第20話 婚約者、槍を手にして姉弟子と対峙する
パストラル・イングリッドとレリア・フィニーの関係は、カーネの目には不思議なものとして映っている。
夕食の時間には、二人で食事を作っていた。
ぼうっとその二人を見ていたのだが、傍にいた侍女姿のカトレアに。
「あの、いつもこうなんすか?」
問えば。
「お二人が揃った時は、だいたいこうですよ。ただお一人の時は、私が作ることが多いでしょうか」
「なるほど」
会話をしながら、キッチンに並んで食事を作る姿は、楽しそうである。
夕食はとても美味しかった。
それから、レリアと一緒にお風呂に入り、寝室へ向かおうとする途中、ちょっと待っててと言われ、リビングへ。
「ラルくん」
「んー」
これは聞こえてないなと、吐息を一つ。近づいて、ソファに座っているパストラルを後ろから、両手で顔を挟んだ。
「ラルくん?」
「んむ、……どうした、レリア」
「お風呂あがったから、どうぞ」
「あれ? もうそんな時間か」
「うん。明日も早いんでしょ」
「ああそうだった、朝食は一緒にできなくてごめんね。夕方前には戻る予定だから、帰るのは明後日だっけ、うん、そっちは同行するよ」
「はいはい、すぐにお風呂入りなさい。そうすればすぐ寝るでしょ」
「そうするよ。それほど差し迫った問題じゃないからね」
「よろしい。じゃあお先に、おやすみラルくん」
「おやすみ」
仲が良いのは、これ以上なくわかった。
寝室には大きなベッドが二つ並んでおり、レリアが使う方に、いつもはパストラルが寝ているらしい。
というか。
「うーん……」
「なあに?」
「先輩のプライベイトは、ほとんど知らなかったんすけど、パストラルさんと仲良いっすね」
「そうね、三年くらいの付き合いだから」
「婚約者なんすよね? その、親が決めた」
「――ああ、うん、そう、もちろん親が決めたことだけれど、利権は絡んでないの。だから来年、あたしの卒業を待って、婚約を解消しても問題はないから」
「ううん、それにしては距離が近いっていうか、――あ」
気付いた。
「婚約者とか、恋人って感じじゃなく、もう夫婦みたいな感じなんすよ」
違和感の正体が、これだ。
「距離が近いっていうのも、そうしてみるとなんか違うっていうか、二人そろってて当たり前みたいなんすかね」
「……言われてみれば、そうかも。婚約は解消しても良いんだから、お互いに距離は保ってる……はずなんだけれど」
ベッドに腰を下ろし、頬に手を当てて考えるレリアは、どうやら本当に気づいていなかったらしい。
「困った」
「え、なんすか先輩」
「恋愛感情がない。困った……」
どさりと、仰向けに倒れて天井を仰ぐ。
「嫌いじゃないの。好きだけど、ううん、確かに家族なんだけど、むう」
「あー、なんかすみません、困らせたっすか」
「いいの、これはあたしの問題だから」
「……? 先輩とパストラルさんの問題っすよ?」
「――、うん、そうだね。ちゃんと話す」
「はい。私がとやかく言うことじゃないんで、えーっと、いろいろがんばってください」
余計なことを言ってしまったかなと、少し悩んだけれど、寝たら忘れた。
いや、話題を忘れたわけではないけれど、まあいいかなと、割り切れたと言うべきだ。
翌日である。
カトレアの作った朝食を食べて少し休憩してから、二人は騎士団の詰め所へ向かった。最初からそういう予定であり、エピカトが護衛として一緒に行こうかどうか悩んでいたが、レリアが断わっていた。彼女は彼女で、やることがあるらしい。
姉の職場に行くのは初めてだ。
心配はしていないが、ぼんやりとどんな仕事かは理解していて、そこでやっていけるのならば、自慢の姉だ。
「あたしも何度か、見たことはあるよ」
「そうなんすか。ちょっと緊張してるっす」
「学生がただ見学するだけでしょ、何もないから」
たぶん、と最後に小さく付け加えるあたりが、緊張の原因である。
まずは入り口で挨拶。敷地内に入るのにも許可が必要であり、国の施設であり、国を守るための騎士だと考えれば当然のこと。
しかし、そこに待っていたのは、姉であるモラエアではなく。
「来たか」
「あれ。お久しぶりです、フェルミさん」
「ああ、大きくなったな、レリア。そっちがモラエアの妹か」
「はい、カーネっす」
「フェルミ・レーガだ」
「――」
「手続きはこっちでやろう、少し待て」
「お願いします。……どうしたのカーネ、落ち着いて」
「え、いや、だって、有名人じゃないっすか」
「そう?」
