第10話 魔術師、荒野の嵐を壊滅させる
街の外、少し離れた森の中に彼らはいた。
嫌悪感をむき出しにしたまま、騎士の女性は間合いを取って、ぴたりと足を止める。相手の男は気にした様子もなく、背中を木から離した。
「尾行はされてねえだろうな?」
「ああ……確認してる。おい、それ以上近づくな」
その言葉は背後。来た道を塞ぐようにして現れた薄着の女性は、足を止めてから両手を軽く上げる。
「何もしやしないよ、嫌われたもんだね」
「で、どうなんだ? 嫌いなら嫌いで、とっとと
「レリア・フィニーは現在、イングリッド家にいる」
「事前情報通りか。婚約ってのは嘘じゃないらしい。それで?」
「基本的には、離れから動かない。今日もその予定だ。夕方は外食をする可能性もある」
「そんだけ聞けりゃ充分だ」
「――妹は、無事なんだろうな」
「おう、それだ、それ」
今思い出したんだと言わんばかりの、わざとらしい態度と共に、小さな革袋を彼女へ投げる。
「……金?」
「やるよ。悪いなあ、俺らで遊ぶだけ遊んで売り払ったもんだから、買い叩かれて、そんだけにしかならなかったわ」
何を言っているのか、理解するのに五秒以上かかった。
「きさま――!」
革袋を地面に叩きつけ、剣を引き抜くまでに合計で七秒。
それは男が腰から剣を抜いて彼女の首を切断するには、あまりにも多すぎる時間であった。ついでとばかりに、返り血を気にして胴体を蹴って倒す。
「楽な仕事だぜ」
「本当にね」
「まだ時間はあるだろ? この金で飲みに行こうぜ」
手を伸ばし、足元の袋を拾おうとした男は、しかし、びくりと躰を震わせた。
「――?」
近づこうとして歩いていた彼女の足が止まる、ぐらりと男の躰が揺れて倒れる。
二秒。
彼女は仲間の安否を確認するよりも前に、己の身の安全を確保しようと障害物の傍に移動しようとして、しかし。
激痛と共に、木に肩からぶつかった。
「――、――!」
声が出ない、いや、呼吸ができない。
肺一杯に注がれた水が激痛の発生源であり、躰は吐き出そうとしているのに、喉元に蓋でもしてあるのか、一切流れようとしない。
どこで。
おおよそ20メートル範囲くらいは感知していて、誰もいないことは確認していたのに、誰かがピンポイントで自分の肺に水を発生させた。
視界が揺らぐ、痛みに思考ができない、意識が遠のく――そして。
彼女は、陸地で溺死の運命を辿った。
※
部屋から出て階下に行くと、仲間の一人がテーブルに足を投げ出して休んでいた。
ほかに人はいない。この街に来た時点で拠点を決める際、ここの店主に金を渡して、客を全員帰らせている。だからいるのは、荒野の嵐のメンバーだけだ。
「よう、――あいつら、まだ戻ってねえのか」
「みたいだ。さっき女を呼んでおいたけど、まずは俺からだ。覚えとけ」
「言われなくても、横取りなんかしねえよ俺は」
「お前ら、すぐ女を壊しちまうからいけねえ」
「外に出てる二人と一緒にすんなよ。俺とボスは、単純に女が壊れちまう。あいつらは、女を壊す。だいぶ違うだろ」
「俺から見れば似たようなもんだ。ま、性格の悪さは大きく違うってのには同感だけどな」
「まあいい。ボスはまだ寝てんだろ? まだ時間があるとはいえ、酒でも飲んでるんなら、仕事の報告をさせるために呼び戻そうぜ」
「頼んだ」
「俺かよ……」
「読書でもしてたんだろ、インテリだもんな」
「うるせえ。お前こそ、遊びすぎで仕事の時に文句を言うなよ」
宿を出て、大きく伸びをした男は、欠伸を一つ。いつものよう、好き勝手に暴れているだろう二人は、おそらく酒場だろう。もっとも彼だとて、本のためなら盗みもするので似たり寄ったりか。
しかし。
宿の敷地を出よう、そのタイミングでびくりと躰を震わせた彼は、上空を見上げ、そのまま後ろに倒れた。
