第4話 魔術師、王都へ遊びに行く

 八歳の誕生日を迎えて少し経った頃のことだから、体術の訓練を始めて一年くらい経過した頃のことだろう。二日に一度の戦闘訓練を終えて、シャワーを浴び終えたパストラルは、本館にいる父親のところへ向かったのだが、そこには先に兄であるグランデが待っていた。

「あれ? 兄さんも一緒?」

「まあな」

「ふうん……で、父さん」

「ああ、王都で母さんが呼んでる」

「ぼくを」

「そうだ。用件までは詳しく聞いてないが、グランデも王都の学校へ進学するかもしれないから、一緒に行って来い」

「へえ、兄さんはその予定があるんだ」

「あくまでも可能性の話だ。母さんがいるのも理由の一つだけど、王都の実情を知っておくことに損はないって話を、父さんとしてな。どうするかはともかく、下見ができる丁度良い機会だ。おじさんの手を借りるつもり」

「いつ?」

「三日後の出立だ」

「いいよ、わかった。母さんに逢うのを拒絶するほど、親不孝者じゃないよ」

「――パストラル、無駄遣いをするなよ」

「失礼な」

 浮足立っていることを見抜かれたことは一切気にせず、彼は腕を組む。

「ぼくは買ったものを無駄にはしないよ」

「……、……おいグランデ」

「俺には無理だ」

「諦められると、それはそれで寂しい気がするなあ」

「「張本人が言うな」」

 さすがは親子、言いたいことは同じなんだなと、パストラルは頷いた。


 王都までの道のりは、いくつかの街を経由して二日ほどかかった。さすがに馬を休ませる時間もあるし、それほど急ぎではないため、予定通りの移動になっただろう。護衛の冒険者にしても、パストラルたちは素直な貴族だったろうし、楽な仕事だったに違いない。

 グランデは二度目、そしてパストラルは初めての王都。まずはその広さと、そして活気に溢れる様子に気圧されたが、母親の邸宅へ向かう。

 自宅の屋敷ほどの広さはないにせよ、三日くらいは世話になる家だ。数名の使用人に挨拶をして、一日目はそのまま休むことにする。

 翌日の朝、少し早い時間帯にパストラルは目を覚まし、躰を起こして大きく伸びをする。

 そして。

「開いてるよ」

 欠伸を一つ、ベッドから降りて着替えに手を伸ばせば、ゆっくりと扉が開いて母親が姿を見せた。

 背丈はやや高いくらいで、筋肉がつきすぎない程度には鍛えられた躰、そして長い金色の髪。驚いた顔をしているが、やや細い瞳が兄と似ている。おおよそ三ヶ月ぶりに逢ったパメラ・イングリッドは。

「おはよう」

「え、ええ、おはよう」

「帰りは遅かったのに、朝は早いんだね。ぼくは不規則な生活をしているから、いつも休んでるし、いつも起きてるみたいな状態が続いてて、不意な訪問でもこうして対応できるわけさ」

「――気付いてたの?」

「家の中で気配は隠さない。こっちに来る間に冒険者たちと話して、夜間の警戒に使っている魔術品がかなり古いものだってのも聞いたし、彼らは必ず見張りを立てる。どうして改良しないのかも、まあ、わからなくもないけど、ぼくはぼくなりに術式を構築してみたのさ。そしたら、こっそり母さんが来たのに気づいて、こうして起きてたんだよ」

