第25話 魔術師、薬売りの追加情報を聞く
レリアに逢って五日後である。
冒険者としての仕事を一つ終えて、学院に向かったパストラルは水の大公老師に顔を見せた。
「やあ」
「――パストラルか」
「うん、これを返しておこうと思ってね」
研究室で作業中だったのにも関わらず、彼女は手を止めてその箱を受け取った。
「なんだ、返却は必要なかったが」
「へえ? じゃあ、ご婦人はきみに対して、ここまでの訓練はしなかったんだね」
「……? ――待て、これはなんだ?」
「何って、きみの術式を解除したのちに、改めて組み直したものだよ。もちろん、ぼくの婚約者が改良してある。いつもご婦人の訓練は、ここまでやってようやく終わりだからね。てっきり、弟子に対しては全員にやっていると思ってたんだけど……きみたちの時は、もしかしたら人数が多かったのかな。それとも、違う理由があったのかもしれない」
「お前の婚約者は、先生の弟子なのか?」
「うーん、どうだろう、弟子というほど付きっきりじゃなかった気もするけどね、いろいろ教わっていたのは確かだ。相談相手に近いかもしれないけど……ああ、ぼくは教わってないよ。うちの兄さんの教育係もしてたね」
「そうですか。しばらく王都から出ていたとは聞いていましたが」
本命が夫であるグロウ・イーダーであるなんてことは、説明しない。そもそも彼は、数人の弟子を育てて以降、自由になったのだ。パストラルだとて、彼は弟子だとは思っていまい。
「じゃあ、解析が終わったら報告書を。といっても、感想だけでいいけどね」
「わかった、そうしよう」
「頼んだよ」
時刻は昼過ぎ、以前のよう学食に顔を出しても良かったし、訓練室を覗くこともできたが、疲労があったためか、あまりそういう気分にならず、パストラルはそのまま学院を出た。
こういう時は、やるべきことを考えない方が良い。冒険者としても、学生としても、とにかくパストラルはやりたいことや、やるべきことがあるけれど、疲れたと感じた時は、そう、魔術品を扱っている店なんかに、ふらりと立ち寄ることにしている。
看板を掲げて魔術品を扱う店舗はいくつかあるし、一般人も立ち寄ることができる。ただ、アイレン学院の学生を示す学生証があると、品揃えが大きく変わり、普段売らない商品も見せてもらえるのだ。これは、大公老師が教鞭を執る学院ならでは、であろう。
ただ、顔見知りであり、かつ、冒険者のパストラルの場合、そこからさらに一段階、奥にある商品まで購入が可能だ。危険なものも多いし、金額が桁違いだが、実際に買わずとも、その商品がどうしてここにあるのか、そういった情報だけでも充分に価値があった。
馴染みの武器屋に顔を出すのも良い。そもそも得物なんてのは消耗品で、いくら手入れをしたって限度がある。予備を持つのは当然のこと、特注ならば早めに注文しておいた方が良い。ついでに、今使ってる得物の損耗具合を見れば、鍛冶をする側も改良できる。
これがパストラルの息抜きだ。
――結果として。
その息抜きが良かったのかもしれない。
「あれ?」
珍しい人を見かけた。王都にはいるはずもない人物だ。思えば、一年くらい顔を見せていなかった気もするし、一ヶ月前に顔を見たような覚えもある。
小柄な女性で、白色を基調としたワンピース姿で、どちらかといえば軽装。麦わらの帽子を頭に乗せているため、どこかの子供が出歩いているように見えよう。
苦笑が落ちた。
――毒蛾にもほどがある。
「お嬢さん、親とはぐれたのかい?」
そうして声をかければ、わずかに顔を上げた少女、パストラルの実家がある街で娼館を切り盛りしている主人、ミメイは素朴な驚いた表情から、目を細めたいつもの見慣れた顔を見せた。
「――なんじゃ、お主か」
「時間があるなら、ぼくの拠点へどうかな?」
「……うむ、気乗りはせんが、構わんとも」
「さすがミメイさん、そのあたりの機微はわかるらしい」
そもそも、実家のある街から王都まで、来るだけで一日は必要だ。往復で二日、もちろん強行軍。休暇だと言い張ることも可能だが、気晴らしで二日も休めるような仕事をしてはいない。
つまるところ、何かしら理由があってここに来ており、要するに問題を抱えているとパストラルは読み、そう捉えられたことをミメイは察したわけだ。
自宅に案内すると、カトレアが出迎えた。
「おかえりなさいませ、パストラル様。――あら、あらあらミメイ様、お久しぶりです」
「久しいのう、カトレア。息災か?」
「はい、元気にしています。リビングで構いませんか? すぐにお茶をお持ちします」
「うん、そうして。会話には立ち会って構わないよ」
「わかりました。ではどうぞ、ミメイ様」
「邪魔するぞ」