口元から血を流す彼を、見えない何かが掴み、近くの生垣に引きずり込む。
きちんと探せば発見されるだろうが、すぐには見つからない位置だ。
時刻は夕方。
残りは、――三人である。
※
リーダーが降りてきた時、彼はすぐ立ち上がって手を挙げた。名目上は副リーダーとして動いている彼でなくとも、陽が落ちた段階で気付いただろう。
「ボス、緊急」
「どうした」
「外に出た三人が戻らない。何かあったとは思いたくないが、それにしても遅すぎる」
ちらりと壁にかけられた時計に目をやれば、確かに、予定の時刻にはまだあるが、話し合いをして状況を確認するくらいのことは、やってもいい時間だった。
「遊んでるにしては遅い……が、もう少し待て」
「わかった」
状況そのものに踊らされて焦ると、良いことはない。まずは一服だと、煙草に火を点ける。
「店主は?」
「ああ、必要な時以外にゃ顔を出さないね。しょうがないさ、俺らのやり方を理解できるとは思わない」
「……」
賢いと評価すべきか、それとも臆病と言うべきか、迷うところだ。いや、今までの統計を見れば、賢いかもしれない。
そして。
扉が開いた瞬間、副リーダーは驚いて立ち上がった。
少女だ。標的にしていた、レリア・フィニーが一人で入ってきたのだから、驚かずにはいられない。
「……? あの、店主は」
黙って煙草を消したリーダーが立ち上がり、ずかずかと近づいたかと思えば、カウンターを背中にして動けなくなった彼女の胸倉を掴む。
「――誰だてめえ」
彼は、臆病と紙一重なくらいには、慎重な男だ。
荒事もやる、殺しも、人さらいも、今まで何度だってやってきた。盗賊まがいのことをしながらも、今まで問題になっていないのは、手際、引き際が抜群に上手かったからだ。
証拠を残さない。誰かに犯行を目撃されることもない――。
だから。
遠距離からの
けれど、これはいけない。
肌と肌が触れ合えば、距離は限りなくゼロに近いイチ以下。
これでは防御もクソもない。
持っていた箱の中身のナイフを、心臓部に転移させれば、人は死ぬ。
「――てめ、え」
力が抜けた手から離れ、落ちた彼女は軽く頭をカウンターの部分にぶつけるが、頭に手を当てるような演技と共に、
居合い、倒れる男の横を抜けるようにして一閃。
距離を詰めるのは、やはり空間転移の応用。振るわれる刀をそのまま、相手の首に発生するよう固定してやれば、そのまま首が落ちた。
彼女は、いや、レリアに偽装していたパストラル・イングリッドはすぐ隠蔽の術式で姿を消す。
残り一人は二階――移動して耳を澄ませば、どうやら女とお楽しみのようだ。娼館のミメイが送り込んだのだろう、事前情報はなかったが無茶をする。
刀の先端を転移させて、一突き。
五秒ほど時間を置き、扉をゆっくり開いて慎重に中を見て、死亡をきっちり確認する。
総勢六名。
――これで、ひとまずは終わりだ。
※
姿を消したまま、夜の街を歩く。尾行確認をしつつ、迂回しながら自宅に戻れば、敷地の中で二人の老人が待っていた。
「戻ったか、小僧」
「やあご老体、それからフォードもやっぱり来てたんだね」
まだ、戦闘の余韻をまとったパストラルは緊張感を持っている。何も終わってはいないと物語っているようだ。
「まずは感想を聞かせろ」
「いや、こっちが先だ。きみに頼みがあってね」
「わしにか」
「この手紙と宝石を、きみの息子と――騎士団のフェルミさんに渡して欲しい。緊急でね」
「記録していたのか、お主は」
「もちろんだ」
術式を使って二匹の鳥を出現させると、それぞれに宝石と手紙を咥えさせ、術式で一気に転移させた。
使い魔だ。
「うむ、すぐ届く」
「ありがとう。感想を言うなら――
