第9話 魔術師、婚約者と出かける
せっかくだから昼食は外で食べようと、二人は揃って外へ出た。フユ・イーダーはそれなりに早い時間に帰ったので、最初に望まれた通り、ここからは街の案内をかねたデートである。
「それなりに高級な店と、庶民的な店、どっちがいい?」
「庶民的な店で」
気を遣わずに食事がしたい、とのことなので、行きつけとは言わずとも、店主に顔を覚えられている店を選択しつつも、それなりに幅広いメニューが頼める、住民がよく使う店にした。
どうやらレリアは満足したようだ。
パストラルは筋肉がそれほどついていないし、ぱっと見ると細身だが、よく食べる。グロウとの戦闘訓練を見ていたレリアは、むしろ納得した。あれだけの運動量ができる躰なら、食事の量も多いだろう。無理に減らしたら倒れるだろうし、何より成長期である。
レリアもどちらかというと、食事はあまり気にしないで食べた。太ったら運動するだけでいいし、まだまだ成長すると信じているからだ。
それから、腹ごなしに街の案内をしてもらった。冒険者ギルド、鍛冶屋、魔術素材を売っている店など、パストラルがよく使っている店が中心である。
そして。
「うん、そろそろ良い時間かな。娼館に行こうか」
「――こんな時間に?」
「そうだよ。年齢的にぼくは通えないし、そうなると営業時間外になる。でも、正面からノックするわけにもいかないから、こっそり裏口にね。少しの間、手を繋いでも?」
「う、うん」
差し出された手を取って、そのまま通路を曲がったタイミングで隠蔽式を展開。内容はおおよそ、フォード・フィニーが使っていた姿を消す術式と似たようなものだ。
「大声を出さなければ、会話は大丈夫だよ。複数人での行動も視野に入れているんだけど、今のところ手を繋ぐことが条件になってるから、改良も必要だね」
「へええ……これで、こっそり抜け出してるのね」
「まあね。弱点は、これも魔力を使った術式だってこと」
「ああ、
「いや、探査術式なら、対策して妨害できるからいいんだけど、むしろ肌感とかで魔力を感じられると、すぐわかる。人はその場から消えないからね。もちろん、魔力を誤魔化して周囲に溶け込ませてはいるけど、あのご老体には通用しないよ」
「グロウ様?」
「そう。あれは違和を見逃さないから」
見た目はどこかの屋敷なのでは、と思うほど大きな入り口を横目に、敷地内に入ってからぐるりと裏手へ回り、そのまま扉を開いて中に入る。
扉を閉じてから、術式を解除した。
「はい、ありがとう、もういいよ。こっちだ」
「うん」
手が離れるのを、少しだけ寂しいと感じたが、顔には出さない。そのまま通路を歩いていくと、表の入り口、エントランスに到着する。
「――おや、ラルくん」
「やあ、こちらの女性はぼくの婚約者のレリアだ」
「感心しませんな。ここは婚約者と来るような場所ではありませんぞ」
「いえ、あたしが頼みました。何をしているのか気になったので」
「ふうむ、では私が口を出す問題ではありませんな、失礼いたしました」
カウンターで作業をしていた紳士的な老人は、小さく頭を下げた。
「手すきの者を呼んでも?」
「うん、いつも通り頼むよ。いや、頼むっていうのもおかしいか」
彼が手元の魔術品を使うと、各部屋に繋がってランプが光るようになっている。点滅の具合で緊急や招集などを伝える、シンプルなものだ。
ちなみに、この本館は基本的に仕事用であり、この時間は裏手にある宿舎で女性たちは休んでいる。起きているかどうかは、あやしいところだ。仕事上、まともに寝れるのは陽が上がっている時間帯であり、たとえ相手が寝ていても休めないのが、娼館だから。
「ぼくはいつも、話し相手になってるだけだよ。今回はレリアに頼むけど」
「それだけ?」
