第2話 魔術師、武術の師を誘う
いつになく押しが強かったからこそ、重い腰を上げてわざわざ辺境から街にまで移動して来たのだが、グロウ・イーダーを待ち構えていた子供は、これ以上なく嬉しそうだった。
さすがに馬車移動であったため、一日は宿で休んだのだが――そわそわとしている様子など、子供特有のそれである。
「初めまして、パストラル・イングリッドです、ご老体」
「おう。で、鍛えて欲しいって?」
「そういう話で伝わっているのか……うん、間違いじゃないね。ただ今日はまず話をしようと思って、お茶の席を作っておきましたよ。庭先でも、まだ冷える時期ではないでしょう」
「そりゃどうも」
「ただその前に一つ、試したいことがあるんです。よろしいですか」
「なんだ?」
「ちょっと失礼」
一度テーブルまで戻り、置いてあった黒いナイフを四本持ち、小走りに移動して周囲に差していく。
「やあ、手順が悪くて申し訳ない。今のぼくだと、まだ補助なしに使うような代物じゃなくてね。ああ、直接的にどうにかなるわけじゃないからご安心を――っと、よし、こんなもんか」
既に組んでいた構成をざっと見てから、改めて魔力を通せば術式は完成する。
魔術回路。
魔力を自分の魔力に変換し、変換された魔力で構成を組むことが可能になりながらも、発動時にはまた、自分の魔力を通す必要がある――これが、一般的な手順だ。自然界の魔力で自動スタートするような術式は今のところ、パストラルの手の内にはない。
つまり、魔力の変換装置でありながらも、魔術の根幹だからこその、魔術回路という名称なのかもしれない。
「じゃあ展開しますね。範囲が狭いのはご愛敬ということで」
「へえ……?」
あえてわかりやすく、両手を叩くように起動すると、まず、グロウは眉をしかめた。
「こいつァ……」
「どうでしょう」
「……気持ち悪いな。俺の感覚に干渉してやがるな?」
二歩ほど歩けば、彼は自分の躰が左側に向くのがわかる。まっすぐ歩こうとしているのに、だ。
「干渉が強すぎるし、ちょいとわかりやすいな」
「いくつかのパターンを乱数にしてますが」
「秒単位で移行するなら」
「うーん……気付かせないほど小さい違和でも、実際に動き出せばわかりませんか」
「わかるが、対策が難しくなる。それに遊びならまだしも、初手殺しが戦闘の基本だ」
「――なるほど、うん、その思考は良いですね、参考になります。いやあ、迷いの森の記述を読んで、こんな感じだろうと試してみたんだけど、イマイチかなあ」
「ああ、迷いの森か、確かにそういう部分もあるだろう」
「もしかして、経験が?」
「おう」
「素晴らしい!」
跳び上がるような動きを見せたパストラルは、四つの目印となっているナイフの一本を蹴って抜き、すぐに術式を解除。
「話を聞かせてください、どうぞこちらへ。シディ! お茶の用意を頼むよ」
控えていた侍女が小さく頭を下げたのを見て、わずかにグロウは目を細めたが、気にせず椅子を引いて腰を下ろした。
「それで迷いの森はいかがでしたか。文献には、どう脱出したのかわからない、どこまで行っても森が広がるだけで、どこへも行けない――などと書かれていました。それに魔術の気配を感じなかった、とも」
「仮説になるぜ?」
「ええ」
「術式で感覚が奪われるって、つまりお前さんがやったことは、ある意味で正解だ。そういう術式が展開されている――いや、内包している魔物だ」
「魔物? では、地形そのものを差しているのでもなく、場所の特異性ではなく、場所そのものの魔物だと?」
「たぶんな、それに敵意もない。そもそも人を喰うような形態じゃないし、それが森なら必要なのは水と日光だろう。たぶん本をいくつか調べればわかるが、餓死以外での被害は出ていないはずだぜ」