何しろ、一つのミスでパストラルの敗北、つまり死亡だ。かなりの緊張感と共に、おおよそ半日を動き回った。
ただそれも、事前準備があってこそだ。
「
ともかくと、一度手を叩く。
「後始末は二人に任せるよ。ご老体、さっきの手紙と同じものだ、これは冒険者ギルドへ。王都でもどこでも、きみの信頼している相手なら構わないさ。フォードは事態の収拾を。どうせ、ぼくがやらなかったら、鎮圧くらいはするつもりだったんだろう?」
「まあ、小僧には無理なことだな」
「立場があるからできないことと、できることがある――ふむ、良いだろう。お主も休め」
「そうさせてもらうよ」
二人がここに来ていることはわかっていた。
グロウはもちろん、今はこの街に住んでいるし、もしもパストラルが動かずともフォードが何か、そう、少なくともレリアに危害が及ばないよう防衛はするだろうと思っていた。絵図屋にしても、荒野の嵐の動きをフォードが知らないはずがない、と断言したから、驚きはない。
現実的には、フォードの到着前に状況を動かして、途中介入を許さないことにさえ、気を付けていたくらいだ。
離れに入り、大きく息を落とした途端、全身から汗が噴き出て躰の冷たさを感じた。
二歩、いや、三歩目で廊下の壁に当たり、そのままずるずると座り込む。
本当に、綱渡りだった。
あっさり殺していたように見えたのは本当に結果だけで、
フォードは立場上、殲滅するわけにはいかなかっただろう。けれど、殲滅できるだけの実力を有している。もちろん、関係ないからグロウはやらなかっただけ。
パストラルは、殺す以外に方法がなかった。
「――ラルくん? おかえり、どうしたの」
「やあレリア、ただいま。言えないんだけど、ちょっと大変なことをやり終えてね、もうへとへとだよ」
「うん、それは見てわかる。護衛の騎士がいないから、どうしたのか聞こうと思ったけど、あとにする?」
「ああ、彼女は事情があって戻らないそうだ。帰宅の時はぼくが一緒に行くよ、きみの父親と話したいこともあるし。……ああ疲れた、けど、ちょっと冒険者にも興味がわいたよ。人形が完成したら、ちょっとやってみるのも面白いかもしれない」
「得るものはあったんだ」
「もちろん、良い経験をしたよ。悪いけど、お風呂の準備を任せてもいいかな? 汗を流したあとに食事を作るよ」
「うん、わかった。お疲れさま」
背中を見送ってから、軽く目を閉じる。
グロウ・イーダーに教わったかつての弟子たち。たとえばフェルミ・レーガや父親であるヨーク・イングリッドもそうだが、彼らと違ってパストラルは、あることを教わっていた。
――敵に容赦するな。
かつて、グロウが師事していた傭兵団ヴィクセンの標語だったらしい。
たかが理念の話だが、今なら教わっておいて良かったと思える。初めての対人は、あまりにも対魔物とは違い過ぎたから。
対人戦闘の訓練をしていた。相手はグロウなのだから当然だ。そして、初めて魔物との戦闘をした時、なるほど似通っている部分も多いなと、そう口にしていたのに。
「まったく……錬度不足の一言で、片付けたくはないな」
いろいろと言い訳を重ねて、違う理由を探したくもなる。
だが、現時点では、それが全てだ。
壁に手を当て、ゆっくりと躰を起こし、深呼吸を一つ。
大丈夫。
少なくともレリアの前で、これ以上は情けない姿は見せられない。だからいつものように振る舞おう。
――どうせ、今夜は寝れないだろうから。
それから。
しばらくして、騎士団、冒険者ギルド、貴族、荒野の嵐に関連していた人物たちが摘発され、大きな掃除がなされた。
もちろんその成果は、パストラルのものではない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます