第11話 魔術師、人形と過去を語る

 レリア・フィニーの滞在は、最初が五日。それから次は十日となり、三回目の今回は一ヶ月の予定となっていた。

 実家よりもパストラルの離れで暮らしていた方が良い、という証明でもあるので、パストラルは好ましく思っているが、さて、実家はどうだろうか。本人に言わせれば、実家にいると少し息苦しいとのこと。

 誰かの目を気にしなくて良い、という点においては、間違いなくこちらの方が過ごしやすいだろう。

 パストラルも、最初の滞在の時はいろいろあったし、気を遣っていたが、もう三ヶ月経っているので、自分の魔術研究もやるようになっていた。

 つまり、お互いに最低限の気遣いはしつつも、邪魔にはならず、自分の好きなよう行動できているわけだ。

 ――その日。

 フォード・フィニーもやってきて、ついに人形を完成させることになった。

「さて、整合性の最終チェックから入るんだけど、レリア。かなりぼくの魔力が充満するから、魔力酔いには気を付けてね」

「うん、隅で見てるだけだから」

「フォード、素体は充分だね?」

「うむ、問題あるまい」

 椅子に座らせている人形は、表情はないにせよ、ほぼ人と変わらない姿でいる。魔力の浸透性や、術式との相性など、計算し尽くされた最高級の素体である。

 そこに魂を入れるのが、パストラルの役目だ。

 ――いや。

 魂魄は不可分。魂によって躰が作られるのか、躰があって魂が存在するのか、そういう思考自体がナンセンス。それらは同じであり、同じでなくてはならない。

 つまるところパストラルは、素体に術式を入れるのではなく、素体ごと術式の中に含めて一つの人形にする方法を選択した。

 言うなればそれは、融合である。

「じゃあ始めよう」

 それほど狭いとは感じなかった部屋が、一杯になるほど術式の構成が展開した。

 すべては糸によって描かれ、糸によって組まれたそれは、まるで巨大なジオラマのように感じるほど、丁寧な作り込みになっている。

 最終チェックだ。すべてを精査していく。個別チェックは何度もしているのだが、こうして完成された術式の全体チェックは、ここが最初で最後。ミスがあったら終わりだ。

「おっと」

 十五分ほど経過してから、パストラルはテーブルにある宝石を手に取り、犬歯でかみ砕く。最大容量まで魔力をため込んでいた宝石は、砕かれた欠片でさえ粉になり、粉から魔力へと変わってパストラルを回復させる。

 パストラルは、何かを作ることができない。

 これは魔術特性センスによるものだが、何もかもが作れないわけではない。このあたりは複雑で、誤魔化すことができる範囲もあるのだが――たとえば、魔力をため込んだ宝石は、作れる。買ってきた宝石に、自分の魔力を蓄積させる術式を入れてやればいいだけのことだ。

 しかし、宝石の中身、魔力容量を最大まで増やすことは、できない。ここをやったのはフォードである。

 もちろんわかりやすく、フォードなら術式で刀を作れるが、パストラルはできない、といったものもある。しかし、刀のように斬れる何かを術式で作る――代用品を作ることは、可能だ。

 魔術なんて、だいたいそうだ。現実に可能なものを、魔術という違う手段で可能にする技術なのだから。

 一時間ほど精査してから、一気に三つの宝石をかみ砕く。

 周囲に展開していた術式たちが、じわりじわりと小さくなっていく。イメージとしては凝縮、混合、融合――その先にある完成だ。

 順番に術式が人形に吸い込まれていく。

 途中で宝石をかみ砕き、十五分ほどかけてゆっくりと、じっくりと、展開された術式が消えていく。

「さあ――」

 そして最後に、パストラルはそれを書き込む。

 存在を確定させるための、必要不可欠なピース。


 ――カタリ、と小さな音がいやに響いた。


 ぎくりと躰が強張るのを感じながらも、息を飲み、だが、奥歯を噛みしめて振り返ろうとする己を制御し、パストラルは目の前の作業に集中する。いや、集中しろと言い聞かせて、最後の最後、確実に完成させることへの意識を強く持った。

