第3話 魔術師、魔術品と人形の構想を語る

 魔術式の構成において必要なのは、まず理論である。

 範囲を指定するにしても、まずは形状を設定し、何で区切るかを考えなくてはならない。魔術師がよく使うのは、境界を引き、内側と外側を区別する理論になるが、それにしたって、何をもって境界とするのかは術師によって解釈が違う。

 もっとも簡単なのは、その区切りを壁とすることだ。たった一つ、その言葉で性質を持たせれば、それはもう壁という認識に縛られる。ただしその時点で、汎用性に欠けてしまうのも現実だ。壁は壁であり、壁以外のものではないため、認識に縛られる。

 であればこそ、魔術師の技量とは、壁に見えるものに対して、どのような理論を構築し、構成を再現できているのか――そういった基礎部分に着目するものだ。

 しかし、前提として基礎ができていれば、あとは組み合わせ次第。境界によって範囲を区切り、その中に市販のゴムボールを投げ入れれば、投球練習くらいは簡単にできる。あとは境界の反応、ぶつかった時に生じた運動エネルギーの吸収と解放を設定。

 そう、これはいわば、区切った内部のルール作りだ。

 本来なら、ボールがぶつかった瞬間、威力は減衰するものだが、それをあたかも、減衰せず反射するように見せるためには、さてどうすべきか――それを考察し、現実の物理法則を誤魔化し、違反しないように構成を組む。ちなみに、違反していた場合はそもそも術式として成り立たない。

 グロウ・イーダーから話を聞いた時点で、それほど難しい部分はなかった。それは実際に構成を組む段階になっても同じだが、それは今までパストラルが基礎研究を怠っていない証明でもある。

 ボールが跳ねまわるまで、さほど時間はかからなかったが、これで完成ではない。人の出入りはどうするのか、そもそも周囲に邪魔をされることを良しとするのか、回避すべきなのか。これは境界の内側の設定ではなく、外側からの干渉部分に当たり、つまりは境界そのものの性質を、どう変化し、それでいてほかの性質を内包できるのか、という問題だ。

 もし最初から、境界を壁と設定していたら、出入りそのものも難しくなるし、ちょっと混ぜろと誰かが入ることすら困難だろう。その場合、壁の中に出入口を設定して、その開閉などを考慮すべきだが、そもそも、壁である時点で扉の強度が同質と定義するのも――できなくはないが、非常に面倒だ。

 さて。

 なんだかんだと理屈はあれど、術式として完成してしまえばシンプルで、境界線で区切られた部屋の中でボールが跳ねるだけ。いつもならここで区切りとし、あとは細かい調整や改良を加えれば良いだけの話だが――これを魔術品とするならば、追加の手間が増える。

 これらの術式をまず、宝石の内部に刻む必要がある。解析防止のための防御に加え、術式を展開してからの設定、つまりボールの速度や跳ねる向き、数への対応などを外部から制御できるよう――使いやすくするための術式が必要だ。

 使いにくく、難解な魔術品なら、商売にしなくても良い。だが、誰かに売ることが目的ならば、必須とも言える。このあたりはパストラルにとって初挑戦だけれど、面白いの一言に尽きた。

 その日は外で、とりあえずボールを跳ねさせながらメモ帳を片手に、あれこれ考えていたのだが、本館から出てきた少年がこちらに気付き、やや遠い距離をゆっくり歩いてきた。

 兄の、グランデ・イングリッド。同じ両親から生まれ、三つ年上であるため風貌はよく似ているが、三年という時間の差は身体的な成長として現れている。

「ラル」

「やあ兄さん、その様子だと休憩かな? それとも遊びに?」

「特に予定のない休憩だな、遊びみたいなもんだ。先に言っておくが、誘いに来たわけじゃない」

「なんだ、今日こそ女遊びを教えてもらえるのかと思ったよ」

「よく言うよ、ラルと一緒に出掛けると、怖いところに行こうとするものだから、俺は精神的に疲れて仕方がない。かなり慣れたけどな」

「そうかな? うーん、ぼくにそういう意識はないけどね」

「それよりも、何をやってるんだ?」

「父さんから聞いてるだろう? 新しく武術を教わるって。その人からの宿題でね。丁度良い、使った感想を聞きたいから、中に入ってよ兄さん」

「危険は」

「おっと、ぼくがそんな危ういものを作っていると思われるのは心外だね。見ての通り、ボールが飛び跳ねるだけで、それを避ける訓練をするものだよ。当たっても痛くないようにしてるし、――ほらこれ、今動いてるのと同じボールだ」