学校の授業で習うのだから、だいたいの人間は知っているだろう。かつてグロウ・イーダーという冒険者がいて、彼が育てた弟子が数人いる中で、名前の知られている人物が、このフェルミ・レーガである。
騎士を目指す人物において、知らぬ者はいまい。
「お姉さんから聞いてないんだ」
「あんま仕事の話はしないっす。ええ、すごい、光栄っす」
「……そんなものかな」
「あたしを前にして平然とした顔をしてる学生は、お前とラルくらいなもんだ」
「おかしいな。ちゃんと丁寧な言葉は使って、敬意は払ってますよ?」
「まあ、そのくらいでいいんだけどな。カーネはまだ仕事が終わっていない、代わりにあたしが案内する……が、訓練場くらいしか見せるものがない」
「いえ、充分っす。自分は今のところ騎士になるつもりはありませんが、見るだけでも勉強になるっす」
「そうか、ならこっちだ。それとレリア、対魔物訓練装置と、球遊び訓練装置だが」
「はい、どうしました」
「学院の魔術師が調べに来たことを、ラルに伝えておいてくれ」
「わかりました。ちなみに、解析は?」
問えば、彼女は背中を向けて歩いたまま、小さく肩を竦めた。
「連中がやったのは、起動結果の精査だけだ。あいつは何を仕込んだ?」
「どこまでの防御機構かは知らないけど、たぶん自壊は入れてると思いますよ。まあ、自壊があることに気付くまで分析するかどうか……」
「そろそろ一ヶ月か? ようやくラルのことを調べ始めたとなれば、初動としては遅すぎるな。――しまった」
到着してすぐ、フェルミは頭を掻いた。
「終わったところか。タイミングを間違えたな」
既に片づけを終えて、残った騎士はまばらだ。
「しまった……兄さんがいる」
「ん?」
「先輩のお兄さんっすか?」
「そう、二人いる上の兄ね」
「なんだ、まだ隠しているのか。ラルの傍にいる時点でもう、必要ないだろうに。――よしレリア」
「嫌です」
「そう言うな、案内した手前、何もないのではカーネが退屈だろう。それに、相手がいないだろう?」
「……わかった、わかりました。姉弟子の誘いを断るほどじゃないよ」
「よろしい。――教官」
近くにいた男に声をかけたフェルミは、手で招く。それから、レリアの兄も呼んだ。
「どうしました」
「今から、そいつの妹と手合わせだ。で、こっちはモラエアの妹。悪いが一緒に観戦してくれ」
「諒解であります。……私は訓練教官をしていて、騎士を引退した身だ。解説はできんが、ゆっくりしていってくれ」
「恐縮っす」
「お前も見ていけ。――私は知らんが、妹はやるのか?」
「いえ教官殿、自分は妹の戦闘など、見たことがありません」
「あ、自分もっす。学校じゃいつも、戦闘訓練は参加してないらしいっすよ」
まばたきを一つ、まるでコマ送りの映像だった。
一つ目でレリアは槍を手にしており、もう一つしたら構えている。右手を中央やや先端側に添え、左手は手前側を握る――。
そして、フェルミが腰から片手剣を引き抜き、左手に構えた。
動かない。
そこから動かない、いや、じりじりと位置は変わっている。
いつの間にか、カーネは鼓動が高くなっているのを感じた。すぐに呼吸が荒くなり、体温が上がっているはずなのに、妙な寒気を感じて、ぶるりと躰を震わす。思わず両腕で自分の躰を抱きしめた。
「――ほら、背筋を伸ばす」
ぽん、と軽く背中を叩かれて振り向けば。
「姉さん?」
「ごめん、ちょっと遅れた。いいから背筋を伸ばして、深呼吸。あー、珍しい、副団長が相手してるんだ。教官、ありがとう、ここはもういいっすよ」
「……そうか。おい、行くぞ」
「しかし」
「いいから来い」
「諒解であります、教官殿」
レリアの兄は、しぶしぶといった様子だったが、逆らうほどではなかったのか、ぺこりと頭を下げてから訓練場を去った。
姿勢を正し、深呼吸をすると、少しだけ落ち着いた。
「なにこれ」
「威圧、警戒、意思、感情、そういうのがいろいろ混ざった結果かな。あたしらはこれを、殺意とか殺気とか呼んでる」
「これが……あ」
動いた。
レリアが一歩、するりと踏み込みを見せ、それよりも大きくフェルミが下がる。追い打ちはなく、仕切り直しのようになるが、フェルミはやや左側に向けて円を描くように動き、また止まった。
こちらから顔がよく見えるフェルミは、小さく笑っているようだ。
「槍と片手剣、まずは間合いの問題。槍は、相手を近づかせないこと。逆に片手剣は近づきたい」
「だから、じりじりしてる?」
