第一章②

 地下室以外はひたすらノスタルジックなだけで、どこかを開けたらピカピカの隠し部屋があって最先端のハイテク機器がお目見えするとか、壁一面にズラリと武器が並んでいるなんてこともない。ハイテクどころか、狭くて暗くて急勾配な押入れの階段なんて、注意を払わないと転落しそうになる。

 戸外との出入りに使うのは、もっぱら二階の部屋の玄関だ。だから外出のたびに、外階段も含めて都合三階層分の昇降を余儀なくされる。

 ただ、地下室以外は使えないってわけじゃなく、建物内にある出入口のかぎは全て渡されていた。

 空っぽの三階はいろせた畳の上で昼寝するくらいしか用途がないものの、電気、ガス、水道などの生活インフラが機能している二階はアパートで使っていた家具家電を置いて、カムフラージュの住居としての体裁を整えてある。初めて訪れたときは土足で上がり込んだ室内も、転居後は靴を持って移動していた。

 本当なら二階の玄関で靴の脱ぎ履きを完結できれば面倒がないのに、一階の廃店や地下室が土足とくる。これについては遠からず改善を求めたいと、中野はひそかに考えている。

 そのほかには屋上の出入りも自由で、天気さえ良ければ洗濯物を干したりビールを飲んだりと、なかなか快適な使い方ができた。

 一方、長閑のどかな地上とは違って、地下空間は同居人が心置きなく銃をぶっ放すための完全な防音仕様となっていた。入口のいかつい扉もそのためらしい。

 の正面に位置するドアは射撃訓練スペースの出入口で、特殊な壁を組んだ細長い内部は跳弾防止がどうとか、停弾装置がどうとか──坂上が一度、気のない口調で簡単に説明してくれたけど早々に忘れてしまった。

 さらに、そんな部屋があるにもかかわらず、室内に入ってすぐの壁一面が跳弾防止材で覆われ、簡易のバックストップとして使われている。

 ちょっとぶっ放したい、だけど射撃訓練部屋に入るのは面倒……というときに、坂上がふらりと弾を撃ち込むための仕様だ。が、そんな気分になること自体、中野には理解しがたい。

 とにかく、相変わらず帰ったり帰らなかったりの同居人がいないとき、扉を閉めてしまえば外界の音が何ひとつ入ってこない部屋で中野はひとり過ごすことになる。

 深夜、不意にうなり出す冷蔵庫のモーター音で目覚めるほどの、かんぺきな静寂。お年寄り並みにテレビのボリュームを上げようが、大音量で音楽を聴こうが、近所からの苦情なんか一切こない防音室。ただし、どちらもしようとは思わない。

 ここで暮らしはじめた頃、中野は一度こう尋ねたことがあった。

「俺までこんな生活しなきゃならないぐらい、アパートの事件を目撃したのってヤバいことだった?」

 すると数秒の沈黙を挟んで、坂上は素っ気なく答えた。

「知らないほうがいい」

「あ、そう……でも家をこんなに頑丈にしても、普通に毎日会社行ってるしさ。外で何かが起こるはいくらでもあるよね」

「その可能性は低いし、できる手は打ってある」

「どんな手?」

「あんたが知る必要はない」

「あぁ……そう」

 会話はそれだけだった。

 喉に手を突っ込んで情報を引っ張り出せるなら試してみるけど、そういうわけにもいかない。それに、何だかんだ言ったところでまた引っ越すのも面倒だし、こんな部屋だからこその利点がないわけでもない。


 筒状の金属がゴトリと音を立てた。

 ダイニングテーブルの上では、さまざまな形状のパーツやら小さなピンやらスプリングに至るまで、完膚なきまでにバラされた銃の部品が神経質なくらいちようめんに整列している。

 地下室での共同生活がはじまると、坂上は中野の前で堂々と鉄砲を出すようになった。それでもいまだに彼の素性も、アパートの侵入者たちの正体もわからない。指示されたとおり警察に説明した作り話が、あんなにざっくりした内容にもかかわらず、あっさり済んでしまったこともに落ちない。だけどいたって教えてくれないから、真相を知る努力はとっくに放棄していた。

 中野は目の前で進行中の作業を見るともなく眺めて、ボトルビールを口に運んだ。

 黙々と銃のメンテナンスをする彼の姿は、夢中でブロックを組み立てる男児をほう彿ふつさせなくもない。違うのはまなしくらいか。夢や好奇心があふれる子どもの目と異なり、坂上のそれは一切の熱がこもらない。

