序章③

 落ち着きを取り戻した中野は、ようやくクリアな頭で死体が増えていることを認識した。ひとり目の男のそばに、別のスーツ姿が一体転がっていた。

 あの二人は、坂上相手に腰を振る中野の尻を目撃した可能性が高い。つまり、男が他人ひとさまに見せるべきじゃない姿のひとつを、どこの誰とも知れない野郎たちに見られてしまったことになる。

 ただまぁ不幸中の幸いで、その光景についてどうこう思われたりふいちようされたりする心配はなかった。何しろ彼らはもう死人だ。

「ソイツら、誰?」

 ひとり目の身体を足先で引っくり返している背中にいてみた。が、答えはなく、坂上は男たちの懐からスマホやカードケースらしきものを抜いて引き返してきた。

「いいか、俺が消えたらあんたは通報しろ」

 そう言いながらデニムを穿いて腰の後ろに銃を突っ込んだ彼は、しわになったチェックシャツをTシャツの上に羽織り、こう続けた。

「既に近所の誰かがやってるかもしんねぇけど、とにかく警察がきたら、知らないヤツらがいきなり入ってきてドンパチやらかして、コイツらを撃った犯人は逃げてったって言うんだ。どうやって入ったのか訊かれたら、たまたまかぎをかけ忘れてたってな」

「あぁ……うん?」

「言ってることわかってるか?」

「わかるけど、そんなざっくりしてて大丈夫?」

「いいから言うとおりにしてくれ」

「じゃあさ、逃げてったのはどんなヤツだったかって訊かれたら何て言えばいい?」

「任せる」

 坂上は短く答えてドアの隙間から外を覗くなり、滑り出るように姿を消した。

 ひとり残された中野は、テレビの中でもドンパチが繰り広げられていることにようやく気づいた。緊迫したBGMに、マズルから噴き出す高圧ガスのサウンドがランダムに入り混じる。しかし残念ながら、リアルに間近で耳を打たれた直後では比較にならないほどリアリティに欠けていた。

 身なりを整え、言われたとおりに一一○番しようとスマホを手にして、倒れている二人を見るともなく眺めた。いま、彼らの下にはまりが広がりつつある。

 銃撃戦はおろか、目の前で人が殺されるのも、血を流す死体とともに置き去りにされるのも、何もかもが初めての体験だった。なのに、本来感じるべきであろう恐怖心や戸惑いみたいなものは一切なかった。せいぜい、シュルレアリスムの芸術作品でも鑑賞しているような気分でしかない。

 いわゆる喜怒哀楽が標準より少なめだという自覚は、これまでもあった。

 坂上と逆だ。彼は表現するのが苦手なだけで、はらうちに詰まった沢山の感情が窮屈そうにいているように見える。

 片や、中野の内側には積極的に動くヤツがいない。己の裡にいる怠惰なむしたちは思い思いの巣にこもって出てこようとせず、だから幸い、居所が悪いということも滅多にない。

 ソイツらは、直面する出来事がデカければデカいほど面倒を察知して動かなくなる。情動という名の蟲たちは一匹残らず寝床に引き揚げ、全てが他人ひとごとみたいに息を潜めて同じ反応を示す。

 そのレスポンスコードを返すのは自分の役割じゃない──と。

 今夜、こうして人間の生死が絡むに直面したことで、中野は改めて自認した。死体に動揺するような蟲は、どうやら己の裡にせいそくしないらしい。だけどソイツは欠如じゃない。単なるのうの特性だ。

 医学的には何らかの障がいなのかもしれない。だとしても、物事に興味が湧かないというだけで病気扱いされてはたまらないし、むしろ表面的には平均以上に円滑な社会生活を送れているという自負もある。それに、死体を前にあらぬ興奮をおぼえるような性癖と比べたら、何も感じないほうが遙かに健全だろう。

 とにかく死体はどうでも良かった。そんなことより、この状況がもたらす厄介のほうが頭痛の種だった。

 これが手の込んだ悪ふざけでもない限り、得体の知れないめ事に巻き込まれたのは疑いようがない。明日あしたも仕事で、朝イチから会議まであるってのに、この調子じゃ寝不足で朝を迎えそうな予感がする。そもそも今夜はここで寝られるのか。どこかへ移動することにでもなれば、さらに時間のロスが生じてしまう。

 気になることはほかにもあった。

 つい先日フルオーダーで作ったばかりのビジネスシューズが、二番目に撃たれた男のかかとで踏まれているようだ。間違いなく型崩れしそうだし、もしも血の染みなんかついてしまったら、いくらはつすいコーティングされていてもアウトなんじゃないか。