「ん……ああ、柔らかいゴムボールか。それこそ子供の遊び道具じゃないか」

「そうだよ。はいこれ、間に合わせだけど兄さんが使ってるサイズの木剣だよ」

「しょうがないな、ちょっとだけだぞ。この中に入ればいいんだな?」

「うん。見やすいようにしたけど、その方が良いよね」

「わかりやすくはある。ボールは?」

「今はぼくが出すよ。一番軽めの設定にしておくから」

「おう。じゃ、初めてくれ」

 外側から、ひょいとボールを投げれば中に入り、跳ねる。

 最初は動かず、グランデは当たるに任せた。

「まったく痛くないけどこれ、動いてる時だと当たった感覚がわからなくないか?」

「ああそれ、どうしようか迷ってる部分だよ。対象年齢を上げれば、多少強くしてもいいかなと思うけどね」

「これが最低速度か、まあ避けられるな」

「広さは?」

「ああ」

 そうだったと、グランデは軽い体当たりをする。

「ちょっと柔らかい壁みたいな感じか。てっきり、すり抜けて出るかと思ったけど」

「そこも設定かな。今のところ時間設定と、ボールを手で止める、つまりキャッチすると終わりにしてるけど」

「ふんふん、そこはわかりやすいな。ボール自体は斬れないのか?」

「いや、斬れるよ? 目的はあくまでも回避だから。多少の防御は入るけど」

「ふうん……これ、作れって言われたんだっけ?」

「そうだよ。たぶんあのご老体のことだ、いちいち視界に入れずとも回避しろ、くらいのことは言うだろうね」

「はあ? 見ずに避けるって、できるのかよ」

「できるよ。実際には、ボールを二つにして速度を上げた時点で、もう目で追えなくなるから、そうせざるを得ない」

「時間がかかりそうだ。このくらいでいいか?」

「ああうん、悪いね。今日はデートの日だったか」

「デート、ねえ……昼食をとって、手土産を探して、たぶん夕食も向こうで食べてくるぞ」

「マメだよね、兄さんって」

「一応、俺の婚約者だからな。今のところは」

「変に疑わなくても良いと思うよ? 十歳で婚約なんて、貴族社会じゃ珍しくもないし、大人同士の考えはあるにせよ、彼女自身に打算はないと思うけどね」

「――どうしてわかる?」

「兄さんが知っている以上のことを調べたからね」

「お前ね……」

「そりゃ家族だもの、そのくらいの調査はするよ。父さんの調査結果よりも、ちょっとだけぼくの方が詳しいくらいかな」

「聞かなかったことにする。それに打算なんて、今はなくとも生まれるものだろう?」

「それは二人で話し合えば解決するはずさ。たぶんね、ぼくには経験がないからよくわからないや」

「だいたい三年後だな?」

「苦労するとは思っちゃいないよ」

「そうだな、それなりに楽しいもんだ。じゃ、行ってくる」

「いってらっしゃい、気を付けて」

 ひらひらと手を振って、入り口で護衛と合流して外へ行く兄を見送る。まだ十歳なのだ、さすがに貴族が一人で出歩くのは難しい。

 さてと、腰に手を当てる。侍女のシディは少し離れた位置に立ったままで、特に反応はない。

 ないので、仕方がないとため息を一つ、背後を振り返る。

「裏口からこっそりかい? もう邪魔は入らないから、姿を見せたらどうだろう。ぼくに解除させると、ちょっと攻撃的で大げさになるからね。もしかしてそれをお望みかな?」

「――いつから気付いておった」

 庭の壁際から、言葉と共に黒色のローブをまとった老人が姿を見せた。

「いつ? そりゃきみが入って来てすぐさ。そこまで無防備になっていると思わないで欲しいね。ぼくの離れは裏口からすぐそこだ、警戒くらいするよ」

「わしは姿を消していたが?」

「昔、言われたことがあってね――どれほど人が隠れようとも、そこに存在している以上、消えはしない。術式で姿を消しても、術式を使っている事実は消せないし、それを隠すためにまた術式を使うはめになる。珈琲の中のミルクと一緒さ、混ぜ合わせれば色は変わるけれど、混ざらなければ白色で目立つ」

