第6話 魔術師、婚約する

 フィニー家は偉大な魔術師を輩出した家系ではあるものの、代代だいだい魔術師の家系ではない。

 フォード・フィニーが天冥の大公老師の称号を持ち、魔術師でなくとも知らぬ者はいないほどの有名人でかつ、実力者であるが、その息子は普通の子爵であり、魔術師としての功績は一つも作ってはおらず、つまり孫である彼女、レリア・フィニーもまた、そういう束縛は一切受けていない。

 やりたいなら、やればいい。

 孫にあたる父は四十を過ぎたくらいの年齢だが、一般的な貴族であり、男爵になってはいるものの、彼女にしてみれば普通の父親で、魔術を学んでいたらしいが、そういう仕事はしていないし、孫ともなればもう、フィニー家だから、なんて目で見られることはあったとしても、じゃあ魔術師なんだと納得されることもない。

 つまるところ、フォードだけが異質なのだ、特殊だったのだと思われていて――まあ、父は大変だったらしいけれど。

 そんなレリアに婚約の話が出たのは、十二歳になった頃だった。

 貴族の婚約なんてのは珍しくないが、おおよそ六割は家庭学習を終えて、学校に通うタイミングでする。これは余計な男女トラブルを回避するためであり、残った四割は、そういった制約なく、学校を楽しんで欲しいと望まれた人たちだ。

 どちらが良いのか、なんてのは隣の芝が青いのと同じであるし、貴族には貴族同士の繋がりもあるため、婚約を利用されることもある。

 ただ、上に兄が二人いる身としては気楽なものだ。家を継ぐ必要もなければ、何か功績を立てることもなく――普通なら、それこそ家のために利用されるような立場だが、そもそもフォードが許していない。好きに生きろと言われている。

 ただ。

 やはり婚約者と逢う日は、それなりに緊張していた。

 貴族が集まる食事会が開かれる日である。

 王都からはそれなりに近い街だが、逆に近いがゆえに、あまり発展はしていない街だ。というのも、人材は基本的に王都へ行ってしまうし、半日で到着する距離というのは中継地点というより、むしろ通過地点だ。もちろん使う経路はあるが、あえて使う人は少ない。

 かつてフォードが今の立場になった時、拠点を選ぶ際にこの街を望んだのだが、そこそこ王都に近くて田舎っぽいところを気に入ったなどと言っていたが、レリアでさえ買い物なら王都まで行った方が良い、なんて思うのだから、悪く言えば中途半端な街である。

 だから食事会の回数も少ない。半年で一回、あるいは二回くらいがせいぜいか。

 一番上の兄は顔を見せるが、下の兄は学生で王都へ行っている。いやそもそも、レリアたちは大人の相手ではなく、子供は子供同士集まって楽しむのが、パーティだ。何故なら彼女たちは、家を背負っているわけでもなし、仕事があるわけでもないのだから、食事を楽しむくらいが一番良い。

 ――のだが。

 何度も深呼吸をしてから入った会場の中、既に婚約者の彼は、大人たちに囲まれて談笑をしていた。

「ほほう、では新しいビジネスとして台頭すると?」

「いえ、台頭と言えるほどではないでしょうけれど、残るとは思いますよ、しぶとくね。言うなれば庭にある雑草みたいなものです。いくら引き抜いたって、いずれ生えてくる。根絶は難しい、除草剤でも開発してみましょうか?」

「それでは地盤に被害が出よう」

「そうです、だから悩ましい問題で、ぼくとしては解決が難しいと懸念しているんです」

 などと。

 一体何を話しているのかはさておき、完全に大人たちと対等に、同じ立場で話をしている。口数が多く、軽口も混ざってはいるが、大人たちも興味深そうに、あるいは笑い、普通に話していた。

 ――どうしたものか。

 ぽつんと取り残されてしまっても、仕方がない。顔合わせはしておきたいので、また後日というわけにもいかないが、今まで緊張していたぶん、肩透かしな気分だ。

 どうしようかと周囲を見回したレリアは、小さく肩の力を抜き、会場に背を向けた。

 外へ行こう。

 大人たちの間に割り込むような真似もできないし、しばらくしたら落ち着くだろうと期待しつつ、廊下から中庭へ。

 手入れされている庭だ。とはいえ、レリアは手入れされていない庭なんて見たことがないので、比較しようがない。ここは自分の家ではないし、見慣れない場所ではあるものの、ともかく、外の空気を大きく吸い込めば、同じぶんだけ、あれこれ考えていたものが吐き出されたようだった。

 少し歩こうかと、一歩を踏み出した時。

 庭の景観に合った、白色の丸テーブルと椅子を見つけ、そこに座っている少年を見つけた。

「――」

「おっと、こっちに来るとは思わなかったな」

 声を聞き、思わずレリアは振り返るが、会場の明かりがちょうど届かないくらいの距離だ。中は明るく、外が暗いのならば、あちらからは上手く見えないはず。

 だが、こちらからはよく見える。

「え……え?」

 改めて少年を見る。

 間違いない。

 先ほど、いや、――彼は婚約者の。

「改めて、パストラル・イングリッドです。ああいや、丁寧じゃない方が良いのかな、婚約者なんだし。年齢としてはぼくが二つ下だけど、きみがレリア・フィニーさんだね?」

「え、ええ、そうです、じゃない、うん、そう」

「呼び方も、さて、どうしたものかな。ああ、ぼくのことはラルでいいよ、とりあえずぼくは、レリアさんと呼ぼう」

「待って。――あれは? 影武者とか? 似てる人を手配したの?」

「ああ、あれ、さすがだね。きみの父君は気付いているようだし、ほかにも一人、違和を抱いて近づかない人がいる。ただどうだろう、本質には手が届いているのかな。んー、簡単に言うとあれは術式で作った分身だよ」

「――分身?」

 少し考える。

「確か、自分と同じものを作り出す残影シェイドって魔術があったけど」

「そうだね、残影は試したことがないけど、似たようなものかな。ぼくが今、メインで研究しているものの副産物でね、魂の複写に限りなく近いというか……現象で言うのなら、あれはぼくの影だ」

「うん」

「あ、そうじゃなくて、実際の影だよ。ほら、ぼくの足元」

「――あ」

 言われて気付く、おかしさ。

 確かに今、パストラルの足元には、影が持つ特有の濃さがない。

「影は必ず、自分に追随するものだから、いろいろ利用してたんだけど、上手く切り離してもう一人の自分に仕立てたってわけさ。きみがどうかは知らないけど、ぼくだって婚約者に逢うのには、それなりに緊張するよ。どんな人かは聞いていたし、うちの父さんの言い分もわからなくはないけどさ。――ついでに、遊びながら相手を試せる」

 気付くかどうか、探りを入れるのかどうか。

 面倒な会合に利用可能な術式なのか。

「座ったら?」

「……ん、じゃあ、失礼して」

 レリアが対面に座ってから、パストラルは一度立ち上がり、ストールをどこからともなく取り出して彼女の肩にかけた。

「冷えるといけないからね」

「あ、ありがと……」

「さて、まずは確認といこう。あくまでもぼくたちの婚約は、今のところ、表向きのものでしかなく、学校卒業と同時に解消できるくらい簡単なものだってことは、聞いてる?」

「聞いてる。ええと、かりそめの婚約」

「きみにとっては、学校で悪いむしがつかないように配慮したって感じかな」

「うん。ラルくんは?」

「そろそろ落ち着けって言われたんだよ、失礼な話だ。そりゃ確かに、夜中に酒場へ行ったり、昼間に娼館へ顔を出したりしてれば、遊んでるようにしか見えなくても、ぼくとしては必要なことなんだけどね」

「え、なんで。というか、そんなことしてるの」

「情報を集める場所だからだよ。それなりに仲良くしておいて、金を対価に情報を買う――こともある。いつもそうだとは言わないけど、緊急時だけの付き合いは、あまり良くなくてね。きっと父さんは、この前ぼくが隠れ家として一つ、家を買ったのが気に入らなかったんだと思う」

「え、なんで」

「実家じゃ離れで暮らしてるんだけど、さすがに手狭になったから、かな。しかもちゃんとぼくの稼いだお金で買ったのに。あれかな、やっぱりこっそりやったのが駄目だったのかな」

 なんというか――同意はできないが、しかし。

「ほんとに、あたしより二つ下?」

「そうだよ? 十歳になったばかりだ。ちなみに嘘はないよ、女性と魔術には誠実であれ、と教わってから、その通りに生きてるから」

 それはそれで、どうかと思う。

「一応、名目上、一ヶ月に一度は逢うことになるのかな」

「うん聞いてる。基本、あたしがそっち行くって」

「年齢が上だと大変そうだけれど、何かあったら言ってくれでいいよ。対応できるならやるし、無理なら改善しよう。この先どうなるかは知らないけど、お互いに上手くやるべきだ。よろしくね」

「ん、よろしく」

「ぼくも兄さんがいるし、貴族の面倒な関係はないから、政略的にどうのってのはない。きみの行動を縛るような真似もしないさ。お互いを知る時間はまだあるし」

「そだね。今は、変な人だと思ってる」

「そう?」

「そう。普通は、自分と同じものを作って、パーティに行かせたりしない」

「でも、もしもきみが作れたら、似たようなことは――」

「しない」

「そうかなあ。失敗しても、笑って済ませれば良いだろう? 子供なんだし、こっちは」

「それはずるい」

「大人だってずるいさ」

「どうなってるの? 視界の共有とか、会話の内容とか」

「んー、してるけど、できないってのが現状かな。そもそも人間に、二人分の情報は重すぎる。下手をしたら廃人一直線だ。だから多少は受け入れているけど、ほぼ独立してると考えていいよ」

