第23話 魔術師、薬売りを処分する

 何かの予兆があったわけではない。だからそれは、いつもの日常だった。

 学院で火の大公老師と話していたところ、ちょうど通りかかった水の大公老師に呼び止められた。

「パストラル、時間があるなら私の部屋へ来るように」

「ああ構わないよ、ちょうど話も終わるところだ」

 こんなふうに、毎日同じことが起こるはずもなく、であればこそ日常は楽しい。

 水の大公老師の部屋は、随分と整理整頓されており、掃除の手も行き届いている。火の大公老師とは大違いだ。

「どうぞ座って」

「いや構わないよ、立っているのには慣れてるからね。習性みたいなものだと思ってくれ」

「そうか、冒険者だったな」

「そうでなくとも、他人の領域に入って落ち着けるほど、図太くはないんだよ」

「なるほどな。まあいい、本題だ。これを見てくれ」

 取り出したのは、黒色の立方体である。手のひらサイズ――おおよそ一辺が五センチほどだろうか。

「へえ……」

「解除できるか?」

「なんだ、やっていいんだ」

 すぐに格納倉庫ガレージから、銀色の鍵を取り出す。といっても、鍵の形をした魔術品であり、宝石がいくつか組み込まれており、それが装飾になっているのだが、立方体の上に乗せてしまえば、五秒ほどで箱は変形を繰り返し、やがて中にあった小さな赤色の宝石を吐き出した。

「細長い板を組み合わせて箱にしてたんだね。いいんじゃない? 新入りの学生にやらせるには、丁度良い課題だ」

 鍵を手に取り、そのままポケットへ。

「――待て、なんだそれは」

「なにって……解除用の魔術品だけど?」

「いや、違う、それはそうだが、……順を追おう」

「うん、なんだか疲れてるみたいだね。休みを取った方がいいよ」

「疲れさせているのはお前だ。まず、これは私の弟子にやらせる課題だ」

「あ、そう」

「その鍵はなんだ、仕組みは?」

「解析、解除を自動的にさせる術式を組み込んだ魔術品だよ、見ての通りだ。現場で時間がない時に、いちいち解析するのが面倒だからね。差し込めば破壊、置けば解除。術式の中身としては学習型で、無数のパターンから正解を導き出して解除するだけの代物だよ」

「無数?」

「十万から百万パターンくらい、と言い換えてもいいけど……指折り数えたことはないから、覚えてないなあ。思いつく限りのパターンを入れてからは、今度は思いつく限りの防御、隠蔽、ないし結界を解除させ続けてたからね」

「……学習型、ということは成長するのか?」

「自意識はないけれど、まあ、成長と言っても良いのかな。これで解除できないなら、ぼくの出番だ。ほら、手間が一つ省けるだろう? もちろん、販売はしていないよ」

「そもそも認可が下りない」

「そうだろうね」

 解除された箱を手に取って、中に宝石を入れてから、逆手順を踏んで元に戻す。

「これ、貰っていいかな」

「構わないが、どうするつもりだ」

「ぼくの婚約者に渡そうかと思って。ぼくの術式ばかりだと、視野が狭くなるからね」

「――解除できるのか?」

「うん、できるよ。一時間くらいかかると予想するけどね」

「……」

「きみの弟子の教育に対して、何かを言うつもりはないし、これは火にも言ったんだけどさ。もっと幅広い知識を求めた方が良いよ」

「そうか?」

「だって魔術は、世界を知るための学問だよ? つまり、世界を知らなかければ魔術は知ることもできない。ぼくが鍵を取り出して、きみは驚いた。おかしな話だよ、なんで驚くんだと怪しむくらいだ。きみは、家の扉を開くために鍵を使うのに、どうして結界や封印を解除するのに鍵を使わないんだ? 鍵付きの宝箱を分解して、鍵がどういう仕組みで箱を開けているのか、興味を持ったこともないんだろう。ぼくに言わせれば。なんできみたちは鍵を作っておかないんだと、そういう気分だよ」