帽子は玄関に置き、二人はリビングへ。
口に出したり、あえて考えないようにはするが、これでもミメイは四十歳が目前に迫っている。服装はともかく、よく子供の振りができるものだ。肌艶も良いし、見た目だけなら騙されるだろうけれど。
対面に腰を下ろし、足を組んだ彼女を見た目だけで判断はできない。凄み、オーラ、言い方は何であれ、存在感がある。それを隠していたのも技術だろう。
「正直に言えば、話しとうない」
「どうして?」
「わしが話せば、お主は関わろうと考えるじゃろう? 子供に問題を押し付けたくはない親の気持ちを少しは考えろ」
「ああ、
「それでも、だ」
「じゃあ、親の手伝いをしたい子供の気持ちも少しは考えた方がいいね」
「む……」
「とはいえ、ミメイさんの子供たちは何もできないだろうけど」
「そうじゃのう」
「だからって、ぼくがやらなくちゃいけない理由もない」
「――お待たせしました、紅茶ですが」
「ご苦労。カトレア、わしの隣に座ると良い」
「はい、では失礼しますね」
にっこり笑顔で対応したカトレアは、隣に座ると何をされるよりも早く、ミメイの頭を撫でた。
「……おい、わしの方が年上ぞ? ラルはどういう教育をしておる」
「たまにはいいだろう? 今はもう、こんなことをされる機会なんてないだろうし」
「嫌なら、ほどほどでやめますよ」
「では、ほどほどにせい」
「はい、そうします」
紅茶に手を伸ばして飲んでも、カトレアは邪魔にならない。そのあたりは配慮しているようだ。
「大げさな問題ではない」
「じゃあ話せるね」
「客が、うちの子に――薬を使ってな」
「へえ? ミメイさんのところでは、明確に禁じていたはずだけど、そんな馬鹿な客がいたんだ。相手が貴族とはいえ、もちろん容赦はしなかったんだろう?」
「うむ、情報は引き出したとも。だが、うちに流れてくる客が持っていたとなると、流通経路が引っかかってな。それで、ほかの同業者との情報共有も兼ねて、こうして王都まで来ておる」
「なるほど、調査じゃなくて、あくまでも同業者との話し合いに限り、だね?」
「わしらとしては、流通を止めたいわけではない。使われることを阻止したいだけだ」
「姉さんは?」
「お主に教わった
「それは安心だ、教えておいて良かったよ」
以前から娼館の女性たちには、いろいろと世話になっていたから、恩返しのつもりで教えたのだ。というのも、防御意識としてレリアに教えたあと、そこに気付いただけだが。
「薬の効果について、情報を持ってるだろう?」
「話さんぞ」
「うん。ところでミメイさん」
構わずに、パストラルは続ける。
「数日前、隣街――フィニー家がある街で声をかけられてね。いや、よくあることじゃないんだけど、友人が一緒だったから、これはちょっと困った」
「ふむ?」
「どうにも、嫌な匂いがしたものだから、適当にあしらったあと、――始末をつけてね。その時、一緒に薬を入手したんだけど、はて、あれはどこへ解析に回したんだったかなあ。そろそろ第一報が上がるくらいには解析も終わってるとは思うんだけど、うん、ミメイさんが話してくれるなら、ぼくもいろいろと思い出せそうだなあ」
「ぬ……」
ここで話さずとも、パストラルはべつに構わない。いずれにせよ隣街まで足を運べば、調査報告を聞けるから、薬の効果なども知ることができる。対してミメイは、詳細を知るにはここで。
「わかった、わかった、わしの負けじゃ」
「良かったねカトレア、負けたようだから慰めてあげないと」
「ではもう少し延長ですね」
「お主らは……まあ良い。といっても、こちらは厳密に解析したわけではないから、確定情報ではないぞ」
「構わないよ、傾向が知りたい」
そもそも、同じ薬とも限らない――というのは、共通の認識だ。
「そやつから聞き出した効果は、思考がクリアになり、感覚が鋭くなる代物だそうだ」
「へえ、ベッドで効果があるだけじゃないんだ」
「媚薬くらいなら笑って済ますとも」
「冗談はともかく、魔術師が関わってるね」
「間違いないか?」
「うん。そういう状況を意図的に、自分に作り出すのは、ある種の訓練に最適でね。自己への埋没、あるいは集中、それによる五感の把握、人体の境界の意識、そうしたことで視野にも広がりを持つ。ただ――」
「うむ」
「薬でその状況が起きると、万能感と勘違いしそうだね」
「思考ゲームや、それこそ学校の勉強でも、効率が桁違いに上がるじゃろうな。他者と常に比較される学生なんぞは、一度使ったら戻れまい」
「でも、効果そのものは勘違いじゃないってところが厄介だね。事実、思考はクリアになり、今まで見えなかったものを感じることができてしまう、か。なるほど? 薬そのものじゃなく、結果としての常習性を取ったか」