「なるほど、なるほど。たまたま人が入り込んだのか、入り込んだ人と遊んでいたのか……」
「主に方向感覚を狂わす。俺でも、長い紐を現地で用意して、自分の移動した距離や方向を確認する延長で気付いたくらいには、かなり巧妙な術式だ。加えて、一番重要なのは、――ありゃ地面が動いてる」
「地面が?」
「俺が移動してんのか、それとも周囲の景色が移動してるのか?」
「――っ、それは、いや、なるほどそこもランダム性があるなら、言うなれば障害物、動くものが地面、木、岩などのものを……ああそうか、生物か、魔物だ。なるほど、ありがとうございます、参考にするよ」
「今の術式、どうするんだ」
「もちろん改良しますよ。戦闘の専門家ならどう見るのか、それを確認したかったんだけど、うん、さすがとしか言いようがありませんね」
小さく肩を竦め、パストラルは侍女から紅茶を受け取った。
「さて、うちの両親やフェルミさんが門下生だと聞きましたが」
「一門を名乗った覚えはないんだがなァ……」
「今は?」
「引退して退屈な毎日を過ごしてるよ」
「それはいけませんね。奥さんもいらっしゃるのでしょう?」
「まあな。妻を退屈させると、俺がいらんことを言われるんだ」
「ぼくとしては週に一度くらいの頻度で教わりたいので、可能ならこちらに越して来ていただきたいところです」
「――そもそも、お前は魔術師だろう。フェルミが笑いながら、属性のない魔術師だと言ってたぜ」
「ええ、属性検査は誤魔化して通りましたから。父さんに話したらだいぶ怒られたけど、何かと試したい性分なんです。それでも、体術が不要ってことはないでしょう」
「じゃあ必要なのか」
「必要です。というのも、ぼくは
「良い考えだ。そっちの侍女さんから学んだのか?」
「わかりますか」
「少なくとも、俺が届かない手合いってくらいはな。戦闘だって、俺よりも侍女さんから教わればいいだろう」
「それはできません。――失礼、彼女はやりません。こう見えて優しくないんですよ、シディは」
「人選にもか?」
「もちろん、あなたを選んだのはぼくですよ。こちらに来ている兄の剣術師範と少し話をさせてもらったんですが、いや、ぼくはてっきり、戦闘なんてのは自分の躰がどう動いているのか把握しているものとばかり思っていまして」
「ああ、じゃあ当てが外れたのか」
「そうです。どうやらぼくみたいに、走る時にどう足を動かして、躰が反応しているのか考えるのは、珍しいようでして。フェルミさんに、立ち方を教えたのでしょう? あれを聞いた時に、基礎の部分の理屈を教えているんだろうと思えたのが、こうして勧誘するきっかけになりました」
「俺だってそこまで大げさなことじゃないけどなァ。それに、暇だとはいえ、こちとら七十だ。昔みてえにはできねえよ」
「ぼくも適当に教わってかみ砕くのにも限界はあるから、どこか落としどころがあればいいんだけど」
「そこらは、ぼちぼち考えていくとしてだ、なあ小僧」
「なに?」
「さっき見せた魔術で、ちょっと思いついたことがあるんだが」
「どうぞ、そういう話は大好きだ」
「立方体、家具のない一室を想像してくれ」
「いいね、想像の話を進めて構わないよ。広さなんかは、ある程度あると仮定していいかな」
「動けるくらいには広くていい。そこでボール遊びをしたいんだ」
「思いきり投げる?」
「おう、それでいい。ただ、壁、床、天井に当たると、威力が減衰しない。それどころか、予想だにしない方向に跳ねやがる――が、ボール自体に殺傷力はない」
「当たっても腹が立つ、くらいなものか。目的は?」
「そりゃボールを避けるためだ。方法は違うが、お前さんの両親やフェルミにも教えた。背後からの奇襲、遠距離からの攻撃、そうしたものをあらゆる方向から回避する技術だ。ボールの数を増やしながら、より実戦的なやり方に変えていく」
