

「……あなたと逢うタイミングでは、確かに、疲れている時が多いかもしれません」

「原因がぼくじゃなければ、何よりだ」

「半分は、そうなっている。いやいい、文句を言っても始まらない。本題は、数日前に預かった箱だ」

「ああうん」

「まるでこちらが試されているようで癪だったし、昔を懐かしむ余裕もなかった。書類……報告書も軽く作成したから、あとで本人に渡してくれ」

「なんだ、思ったより真面目にやってくれたんだね」

「私の受け持ちではないが、それを理由に拒絶するほど狭量ではない。結論から言えば、自壊式に当たって解除前に壊れたから、最後まで解析はできなかった」

「ふうん? 二つ目かな」

「――そうだ」

「完成形になる以前のひな型を、ざっとぼくの方でチェックしたけど、一つ目の自壊式で警戒させておいて、それを逆手に取るように配置させてあったね。作る側としては、きみのよう引っかかるのを目的としてあるから、それはそれで良い結果だ」

「そうであっても、回避できなかったのは事実だ。久しぶりに反省して、対策したとも。楽しかったよ」

「へえ、じゃあ次はその対策を逆手に取れば良いってことだね」

「む……」

「現場に、次はないよ。同じことを二度するのは間抜けだけだ。改良は常に続けるし、変化させていかなきゃ適応できない。まあ、それを教えるためにも、こうやって解析を終えたら自分で改めて作るんだけどね」

「そうか、耳が痛いな。報告書はこれだ」

「ありがとう、渡しておくよ」

「……レリア・フィニーだったな」

「うん」

「フォードから教わっているのか?」

「彼女は長女だけど、実家には上に兄が二人いてね。自分が優秀だと、いろいろ面倒になることを知っているから、家じゃ何もしてないよ。フォードもそれを汲んでる。だから、体術にせよ魔術にせよ、勉強するのはぼくと一緒の時だね。ぼくが教えることもあるけれど、一緒に成長したと言われるのが一番うれしいかな」

「就職先に困ったら言いなさい」

「あはは、その時は頼ろうか」

 書類を受け取り、誰かが来る気配があったので、そろそろおいとましよう、そう思ったのだが。

 入ってきた長身の男を見て。

「なんだ、水の、来客中かよ」

「雷の」

 手間が省けた。

 それに――。

「やあ、きみが雷の大公老師か。初めまして、そちらに向かおうと思っていたんだけど――どうやら、手間が省けたわけじゃなさそうだ」

「あ?」

「驚いたよ、素晴らしい。ぼくにはなかった発想だ――」

 この時の感覚を、水の大公老師の視点から見た時、どう表現すべきかは迷うが、間違いなくわかるのは、自分が現場というのを、知った気になっていた、ということだ。

 それでも言葉を絞り出せば、

 現実を見よう。

 彼女はまず、パストラルが一歩前へ、雷の大公老師へと踏み出したのを見た。

 見えたと思った時にはもう、左手に刀が握られていた。

 いつの間にと思う瞬間に抜かれており、抜いたと認識した時には斬っていた。

 斬ったと認識したのならば、既に納刀されている。

 ――だから、一手遅れ。

 認識よりも現実の方が、一手先に結果を出していた。

 思い出したのは、入学試験の時だ。箱庭ガーデンに閉じ込めた術式を使った時、パストラルは三秒もかかる、と言っていた。それをようやく、ここで理解する。

 三秒。

 なるほど、この展開の中での三秒は致命的だ。

 なんてことを考えていたら、納刀のあと、パストラルの姿が消えた。空間転移ステップだろうと、魔力の残滓から判断し、誰もいなくなった部屋で吐息を一つ落とす。

 何の因縁があるのかは知らないが、致命傷にならないとわかっての攻撃だ。自分には関係がない――と、思いたい。

 反省すべきことはあるし、久しぶりに研究意欲も出てきた。

 この仕事は、後進の育成にどうしても時間を取られるのがいけない。もう少し仕事を減らして、研究したい。

 それに気付けただけでも、良い収穫があった。


 斬られた、と思った瞬間、テーブルに珈琲を置いて立ち上がったが、しかし。

 次の行動に移るよりも早く。

「――

 誰もいなかった自室でありながら、耳から入ってきたその短い言葉が脳内に染み込むような感覚に。

強制認識言語アクティブスペルか……!」

 ぴたりと、自分の躰が止まった。

 術式の存在を知ってから、ある程度の対策はしてあったのに、あっさりとそれを突破されてしまった。第三者の言葉が強制的に認識させられるのならば、それは異物として感じ取ることができる。今も異物だとわかっているのに、その異物の場所がわからない。

 かといって、完全に同化しているのならば、違和さえ抱けないはずで――ともかく、解除が簡単ではないことは理解できた。

「おや……本体は女性だったんだね、初めまして」

 声だけが聞こえる。何故って、彼女は振り返れない。

「本当に驚いたよ。雷を電気信号として扱って、それを綿密に組み立てることで、まさか立体的な映像を作り出すなんてね。でも、映像なら操作が必要で、いくらそれを簡略化していても繋がりは残る。こうして辿ることも難しくない」

 難しくない? それを理解した上で対策し、複雑化しておいたのに?