「操作もしてないの?」

「基本的にはね。できるけど、してない。なんだろう、たとえばここにもう一人の自分がいたとして」

「いるね」

「いるんだけど、もう一人いたなら、そりゃ自分が思うよう、勝手に動くよね? あるいは、気持ち悪いって思うかもしれない」

「うん」

「そういう感じで、あんまり役に立たない代物だよ。今後使うこともないかなあ、維持が面倒だし。ぼくはそもそも、魔力容量がそんなに大きくないからね。それに、面倒な人が来たから、お手洗いに行くふりをして解除しておくよ」

「……面倒な人?」

「椅子は三つあるだろう?」

 確かに、ここには三つの椅子がある――いや、よく見れば、先ほどよりも椅子の位置が、座りやすいよう引かれている。

「わしだ」

「――おじいさま!」

「良い、良い、座ったままで構わん。久しいの、レリア」

「はい、お久しぶりです。でも姿を消したまま近づくのは良くありません」

「まったくだ、性格が悪いし、あれから改良もしていない。魔術師としてはどうかと思うね」

「お主以外にバレてはおらんし、わかっていても見逃すのが大人のすることだ」

「子供のぼくにはよくわからないね」

「ええっと……」

「ああごめん、彼とは友人なんだ。だからレリアさんの名前を聞いた時には驚いたんだよ? ――この老体は一体何を考えているんだ、ってね。内容を聞いて納得したよ、お互いに持ちつ持たれつ、上手いことやろうってことだったからね。でもどうだろう、きみはぼくとレリアさんが本気になったらどうするんだい?」

「どうもせん、それはそれで良いことではないか」

「ふうん?」

「はっはっは、子供のことに、いちいち口を挟まん。ゆっくりして行け」

「あとで中にも行くさ。それと、きみの息子は気付いてたよ。種明かしはそっちでやってくれ」

「ほう……そうか、わかった」

 こちらに背中を向けて、裏口から中へ入って行ったのを見送り、パストラルは小さく笑った。

「一度家に帰って、ちゃんと着替えてから来たんだと思うと、ちょっと笑えるね」

「おじいさま、そういうところの気遣いはするもの」

「こっそりぼくの家に来る時もね。彼が望んだのもあるけど、初対面の時にも隠れてきたし、彼は名乗らなかったから、ぼくもそういう扱いで付き合ってるのさ」

「知ってるのよね?」

「天冥の大公老師だろう? もちろん、公式に――以前、騎士団の訓練場に行った時に逢ったけど、ちゃんとした挨拶もしたよ。だからどうしたって話だけどね。公私くらいはわけるけど、彼も楽しそうにしてるし、いいんじゃないかな」

「うちの兄さんには見せられないかも」

「そう?」

「尊敬もあるけど、やっぱりおじいさまは偉大な人だから」

「うーん、敬意はもちろん持ってるけど、畏まっても追い抜けるわけじゃないからね。ちなみに、きみの属性種別は――」

「水だけど」

「ああ、うちの兄さんと同じか」

「ラルくんは?」

「その話だけど、ぼくは属性なしで通ってる。というのも、調査の時にちょっとした細工をして、属性が一切でないようにしたんだよ」

「え、なんで」

「その方が面白そうだから……かな? 当時、どうやって属性を調べているのか考えてて、誤魔化し方がいくつか思いついたから、試してみたかったっていうのが一番の理由だと思うよ」

「ああ、今回みたいに」

 とても納得ができる理由だ。できそうだから試そう――なるほど、魔術師らしい。

「それに、全属性をまんべんなく使いたかったからね」

「うん。影を自分と同じにするとか、たぶん天属性系列だとは思うけど、うん。見たことない」

「誰かがやってるはずだけどね」

 魔術なんてそんなものだ。自分だけの術式なんて言えば、全てがそうであるし、同じ結果を出す術式は、必ずどっかの誰かがやっている。

 構成は自分のものだから。誰かの真似をしたところで、作るのは自分だ。

「ま、言うほど属性なんて重要じゃないからね。魔術は好き勝手やった方が面白い」

「魔術師ね」

「ぼくはそのつもりだよ、うん、魔術師でありたい。ともあれ、お互いにやりたいこと、やるべきこと、いろいろあるだろうけど、焦らずにお互いを知るところから始めようか」

「ん、そうね。よろしく」

 差し出された手を握り返し、お互いに小さく笑った。

「さあ、中に行こうか。空気は良いけれど、さすがに冷えるといけないからね」

「うん」

 きちんと手を取ってのエスコート。父親以外にやられたのは初めてで、二つ年下というのにも違和はある。

 ただ、レリア個人としては、面白そうな人だ――そんな印象であった。


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