「……、そうだな」

「まあ、鍵の形にしてるのはぼくの趣味だけどね。それに、同じことができるなら魔術品にする理由もない」

「ならどうして、お前は作った」

「面白そうだから。あと時間短縮っていうのも、嘘じゃないよ。現場でほかの術式を使いながら、鍵を使うこともできるからね」

「――以前に」

「うん?」

「渡された箱庭の術式、あれを1として、騎士団の訓練場にある魔術品には、どのくらいの防御を仕込んでいる?」

「5か6くらいかなあ、標準的なものだし、あれならぼくの婚約者でも解除できる。それを言うなら、ぼくの常時展開式リアルタイムセルは20か30くらいの強度はあるよ。そこらにいる魔物だって15くらいはあるね。その点、人種ひとしゅは甘すぎる」

「肝に銘じよう」

「……魔術を知るのは、もっと楽しいと思うんだけどね。きみたちは立場があるから、そうもいかないみたいだ。知らないことがある、ただそれだけで――いや」

 ただそれだけで満足していないのは、パストラルだ。

「じゃあ、これは貰っていくよ。用件は以上だね?」

「ああ、助かった。また声をかける」

「うん。ぼくもそうするよ」

 これでレリアに逢う口実ができたなと、部屋を出た。

 エピカトやカトレアを誘うことも考えたが、たぶん日帰りか、長くても一日だ。最近のエピカトは冒険者活動が楽しいため、邪魔をしたくない。もちろん、パストラルは一人でも構わないのだが――。

 さて、どうしたものか。

 そこでふと、食堂に顔を見せたのならば、そこに。

「やあ、ファレ」

「む……パストラルか」

「お邪魔だったかい?」

 いやと、ファレは首を振って席を立つ。知り合いだろう二人に対して軽く手を振り、そのまま食堂の外へ。

「食事も終えて、歓談していたところだ。あんなもの、寮に戻ってからでもできる。用事があったのか? ないのなら、ここのところよくあるデルフィの愚痴、に対する私の愚痴でも聞いてくれ」

「あはは、どんな愚痴なのかぼくも興味はあるけれど、まずは提案からだ」

「どうした」

「ぼくはこれから、隣の街に行くんだけど、一緒にどうだい?」

「……? どういう意図なのか、よくわからない」

「うん、特に意図はないんだけれど、もしもきみがカーネさんに逢いたいと考えているのなら、ぼくが声をかけないと機会がないと思ってね」

「む……」

 言えば、ぴたりと足を止めたファレは腕を組み、振り返ったパストラルがまったく笑っていなかったので、からかうつもりもなく、本気でそう考えていたのだとわかって、また足を進めた。

「きみも、まったく意識していないわけじゃないだろうし、そうでなくとも、きみの祖父は気にしてたはずだ――と、本当についさっき気付いてね」

「確かに、話題になることもある。そろそろ一ヶ月ほどか、私も気にしてはいる」

「へえ、何を気にしているんだ?」

「すぐに私など追い抜く、それだけの伸びしろがある――祖父はそう言っていた」

「同感だね。彼女が道を間違えなければ、間違うというか踏み外さなければ、そういう結果にもなりうるね」

「お前から見ても、そうなのか」

「きみは今、魔術を楽しめているかい?」

「――それは」

「ぼくもそうだけど、彼女は即答するよ。もちろんだ、楽しいに決まってる、必ずそう言う。好きこそものの上手なれ、なんて言葉があるくらいだ。壁にぶつかったことを喜ぶくらいじゃないとね」

