第3話 染谷正義の憧れ①
学校の敷地内だと、またいつ彼らに出くわすか分からない。
念のため、彼女を駅前まで送り届けることにした。
改札口の前は平日の昼間ということもあってか、あまり人も多くない。とりあえず柱の手前に立って、辺りを見回した。
そこに彼らの姿は見えない。
「あの、お兄さん」
見やると、女性は安堵したように手を合わせてこちらを見ていた。
「改めて、本当にありがとう。……しらばっくれられたときはどうしようかと思ったけど」
「べつに。当然のことをしたまでだし」
「人助けをするのが当然っていえるのって、なかなか難しいことだよ」
「そうかな」
考えたこともなかった。というか、人助けをしたという実感もあまりない。
ただ、目の前に「正義の味」の匂いがしたから味見しに行っただけだ。
けれど、まあ。
それなりに。
「……感謝されるのも、悪い気はしないな」
「え、今まで感謝されたことないの?」
「ない」
「どうして?」
「僕の行う正義は、たいていの人にとって都合が悪いんだ」
「でも、私はきみに助けられたよ」
「それは単なる副産物だよ。僕はきみを助けたかったというより、僕なりの正義に基づいて、彼らを否定したかっただけだから」
そう言うと、彼女は顎にゆびを添えて考えるようなしぐさをする。
「……あーね。なるほど」
やがて彼女は、くすっとはにかんで言った。
「つまりきみは、ちょっとこじらせちゃってる系の
正義主義者。
頭のなかで、咀嚼するようにその言葉を反芻する。いい
「確かに、お兄さんはあんまり周りとなじめる性格はしていないかもね。でも、私はきみのこと嫌いじゃないよ。助けてくれたし。……もっと性格の悪い言い方をしていいなら、きみの
言うと、彼女はゆっくりと眼鏡を外した。
それだけでどこか、雰囲気が変わったような気がする。
自分より少しだけ低い背格好も、生地の厚い地味な服装も、柔らかい笑顔を浮かべた表情も変わらないのに、ただ赤裸々になった碧い瞳があらわになっただけで、彼女の「魅力」としか表現しようのない何かが、辺りに広がっていくようだった。
「私の名前は
それは、とても有名な名前だった。その手の話題に頓着がない僕でも知っているほどに。
日辻真幸。
それは大手アイドルグループ「RANTI」のセンターを飾る名前だ。
2
初めて来たライブ会場は、想像以上に密度が濃いものだった。
光る棒(ペンライトと言うらしい)を剣のように携えた人や、白いシャツの真ん中に大きなハートマークを付けたいい年の大人たちが、男女関係なくうじゃうじゃと会場を埋め尽くしていた。
果たして、なぜ僕がこんな場所にいるのかというと。
『――週末、RANTIのライブがあるんだ。よかったらお礼に招待してあげる』
日辻に誘われたから、というよりも。
……半ば強引に来させられたからだ。
『その代わり、条件があるんだけどいいかな』
『お礼をくれるのに条件が必要なの?』
『ごめんって。でも、私にとってめちゃくちゃ大切なことだから』
あのとき、日辻に課せられた条件は三つ。
・校内に日辻真幸がいることを公言しないこと(卒業まで隠し通す気らしい)。
・日辻真幸が助けを求めたら、それを必ず叶えてあげること。
・日辻真幸とお付き合いをすること。
『待ってくれ? 他はともかく3つ目はどういう意味だ』
『どういうって、そのままの意味だよ』
『日辻が僕と付き合うってこと?』
『……まあ、うん』
彼女は気まずそうに目線を泳がせる。
が、僕はそれ以上に困惑で眉が動く。
まさか日辻真幸ともあろう人気アイドルが、僕のような人間に一目惚れするなんてありえないとは思うし、仮にそうだったとしてべつに嬉しくもない。
むしろこんな
『……その。勘違いしないでほしいんだけど、今日の件できみに惚れたとかそういう話じゃないよ?』
『よかった。むしろ安心したよ』
『それはそれでなんか複雑だなあ。……ごほん。とにかく、私は卒業するまで自分がアイドルグループのメンバーだってことをバレたくない。だから普段、目立たないような服装とかメイクとかを心がけてるの。……けど、今日みたいに勘が鋭い人の前だと、どうしてもボロが出かねないじゃない? だから校内で一人、秘密の共有者がほしかったの。できればいざって時のために力の強い男性で、口が堅そうな人がいいなあって』
『口の堅さはともかく、力は強くないよ』
『高望みばっかりしてたら、それこそいつまで経っても見つからないよ。それに、こうして出会えたのも何かの縁だと思うしさ。私はきみがいいなって思う』
『……それなら確かに、友人から始めるより恋人から始めた方が都合がいいな』
『そういうこと。……あっ、でもあれだからね。キスとかそういうのは、本当に仲良くなってからじゃないと認めないからね。恋人なのは、あくまで肩書なんだから』
『求めてもないから安心してほしい』
『やっぱりなんか複雑だなあ……私これでもアイドルなんだけど……。ま、まあ、これくらいドライな方がべたつかなくてちょうどいっか』
彼女は改めて咳払いで空気を切ると、まっすぐ僕を覗きこんだ。
『これが、私の提示する条件。……いや、お願いかな。受けてくれる? お兄さん』
『……じゃあ僕からも、一つ条件を出そう』
『どんなこと?』
『お兄さん呼びは、もうやめてくれ』
求められていることに対して、自分の提示する条件があまりにも低いことに、思わずふっと笑みが浮かぶ。
『僕の名前は正義。染谷正義だ』
わずかな会話の空白が生まれる。
日辻も同じことを思ったのか、勢いよく吹き出した。
『えぇ? そんなことでいいの?』
『簡単だろ?』
『いやいや、簡単もなにも……。ていうか、あれだね。最初のときから思ってたけどさ』
日辻は溢れそうになる笑いを堪えながら。
『面白いやつだね、正義くんって』
初めて言われたよ。
そう言うと、「だろうね」とまた笑った。
つまんないね、正義くん @5316
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