聖女様が嫌いな私の話

マツリカ

本編

 

パシン!


 目の前にある扉の奥から鋭い音が聞こえた。使用人に連れられて追い出された部屋からは二人分の高い声。優雅なお母様とのお茶会に現れたのは、最近家族になったリリスだった。リリスは元平民で、聖女候補に選ばれるほど強い光の魔力を持つため、私の家に養子として入ってきたのだ。その件がお父様の独断だったものだから、最近屋敷の中はひどく荒れている。


 彼女がいるとお母様の機嫌は急降下してとても手につけられない。なにか悪いものが取り憑いたかのようにリリスと口論するのだ。せっかく、久しぶりに穏やかだったのに。

 ため息をついた私に使用人が声をかけた。


「ミラ様。そろそろお稽古の時間でございます」

「知っているわ。……自分で行くから先に行って」

「かしこまりました」


 ぼうっと扉の前に立ち尽くす。見えていないのに、私は鮮明に向こうの光景を思い浮かべることが出来た。


「このっ……!汚らわしい、豚の娘め!」

「っ!……ねぇ、お義母様。私を叩いて満足するのならそれで良い。でも、私のお母さんを侮辱するのだけはやめてください。お母さんは、とても立派な人だった!」


 可憐な、しかし意志の強さを感じる声だ。きっと頬を叩かれても、泣き出しもせずに見つめ返しているのだろう。暴力に訴えず、言葉だけで相手に寄り添おうとする。あぁ、それは、


 ――なんて、生意気な。


 腹の内から炎のように狂い出す熱が、全身を焦がしていく。歪んだ顔はきっと他人に見せられるものではなかった。

 常に淑女であれ。常に落ち着いて、仕草は優美に、感情は穏やかに。それが学園で習う淑女の鉄則ではあるけれど。このままじゃ淑女とは口が裂けても言えない。


「汚らわしい、汚らわしい、汚らわしい!何もかも奪っておいてっ……何でわたくしがお前など!」

「ッ……ひ、ぐぅッ!」


 部屋の中で物凄い音を立てて、何かが倒れた。先程まで使っていたカップはもう割れているだろう。お母様のお気に入りだったから、きっと不機嫌になる。


「ほら、ほら、立ちなさい!あの女みたいに立ち上がりなさいよ!」

「…………」

「ふ、ふふふ、無様だわ。貴女、なんにも出来ないんだもの。魔法も、礼儀作法も、流行も知らないんだもの。わたくしのミラに敵うはずないものねぇ?」


 お母様の言っていることは的外れだ。彼女はつい最近貴族としての教育を受けることになったのだから、何も知らなくて当たり前。でも、宝石や流行で自分の権威を高めることしか出来ないお母様からしたらそれは格好の弱点でしかない。



 そろそろ落ち着いてきたかしら。部屋の中は静かになって、時折お母様の声が聞こえるくらいだ。それなら、大丈夫。私はそう思って扉の前から立ち去った。

 彼女が言った言葉も知らずに。



「お義母様……貴女は、哀れですね」




♢ ♢ ♢



「そう、それで彼女は君のお母様によって作られた青あざをつけたまま学園に来たんだ。お友達は大激怒、ますます君の家は敵視される」


 そう言って笑ったのは幼馴染であるカイル・レンダークだ。国有数の魔法使いとしても名高い子爵令息。シュッとした切れ長の碧眼を細め、形の良い唇を歪める微笑みは芸術品のように美しい。


 美しい、のだけれど。


「あっはっは!そのせいで君は今泥に塗れて無様に這いつくばっている訳だ。うんうん最高に面白いね!」

「馬鹿みたいに笑っているところ悪いのだけれど、早く手伝ってくださる?土魔法で沼を作られて抜け出せないの」


 泥まみれになった制服や髪をなんとかしようと奮闘している時に笑われたら、いくら天使のように優しくても気分が悪い。それにこの性格が壊滅的な男の笑みはロクなものじゃないと幼少期から知っている。


「確か、魔女と聖女だっけ?君達姉妹につけられたセンスの良い渾名は」

「それをセンスが良いと思う貴方のセンスは最悪ね。……あぁもう、スカートが汚れてしまったわ」


 汚れたスカートをつまんで舌打ちをする。泥沼に落とすなんて幼稚で下品な悪戯をするなんて、貴族としてのプライドがないのかしら。それとも、リリスのご友人は庶民だったのかしら。土魔法なんて証拠が出やすい魔法を使って悪戯するなんてどこまでも頭の足りない人だったに違いない。

 カイルは悪戦苦闘する私を愉快そうに見ながら特に何もしない。余計なことをされるよりはマシだけれど、どこまでも奴の性格は終わっていると再確認した。


 そして更に“終わってる”のはカイルが私の婚約者であるということ。魔力の釣り合いだとか家格の調整だとかで進められている婚約だ。もしこんな奴と結婚したら碌でもないことになるに決まっている。