 息を飲んだのは、レリアも同じ。その現象に対し、疑念を持ちながらも、両手で口元を隠す。

 五秒だ。

 たった五秒で終わる作業だ、今は目の前の。

「――きみの名は」

 この人形の命を吹き込もう。

「エピカトだ」

 震える指先で名前を描き、それが一番最後に人形へと吸い込まれ、静寂が落ちた。

 大きく深呼吸を一つ。

「うん、終わったよ」

 そう、これで完成で、――終わりだ。

 一息ついたのに、躰が硬直しているのを感じる。たった少しの時間を置いただけで、振り向くのが怖くなってきた。

 けれど、椅子に座った人形ばかり見ていても、現実は何も変わらない。

 だから覚悟を決めて、振り返る。


 そこには、椅子の上に置かれた小さな人形と、壊れた宝石が一つ。


「……、……うん」

 そうだねと、誰にともなく呟き、全員の視線が集まる中、パストラルは近づいて、小さな人形を手に取る。楕円形のものが繋ぎ合わさった、パペット人形。誰が見ても子供のおもちゃであり、二つに割れた宝石も手にして、テーブルに置いた。

 それから無言のまま、格納倉庫ガレージから取り出した大き目の毛布を、血の流れを感じはじめた人形、エピカトにかける。

「そういえば、フォードには以前、いずれ話すと言っていたっけね」

「パストラル。それは、わしでなくとも見てわかる。ただのおもちゃの人形と、よくある宝石だ」

「うん、父さんの書斎から、こっそり盗んだ、よくある黒曜石オブシディアンだよ。だから、彼女はシディだったんだ」

「……さっきまで、椅子に座って、見てたのに」

「もともと、限界だったからね。こうなるだろうことは聞いていたし、思っていたよりも長くもったかな。初めて触れた魔術が人形だと、フォードには話したね。それが彼女だ」

 とはいえ、当時はまだ四歳とか、そういった頃の話であり、今のように魔術の構築などできるはずがない。

 だから。

「偶然だよ。シディに言わせれば、いろいろひっくるめて波長が合った。当時は驚いたものだよ、遊んでいた人形が人になったんだからね。最初のうちは、結構会話もしたよ。レリアには、話せないと説明したけど」

「あ、うん、一度だけ声を聴いたことある」

「元は、誰かの自動人形オートマタだったらしい。昔すぎて、見た目や性格が同じかどうかは思い出せなかったみたいだけどね。魔術については、口出しされたことはなかったけど、理念っていうのかな、そういうのはよく教わったよ。女と魔術には誠実であれ、無駄な知識などない、魔術とは世界を知るすべだ――ま、いろいろさ」

 今のパストラルを形成する本質は、彼女から貰ったものばかりだ。

魔術特性センスはぼくと同じ、偽装具現フェイク。現実的に起こりうる事象を、魔術という別の手段で可能とする特性だ」

「待て。そんな特性については初耳だが……もしそうならば、それは、魔術そのものだろう」

「いや、おそらく三角形の頂点に位置する魔術ルールという特性とは違うよ。少なくともシディは、それをよく知っているようだった。まあぼくの場合、知っての通り、何かを作ることに対しての制限があるけどね。――だから、ぼくは人形を作ることに決めた。彼女の存在が現実だったんだと、シディはここじゃないどこかで存在していたんだと、証明するために」

 パストラルは、いつの間にか椅子に座って寝ている女性にしか見えない、エピカトと名づけた人形を見て。

「間に合ったかな……」

 どうだろうか。

 間に合ったと、そう思いたい。

「お主の原点か。ならば、間に合ったと思っておけ」

「そうだね、うん、そうするよ。それにこれからが大変だ」

「うむ。すぐ目覚めはしないだろう、馴染む時間は必要だ。……さて、わしは王都へ戻るぞ」

「わざわざ、悪かったね。助かったよ」

「なあに、わしも面白いものを見させてもらったとも」

「お見送りします、おじいさま」

 パストラルを気遣ってか、二人が揃って部屋を出ていく。

「……うん。ありがとうシディ。きみが言ったよう、ぼくが大人になって、いずれきみのことを忘れてしまう日が来るまでは、覚えておくよ。別れなんて、そのくらいでいいって言っていたよね」

