3-2

 ◇ ◇ ◇



 冬休みにはいる、少し前のことだ。

「クリスマスも近いし、三人でどっか行かね?」

 日野がそう言い出したのは、気温も下がり、それまで溜まり場にしていた教室棟の屋上がさすがに寒く、屋上に繋がる中央階段近くの、少し開けたスペースで何をするでもなく三人で集まっていた時だった。

「塾のない日なら、俺は構わんが……」

 春日はそう答え、少し離れた場所で、壁に背をつけて本を読んでいる相模の方を見る。

「相模はどうだ?」

 日野に言われ、相模が本に向けていた視線を二人へ向けた。それから少し考えた顔をして。

「……最近、母さんたち仕事忙しいらしくて、土日も家にいないから、早めに帰れるなら行けると思うけど」

「お、マジで?」

「家にいなくて、大丈夫なのか?」

 春日の問いかけに、相模は少し呆れたような顔をして見せる。

「家にいろって言われてはいるけど、別に監視されてるわけじゃないし」

「なるほど」

 やはりどこか、中途半端なところがある。

 家に閉じ込めて守りたいのかと思っていたが、居なくなるなら勝手にいなくなって欲しいというような、二つの感情が見え隠れする対応だ。

「さすがにあんまり遠い場所だと、厳しいけどね」

「駅の反対側にある商店街は? 商店街の広場でクリスマスマーケットやってるんだって。そのくらいなら平気だろ?」

「まぁ、それなら」

「んじゃー決まり! 相模ん家の近くの、公園で待ち合わせな!」

 相模の返答に、日野が嬉しそうに笑ってそう言った。



 塾のない日曜日。

 春日が自転車で待ち合わせの公園までやってくると、すでに日野が来ていて、こちらに向かって手を振っていた。

「相模は?」

「すぐそこだし、もういると思ったんだけど」

 どうやらまだ来ていないらしい。

 待ち合わせの時間を決めた金曜日、都合が悪くなった時に連絡が取れるよう、スマホを持っている春日と相模で連絡先を交換していて、ちょうど春日が家を出る少し前に、分かりやすく公衆トイレ近くのベンチにいるから、とメッセージが来ていたのだが、見当たらない。

 薄墨を広げたような曇天。

 滑り台やブランコなどのほか、バスケットボール用のゴールなどもある広い公園だが、少し寒くて雪の予報も出ていたせいか、まったく人の気配がなかった。

 ひとまず、メッセージにあった、公衆トイレ付近にあるベンチへ向かう。やはり人影はない。

 ふと、トイレに一番近いベンチのすぐ足元に、本が一冊落ちているのに気付いた。

 地面の上で、小さな砂を被っていた本を拾い上げてみれば、相模が金曜に学校の図書室で借りていた本だった。

「あれ、その本」

「来てはいる、みたいだな」

「じゃあ、トイレ、かな?」

 すぐ近くの公衆トイレに、電気は点いていない。

 なんだか嫌な予感がした。

 トイレに行きたくなったからといって、たとえ慌てていたとしても、本好きの人間が本を地面に落としたままにするとは考えづらい。

 春日はポケットからスマホを取り出すと、相模宛に電話を掛けた。

 呼び出し音。電源は入っている。

 耳を澄ますと、小さく振動する音が、トイレ近くの草むらから聞こえた。日野がその辺りに駆けていき、音の出所を捜索すると、

「あ、あった!」

 振動を響かせていたスマホを日野が拾い上げる。画面は着信を知らせる表示になっていて、そこに『春日』と出ていた。

 間違い無く、相模のスマホだ。

「えっ、じゃあ、やっぱ来てる?」

 スマホをその辺の草むらに放り投げて、そのままにするわけがない。

 春日はスマホを切り、日野と二人でトイレの入り口へと近づく。

 中を覗いてみると、やはり手動で入れる電灯のスイッチはオフになっており、天気の悪さもあってより薄暗かった。

 男子トイレの明かりを点ける。

 トイレ内はコンクリートの壁に、床には水色のタイルが貼られ、比較的綺麗だった。壁に沿って小便器が二つ並び、その反対側に個室が三つ。

 そのうち一番手前にある個室が一つだけ閉まっていた。

「相模ー? いるのかー?」

 日野が個室に向かって大声で呼びかける。

 内側から、ゴンッ、と妙な音がした。陶器製のトイレタンクに、何かがぶつかったような音。

「相模ー?」

 トイレの中で動けなくなっているのだろうか。日野がドンドンと強く個室のドアを叩きながらもう一度呼びかける。

 しかし、内側から人の気配と小さな身動ぎのような物音はするものの、応答のノックも返答もない。

 春日はチラリと個室の上のほうを見た。天井と個室の壁の間には隙間がある。

「日野、ちょっとどけ」

 そう言って日野を個室のドアから離すと、春日は数歩下がり、短い助走をつけて個室のドアを駆けのぼるようにして上部を掴んだ。そのまま懸垂の要領で身体を上へ引き上げると、天井と壁の間の隙間から個室の内側を覗き込む。

