第16話 魔術師、魔物の大群に遭遇する

 王都アイレン学院の受講は、本人の意思に任される。

 一週間の授業予定が掲示板に張り出され、それを見て自分に必要だと思う授業を受ければいい。そのため、一般学校にあるような学年という種別はなく、先輩後輩は個人的な間柄などで使われることがほとんどだ。

 ただ、新入生のほとんどはまず、展開式の立体化、つまるところ重複式を覚えるための授業を受ける。これができないと、どうしようもないからだが、パストラルには必要ない。

 そこで選んだのが、課外実習。ちょうど第四騎士が定期巡回のため、一泊二日の距離の行軍をするらしく、それに同行する学生を十名ほど募集していた。

 第四からは五名の騎士がきていたが、パストラルの顔を見ても一切動揺しなかったのはさすがだ。

 どういうわけか。

 パストラルは先行隊に選ばれ、ほかには二人の男子学生。そして先導するのは女性騎士が一人だけ。

 お互いに無言のまま歩くのは、森の中。最後尾で定期的に背後をちらりと見るパストラルだが、三十分後にはもう、後続の姿は目視できていない。休憩すると言われたのは、森に入ってから二時間後であった。

「はい、じゃあ休憩っす。適当に会話とかしても良いっすよ。座って休んでもいいっす」

「じゃあ騎士さん、一ついいかい?」

「どうかしたっすか」

「独特な敬語みたいな話し方だけれど、もしかして妹さんがいる? 今は学生の、そう、二年目になった頃かな?」

「いるっすよ。あーもしかして、あたしのこの下手な敬語が移ってたっすか」

「うん、間違ってなければ本人かな。ありがとう、ただの確認だよ」

 腰に提げていたボトルをとってパストラルが水を飲めば、二人の学生もそれぞれ、近くにあった石や、大木に体重を預けるようにして休んだ。

「……魔術科が参加とは、珍しいな」

 ぽつりと呟いたのは、腰に長剣を提げた、木にもたれかかった男だった。

「うん?」

「ああいや、先輩がそう言ってたんだよ。俺は新入生だから、そんなもんかって思っただけで」

「それを言うなら、彼だってそうじゃないか」

「私はフィールドワークが趣味で、体力はつけている。護衛に雇った冒険者に、最低限はついて行く、そのくらいはな」

「へえ、そうなんだ。これは参考までに教えて欲しいんだけど、お勧めの冒険者はいる?」

「お勧め……というほど知らんが、私は羽根の槍フェザーランスというパーティに頼んでいる」

「ありがとう。じゃあぼくも、必要ならその人たちに頼もうかな」

 しらじらしい、と思っているのは女騎士だけで、彼女は笑いを堪えるのに我慢できそうになかったか、口を挟んできた。

「あはは、三人とも新入生っすよね? 展開式の立体化は受講してるんすか? あれ、必須だと回りがうるさいでしょう」

「俺はもうできたんで」

「私もだ」

「じゃなきゃ参加しないよね。でも、ちょっとペースが速いだろう? いや、彼女にしてみれば普段通りだろうけど、後続がだいぶ離されてる」

「ん? だから休憩してるんじゃねえのか?」

「まさか。後ろが休憩に入ったから、こっちも足を止めて休もうってことさ」

「ああなるほど、よくわかるな」

「じゃないと、いつまで経っても追いつかないよ」

「それもそうか」

「きみも平気そうだね。騎士科ってだけじゃなさそうだ」

「実家が農家でな、昔から手伝いをしてた。学校が終わって日が暮れるまでは、いつも農作業だ。慣れだな。学院は授業料が基本は免除だろ、助かってるよ」

「ふうん、納得だけど、成績は優秀だったんだろう?」

「じゃなきゃ推薦されねえっての。お前だってそうだろ」

「うーん……ぼくは、学校が初めてだから、なんとも言えないね」

「は?」

「ならば、十三歳なのか?」

「そうだよ。成績が優秀だからって、嫉妬されたこともない」

「――貴族か」

「うん。そういえばお互い、名乗ってなかったっけ。ぼくはパストラルだ。貴族の義務は何一つ果たしてないから、貴族だと思われても困るね」

「ん、ああ、俺はデルフィ」

「私はファレだ」

「よろしく。いやあ、同世代と会話することが今までほとんどなかったから、楽しみにしてたんだ。やっぱり学校にいる貴族ってのは、面倒なのかい?」

「そりゃお前……」

「あれは面倒だ。プライドばかり高くて、こっちの成績を追い抜けないから、余計なことをよくする。一般学校なんぞ、授業を聞いていれば良いだけだろうに」

「おい」

「あははは、きみは素直だね、ファレ」

「余計なことをする時間を勉強に使えと言ったら、何故か怒りだしていたがな」

「なるほどねえ」

「私から質問がある」

「どうぞ」

「魔術か騎士か、選択肢を与えられたから、とりあえず魔術科を選んだのだが、体術は覚えた方が良いか?」

「ああ、そりゃ俺も一緒だな。前の学校じゃ剣術での成績が良くて。、二択だからって選んだけど、どのくらいまで魔術を学ぶかって点は悩んでる」

「うんうん、つまりきみたちは、ぼくがそうであるように、これから先にどうするか決まってないんだね」

「そうなるな」

「騎士になりたいなら、そうすりゃいいからなあ」

「現役としてはどうだろう」

「そうっすね、あたしから言わせてもらうと、どの騎士団に所属するのか、つまるところ騎士ってのも全員が同じってわけじゃないんすよ。あたしら第四は、外敵の排除。今回の任務も定期巡回で、街道周辺の調査って名目があるっす。引き抜く人材は、適性はもちろん、とにかく実力主義っす」

「なるほどね。そもそも、騎士団と騎士っていうのは、厳密には違うんだっけ」

「そうっす――あ、そろそろ移動っす。歩きながら話しましょう」

 そしてまた、移動を開始する。

「貴族の護衛や、街の警備、そういう人たちも騎士っす。騎士団は国からの指令が第一って感じっすね。それぞれ団ごとに役割があるっす。大きく見れば、あたしら第四の仕事は遊撃で、普通のパーティとかで見るなら、斥候スカウトの役割っすね。だから実力主義――生き残って情報を伝えることを第一にしながらも、一番最初に戦場に触れることにもなるっす。もちろん、魔物にも」

「最前線って認識で合ってますか」

「ざっくり言えば、そう。ただほかの騎士だって、護衛だって、荒事はすぐ傍にあるっすから」

 そうなると。

 また頭を悩ます問題ができたような気分で、そこからは大した会話もなく、移動に意識を向けた。

 また、二時間くらい歩いて。

「休憩っす」

「……なるほど、後続は人数が多いぶん、遅れやすいのか」

「だいたい1キロ弱ってところだね。――でも、あまり良くない」

 さすがに緊急時にまで、隠し事を貫こうとするパストラルではない。

「モラエアさん」

 ここにきてようやく、騎士の名を呼んだ。

「進行方向、五時方面に約2キロ、上空警戒」

 一瞬にして魔力波動シグナルが広がるのを、二人も感じ取れるほどのあからさまな行動。

 そして。

「上空――?」

「ハニカムホーネットの分蜂ぶんぽうだと推測するよ」

「ラルくん、この二人を任せていいっすか」

「いいよ、任された。後ろは手が足りないだろうからね。顔を地面につけて、耳を塞がせるのが効果的だ」

「うっす。いいか、緊急事態だ。二人はラルくんの指示に必ず、絶対に従うように。できないなら今すぐ死ね、いいな?」

「え、あ、はい」

「わかった」

「終わりを確認次第、こっちに合流するっす」

「うん、いってらっしゃい」

 後方へ向けて走る彼女の動きは素早く、障害物を回避するのが面倒かのよう、木の上を渡るように移動して、姿が消えた。

「さて、見ての通り危うい事態だ」

 外套コートの袖口から取り出した四本のナイフを、そこそこの広さになるよう突き立て、四角形を作る。

「二人とも、こっちへ入って」

 実際に今のパストラルならば、ナイフは必要ない。しかし、魔術の腕前を誤魔化せるし、二人にとっては目に見える境界線となるので、あった方が安心できる。

「十五分くらいは猶予があるかな、足を組んで座って、それから腕を組む。つまりは、動かないでくれってことだ」

「おい、ああいや、従うけど、どういうことだ? 何がある?」

「すぐわかる――と言いたいところだけど、心構えは必要かな。ファレは知ってるかい?」

「いや」

「ハニカムホーネットは知ってるぜ。農家の味方、賢い魔物だ。巣の傍に、テーブルと箱を置いておくだけで、余った蜜をそこに入れておいてくれるんだよ。こっちから手を出さなければ、基本的には温和な魔物だ」

「その通り。実際に遭遇したことは?」

「それはないな」

「うん、きっとその方が良い。分蜂、つまり巣分けさ。新しい女王を護衛しながら、千単位の兵隊たちが集まって、新しい巣の場所へ向かう移動だ。ぼくも知識にしかないし、基本的に彼らは夜に移動すると本で読んだけど、珍しいことだね」

「――女王を守りながら? つまりそいつは、最大警戒でってことか?」

 二人はどっかりと地面に座り込んだ。

「そうだよ、殺意の欠片でも見せたら、後続も含めてぼくら全員、殺されて終わりだ。間違いなく、生き残りはいない。だから決して、何かの術式を使おうとか、剣を抜こうとか、考えないように。どれほど怖くてもだ、死ぬよりはマシだと思って耐えてくれ」

