第13話 女学生、図書館を訪れる

 いくらデートではないからと、外出するのに気楽な服装を選べない。気合いを入れる必要はないものの、ある程度は綺麗な服装で、髪もちゃんと手入れして、鏡を見て確認してから、よしと頷いて外へ出る。

 向かった先は、街にある図書館だ。

 イメージで言えば、申し訳ないが誰が使うんだと、今まで思っていた。そもそも学生なんて、学校以外で勉強するなんてのは、よっぽど面倒な宿題があって、社会人が残業をするよう、そうしないと間に合わない時くらいなものだから、彼女も親に、ちょっと図書館に行ってくる、なんてことは伝えなかった。

 何事だと、笑われるのがオチだ。

 昨日から熱に浮かされているような感覚だった。

 レリアという先輩に相談することは、月に一度か二度はあった。賢い――のかどうかはともかく、知識の幅が広く、魔術に関する質問には属性問わず、いろいろなアプローチを教えてくれて、新しい発想を得られることもあるが、だいたいは納得できる結論を出すことができる。

 信頼度は高いし、もちろん、魔術以外のこともいろいろ聞いた。婚約者がいることも知っていたし、だからこそ男が近づかないのも知っていて、それに助けられたこともある。少なくともレリアの傍にいて、そういう目的の男が近づいてきたことはない。

 ――ただ。

 初めて見た相手は、年下だと言う。けれどその助言が、あまりにも的確で、かつ、想像もしたことがないことだった。

 鉄を使えばいい、なんて言われた時は、意表を衝かれた。だってそんなもの、魔術の話ではない――直感的にそう思ったくらいだ。しかし、続きを聞いていれば、それは現実の話であり、それが現実ならば魔術の話だと言わんばかりの態度に、反論する余地などなかった。

 理に適っている。

 合っていると、そう感じたのならば、もう正解と言って良いものだ。

 図書館の前で、深呼吸を一つ。

 いざ、と気合いを入れて中に入った途端、本棚とそこにある蔵書の物量に圧倒され、思わず足が止まってしまった。

 当たり前だが、本だらけ。それでいて人が少ないのか静かで、どこか静謐さを感じるような雰囲気に、ごくりと鳴った喉がいやに大きく――。

「おっと、気付かなかった。いらっしゃい」

「――っ」

 カウンターから声をかけられ、ぎくりと身を強張らせて振り向けば、男性が読んでいた本を置いて、立ち上がった。

「学生さんか?」

「え、あ……はい、そうっす」

「学生証か何かある? 持ってきてるならそれでいいさ」

「持ってきたっす」

「それならいいよ、貸し出しの時にあると手続きが楽になるってだけだ。ああ悪い、俺はここの司書だよ。それで? 何の本を探してるんだ?」

「イノイラーサの鉱物読本……ってやつなんすけど、あるっすか?」

「あるよ。へええ、こりゃまた珍しい。こっちにおいで、案内しよう」

「お願いするっす」

「それも俺の仕事だ。誰かにお勧めされたんだろうけど、よっぽど雑多に読む人間じゃなきゃ、あの本にたどり着かないはずだぜ。図鑑というには中途半端で、読本というには偏ってるけど、適応できたらこれ以上なく面白い本だ」

 少し奥まで行き、高い位置にある大判の本を抜く。

「でかいし重いから、俺が運ぼう。入り口側にあるスペースでいいか? 奥に個室もあるが」

「入り口側でいいっす」

「素直でいいな。ちなみに、日ごろから読書はするか?」

「いえ……」

「じゃあ、簡単なアドバイスだ。図鑑や辞書なんてのは、目的のものを調べるために使うんだけど、まあこいつも似たような本だから、最初のページから読んでると疲れるだけで、ちっとも頭に入らねえ。だから、まずはどのページでもいい、真ん中くらいをぱっと開いて、とりあえず読む」

「そんな適当でいいんすか?」

「いいのいいの、そうやってまずは、どういう本か理解するのが先だ。適当に3ページくらいはめくって、どんな本かわかったら、最初の方にある目次をざっと見る。そこから目的のものを見つけたり、見つからないなら、また適当に開いて読んでみる――そうすると、読書の楽しみもわかってくるさ」

「うっす」

「はい、じゃあごゆっくり。おっと、本への書き込みは禁止だが、書き写すのは問題ない本だから、好きにしていいぞ。俺はカウンターにいるから、何かあったら気軽に言ってくれ」

