第19話 女学生、著者の元を訪れる

 話を持ち掛けられたのは、学校の先輩であるレリアからだった。

「王都に、イノイラーサがいるけど、逢いにいく?」

「いくっす」

 即答したら、頬杖をついて小さく笑われた。

「まずは両親に確認ね」

「あ……」

「あっちに姉さんがいるんでしょ? あたしも一緒に行くから、行きと帰りの護衛は気にしなくて結構。二泊三日くらい、学校には課外授業としての申請をするとして、寝泊りの場所の確保。とはいえ、それもうち――婚約者の家があるから、そっちで一緒でもいいから」

「う、うっす」

 感情を先行させると、結果があまり良くないことが多いのは知っていたのに、つい即答してしまった。

 ともかく、そこから親を説得し、内容を固めてから学校への報告をして休みをもらい、久しぶりに王都へ。

 昼食を終えてから一人、彼女は大きく深呼吸をして、その家の扉をノックした。

 顔を見せたのは、自分とそう年齢が変わらないだろう男性である。

「あの、こちらにイノイラーサさんがいらっしゃいますか? ――あ! 自分は、カーネといって、ええと」

「話は聞いている、中へ」

「どもっす」

 彼に続いて中に入ったが、しかし、玄関から上がったところでぴたりと足を止め、頷く仕草があって、振り向く。

「すまない」

「へ……?」

「緊張しているのは見てわかるが、どうにも、私にはその緊張をほぐす方法が思いつかない。女性への扱いも慣れていなくてな……」

「あ、いえ、えっと……お気遣い、ありがとうっす」

「うむ、祖父は書斎にいる。こちらだ」

 書斎といっても本はそれほど多くなく、どちらかといえば事務仕事用の部屋に見えた。そこには、眼鏡をした老人が待っていた。

「いらっしゃい、カーネさんだね?」

「は、はい」

「どうぞ、座ってください。今日は妻が外に出ていて、もてなしはできませんが――まずはお話を聞かせてください」

「自分の話っすか?」

「ええそうです。そもそも、私の本はそれほど多くありませんし、どういうきっかけで手に取ったのでしょう」

「わかりました」

 緊張しているのは自覚していて、大きく深呼吸をここでもう一度やれば、部屋の隅に先ほどの男性がいることも、わかる。

 大丈夫だ、と言い聞かせることにした。病は気から、だ。

「いつも魔術に関して……というか、いろいろ相談する先輩がいるんす。ちょうど自分はその時、術式の有効範囲、特に距離に関して問題を抱えてたっす。あ、雷属性っす」

「遠くまで飛ばないことですか」

「そうっす。先輩からは、ざっくり範囲指定とか、そういう話を聞いてたんすけど……その先輩の婚約者が」

 ――婚約者。

 彼は、――ファレは思わず腕を組んで天井を見上げた。

 いくつかの単語がかみ合う。

 口調、下手な敬語、似たような話し方、妹がいる。婚約者の存在、事前情報としてカーネの学校の場所、加えて表に顔を出すどころか、取材すら受けなかった祖父がカーネを招いた理由。

 これは。

 パストラル・イングリッドが関わっている話だ。

「鉄を使ったらどうかと、話してくれたんすよ。自分にとっては、考えてもないことで驚いたっす。でも確かに、鉄を投げれば、雷はそっちに誘導される――そういう話をしてから、イノイラーサさんの鉱石読本を紹介してくれたんすよ」

「そうでしたか。実際に読んでみて、どうですか?」

「最初は、面白い本だなって思ったっす。司書さんが本の読み方を教えてくれて……自分、恥ずかしながら、勉強なんて学校以外でしなかったんで」

「いえいえ、そういう方は多いですよ。けれど、そうでなくても良い、それに気付けただけで良いんです」

「どもっす。図解が多くて、すごく読みやすくて――その図解がそのまま、魔術構成に使えるんじゃないかと思って、いろいろメモして、家で試したんすよ。面白くて、睡眠時間まで削って没頭したっす」

「ははは、そこにいる孫もよくやっているよ」

「……魔術師なら、大なり小なり、そういうこともある」

「でも、ひどいんすよ。あれこれやってたら、術式の展開式が立体化して、ええと」

「重複式ですね」

「そう、それっす。びっくりして。あんまりできる人がいないんすよね?」

「そうですね。王都アイレン学院に入る人はみな、一番最初に学びます。一般学校を卒業した人でも、よほど特殊な仕事でない限り、覚えることはありません」

「そうなんすか。や、とにかくその時は驚いて、でも、面白かったんすよ。それこそ視点が変わって、違うものが見えたみたいで。それを先輩に言ったら――」

 本当に、あっさりと。

「じゃあ、もうちょっと高度なことも教えられるねって、さも当然かのように言うんすよ……」

「ははは、それはそれは、その先輩の方が上手でしたな」

 異常だ――が。

 あのパストラルの婚約者なら、納得できる。

 そこからは、主に本の内容についてになり、カーネはノートを取り出し、メモをしつつも質問をする。ファレにとっては、昔によく聞いた内容だったので、席を外してお茶を淹れたり、口を挟まず耳を傾けるだけにした。

 そして、一時間ほど経過した、会話の合間に。

「あ、すみません、お手洗いを使わせてもらってもいいっすか?」

「はい、どうぞ」

「廊下を玄関方向に歩いて、左手側にある扉だ。近くにあるし、さすがに案内はできないが」

「うっす、使わせてもらうっす」

 廊下へ行き、扉の開閉音を聞き届けてから、吐息を一つ。

「じいさん」

「どうした、それほど疲れてはいないよ」

「――いつパストラルと知り合った?」

「なんだそのことか」

 彼は、小さく唇の端を上げる。カーネの前では見せない、普段の顔だ。

「老人会だよ、そこに来ていたんだ、ほかの人の知り合いとしてね。私のことを知った上で、今回のことを取り付けた。なるほど確かに、彼女には伸びしろがある」

「伸びしろ?」

「そうだ、先がある。これほど面白いことはない」

「……そうか。よくわからんが、じいさんが楽しいなら、何よりだ。まるでパストラルの手の上で転がされているような気分にはなるが、な」

「さすがに彼も、そこまでのことはないだろう」

 そうあって欲しいものだと思ったところで、カーネが戻ってきた。

「お待たせしました」

「いや大丈夫、少し休ませてもらったよ」

 話は再開する。

 そこから二時間ほどしたら、もう十六時――さすがに終わりが見えてきた。

 いや、話は尽きないのだが、時間的な問題だ。

「あ……すみません、長長ながながと。そろそろ失礼するっす」

「ああ、そうだね、もうこんな時間でしたか」

「すごくためになる話をいただいたっす。その、また機会があったら、お願いしていいっすか? それまでに、もっといろいろ、勉強しておくっす」

「もちろんです。雷属性は使い手がそのもそも少ないですから、私もね、こうして学んでくれると、とても嬉しく思いますよ」

「うっす」

「……では、私が送ろう」

「へ? いや」

「遠慮するな。王都にはあまり来ないだろう? 何かあっては寝覚めが悪い」

「えっと、じゃあ、お願いするっす」

「では行こうか。じいさん、私はこのまま寮へ行く」

 二人は揃って、外へ出た。

「だいぶお邪魔したっすね」

「気にするな。私は普段、学院の寮で暮らしていて、休みの日にはたまに祖父のところへ顔を見せるんだが、お互いに生きていることを確認するだけのことだ。……ん、そういえば名乗ってなかったか。私はファレという」

「諒解っす」

「年齢も変わらんだろう、あまり気にしなくても良いが、すまないな。どうにも、堅苦しいヤツだと言われることが多くて、とっつきにくいだろう」

 言えば、カーネは小さく笑った。

「どうした」

「いや、出逢ってから、謝ってばっかだなと思っただけっす」

「そう……だったか? ああそうだ、場所はどこだ」

「えっと」

 メモを取り出したので見せてもらえば、そこそこ治安の良い住宅区だった。

「あそこか、わかった」

 歩くペースは、カーネに合わせて、ゆっくりと。まだ陽が沈むには時間もある。

「……お前の、その先輩という相手だが」

「はい?」

「劣等感を覚えたりはしないのか」

「えっと、どうだろう。あんまり考えたことはないっす」

「そうか」

「ファレさんは、そういうのあるんすか?」

「そうだな、劣等感かどうかはともかく――迷って、いや、悩んではいる」

「歳の離れた姉さんが、こっちにいるんだけど、昔はよく比較されて。たぶん、これからもずっと続くんだろうって、ちょっと嫌気が差してた時期もあったんだけど、姉さんが言うには、誰かと比較するのは、ほどほどにしとけって」

「ほどほどに?」

「そう、ほどほどに。やっぱどうしたって、比較しちゃうからさ。でも重要なのは、自分がどうしたいのか、なんで比較するのか、なんだって」

「ふむ」

「横に並びたいのか、追い抜きたいのか、その人に憧れてるのか、そうやってまずは自分の理由を探せばいい。で、どんな道でも自分で決めたのなら、後悔しても諦めがつく。だから決める時は、自分でやる……んだけど、迷うよね、やっぱり。私はまだよくわかんないや」

「そうか、なるほどな。私は、何をすべきか、どうすべきか、焦燥感ばかりで何も決めていないから、迷っているのか」

「先輩は、若いうちは何でもやった方が良いって言ってたけどね。なんだっけな……そうそう、無駄なことなんてない。それを無駄にしたのはお前だ……ん? 無駄にするかしないかは自分次第? そんな感じの」

「厳しいな。いや、納得できる話だ」

「私はよくわかんないけど」

 自然と、下手な敬語がなくなっているが、あえてファレは突っ込まない。自然体でいられるのならば、その方が良い。

「ファレさんは王都、もう長いの?」

「それなりに来ているが、生活を始めたのは最近だ。両親は田舎で魔物の研究をしていて、祖父母がこちらにいる。私はフィールドワークが趣味で、いろいろ動くには王都の方が便利だと、以前からよく来ていた」

「そうなんだ。私は隣街に住んでるけど、なんか王都って場違いなイメージが強くて、理由がないと足が向かなかったから」

「特別な理由がなければ、そうそう生活圏は広がらないだろう。学校もあるからな」

「そういえば、寮生活なんだね」

「アイレン学院だから、設備がある」

「へえ、すごいじゃない」

「いいや、大したことはない。お前が見ての通り、迷い、悩む、ただの学生だ。私はお前と、何ら変わらん――いや、祖父に話を聞きに来ただけ、お前の方が進んでいるかもしれん」