「そう、それだけ。気遣いは姉さんたちの方が上手いから、こっちは何も考えず、会話をしておけば良いから。つまり楽しめばいい――やあ、姉さん」
裏手から、小走りに近づいてきた女性は、寝間着に一枚羽織った格好で、レリアはぎょっとしたが、パストラルは気にせず片手を上げた。
「ラルちゃん、いらっしゃあい。今日は女の子と一緒?」
「ぼくの婚約者のレリアだ」
「はじめまして」
「あら可愛い、へええ、もうそんな年齢になったんだっけ?」
「まだ十歳だけどね。あ、ほかの姉さんたちも来たみたいだ。今日はレリアと遊んであげて」
「え、いいの?」
「いいよ、そのために連れてきたんだからね」
「わあい」
「あ、ちょ――」
ひょいと、レリアは抱き上げられた。追加の女性は三人だが、似たような恰好をしている。
「仕事で使わない部屋にしておいてね? レリアはちょっと真面目で、どちらかというと没頭しがちだから、息抜きの仕方を教えてくれると嬉しいな。一応、ぼくと同じ貴族だけど、まあ姉さんたちなら大丈夫か。よろしくね」
「はーい」
それぞれの女性にきちんとパストラルは挨拶をして、エントランス正面の階段から二階へ行くのを見送った。仕事で使う部屋以外にも休憩室があるので、そちらで楽しく会話をするのも、いつものことである。
もっとも、仕事用と間取りも家具もほとんど同じなので、もしかしたらレリアはそれを意識してしまうかもしれないが。
「……さて」
「どうぞ、いつもの部屋に」
「ありがとう。寝起きで不機嫌ってことはないよね?」
「その補償はしかねます」
「あはは、じゃあいつも通りだ」
カウンターの中に入り、その奥にある扉を開けば、通路が伸びており、左右に部屋はあるものの、パストラルが目的としているのは奥の扉。
そこは、いわゆる支配人の部屋である。
ノックをして、返事があってから中に入る。天蓋つきの大きなベッドや、詩集の入った大き目の絨毯など、調度品はほかの部屋と同じだが、ここには作業用の机が用意されており、やや小柄な女性が机の上にある書類と格闘していた。
「やあ、ミメイさん」
「なんじゃラルか。そろそろ来るとは思っておったが、まさか婚約者を連れてくるとはのう」
まだまだ若い見た目なのに、口調がアンマッチ。ただパストラルも慣れたもので、扉を閉めてから、すぐに飲み物の準備をする。
「情報が早いってことは、あまり良くない情報があるのかな」
「うむ、懸念事項ではある」
彼女は情報屋ではない。ないが、娼館とは上手くやればこれ以上なく情報が集まる場所でもある。売り買いはしないものの、ここの娼館がここまで大きく、しかも金持ちしか客にならないのは、その情報で上手くやっているからだ。
「
「聞こうか」
「ランクBの冒険者二人、Cが四人のパーティだ」
「へえ……パーティとしては、かなり高いランクだね」
「そうじゃな、単純に強い。大物の魔物を討伐したことも、三度はある熟練者の集まりじゃよ。――ただし、素行に問題はある」
「うん」
「おそらく二十件以上の殺しをやっておるじゃろう。ただし、証拠不十分で処分は受けておらん。誘拐、脅し、殺し――どれもこれも、仕事でやっておるわけではない」
「冒険者ギルド以外から依頼を受けたとしても、それを受けた時点で賊と変わらないわけだし、
「うむ」
「――それで?」
「要点は二つじゃ。そやつらは、大公老師を嫌っておる。そして、王都を出てこちらへ来るつもりじゃ」
それは。
単独で動いた大公老師の血縁を目的として――か。
「勘違いするでないぞ、何も解決しろとは言わん。そして、解決は困難じゃ。気に入らんが、嵐が過ぎるのを待て」
「ぼく一人でどうにかできる、だなんて思わないよ。ただ、実害は出そうだから、まあ、警戒はしておく。ちなみにそっちは被害が出てるの?」
