魔術師は世界を識ることが魔術だと知っている
雨天紅雨
第1話 魔術師の名はパストラル・イングリッド
七歳になる息子に逢って欲しい――。
友人の旦那とはいえ、昔馴染みの相手であったので、一体これはどういうことだと問いながらも、フェルミ・レーガはその時点で引き受ける気でいた。
だから理由よりも、まず、人となりを教えろと言った。
ヨーク・イングリッドはその問いに対して、しばらくの無言の時間を作り、これは自分の恥でもあるのだが、と前置して、ちょうど一年ほど前のことを口にする。
イングリッド家には、息子が二人いる。その時は長男が、息苦しさからか、たまには遊びたいと口にしたのを、次男が耳にしたらしく、その日の夕方にヨークのいる執務室に顔を見せた。
開口一番。
「兄さんの教育方針には疑問を感じるね」
さすがに驚いて、ヨークは手を止めて顔を上げた。
「――なんだって?」
「いつも勉強ばかりで、自由にできる時間なんて、あるようでないんだ。あれじゃあ将来、空いた時間が少ないからって、娼館で女を抱くことを趣味したって文句は言えないよ」
「……お前ね」
「事後の会話もないんじゃ、客としては嫌われるよ」
「待て、待て。……グランデからは、そんな話は聞いていないが」
「そりゃ言えないよ、言えるわけがない。ぼくたちはね、父さんの仕事に理解を持ってる。いつも家にいるし、外出は稀だ。だからこそ、近くにいるからわかるからこそ、余計なことは言えないし、仕事の邪魔は極力したくないんだ。強い言葉を使うなら、言える時間も場所もないんだよ」
「む……」
「兄さんに勉強させているのは、将来のためだろう?」
「そうだ」
「けれどね、それを頭で理解していたって、子供にはそんな先のことはわからないし、これも極論するとね? ――知ったことじゃないんだ。そんなことより、目の前にあるケーキを、どうやって自分のものにしようか、それを考えるのが一番らしい」
言っていることに、筋は通っていた。
考えてみれば、こうしてきちんと向き合って会話をしたのは、いつだろう。食事も別で、たまに同じ食卓を囲んだところで、会話は少なく、同じテーブルというだけで各自で済ましているのと何ら変わりはない。
「それでも兄さんは、父さんを尊敬してる。言ってることに間違いはないだろうし、やろうって気にはなってる。でもね父さん、母さんが家にいる時間が少ない代わりに、父さんの責任は増えてるはずだよ? 無理をさせたいわけじゃないんだ、それでも時間を作って欲しい。特に兄さんは、ぼくよりも責任感が強いからね」
「……問題があるのか」
「さあ? 軽口なのか、単なる希望なのか、それとも悩み苦しんでいるのか――父さんはまず、それを確認した方がいいんじゃないかな。世話係に任せるのは良いとしても、その内容と、本人がどうなのか、そういうのは知っておいて欲しいね」
「そうか、わかった。グランデとは夜にでも話をしよう」
「堅苦しくしないでよ? 少し酒でも入れて、まずは謝罪から入った方が話は進みやすいよ、きっとね」
「そうだな。――ところで、お前はどうなんだ?」
問えば。
「口うるさくなくて助かってるよ、とてもね。報酬として、次のケーキが二つになってれば、もっと良い」
そんなことを言われて、会話は終わった。
――どうであれ。
全体の流れを見れば、つまり、父親に対して苦言を呈したどころか、助言を含めたといった感じになるのだろう。
率直な感想を口にするなら、本当にそれは子供なのか、だ。
王宮からわざわざこっちまで来たのだ、旧友の抱えている問題を解決できるとは思わないが、頼みくらいなら聞いてやろう、そう思って承諾した。やることがあるわけでもなし、休日はまだあったから。
パストラル・イングリッドは、離れで暮らしているようだった。
爵位を持っている貴族の屋敷なのだから、本館はもちろんのこと、離れだとてそれなりに広い。ただ使用人一人で身の回りの世話くらいはできるし、せいぜい掃除でもう一人追加されるだけで済むくらいの広さだ。
貴族には体面も必要になる。このくらいの屋敷を管理できて当然と周りに思わせられなければ、そもそも貴族にはなれない。騎士にもそういうしがらみは多少あるが、貴族ほど前面には出ないので気楽なものだ。
案内された部屋に入った瞬間、わかるものもある。
――彼は魔術師だ。
大きめのテーブルで本を読みながらメモを取っているが、既に四冊の本が開かれている。壁にあるコルクボードには数枚の紙が留められており、棚にはいくつかの宝石がしまってあり、細工をする工具もあった。
彼女の知り合いにも、こういう魔術師がいる。本をいくつも広げているのも、すべて関連性のあるページであり、無駄な行為は何一つない。
新しい本を読んでいて、何かの着想を得る。確か以前読んだ本に何か記術があったはずだ――と、そういう流れになる。つまりこれは、より深く理解を得るための行動だ。