 半分は、その言葉が自分に刺さる。

 もちろん楽しんでいるけれど、かつてとは違う。目標がない、壁がない、それを達成する喜びも今はないのだ。

「今からなら、日帰りか?」

「そのつもりだったけど、きみが一緒なら一泊かな。ぼくの拠点があるから、宿泊場所は気にしなくていいよ」

「わかった。寮に寄らせてくれ、外出届を出しておく」

「もちろんだ」

 こうして、二人は隣の街にまで足を運ぶことになる。ファレにしてみれば数年ぶりで、パストラルは二週間ぶりくらいか。

 一度、寮に寄って手続きをしてから、パストラルの家へ。出迎えてくれたカトレアに事情を話す。

「ということで、明日には戻るけど、カトレアはどうする?」

「姉さんがいますから、今回は遠慮します。パストラル様は楽しんできてください」

「きみは、遠慮を覚えてからは自己主張が少ないね」

「あら、これは配慮ですよ」

「あはは、そういうことにしておこうか」

 こっちだと、ファレを案内したのは、自室である。

「ぼくの自室だよ」

「……思っていたよりも、整頓はされているが、魔術師らしい部屋だ。自室というより研究室に近いな」

「そうだね。まあ、あまり使っていないから」

「――なに?」

「ぼくはまだ、何も食べてなくてね、軽食を取りに行こうか」

 改めて扉を開かれ、廊下に出た瞬間、ファレは空気の違いを感じて足を止めた。

 そう、言葉にしてしまえば、そのまま溶けてしまいそうな違和感だ。何がどう、それを表現することが困難で、やはり、空気が違うという表現が当てはまる。

 これは。

「まさか、――次元式、いや、空間転移ステップか?」

「正解だ。ここはもう、隣街にあるぼくの拠点だよ。整理されてるのは、メイン拠点じゃないからさ」

 空気の違いは、すぐわかった。ここには人の気配がないのだ。

「長距離転移……だが、術式の感覚もなかった。どういう仕組みだ?」

「うん」

 それは問いかけではなく、疑問を明確にして自身に言い聞かせるような言葉であり、廊下を歩きながらほかの部屋を見て、明らかに違うことを確認しながら、ファレは考える。

「……そうか、扉の開け閉めが関連しているな。行動はそれしかない。部屋ごと転移した? いや、移動したのは私たちだけだ。――パストラル、部屋に入った時点でもう、ここだったんだろう?」

「そうだよ」

「境界線をくぐったのか。理屈としては……どうなる? 扉を開いた、それだけで別の場所? ……こんなことなら、次元式をもう少し詳しく覚えておくべきだった」

 外に出てからも、パストラルは口を挟まず、ファレに考えさせた。ファレは思考を口にするタイプだったので、それを聞くことが面白かったからだ。

 けれど、飲食店に入って注文をし、テラス席で食事をする段階で、口を開いた。ちなみにファレは珈琲だけを頼んだ。

「それで――」

 しかし。

「よう、なんだサボりか?」

 テラス席だから通りに面しているため、人通りもそれなりにある。声をかけてきたのは、妙に軽装の若い男だった。

 ただ、目つきが少し、――冷たい。

 だから。

「まあね。面倒だから黙っておいてくれないか、兄さん。学校ってのは退屈でさ」

「へえ」

「遊びに行くにも、買い物でも、やっぱ王都まで行かなきゃ面白くないね。ここじゃ裏側をのぞき込むのも、たいして怖くないしさ」

「おいおい、買い物ってやべえ代物にも手ぇ出してんのか」

「常習性がなければね」

「ふうん……ま、ほどほどにな」

 ひらひらと手を振り、すぐ背中を向けたので、パストラルも首を横に振ってすぐ。野菜サンドを口に入れた。

「気にしなくていいよ。それより本題に戻ろうか」

「ん、ああ……お前がそれならばいいが、そう、空間転移ステップだ」

「まずは大前提から、つまりは扉の開閉に関して。これには箱庭ガーデンの基礎理論なんかも使ってるんだけどね」

「扉は入り口であり出口だ」

「そうだね、そうなんだけど、たとえば――そうだな、ぱっと見て四角形の小屋があると考えてくれ。その小屋には窓は一切ない、つまり外側から中を見ることはできない。そして、きみの前には扉が一つある」

「想像はできたが、意図はわからん」

「扉を開ける前に、中を見ることはできるかな?」

「――できない、という前提だろう」

「そうだね。けれど扉とは本来、そういうものなんだよ。それは境界線ボーダーであり、開いた先に何があるのかは、開くまでわからない。つまり、四角形の小屋が連続して存在した場合、一つ目の中に入って、つぎの小屋に行こうと扉を開いても、その先に何があるのかは――

「確かに、私にとって慣れない場所であり、初見だったのだから、あの扉を開いた先にあるのがどこなのか、説明されるまではお前の部屋であることすらわからなかったが」

「それを利用して、誤魔化してるんだよ。距離なんかを考えると面倒だけど、扉を開くなんてのは、移動するための手段だからね。簡単に、二つの扉を繋いでると考えればいいんだけど、それはただの結果だ」