 そして、忘れてしまったことに気付けたのならば、人はそれを、思い出したと言うのだ。


 その日の夜、布団に入ってもなかなか眠りにつけなかったレリアは、小さく吐息を落として躰を起こす。

 パストラルほどではないにせよ、レリアにとってもシディは、いつの間にかそこにいる人で、けれど、いない人ではなかった。

 一枚羽織って部屋を出ると、キッチンの方に明かりが点いている。

 やはり、だ。帰り際に祖父が言っていたよう、彼も眠れないらしい。

 顔を見せると、やあと、軽い声がくる。昼間よりも顔色は良さそうだが、そもそも血色が良くなかったのは大規模な術式を完成させたからで、精神的なものではない。

「紅茶?」

「今、レリアのぶんも淹れるよ。ただぼくのと違って、アルコールを垂らす必要はなさそうだ」

「え、ブランデー?」

「ほんの少しだけね。これもシディに教わったことだ」

 小さく笑って、新しい紅茶を用意してくれたので、いつもの食事のよう、レリアは対面に腰を下ろした。

「うん。寂しさや、悲しさはもちろんあるけれど、ぼくにはわかっていたことだからね。それよりもむしろ、悔しさかな。きっとシディは、こっちにいる間に完成するなんて思っていなかっただろうけど」

「でも完成できたし――幼い頃からの付き合いでしょう?」

「まあね。教育係って感じなのかな。途中からは、あえて話すのをやめたし、あまり動かなくなったけどね。あれでもだいぶ、引き延ばしたんじゃないかな」

「あの子、エピカトは代わりじゃないよね?」

「もちろん、それは違うよ。エピカトは、エピカトだ。シディのようになれとは言わないし、なって欲しくもない。一応、今のところは戦闘系に進んでくれれば良いと思ってるけど、うん、そっちも課題は山積してるね。目覚めるまでに、何か考えておかないと。きみにとっては妹かな? それとも娘?」

「ううん、どうだろう。わからないけど、楽しみ。どれくらいかかる?」

「一ヶ月以内だとは思うけど、確証はないかな」

「わかった。じゃあそれまで、あたしはこっちにいる」

「――うん?」

「一人じゃさびしいでしょ?」

「……そうだね、うん、ありがとう。助かるよ」

「ラルくんって、こういう時に素直ね。意地を張りたくならないの?」

「相手によるかな」

 それと、状況――というか、内容にもよる。

 このくらいの弱音は吐いても構わない相手だと思っているし、荒野の嵐の時には口には出さない意地を張った。今もまだ、レリアには何も明かしてはいない。

 いずれ知るだろうけれど、その時はその時だ。

「さあ、飲み終えたら寝ようか。眠れなくても、横になっていないと明日が大変だよ。ぼくたちはまだ若いから、無理もできるけどね」

「うん、そうする。……シディも、こうなることはわかってたんだよね?」

「そうだね。悲しむ必要はないとか、そういうのは一言もなかったよ。人形の作成だって、約束していたわけでもない。なんだろう、彼女はそういう束縛というか、何かを決めたりはしなかった」

「そっか。じゃあ、悲しんでから、また明日、だね。そうする」

「そうだね」

 どうしたって、明日はある。

 生きていく限りはずっと、だ。


 ――だから。


 当たり前にやってきた翌日は、戦闘訓練の日であり、グロウがやってきた。

 昨日のことを伝えると、そうかと、短い納得だけだ。

「――そういえば、ご老体はシディに何か、含むところがあったよね。初対面っていうか、初見の時になにか、妙な反応をしていたけど」

 心情をおもんぱかってか、軽めの訓練の途中、休憩の時に聞いてみれば、珍しくグロウは渋い顔をした。

「あれが、どんな人物化は知らねえが……出逢ったら終わり、そういう類の手合いだ。小僧にも以前言っただろう、そういう手合いには遭遇するな」

「まあ、うん、じゃあどうすればいいのかって話はまったく参考にならなかったけどね。まるで、金欠の男が度数の高い酒を頼むみたいな感じだったよ」

 いつもの酒ではたくさん飲んでしまうから、高い酒で酔ってしまえば良い――が、酔ったあとはいつも通り、また注文するのだから無駄だという話である。

「全盛期の、俺の師匠……傭兵団ヴィクセンでも、笑って転がされる可能性が高いぜ、ありゃあな。本人に戦闘する気がなかったのが幸いだ」

「それがわかるご老体も、さすがだと思うけど、なんか業腹だな。訓練を再開しよう」

「小娘はもう少し休んでからでいい」

「はい……」

 ちなみに。

 エピカトが目覚めたら訓練を頼むと言った時に見せたグロウの顔は、なんというか。

「小僧……俺の年齢を忘れてんじゃねえだろうな?」

 ものすごく、わかりやすく呆れた表情だった。


 ――そして。

 彼女が目覚める。


 ゆっくりと目を開き、何度かまばたきをして、間違いなく焦点が合うまで待ってから。

 二人は言う。


「「おはよう、エピカト」」


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