「昔にな、一人壊されたことがある。あやつらも馬鹿ではない、今回だとてこの街は、あくまでも通り道じゃろう。冒険者としての実力は、疑う余地はない」
「ランクBっていうのがどれだけのものか、知ってるつもりだよ」
そもそも冒険者のランクは最低がFだが、最高のランクAなど数えるほどしかいない。それこそ歴代のランクAでさえ、記憶するのが難しくないくらいだ。そこに迫るランクを持っているランクBはもちろんのこと、もっとも数が多いとされるランクDを越えた時点で、実力はかなりある。
挑めるわけがない。
今すぐランクBになれと、言われているのと同じことだ。
「そっちにとっても、手出しはしにくい相手ってことだね?」
「あくまでも、冒険者だからのう」
「曲りなりにも、独立組織か。いつくらいになりそう?」
「まだ出発の情報は入っておらんが、おそらく三日後か、四日後あたりにこちらへ到着するじゃろう」
「なるほど、レリアが帰るくらいのタイミングになりそうだね。準備時間があるのは良いことだ、できることをやっておくよ」
「繰り返すが、無茶をするでないぞ。なにかあったら相談するといい」
「もちろんだ、ありがとう。何事もなければそれに越したことはないけどね」
「うむ。さて、婚約者はどうじゃ」
「どうもこうもないよ。そっちはどこまで?」
「フィニー家である以上、あまり首を突っ込まなかったが、上に兄が二人いるのだから娘は好きにしてるのじゃろう?」
「あ、そうか言ってなかったっけ。フォードはぼくの友人だよ」
「――、……友人じゃと?」
「うんそう」
「あっさりと言いおる」
紅茶を差し出せば、書類を書く手を止めて球形に入った。
「どちらが先じゃ?」
「友人になるのが先かな。紹介されたわけじゃなくてね、父さんの方に申請がきてたみたいで、あくまでも親同士の交流だけど、フォードの入れ知恵があったと考えるのは自然だろう? まだ逢って二日目だ、信用も信頼もしてないさ」
「お主は疑り深いからのう」
「兄さんほどじゃないけどね、血筋かな。――もちろん、同行した騎士はそれ以上に疑っているよ」
「うむ」
「でもまあ、関係は良好かな? いろいろわかったこともあるし、関係は続くだろう。たあ、あくまでも表向きの婚約だよ、お互いにね」
「面倒がないよう、いずれ解約することを前提か。貴族界隈では、よくあることじゃが、将来的にはわからんのだろう?」
「まあね。でも、ぼくから誘導はしないつもりだし、解約と同じくらい、本気になる可能性もあるってくらいだよ。今はまだ、気負わずいつも通りに過ごせば良いってことを教えてる段階かな」
「うむ、リードしてやれ」
「年齢はあっちの方が二つばかり上だから、難しいけどね。それも楽しんでやってるさ」
「なにかあれば言え、遠慮はするでないぞ」
「もちろん。世話になりっぱなしだけどね」
「わしらがそれを好んでおる、受け取っておけ」
「わかってる。――さて、そろそろレリアのところへ行くよ。姉さんたちが、余計な話をしないうちにね」
「なんじゃ、わしの相手はもう終わりか?」
「いつもしてるじゃないか」
「むう……」
不満そうな顔をされたが、レリアの優先度が今は高い。お互いに呑み終えたカップを洗ってから部屋を出た。
レリアは。
どうやら落ち着いたようで、女性たちと一緒にのんびり会話を楽しんでいたようだ。そこにパストラルも混ざって話をする。
酒場へ行くのは、夕方でいい。そちらも本格営業の前、夕食前に軽くなにか食べるくらいの時間帯――そして。
考える。
顔には出さず、最低でも三日後には起こるだろう問題に対し、どうすべきか。
いや、違う。
どうすべきか、ではない。それはもう決まっていて、そのために何をするのか――だ。
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