「え、でも内容的には、知ってることじゃないの?」

「知らないことを知ろうとする、それが前進だ。……そうだな、私もそうすべきだ。何よりそれが楽しいことだと、私は知っている。ありがとう、迷いも悪くないな」

 どこかすっきりとした表情で、二度ほど頷いているファレを見て、カーネは。

「えっと、まあ、うん、それならいいんだけど」

「どうした?」

「や、なんか偉そうなこと言っちゃったかなあって。私もよくわかんないから」

「ふむ、結果的に私には良い話だったのだから、それで構わないだろう」

「そんなもん?」

「そんなものだ」

 それならいいのかなあ、なんて呟けば、到着だ。

「ここだぞ、カーネ」

「あ、うん」

 貴族の家ほど大きくはないにせよ、二階建てでそれなりに広そうな家だ。庭は狭く、家屋をぎりぎりまで広くしたような感じであり、似たような家が並んでいるのでもない。

 敷地に入り、玄関の扉までは五歩もなかった。

 ノックをする前に、扉は開く。

 顔を見せたのは――。

「あ、どもっす」

「やあ、いらっしゃい。レリアから聞いているよ」

 婚約者の、パストラルで。

「ふうん? ちゃんとここまで送ったんだね、ファレ。偉いじゃないか」

「私を何だと思っている」

 予想通りの人物だったから、驚きはない。

「王都に不慣れな、可愛い女の子を一人で帰らすほど、馬鹿ではない」

「うん、それは正解だよ」

「……――え、可愛い女の子って、私のこと?」

「それ以外に誰がいるんだ」

「あー……」

 反応に困った。

「ファレさん、素直だね」

「そうか? そう言われたことはあまりないが、まあいい。ではパストラル、またいずれ」

「うん」

「あ、送ってくれてありがとう、ファレさん」

「いや――そうだな、うむ、また逢おうカーネ」

「うん、そうだね」

 そして、家の中に招かれた。

「ファレとは学院の知り合いでね」

「そうだったんすか。改めて、場を作っていただきありがとうございます」

「楽しかったかい?」

「うっす」

「だったら何よりだ。とりあえずはリビングかな、レリアが待っているよ」

 すぐ左手の扉を開けば、ソファに座っているレリアがいた。しかし、制服姿以外をあまり見ていなかったし、何より、くつろいでいたためか、一瞬だけ誰かわからない。

「――先輩」

「お帰り、カーネ。こっちおいで、座りなさい」

「ぼくのことは、あまり気にしなくていいよ。ほかの人の説明はあとで、ゆっくりするから」

「はい、お邪魔するっす」

 言われた通り、レリアの隣に腰を下ろせば、パストラルは対面に座った。

「それと、ラルくんが知り合ったのは本人が先ね」

「へ? じゃあ逆なんすか?」

「うん、老人会にちょっと顔を見せた時にいたから、少し話をしたんだ。そこできみのことを思い出したのさ。もし、ぼくの助言の通り本を読んで、興味を持ったのなら、ぼくよりも話し相手として必要なのはきみだろう」

「ありがたいっす」

「それと?」

「そうだね、これは最近になるんだけど、きみの姉さんのモラエアさんとは以前からの知り合いなんだ。――レリアに隠し事はできないね」

「え、姉さんと?」

「以前から騎士団、特に第四とは親しいからね。一緒に訓練もしたりするから、顔と口調で、もしかしたらと思って聞いていたんだ」

「そうだったんすね。明日逢うんすけど」

「ぼくのことは、何でも話して構わないよ」

「それでカーネ、どんな話をしたかはともかく、何か得るものはあった?」

「そうっすね、いろいろ整理しなきゃとは思ってるんすけど、鉱石の特性をそのまま術式に組み込むのは、難しいけど良い方向性っぽいっす」

「いいじゃない。ただ難しいね、それ」

「簡単なところはやってるんすけど、そもそも鉱石を術式で作るって感じっすからねえ」

「理屈としては可能でしょうね。ラルくん」

「ん? お茶の準備なら、そのうちに」

「数秒で考え込まないの。鉱石を術式で作る」

「ああごめん、それは可能だよ。ただ条件がいくつかある――けど、それを今話しても、本当に座学だけになっちゃうから、退屈かな。ぼくは現実に存在するものに干渉できないけど、一般的な手順を踏むのなら、まずは鉱石そのものを術式で分解することが先になる」

「作るんじゃなくて、分解っすか?」

「そう、既に作られているものを分解して、構造をそのまま術式で構築するっていう手順を踏むんだ。以前、ぼくがどこまで干渉できるのか確かめるために、ちょっとかじったんだけど、創造系術式を扱う人は、日ごろから当たり前のようにやってるんだろうね」

「構造をそのままね。……ふうん、面白そう」

「鉱石に限らず、だけどね。手順はともかくとして」

「え、そこは置いておくんすか」

「あはは、やり方なんてのは、人それぞれ違うからね。もちろんそれは、アプローチの方法もだ。まずは抽出の形をとるんだ、鉱物の構成を読み取ってね」

 小さな石を取り出したパストラルは、テーブル上に展開式を見せる。

「だいたいこんな感じかな」

「そうね」

「ええ……? 先輩もやっぱ、ちょっとおかしいっすよ」

「そう? つまりは鉱石の情報でしょう、取得する方法がアプローチの仕方そのもの。だったら手段はたくさんあるし、試してみないとなんとも言えないもの。それで?」

「ぼくができる限界は、鉱物そのものを構成にすること」

 展開式を一度消し、鉱石を手のひらの上に置いてよく見えるように示し、そして改めて、展開式を作る。

 ――手の上の鉱石が消えた。

「変換のようで、実際には何も変わってはいないんだけどね。ぼくにはできないけど、おそらく逆手順を踏んでも鉱石は完成しない」

「でしょうね。いうなれば、加工するために鉄を火に入れるのと似たようなものかな」

「うん、レリアの認識は近いと思う。まあ理解を深めるなら、こういうことをやると面白いよって話さ」

「そうね」

 なんというか。

 たぶん、イノイラーサもこういう話ができて、その上でカーネの実力を見定めて会話の内容を合わせてくれていたのだと思う。

 劣等感、ではない。

 追いつきたい、とも違う。

 よくわからない感情を抱いたカーネは、首を傾げてしまった。


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