 しかも初見で映像の術式を見破るだなんて、冗談にしか聞こえない。一体どれだけの観察力を身に着ければ、その領域にたどり着くのか。

「うん、じゃあ行こうか」

 ぽんと、肩に手を乗せられた。


 ――景色が一変する。


 外に連れ出されただけならともかくも、視界一面が真っ白になっていた。

 雪景色。

 その一瞬の混乱の隙間に。

 言葉が脳内に突き刺さり、彼女はそれを認識してしまった。

 まずい。

 どうでもいい情報を一瞬にして切り捨てると、軽く息を吸う動きと共に、おそらく来るであろう、次の言葉に耳を傾ける。

 望み通り、強制認識言語が放たれた――が。

「――っ」

 やられた。

 禁止されたのならば、次の条件もまた禁止だという先入観を利用し、あえて、許可を出され、それを認識してしまう。

 同じことだ、意味合いは一緒。

 一つを許可されたのならば、それは、ほかを禁じるのと同じだ。

 やはり、その動揺を狙って。

 言葉が、じわりと脳内に染み渡った。

 強制認識言語アクティブスペルは、短い言葉ほど強い効果を得る。というのも、大声で動くなと叫んだ時、周囲の人がびくりと身を震わせて、その言葉を聞いてしまう状況を、術式で再現しているからだ。

「うん、上手くいっているようで何よりだ」

 背後から、ゆっくりと少年が前へ回り、ようやく顔を見せた。いや、先ほど――強制認識言語を受ける前、映像術式で逢った時に見ているが、同じ顔だ。

「きみが小柄な女性だとわかっていたら、もうちょっと用意もできたんだけど、サイズに関しては我慢してくれ。とりあえず外套をあげるよ」

 寒さをしのげるよう、格納倉庫ガレージから取り出した外套を肩にかけるよう羽織らせる。

「それと、悪いとは思ったけど、きみの部屋から財布を取っておいたから、これはポケットに入れておく。加えて、剣を二本ほど置いていくよ」

「――ボクに、何の用だ」

「あはは、理由はここで教えないよ。さっき言ったよう、王都まで戻ってきたら教えよう。ぼくじゃなくて、フォードも知ってるから、そっちでもいい。ただこれは、きみに対しての罰さ」

「罰……?」

「そう、悪さをしたら、ごめんなさいだ。ただそれだけの話だよ。きみの選択肢は大きく二つある。ぼくの術式を解除するか、ぼくの言葉に従うか。後者をおすすめするよ――ここはファウジレナ山だ、厄介な魔物が多いからね」

 目の前で、両手を叩き合わせる音が聞こえ、硬直が解けた。

「強制認識言語も、効くものだね。きみは対策しているようだから、どうかなと思ってたんだけどさ。じゃあ、防寒用の結界も消すから、気を付けてね」

「待て」

「――うん?」

 背を向けようとする彼に声をかけ、一瞬、ここで倒してやろうとも考えたが、一呼吸をする間でそれを忘れた。

 倒したところで、結果、良くなるとは思えなかったし、刀での一撃を見ている。やれば負けるのは自分だ。

 だから。

「ボクの名はポーウィ。お前は?」

「きみに合ってるかわいらしい名だと思うよ。ぼくは、パストラル・イングリッドだ。きみも名前くらい、耳にしたことがあるんじゃない?」

 ひらひらと手を振ってパストラルの姿が消えたとたん、凍えるような冷たさを感じ、あわてて空気を遮断する結界を張る。もちろん、全域を閉じると呼吸も難しいので、調整はしてある。

 外套の前を閉じて、財布を確認。それから落ちている剣を手に取った。

 格納倉庫ガレージの術式を目の前で見た。今までは同僚のフォードくらいしか使えなかった術式なのに、よくやるものだ。

 ベルトも一緒にあったので、二本とも左の腰へ。少し長い代物だが、この際だ、文句を言っても仕方がない。

 強制認識言語の解析は、後回し。せめて山を下りて、安全な場所で時間を使いたい。下山が最優先だ。

 まあ、なんとかなるだろう。というか、なんとかしよう。

 この時、ポーウィは王都に戻るのに一ヶ月以上かかるだなんて、思いもしなかった。


 満身創痍。

 大きな怪我こそなかったが、馴染みのある王都に足を踏み入れ、まだ少し早い朝の時間帯でありながらも活動する人たちを見ると、ほっと肩の力が抜けた。

 それとほぼ同時に、脳内にあった違和が一瞬にして消え、強制認識言語アクティブスペルが目的の達成と共に解除されると、虚脱感と共にふらりと躰が揺れ、倒れそうになるが、店舗の壁に手をついて支える。