「なるほどのう、わしの魔力そのものがミルクか」

 くつくつと肩を揺らしながら笑った老人は近くまで来ると、視線をパストラルの術式に向けた。

「面白いものを作っておるな。グロウの注文かね」

「なんだ、あのご老体の知り合いか。てっきり父さんの客で、ぼくじゃないと思ってたんだけど、ふうん? ……まあいいか。そうだね、あとはこれを魔術品にするだけだよ。さっきは兄さんに頼んだけど、一通りは自分で試したから」

「だが、まだ魔術品にはなっておらん」

「それほど急ぐ仕事ってわけじゃないんだ、余裕はあるよ。父さんみたいに、明日に出せと昨日渡された書類が積み上がってるなんてこともない。今は削れる部分を精査していたのさ。できれば安価なアメジストあたりに術式を刻みたいからね」

 宝石に術式を刻むのは、一般的な方法だが、宝石それぞれに特色がある。もっとも注目されるのが容量であり、これの大小によって刻める術式が変わるため、価格も上下する。もちろん、入手難度も影響はするが。

「ぼくは商人じゃないからね、五千ラミルくらいに価格設定をしたいんだ。となると、制作費用そのものが三千ラミルを目安にしたい」

 いわゆる初任給が一万ラミルなのだから、魔術品は高価な部類に入るだろう。しかし、一般的な魔術品はもっと高いものだ。

「とはいえ、簡単な術式だ。あとは複製不可、干渉不可の術式を組み込んでしまえば、ほぼ完成だね。一応そっちも作ってあるから、調整しつつってところだよ」

「なるほどのう。お主、属性はなんだ?」

「さあ……何だろうね?」

「属性検査を受けておらんのか」

「受けたよ、義務だからね。五回ほどやったけれど、どういうわけか属性が出てこなくてね? ――ぼくがやったんだけど」

「ほう」

「属性と、特性、性質、これらはそれぞれ違うものだ。教育上、属性によって区別することでの利点はわかるけれど、ぼくの好みじゃないね。父さんには怒られたけど」

「……さしずめ、己の中に通さない魔力で偽装したか」

「へえ、さすがは魔術師、そのくらいのことはわかるみたいだね。やり方はいろいろあるけど、どうせ中等部までは家庭教師を雇うんだし、わかりやすいものに跳びつきたくはなかったのさ」

魔術特性センスを知るのにも、まずは術式の扱い方を覚えてからの方が効率的だ。そのため、属性をまず認識し、それぞれ魔術を学んでから、専門の道に進めば良い」

「だから、教育上の利点はわかってるつもりだよ。でも人によって感性は違うだろう? 本命の女を抱く前に、娼館で練習するのも道だけど、それを好まない女性だっているさ」

「お主まさか、通っているのではあるまいな?」

「禁止されているからね、さすがにそんなことはしないよ。雨が降っている時に、シャワーを貸してくれと、営業時間外に顔を出すくらいさ。夜中にこっそり姿を消して屋敷を出た時も、酒場でホットミルクを飲むくらいで我慢してるよ」

「…………」

 彼は注意すべきか迷い、額に手を当てた。本来なら注意すべきだが、今は立場を隠してここにいる。

「ほどほどにしておくといい」

「弁えているよ、ちゃんとね。行き過ぎたと思ったら、子供の振りをすることも忘れない。何しろまだ子供だからね」

「……よし、本題に入ろう」

「うん? ご老体から何か言われてきたのはわかったけど、そういえば何の用事なのかな?」

「人形を求めていると聞いてな」

「うん、その通り。きみは、じゃあ人形師パペットブリードなのかな?」

「厳密には違う」

 あえて名乗らない相手だからこそ、パストラルは選んで、きみ、などと呼んでいるのだが、そこに反応しないあたり、このご老人はかなり慣れた手合いだとわかる。

 こんな子供に、そんな呼び方をされれば、何かしらの反応をするものだ。笑って受け入れたり、怒って拒絶したり――あるいは、そんなパストラルの考えを見透かしているのか。

「ただ人形素体に関しては、それなりに明るくてのう」

「素晴らしい! 戦闘人形コッペリアを作ろうとしていてね、探してはいたんだ」

「聞いている。いるが……自動人形オートマタは多少見かけることもあるが、戦闘人形となると難易度が跳ねあがる。とてもじゃないが」

「作れるとは思えない? まあ、ぼくが作ろうとしているのは限りなく人間に近い人形だし、五年くらいはかかると見ているからね。相応の素体も必要になるから、難易度は高いと自覚してるよ」