七歳。
まだ小柄で成長の余地はかなりあるのだろう。髪はやや長くなっているが、まだまだ可愛いと言われるくらいの風貌だ。
「やあ」
ぼうっと見ていたら、彼が口を開いた。
「父さんの新しい
「馬鹿、ちげーよ」
それが軽口だとわかったので、彼女も笑って受け流した。
「フェルミ・レーガだ。お前の親父とは昔馴染みでな」
「へえ、父さんは過去を話さないから、詳しく聞きたいところだけれど、ぼくはパストラル・イングリッドだよ。ああ悪いね、来客なんて想定していないから、この部屋には誰かが座る椅子の一つもないんだ」
「立つのは慣れてるから構うな」
「それはありがたい」
そこでようやく本から顔を上げてフェルミを見たパストラルは、少し驚いたように目を丸くした。
「どうした?」
「ああいや、ふうん……うん、うん」
何度か頷いて。
「騎士なら立っているのも仕事の内かな。でも父さんが呼んだっていうのを、ぼくはまったく聞いていないんだけど」
「そりゃ心配なんだろうさ。あたしは部外者だから言っちまうが――適性検査、どの属性にも当たらなかったんだろう」
「なんだその話か」
だいたい七歳前後で行われる、魔術への適正検査。これはほぼ国民全員が受けることになる。大きく二つあり、まずは魔力量の検査と、どの属性魔術が得意なのかを検査し、その結果によって学校の進路を選ぶのが、この国のやり方だ。
魔術における属性は七つ、
けれど、そもそも、適性がない、というのは現実的ではない。何故なら人間は誰もが魔力を持っており、魔術回路を有して生まれてくる。たとえ術式が使えない何かがあっても、適性検査で何も出ないなんてことは、それこそ十年に一人いるかいないかだ。
ここから先の進路でさえ、不明にしてしまうのだから、落ち込んでいるのかと思いきや、彼の返答はあっさりしたものだった。
「父さんには悪いことをしたと、あとで謝ろうとは思っていたんだけどね、こればっかりはタイミングもある。だからフェルミさん、これはここだけの話ってことでいいかな?」
「内緒話か」
「そういうこと。まあ、契約を結ぶまでもないかな」
「契約ねえ」
「実は、今のぼくの言葉に対してフェルミさんが承諾した時点で成立する、契約の術式があってね。一般的なものの簡略化だから、たぶんフェルミさんが強く拒絶したらすぐ解除される程度のものだけど、なかなか使い勝手が良くてさ」
彼は楽しそうに言う。
「シディ……ここの使用人と一緒に試してみたんだけど、だいたいは契約内容に抵触する言葉が口から出なくなる、くらいなものなんだ。こっそりできそうなのに、当人に自覚が出るってあたりが要改良で――……ごめん、そういう話じゃなかったね」
「お、おう……」
魔術が好きだ、というのはよくわかった。
「適性検査は一体、何を検査するのかっていうのを調べたんだよ。これはぼくの魔力を調査しているんだけど、じゃあその魔力ってのは一体なにか? これは基礎になってくる部分なんだけど、学校じゃあまり教えていないらしいね。つまりそれは、魔術回路の役目でもある」
「魔力を生み出す場所――そう教えるな」
「うん、そう考えても問題ないし、わかりやすいからね。けれど、それなら魔力回路と表現するはずだ。疑問に思って調べてみると、実際には魔力を魔術回路に通すことで、術式の構成ができるようになる、とある。つまりぼくたちは、魔力を使って術式を完成させているように見えて、実はもっと複雑な工程が含まれているのでは、と」
「そうだな」
彼女は頷いて続きを促す。そのあたりは宮廷魔術師ならば誰もが知っている基礎の部分で、逆に言えばそういう立場でもなければ疑問を持たない知識だ。
「まだ全貌を解明したわけじゃないからね、少なくともぼくの感覚では、魔術回路は魔力の変換装置かな。完成した術式を行使するのに、たとえば術陣を使った大規模術式なんかがわかりやすいけれど、二人以上で発動する術式もあるんだから、術式の稼働そのものに魔術回路が必要かと問われると、不要でもある、というのが現実になるね」
「よく考えてるな。それで、何が言いたいんだ?」
「つまりね? 魔術回路を通して変換した魔力じゃないと、属性そのものはわからない」
「……まあ、言われてみればそうだな」
魔力は自然界にも存在しているし、人は生きながらにして魔力を放出しており、それを気配などと言ったりもする。それらが自身の魔術回路を通していないのなら、それは空気と同じだ。
「だからぼくは言われた通り、魔力の検査をしてもらったんだよ」
「――お前ね」
「仮説が当たったぼくは喜んで帰宅したよ。今日の酒は最高の気分で飲める、秘蔵のボトルを出そうと言ったら、シディが最高に寝かしておいた、明日にも駄目になりそうな牛乳を温めてくれたよ。嬉しくて涙が出たね」