「はい、ありがとうございます」

 本を置いてもらった位置に腰を下ろし、持ってきたノートとペンを取り出しておく。

 言われた通りにしてみよう。彼は司書で専門家、こっちはろくに読書などしたことがない素人なのだから。

 大きい装丁で、厚みもある。思い切って適当に開けば、大きさに理解できた。挿絵がそれなりに多く描かれている。

 まずは、鉱石の名前が大きく書かれており、その鉱石が描かれており、説明文が続いていた。

 どういう場所で発見され、どういう環境で生成されるのか。この説明は詳細ではなく、大雑把に、推測も交えている。中心になっているのは、雷系術式を使った時の反応だ。

 実際に現実で発生したこと、そこからの推論、そして著者本人の感覚的なもの。この三つが書かれており、その時のイメージなどが図解されていた。いや、図解というよりも、ほかの現象でたとえているような感じだ。

 言われた通り、だいたい3ページくらいを読んでみたが、なるほど、面白い。

 2ページ目にあったのは、雷系術式を反射する鉱石。彼のイメージでは、U字の筒がこちらを向いているようなもので、反射というよりも、一度入ったものの、そのままぐるりと半回転して自分に戻ってきているような感じだったらしい。

 雷系の防御対策はしていたが、それは躰に対してであり、服が焦げ付いたかと思いきや、一気に発火してかなり焦った、などと、本人の感想が小さく書かれているあたりに、くすりと笑えてしまう。

 ただ、身近な鉱石でないと、検証もできない。言われた通り、目次を見て探そうかと手を伸ばし――ぴたりと、手が停まった。

 なにかが引っかかる、直感めいた何かと、自分の目で見ている情報から、閃きを探し、それが確信となって、驚きと発見を生む。

 イメージの図解だ。

 ――これはそのまま、術式の構成に使えるのではないのか?

 身近な鉱石で検証をする、それ自体は否定しないものの、彼女は検証をしたいわけではない。むしろ図鑑とは、知らないものを調べるためにあるものだ。

 そこからの発展で到着した結論に、彼女はノートを開いてペンを持つ。

 現実として。

 この鉱石は存在していて、電撃を流せば反応があった。つまりは物理現象。それが現象ならば、術式で再現することも可能だ。

 そういう視点で改めて見れば、ただの図鑑だったはずのものが、魔術書に見えてくる――。

 没頭した。

 知っている、身近な鉱石の方が確認しやすいこともあって、きちんと目次に飛んで鉄など、ありふれた鉱石の情報を得て、次に知っている鉱石。最後に知らない鉱石と優先順位をつけて、とにかくメモだ。

 面白いし、楽しい。

 三時間ほどぶっ通しで読んだ。それでも全部は読み切れなかったが、ふうと一息を入れた時がそのくらいの時間で、思ったよりも疲れている自分にも気づけた。

「よう、だいぶ進んでるみたいだな」

「うっす」

「どうする? 借りてくか?」

 司書に問われ、少し考えてから彼女は首を横に振った。

「いろいろ知れたんで、それを元にやることをやるのが先っす。でもまた読みにくるっす」

「はは、そりゃいい。勤勉だな」

「あの、この本って魔術書じゃないんすか?」

「国家規定の検閲が入った上で、ここにあるのは魔術書じゃないな。もしも、魔術書のように感じたのなら、相性が良いぜ。その感覚は大事にしておくと、ほかの本や知識なんかを得た時、違う閃きを持てる」

「そうなんすか、覚えておくっす」

「じゃ、本はこっちで片付けておくから、気を付けて帰りな。次に来る時、俺がいなくても同じ場所にあるから」

「はい、お願いするっす」

 失礼しますと頭を下げ、来た時とは違ってどこか浮足立った様子で彼女は帰る。早く、早く家に帰っていろいろと試してみたいことができたのだ。

 魔術の改良、というか展開式は、他人のものを解析するのが難しいものの、他人にはあまり見せないように、と学校で教わる。だから家でやらなくては。

 図書館を出る時、一人の老人とすれ違ったが、それを認識したものの、彼女は気にした様子もなく、家路を急ぐ。

 その様子を見た老人は、何かを掴み、何かを探そうとしているのだろうと、わかる。だってその時間は、何よりも楽しいから、歩みだけで気付けてしまう。

 本を片付けようとしていた司書が顔を上げた。

「――よう、グロウじゃねえか。随分と歳を食ったなあ」

「お久しぶりです、三人目のエンス。三十年ぶりだというのに、あなたは変わりませんな、先生」

 三人目のエンス。

 かつて、傭兵団ヴィクセンの名で教会を暴き、今の環境を作り出した張本人であり、グロウを育ててくれた相手。

 彼は。

「先生はよせよ。俺は今も昔も、ただの司書だ」

 何でもないことのように言って、奥に来いと手で招いた。

 彼らが何を話し、何を考えているのかは、わからない。

 これはただ学生の彼女が、魔術の楽しみを知った、ただそれだけの閑話である。


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