「どこまでできている」

「うん? とりあえず核心となる部分は、矛盾にすると決めたところだよ」

「――矛盾だと?」

「それが人間を、人間たらしめている理由だと思ってね。ぼくにはどうしても、魂魄の理念が上手く理解できない。躰があって魂があるのか、魂のかたちに躰が変わるのか、それとも両方違うのか、両方混ざっているのか、この見極めはたぶん、現代においてどの魔術師も、明確に口に出すことはできないはずだ。感覚的に掴んでいる人はいるかもしれないけどね」

「相反する二つを内包する矛盾は理解できる。人はそれを持つものだが、どうやって作る?」

「そうだね、どうしようか。ぼくとしては、曖昧なものを、曖昧という括りにおいて定義することを現在進行形で研究しているよ。そもそも反しているんだ、術式の構成の中にその二つを組み合わせれば、術式は完成しない。不自然だからね。けれど何かしらの方法があるはずさ」

「つまりお主は、戦闘人形などと言いながらも、人を作ることを主点に置いているのだな?」

「うん、そう考えてもらっていいよ。現在の自動人形だって、調理場の前しか動かない上半身だけの人形みたいなのがせいぜいだけど、それでも可能性は追っているはずだ。だったらぼくは最初から、その可能性ってやつを掴もうと思ってるだけだよ」

 それに。

 誰にも言ったことはないが、確証もある。何がどうであれ、パストラルはその完成形とも言うべき自動人形を、目にしたことがあるのだ。

 ゆえに、不可能はない。可能なのは証明されている。

「時間がかかるのはわかってるから、じっくりと寄り道をしながらやってるよ。さすがに人形素体まで作るとなると、先が長すぎるからね、誰かに頼もうと思っていたんだ。でも今すぐじゃない」

「ふむ、だが今すぐでなくては、五年後に良い素体はないだろう」

「だから探していたんだ。どうだろう、きみが挑戦してみるかい?」

「挑戦?」

「だってそうだろう? 目安となる五年後、仮にお互いに完成していたとして、どっちが足りないかの勝負になる。ぼくの核が未熟なのか、それともぼくの核に素体が耐えられないか――楽しみだろう?」

「ほう――面白い。良いだろう、わしも可能な限りの素体を作ってやる……が」

「うん?」

「なぜ、人形なんだ?」

「なぜって……ぼくが最初に触れた魔術だったからだよ。そういうのって、印象に残るし、目標にしやすいものじゃないか」

「納得できる理由だな。それにお主、構成の立体式にまで手を伸ばしているな? それも独学か」

「ああ、魔術の構成を平面でしか見ない魔術師は多いそうだね。高等部か、それ以降で教えるのかな? 知ったところで、難しいとも聞くけれど」

「どこで聞いた」

「酒場や娼館さ、世間話だよこんなのは。ぼくとしては、最初から立体だったよ。だって世界は基本的に三次元で作られているんだ、魔術構成だって立体化するのは当然じゃないか。やっているうちに慣れたよ。だいたいそうじゃなきゃ、この球避け訓練装置だって作れない」

「また率直な命名だな……」

「わかりやすくていいじゃないか。いろいろ手配しながら、あと二ヶ月くらいで完成する予定だけど、商業ギルドへの登録が面倒そうだから、とりあえず自分の訓練で使ってみて、世に出すのは半年後くらいになりそうかな」

「うむ、妥当だろう。さて、わしはそろそろ行かねばならん。何か質問はあるか?」

「うん? ああ、そうだね」

 パストラルは言う。

「――きみの属性は?」

 問えば。

「ふ……クックック」

 彼は笑いをこらえきれず、歯を見せながらかみ殺した声を上げ、ひらひらと手を振って背中を見せ、そのまま姿を消した。

 すぐに、パストラルは自分の術式に向き合う。

 休憩時間は終わりだ。


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