「うん、うん、最終的にはいくつか仕込みも必要だし、そうなるとボールも術式に反応させたいから、細工をしたいね。でも仮組みでいいなら、一日か二日くらいでできると思うよ。ただ速度調整が必要かな。あんまり速すぎても、ぼくは避けられそうにないね」
「調整か。それこそ――……おい、小僧」
「うん?」
「お前これ、魔術品として作れるか?」
「え、それは考えてなかったけど、どうして」
「いや、速度調整のツマミがありゃいいと思ったところで、ボールのこともあるし、誰でも使えるようにすりゃ商業ギルドに登録できるだろ。俺はともかく、お前さんはこっから金も欲しいだろう」
「うーん……あ、可能だよ、魔術品にすることくらいはね。材料が必要だってくらいで、大した問題はない。紅茶で使い終わった茶葉を捨てずに再利用しよう、そのくらいの手間でしかないさ。生活意識をあえて出して口説こうってほどじゃないけど――必要かな?」
「少なくとも騎士は欲しがるだろう。フェルミも錬度不足を感じてるらしいからな。それと冒険者ギルドを通して、冒険者の底上げにも利点がある。遊び半分で動けるのも良い。稼げるかどうかはおくとしても、それを望む相手がいる」
「そうか。うん、そうだね、試してみるのも良いかもしれない。いや悪いね、今までぼくは商売って発想をしなかったから、ちょっとした抵抗があるみたいなんだ。でもアイディア料ってのもあるんじゃないか?」
「いらねえよ、そんなの。正規に、俺を雇ってくれりゃそれでいい」
「そうなると金の出所が父さんになるんだけどね。ところで、奥さんは何を? ああ、できれば前歴まで教えていただけると、ぼくとしても対策しやすいかな」
「対策ってなんの」
「お二人をこちらに招待するための準備ですよ」
「女房は、水系の魔術師だ。中等部で教えていたこともあるが、まあ、あれはいろいろやってて、なんとも言えんな」
「素晴らしい! ちょうど兄が水属性ですし、貴族としての振る舞いもお詳しいでしょう? ぜひとも、いろいろ教わりたいですね。あなたと一緒に、そうですね、週に一日か二日くらい、暇ならもう少し多くしてもらっても構いませんが、日時も適当で構いませんし、住居は父が、いずれ
「猫って……お前ね」
「冗談です、父は母一筋ですから。でもこの街に、住居があるのは事実ですよ。母は王宮勤めですが、
「まだ社交界に出てないのか」
「七歳ですよ」
「ん……おお、そうか。とっくに中等部くらいだと思っていたが」
「それは喜んでいいのかどうか、悩みどころですね。相手によって立場を変えられれば良いんですが、さて、そこまでぼくに器量を求められても困るかもしれません」
話が逸れてきたなと苦笑した彼は、紅茶を一口飲んだ。
「本腰を入れるかどうかはともかく、まずは足の裏だ。軸を通せ」
「具体的には?」
「背骨と腰――そこにある仙骨の意識だな。まず、前後に動くようにして足の裏で、べた踏みできる状態を作れ」
「うん、ちょっと待ってくれ」
立ち上がったパストラルは、軽く跳躍をして躰を整える。自然体になれと言われ、すぐにできるのは慣れている人だけだ。その点で、跳躍を入れて力を抜いたあたり、グロウは評価する。
わかっているのだ。そうでもしないと、自然体にならないのを。
「足の裏で地面を確認する感覚だね。うん、前後に動くといっても躰を動かそうと思うわけじゃなく、あくまでも足の裏だ」
「中心を見つけろ。そうしたら、今度はちょっと難しいが左右」
「なるほど、足の裏全体でかつ、中央を探るわけですか」
「それができたら、姿勢を自然体に戻せ。どうせ、いらんところに力が入ってる」
「――また難しいことを言うなあ。いや、でもわかるよ、リセットしたところで芯が通っているからこその軸なんだろう?」