「ん、大丈夫かい、お嬢さん」

「ああ、ありがとう、ご婦人。よくあることなんだ、大丈夫。少ししたら良くなるから」

 声をかけてくれた婦人に対して、すんなりと言葉が出てくる。どうやら、一人でいる時間が長く、こんな気遣いさえ嬉しく感じるらしい。

「そう、無理しないようにね。そこにある店のテラスなら、椅子もあるから」

「ありがとう、うん、大丈夫そうだ」

 強制されていたものが消えて元に戻っただけだ。それに、気を抜いて良い場所ではない。せめて自宅――安全な場所まで行かなければ。

 人通りは少ないが、できるだけ人目には触れたくない。薄汚れているし、いらぬ注目を浴びたくない――ああ、そうだ、そう思ったからこそ、映像の術式を使って、公務の際には姿を偽っていたんだったか。

 発端がそこだったのに、いつの間にか、何をするにも術式で姿を変えていたのは、慢心だったのかもしれない。

 それにしても。

 どれほど解除しようとも、その尻尾すら捕まえられなかった術式が、まさかの時限式、いや、条件式になっていたとは。王都に入った途端に解除されるなんて精密な術式を、一ヶ月と少しの間、維持し続けるだなんて、一体どういう構成を組んでいたのだろう。

 落ち着いたら調べなくては――そんな研究意欲もあるが、まずは風呂、そして睡眠だ。

 ともかく疲れているのである。

 だから、そこからの行動はあまり覚えていない。

 意識が戻ったのはベッドの上で、あられもない下着姿の自分と、慣れ親しんだ光景であり、であればこそ、いつものよう映像の術式で分身を作ろうと思ったところで、――やめた。

 帰ってきたという実感と、面倒さと、やる理由を忘れたから。

 時刻は、そろそろ昼になるくらいか。ノックの音が聞こえたので、少し待てと言って手早く着替え、顔を洗い、歯を磨いて、身だしなみを整えてから部屋の外へ。

 そこにいたのは。

「なんだ、フォードだったのか。悪い待たせた」

「なに、寝ていると思っていたのでな、構わんとも。ただ食事をする時間はないのでね」

「ああ、そうだ、そういやお前は知ってたんだっけな……一体ボクは、どういう理由でこんな目に?」

「お前が作った新種の薬があっただろう」

「……? あ、思い出した。魔術的な状況を作り出すアレか」

「それを学生に向けて売り出した間抜けがおってな。パストラルがその組織は壊滅させ、リコプシスにも管理を徹底させるよう交渉した。で、作った本人のお前には軽めの罰を与えたと、そういう流れだ」

「罰……軽めで、これか?」

「ははは、命までは取られてない上に、お主ならば生還できるだろうと確信しておった。わしもその一人だ」

「そりゃそうだろうけど……」

「だが、身分開示の禁止は思いのほか、厳しかっただろう?」

 言われれば、彼女は嫌そうな顔をした。

「……聞いた時は、ボクが大公老師であると示すなってことだと思ったんだけどな」

 けれど現実は、それほど甘くはなかった。

 ようやく山を下りて、ふもとの街で宿に泊まろうと思った時、自分が何者であるかを言えず、旅人に偽ることもできなくて、治安の悪い安宿くらいにしか泊まれず、ろくに寝ることもできなかった。

 買い物もそうだ。露店で食事を買うならともかく、武器を買うにも身分証明ができない以上、ほとんど売ってはくれない。途中からはもう、食事だけ買って野宿でもした方がマシだと思えたくらいだ。

 実際に半月はそうやって過ごした。人よりも魔物を相手にした方が、術式が使えるぶん気楽だったから。

「どのみち、リコには話して手を引く」

「ほう?」

「んなことより、強制認識言語アクティブスペルの解析と、格納倉庫ガレージの作成に着手、それから長距離転移の転移陣ポータルの勉強もしなくちゃいけねえ。まだまだボクにも甘いところがあると、教わったことにしとくさ」

「――驚いたな、お主からそんな言葉が出るとは」

「座学は嫌いだとか、んなこと言ってられねえだろ、これ。それにボクが嫌いな退屈ってやつは、しばらく鳴りを潜めそうだぜ」

「良いことではないか。だがしばらくは休め、かなり疲労しているだろう」

「おう、無茶はしねえよ、ありがとな」

「……いつもそれくらい素直なら、良いのだがな」

「ガキが一人で生きるんなら、こうもなるぜ。拾ってくれた先代と、推薦してくれたあんたには感謝してるんだけどな、これでも」

「まあ……昔よりは、落ち着いたか」

「そう見えたんなら、そうかもな。自覚はねえよ」

「無茶はするな」

「へいへい、小言は勘弁な」

 罰を受けたのなら、これで終わりだ。

 余裕ができたらパストラルに逢おう、そう彼女は考えていたのだから、図太いというか、なんというか。

 きっと、彼女は悔しかったのだろう、そうだったはずだ。

 雷の大公老師という立場の彼女が、ただの学生に魔術で負けたのだから。


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