「そうだな、その結果に至るためが魔術の理論であり、術式だ。……箱庭と関連すると言っていたな」

「箱庭の拡張なんかは、そういう認識を利用してるからね。もちろん手段はそれだけじゃないけど、部屋の数は増やしたいし、そもそも術式で作った箱庭の中に入るためには、似たような術式を使わないと出入りができない」

「……なるほどな」

 そうかと、頷いてファレは珈琲を一口。

「しかし、移動といえば距離と時間だろう?」

「基本はね。次元式で、三次元の座標を固定して、そこへ移動する方法のことを考えているんだろう?」

「そうだが」

「まあ、それはぼくもよく使うけどね」

 主に、対人戦闘において、一撃死を狙う場合に。

「ただそれ以外に発想がないなら、きみにとっての問題はそこだよ」

「発想、か」

「じゃ、ぼくはちょっと席を外すから、考えてみるといい。そう簡単に思い浮かばないけれど、考えてみることも大事だよ」

「ん……ああ、そうしよう」

 思うところはあったが、ファレは追求せずに頷いた。

 食事を終えて席を立ったパストラルは、食後の運動くらいな気持ちで足を進める。フィニー家に顔を出すのも良いし、夕食の買い出しも良いが、それよりも。

 ――先ほどの男だ。

 追跡は容易い。先ほど逢った時、追跡用の術式をつけておいた。これを一般的に、色を付けると呼称する。いわゆる目印マークをつける行為だからだ。

 簡単であり、難しい術式の一つである。何しろ、複雑にしたら対象に発見されるし、簡単にはがせないようにしても、それは同様だが、しかし、ちょっとしたことで外れてしまう――落ちてしまうような色付けでは、意味がない。

 絶妙なバランスと、隠蔽技術が試される。追跡用の色付け術式を見れば、魔術師の錬度がわかる、なんてことさえ言われるくらいだ。

 裏路地に、ひょいと入る。この街の構造は理解しているし、知らない道もない。

 人気の少ないところ、というのはパストラルにとっても好都合である。

 彼は、誰かと会話をしていた。相手は男――たぶん、同業者か、仲間か。

「やあ、さっきはどうも」

「お前――」

 自然体のまま、すたすたと近寄り、相手が距離を取る前に、格納倉庫ガレージから取り出したナイフを、左手で顎の下、喉に突き刺した。

 殺害、である。

 ナイフは引き抜かない。血があたりに散ると、掃除が面倒だから。

「一応、忠告しておくけれど、フィニー家のあるこの街で、余計な仕事はしない方がいいよ。ガキを相手に薬の販売なんて、もってのほかだ。わかったのなら、とっととぼくの前から消えてくれ。十秒はあげるよ」

「――」

 彼は。

「やめておいた方が良い。それとも、きみも殺されたいのか。残り三秒」

 逃げることにしたらしく、すぐ背中を向けて走り去った。

 やれやれとため息を落としながら、屍体のポケットから薬らしきものと財布を応酬。事前に目印をつけておいた山奥に屍体は転移させておく。魔物や動物の餌になるだろう。

 パストラルは、相手を痛めつけて恐怖を与えることが効果的だと思っていない。やればやるだけ、恨みが増えると考える――つまり、殺す以外の解決を知らない。

 それに、彼はファレの顔を覚えている。ここで逃してしまうと、ファレを標的にする可能性もあり、パストラルだとて常にファレと行動するわけではないので、守り切れる自信もなかった。

 薬はとりあえず格納倉庫ガレージに入れておき、素知らぬ顔で戻った。

「お待たせ」

「いや、それほど待ってはいない。珈琲でも頼んだらどうだ?」

「そうだね、そうしよう」

 ウエイターに声をかけて、紅茶を頼んだ。

「戻るのが早すぎて、私の考えはまだ、まとまっていない」

「そう? じゃあ、もっと待とうか。レリアたちの学校が終わる夕方くらいまで」

「そうしてくれ」

 まだ時間はある。このあとで、ギルドとフィニー家に顔を見せて、念のため薬の調査――いや、売ろうとしていた連中がいたことを、情報として伝えておこう。

 そのくらいの対処で充分だ。

 この時のパストラルは、そのくらいの軽い考えでしかなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る