 が、起こってしまったものをあれこれ考えても仕方がなく、いまは坂上に言われた手順をこなすしかない。

 中野はいきを吐いてスマホに目を落とした。


 通報の電話で、巻き添えをらっておびえる不運な住民を装うのはぞうもなかった。

 通話を終えた中野は、テーブルの上にあったボトルビールを一本洗ってゴミ箱に放り、もう一本を口に運ぶ途中で、ふと思いついて洗面所に入った。坂上の歯磨きセットを捨てるためだった。指示されてはいないけど、同居人の存在をぎ取られるようなアイテムは処分したほうが無難な気がしたからだ。

 歯ブラシが挿さったプラカップを手に、ほかに捨てるべきものはなかったか……と考えながら部屋に戻ったところで足が止まった。

 倒れていた男たちの片割れが、生命の残りかすを絞り尽くさんとする面構えで銃口をこちらに向けていた。

 ──死んだんじゃなかったのか?

 疑問と空白が訪れた一瞬後、男の額に小さな穴があいた。

 ハッと振り返ると、テレビ画面の中からこちらに銃を向ける映画の主人公と目が合った。その銃口からわざとらしく漂う、ひと筋の硝煙。

 ──まさかアイツが撃ったのか?

 半ば本気で思ったとき、ベランダの出入口に立つ人影にようやく気づいた。

 去ったはずの坂上がそこにいた。右手には相変わらず黒い鉄砲がある。銃声を聞いた気がしないのは、テレビの音声に紛れたせいかもしれない。

「あれ? あんた、どっからきたんだ?」

「ベランダ」

 放るようなひとことが返ってきた。

 窓の鍵開いてたっけ? とか、どんなルートで二階のベランダに戻ってきたんだ? という疑問が頭をかすめたけど、どちらも口にするのはやめて代わりにこう尋ねた。

「忘れ物?」

「もしかしたら生きてたかもしれないって、途中でふと思って」

 主語は、いま仕留めた男だろうか。

 だけどそれって、たまたま運良く間に合っただけで、手遅れだった可能性も大なんじゃないのか──? 思ったが、これも口にはしなかった。過ぎたことを言ったところで意味はないし、実際に間に合ったんだから終わり良ければ何とやら、だ。

「でも狙われてんのは俺じゃなくて坂上、あんただよな? だったら、あの」

 と、中野は立てた親指を侵入者たちに向けた。

「死に損なってたヤツが俺をる必要はないと思うんだけど、アイツはなんであんなに頑張って俺を撃とうとしたんだろう? 死んだフリしてれば助かったかもしんないのにさ」

「目撃者だからじゃないか?」

 坂上は素っ気なく答えてスニーカーのまま中野の横をすり抜け、倒れている男たちの頭部に駄目押しの銃弾を撃ち込んだ。それから振り向いて言った。

「あんた、なんでそんなに落ち着いてんのか知らねぇけど、警察がきたらちゃんと怯えてみせろよ」

「落ち着いてる理由なんて別にないけど、わかってるよ。任せて」

「それと、この部屋はすぐ引き払え」

「やっぱり、そうなる?」

「金庫のカネを遣ってくれていい」

「まぁ、足りなかったらね。ところで引っ越し先は近場でも大丈夫なのかな。やま通りとか青梅おうめ街道を渡って、反対側に移動する程度とかでも?」

 彼はイエスともノーともつかない無言の目をした。

「だって別のエリアに引っ越したら、俺とあんたが中野と坂上じゃなくなるだろ?」

「────」

「今度は二部屋あるところに引っ越して、あんたのベッドも用意しておくよ」

 だからいつでもくればいい。

 そうつけ加えるかどうかを迷ったとき、サイレンの音が聞こえてきて、気を取られたわずかな隙に今度こそ同居人は姿を消していた。

 中野は数秒放心して、暗い掃き出し窓を見るともなく眺めた。そういえば、彼は外から戻ってきたはずなのにれた様子がなかった。雨はもう止んだのか。

 ふと、窓枠の隙間に挟まる白い紙片が目に入った。

 メモ用紙くらいのソイツを抜き取ってひらくと、十一けたの数字が走り書きされていた。単純に考えれば電話番号だろうか。そういえば自分たちはこれまで、互いの連絡先すら知らなかった。

 ひょっとして、戻ってきた本当の理由はこれだったとか──?

 考えて、まさかと打ち消す。

 外階段を駆け上がってくる複数の足音が響いて、すぐにせわしないノックと警察官を名乗る声が飛んできた。

 中野は紙切れをしりポケットに突っ込んでひとつ息を吸い、怯える一般市民の顔を作って応答を投げ返した。

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