 暗い色に英字の刺繍がされた、ブルゾンを着た大きな背中が見えた。

 その背中からタンク側にむかって角刈りの頭が生えている。その頭がぐるんと天井付近から覗くこちらを向いた。

 ギラギラと目を血走らせた、見知らぬ男の顔。

 その下に、口を大きな手で塞がれ、便座に押さえつけられた状態の相模が見える。

「見えたか?」

「……いた!」

 日野の問いかけに答えながら手を離し、地面に着地すると、春日はそのまま思い切りドアの鍵部分を蹴りつけた。

「春日?!」

 驚く日野に構わず、数発の蹴りで鍵を壊すと、内側に小さく開いたドアを掴み、殆どそのまま外すような勢いでこじ開ける。

 バキバキと割れるような音と共に開かれた個室内部で、履いていたズボンを中途半端に下げた状態の男が、驚いた顔でこちらを見ていた。

「なんだお前?!」

 春日は叫ぶその男の肩を掴んで、個室から引き摺り出す。分の悪さに舌打ちをし、男は慌てて逃げ出そうとしたが、春日はその男の腕をガッチリと抱え込み、そのままトイレの奥の方に向かって鮮やかに背負い投げた。

 男の履いていたズボンが宙を舞い、タイルの床に叩きつける音と、鈍い悲鳴がトイレ内に響く。

 もう動けなくなっているはずだが、どこか気が収まらず、春日は組み伏せた男の襟首を掴むと、その顔面にひたすらに拳を振り下ろした。

 日野は目の前の出来事に呆然としていたが、ハッと気付いてこじ開けられた個室の中を覗き込む。トイレの便座の上で、泣きじゃくり怯えた顔の相模がこちらを見ていた。

「相模! 大丈夫か?!」

「……いやだ、くるな! 来るな!!」

 怯えた顔で叫ばれ、困惑する。連れ出そうと手を伸ばすが、腕を振り回し拒絶されてしまう。多分混乱しているんだろう。

 どうしたものかと考えていると、トイレの奥のほうから、人を殴っているにしては、あまりよくない音がし始めた。

「春日、そのへんにしとけ! それより相模を!」

「……ああ」

 慌てたような声の日野に呼ばれ、肩で息をしていた春日は男の襟首を掴んでいた手を離すと、個室のほうへ向かう。

「日野は警察に連絡してくれ」

 自分のスマホを日野に渡すと、そのまま個室の中に入る。

 混乱し、怯えた顔の相模が、便座の上でこちらを睨んでいた。

「くるな!」

 叫びながら振り回す腕を掴み、喚く顔にぐっと自分の顔を近づける。

 綺麗な黒い目が涙で濡れていた。頬に涙の跡がいくつも残っている。

「俺はお前に何もしない!」

 そう言うと、ようやく視線がかち合った。

 目の前にある顔が春日だと分かったらしく、瞳の中に光が戻ったように見える。

「……あ」

 青ざめて強張っていた相模の顔が、ゆっくりと安心したように緩んだ。

「ほら、掴まれ」

 そう言って伸ばした腕を掴んできたので、そのまま引き寄せるように抱き抱えると、トイレの外へ出た。

 外に出ると、遠くからサイレンの音が聞こえてきて、俄かにあたりは騒がしくなった。

 住宅街の一角、薄明るい公園内で赤いランプが明滅する。人気のなかった公園周辺には一気に野次馬がやってきていた。

 警官に起きたことを一通り説明すると、少し遅れてやってきた救急車に相模を預ける。

 しかし、すぐ救急隊員に「君も乗りなさい」と言われてしまった。

 指摘されて、男を殴りすぎたらしい手が血塗れになっているのに気付いた。すぐに自分の血ではないと断ったのだが、

「お前も! 乗る!」

 ものすごい形相の日野に言われ、仕方なく春日も相模を乗せた救急車の荷台に乗り込む。

「こっちはオレが話をしとくから、お前は手当てしてもらうのと、相模の付き添いしてろ!」

「……助かる」

「気にすんな!」

 にこやかに返す日野を残し、救急車はサイレンと共に発進した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る