「目的をどう見る」
「どんな場合でも、実験か商売か、だいたいこの二択だよ。いや、ミメイさんもそのくらいはわかっているか……そうだなあ、学生にまで幅を広げるっていうのは、まあ、馬鹿だよねどう考えても」
「うむ、リスクリワードを考えてはいても、手を引くことは一切考えておらん」
子供が相手だと、もうやめました、がなかなか通じないものだ。次の薬へ手を出すステップアップにも思えるが、そうなると廃人一直線。すぐさま騎士団などの調査が入ることになる。
薬の販売市場そのものを捨てる気でいる、と考えれば、実験の可能性が高い。ただ、一気に稼いで姿を消す可能性もあるので、だいたいは。
「両方って結論になりそうだ」
そこに落ち着いてしまう。
「そもそも流通量がどうなのか、入手先がどうなのか、あとは工場がどこか、いろいろと情報が少なすぎる。……あまり放置しておきたくないなあ、そろそろ王都の裏側にも顔を売っておこうかな」
「ラル」
「いや、以前から考えていたことだよ。たまたま、タイミングが合っただけで、これもミメイさんが原因じゃないからね。辺境に近いぼくの実家がある街にまで流れていたんだ、見た目の倍くらいは情報があっても良いはずなのに、耳に入っていない。流通量は制限しているだろうし、あるいは量産できていないのか。そのくせ、販売経路は確保しようと、隣町にまで探りを入れてる」
「逆に、慣れているとも言えよう」
「客は、若い貴族だった?」
「うむ」
「若年層を狙うのは、通常の薬も同じことだけど……引っかかりはあるね。魔術師としての教育なんて、田舎じゃない限りほとんど義務で覚えるだろうし、そこを区別しているわけじゃなさそうだ」
「魔術の探求において通る道、そういう訓練がある、魔術師が製薬に関わっている、そこが引っかかっておるのか?」
「あの感覚を教えるのは、それなりに難しいんだよ。で、それを誰かと共有するのはもっと難しい。あくまでもぼくたちは、その結果として、魔術への理解が深まった現実を見て、同じだと思うだけだから。それを薬一つで実現したとなると、魔術師としてはそこそこだ」
「お主ならできるか?」
「うーん、できなくはないだろうけど、時間はかかるし、そんなことに時間をかけたくないってのが本音かな。弟子を育てるにしたって、カトレアの時もそうだったけど、面倒な手順を省いて良い結果が出た試しがない」
「はい、その面倒こそ魔術の面白いところです」
「遊びか何かって可能性も高そうだね。今すぐじゃないにせよ、いろいろ考えた上でぼくが動くよ。結果、どうなるかはわからないけど――まあ、悪いことに葉ならないさ。最悪、実家に戻るだけだ」
「……、わしは何もできんぞ」
「わかってるよ。帰りに、隣町に寄って、フィニー家かギルドに顔を見せるといい。両方でもいいけどね。ぼくの名前を出せば、調査結果を聞けるから。ただし、必ずレリアに逢うこと。学校帰りを狙うか、フィニー家で待つかは任せるよ」
「わかった、わかった。お主は本当に、レリアを大事にするのう」
「そりゃもちろん。今回のことで巻き込むかもしれないけど、ね」
「――む」
「手は打つけどね。いざって時に動けるかどうかっていうのは、やっぱり、それを経験してるかどうかで差がつく。もちろん、そうならないようにするのがぼくの役目なんだけど……いや、いろいろ考えるよ」
「良いかラル、あまり無茶をするでないぞ。お主はまだ子供じゃ」
「ありがとう、わかってるよ」
彼女はきちんと、パストラルを子ども扱いする。見下すのでもなく、甘く見るのでもなく、お前は子供だと教えてくれる。
「たまには実家に帰って、わしのところにも顔を出せ」
「レリアと一緒にってことだね? 今度の長期休暇にでも、そっちに行くよ。いろいろと済ませてからね」
「まるで、一人ではよく来ているような言葉だが?」
「行ってるよ? あっちのぼくの部屋と繋げてあるから、気楽にとは言わないけど、まあ、術式ですぐ行けるんだよ。探し物とか、父さんへの報告とか、いろいろとね」
「お主は……」
「なんなら、隣町まで案内しようか? 足跡が途切れるけど、ミメイさんにとってはありがたいかな」
「うむ、では頼もう」
「良かったねカトレア、これで移動時間ぶんは空いたよ」
「では延長ですね」
「お主らは…………」
呆れたように吐息を落としたミメイは、諦めてカトレアを抱き寄せる。
とどめは。
「夕食はどうする?」
そんなパストラルの問いかけに、いただこうと、少し悩んでから返答した。
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