「そう。じゃあ、槍は近づかれたら終わり? 違うよね? 近づかれたら困るなら、その時の対応をする――それが、技。あえて入れたいのか、入れたくないのかは状況次第だけど、入られても対応する技術はいくつもある。だからそこも、読み合い」
「え、対応された先も読んで?」
「もちろん。ただ、あの二人はどうかな……片方はあれでしょ、あんたの先輩で、ラルさんの婚約者の」
「うんそう」
「えげつないよ、あれは。学校で見せるものじゃないし、本人も使いたくはないだろうね。あたしでもやり合いたくはない。あんたも感じてる通り、――殺し、殺されの世界だから」
派手な動きなど必要ない。
人間なんて、たった一撃で動けなくなるから。
難しいことはわからない。カーネにはそれだけの知識も経験もない――が、けれどでも。
今感じているこの怖さは、現実であり、本物だ。
※
「厳命だ。生涯、お前は妹と手合わせしようなどと考えるな」
訓練場から離れて更衣室へ入ってすぐ、彼は教官からそう言われた。
「――どういう、ことですか?」
「たとえば、お前と彼女が勝負したとしよう。勝つのはお前だ」
「はい」
「百回やって、百回お前が勝つ。それがわかっているから、彼女は勝負を受けないだろう」
「……確実に自分が勝つのですか」
「そうだ、間違いない。――あれは、そういう戦い方をしていない」
「教官殿には、どう見えたのですか?」
「お前は魔物を倒したことがあるか」
「はい教官殿、サバイバル訓練や行軍訓練で、一対一ではありませんが倒したことがあります」
「同じ質問を彼女に言えば、困惑するだろうな」
ロッカーを開き、教官はタオルを首にかけた。
「結論から言おう。あれは、――殺しの技術だ」
「……? どう違うのですか?」
「彼女には最初から、勝ち負けがない。魔物を倒す? 倒してどうする、魔物は殺すものだと、彼女は言うだろう。言い換えれば、負けは死だ。勝ちは、相手の死だ」
「――」
「騎士として、それは正解か?」
「……いえ、自分が望む騎士とは、違います。家を守り、領土を守り、人を守る、それが自分の望むものです」
「だからといって、彼女が間違っているわけじゃない。ある意味で、過保護なんだよ」
「過保護、というと……」
「普段から訓練している様子は見てないだろう? たぶん彼女は見せたくなかったし、武器なんて握りたくはないはずだ。それは、彼女が戦おうと決意する時、それが最悪の状況だから――つまりだ、己の命が脅かされ、目の前の敵を殺す、ただそれだけのための技術になる」
「それはつまり、生き残るために殺す、そう訓練していると?」
「わかりやすく言えばな。だから相手が騎士でも、貴族でも、国王でも、そういう状況に陥れば、生き残るために彼女はやるだろう。それが生存術、生きてくれればそれでいい、あとのことはどうにかする――そういう保護だよ。だから過保護。引き分けや逃げる算段もあるのに、確実な殺しを選択して、それをやらせようっていうんだからな」
「……もし、自分が感情的になって、本気でやれ、そう言って」
「わかったか? 強引にやれば、五秒でお前は死ぬぞ。何もできないまま、何をされたのかもわからず、無駄死にをする」
「聞かされた今、納得できます。手合わせはしません」
「そうだな、違う生き物だと思っておけ。それに……」
「はい」
「……魔術なしであれだ、副団長クラスじゃないと、まともに相手はできん」
「ああ、そうか、妹は常に殺す気でないと、そもそも戦闘にならない。相手はそれを受け止めて、死なない実力が必要――ですか」
「そういうことだ」
「いつの間に、とも思いますが、自分とは違う生き方を選んだ、そう思っておきます」
「それが一番良いだろう。今まで気付かなかったのなら、彼女も彼女なりに、隠していたんだろうよ。お前への気遣いかもしれんぞ?」
「そうですね、そうかもしれません。機会があれば聞いてみます。ありがとうございます、教官殿」
「いや、気にするな。それより飯の時間がなくなるぞ」
「そうでした」
彼は慌ててロッカーを開き、着替えを始める。
しかし。
対峙しただけであれだけの技術を見抜いた教官の実力もそうだが、何よりも、彼女に技術を、戦闘を教えた相手が誰なのか、そこが疑問だった。
とてもじゃないが、普通に教えられることではない。
自分のあずかり知らぬことであれば、気にしなくても良いので、そうあって欲しいと思いながら、教官は小さく笑った。
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