「えーっと、ちょっと待って」

「着替えるのを?」

「それは続けなさい」

「はあい」

「術式を敷いていたのは、まあ、うん、わかる」

「うん」

「どうしてそれで起きるの? 脳内で鈴でも鳴らしてるの?」

「いや、それじゃ寝起きが最悪じゃないか。母さんも知ってるだろうけど、あのご老体と一年も訓練をしていれば、どんな状態であっても有事の際に反応できるようになるよ」

「グロウ先生か……」

「母さんも学んだんだから、そのくらいのことはできるだろう?」

「まあ、似たようなことはできる。というか、ほぼ無意識だけど……」

「よし、こんなもんか」

 着替えを終えて。

「じゃあ改めて、久しぶりだね母さん」

「あ、うん」

 二人はいつものよう、軽く抱きしめ合った。

「サプライズなら、兄さんを先にやった方が良かったかもしれないね」

「ラルは本当、可愛くなくなったわねえ」

「おっと、それは心外だな。これでも娼館の姉さんたちには、可愛い可愛いと言われてるんだけどね」

「――ん?」

「どうしたの」

「あなた娼館に通ってるの?」

「通ってはいないよ、顔は見せてるけど。婚約者が決まるまでの遊び――冗談だよ、そんな顔をしないで」

「……そう。いや待って、どこが冗談なの」

「遊んでるって部分かな。ぼくの年齢じゃ客にはなれないから、昼くらいの営業時間外に顔を出して、話をしてるだけ。彼女たちもぼくとの会話で息抜きができてるから、お互いに損はないよ」

「それ父さんに言ってる?」

「まさか、こっそり抜け出してるから、兄さんも知らないよ。気付くとしたら、兄さんが娼館に行った時かもしれないね」

「はあああ……」

 盛大にため息を落とされた。

「ところで母さん、顔を洗って歯を磨きたいんだけど?」

「ああごめん、どうぞ。朝食の用意はしておくから、ちょっと待ってなさい。今、グランデを起こしてくるから」

「はいはい」

 手早く身だしなみを整えたパストラルは、さて、兄はいつ母親の侵入に気づくのだろうかと考えながら、階下へ。行く先は食堂――いや、キッチンだ。

 ひょいと顔を出すと、男が一人、料理をしていた。

「おはよう」

「やあ、おはようございます、パストラル様。朝食はまだちょっと時間かかりますぜ」

「催促じゃないよ、母さんに起こされてね。食事に文句もない、昨日の夕食もおいしかったよ。それより、食材の流通はどうなってる? 王都郊外には、大きな畑もなかったし、内部にも家庭菜園くらいは見かけたけど、農地はなくて運び込まれるに任せているはずだ」

「手を動かしながらでも?」

「もちろんだ」

「ありがたい。そうですなあ、郊外と言えども、運ぶのには数時間くらいかかりますぜ。大量となると、朝市に合わせるなら夜間の運送になりますし、となりゃ必然的に価格も上がっちまいやす。うちで使うのは、風の術式で温度を下げて管理された野菜ですね」

「なるほど、それなら一日くらい保存しておいても、新鮮な状態が保たれるね。要するに、冷蔵庫に入れているのと同じ感じになるわけか」

「まさにその通りでさあ。肉なんかは、冒険者が狩った魔物の肉なんかが主流ですが」

「魚はどうだい?」

「刺身で出せるような魚は、ほとんどありませんなあ。海は遠い、川なら一日ほどの距離ですが、自分で運ぶならまだしも、誰かが運んだ代物なら火を通すことをお勧めしますぜ」

「なるほど、ありがとう」

「こんなことに興味があるんですかい?」

「何でも興味はあるよ。というか、ぼくのことは母さんから聞いてるんじゃ?」

「聞いてますよ。上の息子さんは、素直で賢い。パストラル様は異質だって」

「異質、ねえ。まあ、ここでぼくが否定したってしょうがないから、とりあえず受け入れておくとしよう。普段は母さんが屋敷に戻ってくることも少ないんじゃ、暇だろう?」

「いやあ、そうでもないですぜ。離れで侍女たちが暮らしてますから、彼女たち三人分の食事は俺が作ってやす」

「へえ、きみはじゃあ通いなんだ?」

「一応、仮眠室みたいなのはありますからね、パーティの時なんかは片付けの後、そっちで寝ることもありやすが、結婚して妻も家にいますからね。できるだけ帰るようにしてやす」