 ところが、見た目が普段と変わらないからって、油断して話しかけようものなら生命の危機が訪れる。

 彼の場合、特に分解と組み立て、とりわけ組み立て時が最も要注意で、一度そのタイミングで鉄砲の素材について質問しかけたら無言で別の銃を向けられた。

 おざなりに向けただけじゃない。片手でしっかりグリップされたソイツが真っ直ぐこちらを狙い、銃身の延長線上からせいひつな目がピタリと中野をとらえていた。人差し指はトリガーガードの外に出していたとは言え、要するにそれくらい腹立たしいってことなんだろう。

 以来、銃の分解がはじまったら声をかけないことにした。

 中野はリモコンを引き寄せ、テレビをオンにしてボリュームを絞った。銃のメンテナンス中であっても話しかけさえしなければ、テレビをけようが電話をしようが坂上は気にも留めない。

 二人ともバラエティ番組は好きじゃないから、動画配信サービスの海外ドラマにチャンネルを合わせて適当に番組を選び、ボトルをひと口あおる。

 坂上が持ち帰るビールに決まった銘柄はなく、大抵は海外の銘柄で、都度さまざまなものがお目見えした。今夜のラベルは、頭に王冠をいただいた騎士みたいなファッションのキャラクタがプリントされている。商品名を見る限り、どうやらコイツはゾンビらしい。

 特徴的なフォントを直訳すると、ゾンビの──ちり

 中野はゾンビの塵を飲みながら画面のドラマを目で追い、時折テーブルの向こうの同居人を観察した。

 銃の世界には明るくないから、いまそこで分解されているのがどこのメーカーの何というモデルなのかも、並んだパーツたちがそれぞれどんな役割を果たすのかも知らない。ただ、集中している彼の顔を眺めるのは好きだった。

 やがて、坂上が慣れた手つきで銃を組み直し、グリップにマガジンを突っ込んで遊底をスライドさせるなり、前方に腕を伸ばして立て続けに三発ぶっ放した。

 中野の隣の席越しに飛んでいった鉛玉が入口脇のバックストップに吸い込まれたであろうことは、振り向いて確認するまでもなくわかった。

 が、ちょうどそのときテレビの画面でも元FBIエージェントの女がきゆうてきである上司の胸倉に同じ数の弾をらわすところで、臨場感がありすぎる効果音付きでそのシーンを鑑賞した中野は、ゆっくりと同居人に顔を向けてこう言った。

「撃つ前にひとこと言ってくれると有り難いな。この距離だと、さすがにびっくりするから」

「いるのを忘れてた」

「またまた、そんな」

 坂上はそれ以上反応せず、テーブルに銃を置いてキッチンに消えた。

 中野も椅子を立って彼を追い、冷蔵庫をのぞき込む背中に近づいた。鉄砲のメンテナンスを終えた直後で神経がゆるんでいるのか、ボトルビールを手に振り向きかけた横顔は心なしか無防備に見えた。その腰を抱いて冷蔵庫に押しつけ、後ろから耳に唇で触れると、腕の中の身体がかすかにこわるのが伝わってきた。

 め取ったみみたぶにはピアスホールのこんせきがあった。右にひとつ、左に二つ。そこにピアスが刺さっているところを中野は見たことがない。

「あんた、ピアスしないの?」

 尋ねると低いつぶやきが返った。

「しない」

「せっかく開いてんのに?」

「開けたのはガキの頃の若気の至りだ」

「へぇ、そんな頃のあんたも見てみたかったな」

「────」

 何か言いたげな風情の短い沈黙が訪れ、すぐに素っ気ない声音が投げ出された。

「とにかく、もうその穴は使わない」

「なんで?」

「質問が多いな、あんた」

「ピアスの穴を使わない決意の理由ぐらい、別に教えてくれても良くない?」

「目印を作らないために装飾品を使うのをやめたってだけだ」

 もっともらしい答えではあった。坂上には個性というものがない。

 形状と配置は整っているのに、そうと思って見なければ気づかないぞうさく流行はやりとは無関係のシンプルな髪型、服装。何かが起こったとき、その場にいた人々の記憶に最も残りにくいタイプ。日々、何をしているのかは知らないけど、ヤバい仕事に絡むなら無個性は最大の隠れみのだろう。

 会話はそこで途切れ、その先は彼の服をぎ取ってベッドに沈めるまで、大して時間はかからなかった。

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