何の変換もされていない魔力なら、それこそ空気の検査をしているようなものだ。雨が降っていたり、乾いていたり、そういう状況でも極端なことがない限り、属性が検出されることはない。
「これから先のことは、おいおい考えるよ。今は属性なんて括りは、後回しだ」
「なるほどねえ……」
実際に術式が使えている時点で、属性種別なんてのはあまり関係ないのかもしれない。
ただ、七歳でこの思考に至ることが、少し危険にも感じる。
「ところで、人形師の知り合いはいないかな?」
「人形?」
「そう、できれば人形が作れる人がいいんだけど」
「んー……ああ、いるな。いるけど、あたしが簡単に声をかけれる相手じゃない。それこそ師匠くらいなら……」
「師匠? あなたは騎士になる前に、誰かに師事を?」
「なんだ聞いてないのか。あたしやお前の母親、それから父親も短い時間だが、師匠に教わってたんだよ。同じ門下生ってやつだ。ほかにも二人くらいいるけどな」
「初耳だよ。……その人が、最初に教えてくれたことは?」
「あ? 確か、正しく立て、だったはずだ」
「詳しく」
「背筋を伸ばしてまっすぐ立つと、かかとで立つことになるんだよ。だから足全体で立とうとすると、軽く前傾になる。まずは足の裏の感覚に従え――ってな」
「いいね」
彼は二度ほど頷いた。
「成長と共に大きくなった胸を両腕で持ち上げると楽だから、よく腕を組むあなたも、それはそれで正しく立っているとは思うけど、ぼくも教わりたいな」
「余計なことはともかくも、教わる? お前が?」
「ぼくは興味が赴くままに魔術を学んでるけど、決めていることがある。女性には優しくすることと、――できないって言葉をできるだけ口にしないことだ」
「できるだけ、ね」
「不可能なこともあるからね。でも、できるかできないか、なんてことを言うよりも、やるかやらないか、この二択の方がよっぽど好感度が持てる。これを基準にしてるんだ、ぼくは何でもやりたいね。でもそうすると、父さんに相談した方がいいのかな?」
「いや、あいつは短かったし、あたしが一番若いから、母親に話を通した方がスムーズだろ。あたしからも声をかけておいてやる」
「助かるよ。報酬は何を望むかな?」
「いらねえよ、何言ってんだ」
「無料ほど怖いものはないからね。じゃあ借りにしておこう。いつかぼくが、それなりに動けるようになったら、恩を返すよ。さすがに十年後にあなたと結婚するなんてことは、難しいだろうけどね。ぼくもそろそろ婚約者も決まるんだろうし」
「期待しちゃいないよ……」
「そう? 魅力的だから、すぐに相手くらい見つかると思うけど」
「馬鹿言え、あたしはもう少し遊んでたいし、遊び終えた頃には手遅れだってことも納得してんだよ、めんどくせえ」
「それでいいって相手もいそうだけどね」
「あたしの話はいんだよ。――それで? 結局、お前の属性ってのは何だったんだ? 自分で調べたんだろう、どうせ」
「ああ、
「――全部だと?」
「うん、一通りね。まあ雷が使える時点で、何かしらの細工があると考えてもらって構わないよ。実際にどうなのかは内緒だ。秘密は女性の特権じゃないからね」
「いや、ちょっと気になるんだが、なんだその一言多い軽口は」
「なごむだろう?」
「……まあいいけど。じゃ、お前の父親にはぼかして報告しておくよ。特に問題はなさそうだ、好きにさせろってな」
「ついでに、お小遣いを上げてくれと付け加えてくれてもいいんだよ?」
「それはお前が頼め。……いや、まあ見る限り、金はかかりそうだな」
「いろいろ試したいんだけど、金銭的な面で難しいものは保留にしてあるよ。ともかくフェルミさん、その師匠って人への連絡は頼むよ。どうも、まず剣を握って、なんて言う家庭教師とは合わなくてね」
「じゃあ走り込みから始めるか?」
「それはもうやってる、無理のない程度にね」
「諒解だ。じゃあパストラル」
「ラルでいいよ、親しい人はそう呼ぶから」
「いつ、あたしと親しくなったんだ?」
「人を紹介してくれるくらいには」
「なるほど、良い返しだ。じゃあラル、今度は面倒がない時に逢おう。いや、それとも
「どちらになるのかを楽しみにしておこうよ」
立ち上がり、近づいてきたパストラルは右手を差し出した。
「よろしく頼むよ」
「……おう」
だから、フェルミもその手を握り返す。
「ったく、ガキがする挨拶じゃねえよ」
「そうかい? 相手を選んでるつもりだけどね」
「生意気な」
握手を終えた手で頭を乱暴に撫でたフェルミは、小さく笑って部屋をあとにした。
面白い。
たった数分の会話だけだが、休日をもう少し潰してでも根回しをしても良いと思えるくらいには、面白い子だ。
とても子供とは思えなかったが、それも含めて。
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