「そういうことだ」
「うんでも、これくらいなら気分転換の時にだって、すぐできそうだ」
「もう一つ、今度は軽く足を開いて、右から左、左から右に体重を移動しろ。かなりゆっくりでいい、重要なのは速度じゃなく、重心の移動だ」
「――これも中央の意識が必要だね。これも左右だけじゃなく、前後も、だね?」
「おう、話が早くていいな」
「利点は?」
「最初に一本通しておくと、あとでいじっても崩れない」
「ああ、じゃあ基礎だね。それこそ、ご老体に言わせれば、こんなのは歩く前にやるべきことかな?」
「俺も昔に、そう言われて教わったんだよ。正しく寝て、正しく立って、正しく歩けってなァ……」
「そうか、独自じゃなくてご老体にも師匠みたいな人がいたんだね。なるほど、これは難しそうだ、やっておくよ。ついでにボールが跳ねる術式を作って、それを試せばいいのかな?」
「おう、そっちはまだ遊び半分でいい」
「うん、本格的なのはご老体にやってもらわなければね。ちなみに、その教わった人というのは? 興味本位だから答えなくてもいいけど」
「……気になるか」
「そりゃね。聞いてどうするって話だし、気が乗らないなら酒の一つでも出すけど」
「酒はそんなにやらねえよ、かーちゃんに怒られる。まあなんだ、ヴィクセンって名乗ってる連中の団長に拾われてなァ」
「――とんでもない名前が出てきたね」
「知ってんのか」
「知らない人なんて――まあ、いるのかな? 大事のわりに、学校で教えるような内容じゃないから、名前自体を知る機会は少ないかもね。おおよそ七十年前に、教会の不正を暴いて、教会そのものを半壊させた傭兵団ヴィクセン。かつて魔術とは、ただ世界から構成を引き出して使うだけのものだったのに、それを解放した人たち……って認識でいいかな」
「合ってる。本人たちに言わせれば、信仰を理由にしてあれこれやるのが気に入らなかったから、らしい」
今でも一部の地域では使われている魔術スキルとは、鍵を使って箱を開くようなもので、その鍵さえ持っていれば誰でも同じ術式が扱える仕組みだ。
本質の理解も不要で、かつ、ただ使えるからこそ、戦場での軍隊も有効利用できよう。当時に大きな争いがあったという記録はないが。
それを主導していたのが、教会だ。
「単なる教会の不正――ってわけじゃなく、だいぶ複雑だったみたいだね。ぼくとしては、こうして魔術に没頭できる今を作ってくれた人たちだ、感謝しかないよ。ただ……」
「ん?」
「ただそれでも、――海は開かれていない」
「……そうだな」
この蛇の大陸において、ほかの大陸があることを知らない者がほとんどだ。けれど、ほかに氷、狐の大陸が存在していることを、一部は知っていた。
知っていたからといって、それこそ、だからどうしたという話だ。
未だに魔物の海を、突破できていない。また、する必要にも駆られていない。
「楽しそうに話すんだな」
「もちろん、楽しいよ、何だってね。楽しもうとしてる」
「そうか。さて、とりあえずお前さんの父親と話を詰めておく。前向きにな」
「うん、それは助かる。何かあったら言ってくれ、父さんの弱みはいくつか握ってるけど、あまり手札を切りたくないから、できれば素直にいくことを祈ってるよ」
「……自分の父親の弱みを握ってどうする」
「魔術ってやつは、それなりに金がかかるからね」
ひょいと肩を竦めるパストラルに対し、グロウは苦笑して立ち上がった。
軽口を叩くが、やる気は本物だ。どこまで求めるのかもわからないが、自分が無茶をしない程度には見てやろう、そんな気分になる。
若いヤツのやる気に水を差すような大人に、なった覚えはなかったから。
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