「じゃあ、奥さんの口癖はあれだろう? 朝は起こさないように出ていって」

「あっはっは、正解でさあ」

 夫婦なんてのは、どこでも似たようなものらしい。

 それからしばらくして、兄が下りてきてから朝食が始まった。実家とは違い、やや重めというか、量がそれなりにある内容だ。

「母さんって、騎士団の仕事をしてるんだっけ?」

「そうよ? どちらかといえば、書類仕事を誰かに任せて、若い子の育成をする感じだけれど」

「うん、任せられた誰かの愚痴は、いずれぼくが聞いておくよ」

「……迷惑はかけてないわよ?」

「それも本人から聞いておくよ。それで? 兄さんは学校の下見だとして、ぼくは好きにしていいのかな」

「駄目」

「なんで」

「騎士団の要請があります。私が連れて行きます。あとはフェルミがやります。グランデは紹介状もあるし、一人で大丈夫でしょう?」

「ん、ああ、親を連れて行くほどじゃないし、ラルを一人にするよりは、よっぽど良い」

「ぼくだって紹介状の一枚でもあれば、そっちをちゃんと優先するよ。一人で動ける時間なんて、いくらでも捻出できるからね。でもまあ、母さんの職場だ、従うよ。フェルミさんが頼みたいことも、まあ、なんとなく想像できたから」

「そう。じゃあ、家を出るのは一緒に行きましょう」

 朝食を終えてから三十分ほど休憩してから、揃って外へ。耳を澄ませば遠くから人の声が聞こえてくるし、もう王都は活動時間に入っているようだ。

 住宅街を抜ければ、通行人も多く、道も広い。騒がしいと感じるのは、王都と比較して彼らの生活している街が田舎だからか、それともパストラルが外に出ていないからか。

 まずは、学校へ。

 王都にはいくつか学校が存在し、主に貴族が通うところの入り口で、パメラの兄が待っていた。

「おじさん、おはようございます」

「おはよう、グランデ。それからパストラルも、ようこそ王都へ」

「ありがとう、おじさん。ついでに魔術書が売っている良い店があれば紹介してくれると、ぼくも次は良い女の子を紹介できそうなんだけど、どうだろう」

「こら」

「どうだろう、じゃない……お前はおじさんに何を言ってるんだ」

「そうだね、おじさんの好みを聞くのが最初だった。でもおばさんの若い頃の写真があれば一発だろう?」

「はっはっは、面白い育ち方をしたもんだな。次からはこっそり頼んだぞ」

「兄さん……」

「変な顔をするなパメラ、お互いに冗談だとわかっていてのやり取りだ。さあグランデ、登校時間はもう少し先になるから、まずは案内をしよう」

「お願いします」

「ん、いってらっしゃい」

 そして二人は、騎士団詰め所へ向かう。

 余計な買い物はするな、と口にするのは簡単だが、魔術品を売ってそれなりに儲けているから、口出しもしにくい。加えてパメラは、あまり魔術関連に詳しくないため、強く引き止めることもできないわけだ。

 しかし。

「もうちょっと自重したら? ……っていうのも、まだ八歳だものねえ」

「ぼくとしては、ちゃんと自重してるつもりだけど。今回だって、滞在は三日くらいになるでしょ? せめて買い物くらいはしよう、そのくらいだよ。だから昨夜だって、屋敷をこっそり抜け出さなかっただろう?」

「そんなことを自慢しないの。普通は抜け出しません。実家でも夜中にこっそり出てるんでしょ? 父さんが頭を抱えてたわよ、警備を強化しても無駄だって」

「無駄ってことはないよ、ぼくの労力が増えるだけだ。夜じゃなきゃできないことも、世の中にはあるからね。それほど危険なことはしてないし――そもそも、危険に自分から首を突っ込むくらいに強い理由なら、一人で行かないよ」

「そもそも一人で行動しないこと。いい、王都にいる間は誰かと必ず一緒に」

「はいはい、できるだけそうするよ。足場を固める時間はなさそうだしね」

「素直でよろしい。必ずそうして欲しいけどね――はい、到着」

「ここが母さんの職場?」

「そうよ」

「まるで学校じゃないか」

 規模感は、それこそ千人が通えるくらいの大きさだ。

「個人はもちろん、団体での訓練もあるから。本署は奥で、寝泊りする場所もあるからね」

「複合施設か、なるほどね――やあ、フェルミさん、久しぶりだね」

「おう。おはようございます、パメラ副団長」

「おはようフェルミ。まだ入り口なのに、ちゃんとしてるじゃない」

「ここは騎士団の領域ですから」

「じゃ、後は任せた。昨日の仕事の報告書を作らないと」

「そうしてください」

「パストラル、おとなしくしてるのよ?」

「怒られるような真似はしないよ。いってらっしゃい、母さん」

「ん」

 頷きながらも、ものすごく不安そうな顔をして、歩いていった。


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