「脅しじゃないんだな?」

「あはは、違うよ。手出ししなければ、彼らは何もしない。ぼくの言うことを守って、ここの結界から出なければ、きみたちの命は補償するよ」

「わかった」

「……できねば今すぐ死ね、か。厳しい言葉だが、実際にはその通りか」

「迷惑をかけるどころか、他人を殺すことになる。しかも味方だけじゃなく、何も知らない一般人の可能性だってあるのさ。ぼくだって初見だ、楽しみだね」

 そして。

「ふうん、まずは、音か」

 最初は小さな音、つまりは羽音のようなものが聞こえるくらい。だが、パストラルが一言、空を見るように言えば、次第に音が大きくなっていくと共に、太陽が陰った。

 空を暗雲が覆いつくすかのような大群が見えた頃には、まるで豪雨の時にある音の大群が周囲を埋め尽くす。千単位ではない、下手をしたら万単位の移動である。

 その中で。

 先頭の方にいた塊が、こちらにやってきた。空中で分裂したのは、後方の集まりへ行くためだろう。

 パストラルたちの前に来たのは五体。

 正面に一体が空中で静止し、ほかの四体は周囲に散るが、パストラルでさえも、目の前から視線が逸らせない。

 たとえば、人間ならば――目が血走り、奇声を上げながらナイフを振り回している相手、だろうか。言葉は通じないし、声をかけても反応はない。ただただ、相手は誰かを殺そうとしているだけで、それ以外に目がいかない。

 そういう雰囲気だ。

 本能的に察する。

 目の前にいる一体から、あるいは周囲の四体からも感じるそれは、――決死。

 自らの命を捨て、何かを成し遂げるという意思であり、結果のためには命など軽すぎてないようなもの、そういう決意。

 五分だ。

 たったの五分が、これ以上ないほど長く感じたのは、彼らの呼吸が浅く、まばたきを忘れ、緊張感を持続させられていたからだ。

 五分後に、目の前から一体がふらりと上空へ移動し、ほかの四体を伴って最後尾について行くのを見送り、いつしか見えていた陽光が、大群の通過を報せてくれて、二分後。

「――もういいよ、大丈夫だ。よくがんばったね」

 パストラルの声を聞いて、ようやく二人は盛大に息を吐いた。

「……ぶはっ、はあ、はあ」

 額から流れ落ちる汗を拭うのを見ながら、パストラルは結界に使っていたナイフを回収するが、彼らと同じく、額には汗が浮かんでいる。

 当然だ。

 あれを前にして、緊張するなというのが無茶な話なのだから。

「殺されるかと思ったぜ……」

「まったくだ。あれは、己の命を捨ててここに来ていた。手を出していたら相打ちだが、その時点で彼らの勝ち……守るべきは女王、ただ一人か」

「先頭から分隊を出して、後方に合流するのも合理的だったね。女王の位置はわからないし、何かを見つけるのは先頭が一番早い。良い経験だったよ、これは面白い」

「二度はごめんだ」

「あはは、ぼくだって同意見だよ、ファレ。次も見てみたいなんて、よほどのことがない限りは望まない――おっと」

 休んでていいよと声をかけ、パストラルが片手を挙げた。そこへ、木の上から跳躍して、着地した女性がいる。

「――ラル様」

「やあエピカト、偶然かい?」

「はい。依頼を片付けた途中で発見し、追跡しています」

 腰裏に一振り、そして左腰に一振りあるのは、小太刀。外で身動きできるよう、肌が露出していないタイプの服だが、荷物が持てるようなポケットは少ない。

 パストラルにとっては、見慣れたいつものエピカトだ。

「記録はとってる?」

「私とコタ、別視点で」

「いいね。じゃあ、分蜂が終わって居着くのを確認し次第、場所の報告をギルドへ。そこで一応、断りを入れて、騎士団に同じ報告をしてくれるかな。第四の仕事で、学生が一緒に遭遇したとも」

「はい」

 頷き、エピカトはパストラルの背後にいる二人に視線を投げた。

「学生でしたか」

「うん」

「ではギルドと騎士団に情報を共有させます」

「事情が事情だからね。それと、記録の開示はぼくに任せて。パフィオには、研究所に対して記録があると報告させたい。交渉はこっちでやる」

「わかりました」

「じゃ、あとはよろしく。接近しすぎて影響を与えないように、気を付けてね。怪我をせずに帰るんだよ」

「はい、ラル様も。――いってきます」

「いってらっしゃい」

 ひらひらと手を振って見送れば、そこへ。

「無事っすか」

「やあモラエアさん、無事だよ。忙しいところ悪いけれど、報告が一つ」

「なんすか?」

「エピカトが追跡してたらしくて、今逢ったよ。分蜂が終わり次第、その場所の報告をギルドと騎士団にするよう言っておいたから、こっちから急いで報告しなくても大丈夫だよ」

「――助かるっす。それ、後ろに伝えてくるんで、もうちょい休んでてくださいっす」

「悪いね」

「や、それはあたしの台詞っすよ。ありがとうございます」

 それから。

「まあ何か言いたいのはわかるけど、それは後にしようか。どうせぼくたちは、今夜も一緒に動くんだろうしね。今はとりあえず休もう……ぼくもさすがに疲れてるよ」

 言って、どっかり座り込んだパストラルを前に、二人は曖昧にうなずいた。


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