 そんな未来は絶対に回避してやろうと睨みつけても、カイルは朗々と歌うようにお喋りをして全く気にかけない。


「それにしても魔女である君が彼女を虐めていると学園中が信じて疑っていない構図は出来の悪い喜劇のようだ。あまりにありふれていて、面白みがカケラもない」

「彼女――リリスが学園中を味方につけている、というのは私にとっては悪夢でしかないわ。学園なんて無くなってしまえば良いし、面白半分な野次馬も消し飛べば良いのだわ」

「酷いな、ここに君の物語を楽しみにしている観客がいるというのに。僕のことは無視するのかい?」

「観客ならば登場人物たちからは見えなくてよ。それに手伝いもしないならさっさとお帰りになって」


 しっしっと追い払おうとするも、カイルは諦めず私の手を取り身体を自分の方に引き寄せた。

 至近距離で見た顔は相変わらず憎たらしいほど美しい。そして更に顔が近づき、そっと耳に吐息がかかる。


「つれないことを言わないで。僕は本当に君を思っているんだから」


 蕩けそうなほど甘く、甘く囁かれた言葉。それに対して私は――思いっきり足を踏みつけた。


「痛っ!」

「いい加減素直に吐いたらどう?貴方は、私が、困っている姿を見るのが好きだって、ね!」

「いやそれももちろん好みだが君の嫉妬で煮えたぎる感情の方がより好みというか……」

「ふぅん?誰が、誰に嫉妬しているですって?」

「それは君がリリス嬢に……痛っ!」


 学園の制服といっても女子用はそこそこヒールがある。それで思い切り踏んだものだからカイルは足を押さえてぴょんぴょん飛んだ。その様はひどく滑稽で、間抜けで。腹の底から笑ってしまった。


「ふっ、ふふ、貴方が子ウサギのように飛び跳ねるのを見たら憧れている女子達はなんて言うかしら」

「相変わらず君は性格が悪いな!」

「あらお互い様じゃない?」


 小さい頃から性格が歪みまくっていたカイルによって私まで性悪になってしまったではないか。この責任はいつかとって貰おうと考えている。……主に新しいドレスとかで。


「君の性格が悪いのはお母様譲りだと思うけど。有名だからね、ラザーノ伯爵夫人のヒステリックは」

「人のお母様に対して随分だこと」


 まぁ、否定はしない。お母様は普段は貴婦人であろうと努力しているのだが、それがプチンと切れてしまうのだ。リリスに関することは特に。

 とある小さなお茶会でリリスの話題が出た時喚き散らして遂には泣き出したものだから、貴族の間では有名になってしまったのだ。人の噂は早く、ラザーノ伯爵家の弱みとして知られてしまいお父様は激怒した。それで余計にお母様のヒステリックに拍車がかかったのだが。


「なのにラザーノ伯爵令嬢である君はこーんなに冷めているから魔女だなんて呼ばれるんだよ。君、人前でチラリとも表情を変えないし」

「……別に、表情を変えるのが面倒なだけよ」

「それでラザーノ伯爵家は我が子に対して愛を注がず、冷え切った家族関係だと思われている。そこに哀れにもリリス嬢が養子として迎え入れられたから、さぁ大変!元は庶民であり現在は聖女とも名高い彼女がそんな家でやっていけるのか……今貴族達の間で大注目イベントだね」

「…………」

「何でもリリス嬢は伯爵の隠し子だという噂まであるとか……事実かは不明、だが現在リリス嬢がラザーノ伯爵家で不遇の扱いを受けているのは事実。さて、真実は如何に?」


 ふうっとため息をつく。カイルのこういうところが嫌いなのだ。芝居がかった大袈裟な動作で私を茶化してみせるところが。

 人の弱みを面白おかしく引っ掻き回して、遠くから眺める彼の姿を知るのはほんの数名。そのせいで年頃の令嬢達の中ではカイルは優良物件だと評判だ。実際はこんなにも性格が悪いのに。


 


 カイルの性格が悪いのは百も承知なのだから、無視すればいい。何を言われても反応しなければいい。それなのに、そのはずなのに。


「何回聞いても酷いなこれは。僕だったらもう少しマトモな脚本を書くとも。少なくとも君は親の犠牲者だ――ってね」

「……うるさいわよ」

「それなのに君ときたら、一緒になってリリス嬢を憎むんだから救えないよ」

「……黙りなさい」

「知ってるかい?リリス嬢が今一番仲が良いのは第二王子殿下さ。他にも騎士団長の息子だとか勇者の子孫だとか、あぁ公爵令嬢様とも親友と呼べる間柄なんだっけ?みんな慈悲深く美しい彼女に首ったけ。その内ラザーノ伯爵家は潰されるかもしれないね」

「黙れと言っているでしょう!…………それでも、私はお母様を愛しているわ」


 続けた声は自分が思うより細く頼りない。頑なな私にカイルは呆れたようだった。お手上げだと言わんばかりに肩をすくめ、泥で汚れたスカートや髪をじろじろと眺めて言う。


「惨めじゃないか。あの母親は君を愛していないのに」

「関係なくてよ。別に愛されたくて愛しているんじゃないわ」

「……うーん、相変わらず分からないなぁ」


 心の底から不思議だ、と首を傾げられる。私も理解して貰おうとはしていないから好都合だった。



 その場から立ち去ろうとした私にカイルは最後、「そのまま外に出る気?ほら綺麗にしてあげるよ」と水魔法を使ってきた。セクハラだわ、と口から出かけた言葉を飲み込み大人しく魔法をかけられる。

 肌を走る清浄な水が荒ぶった心を少し落ち着かせた。カイルは繊細な魔法の使い方が上手いのだ。絶対に言ってはやらないが。





 家に帰ると、案の定お母様はリリスと口論をしていた。よくも飽きないものだ、言っていることはずっと変わらないのに。

 ところがその日に限って私にも矛先が向いた。リリスの一つ一つの仕草をこき下ろし全てに難癖をつけるだけなら良いのに、やたら私を褒め称えるのだ。


「ねぇ、貴女もそう思うわよね?わたくしの可愛いミラ」

「えぇそうね、お母様」


 間髪入れず同意すると、お優しい聖女様であるリリスは傷ついたように顔を背けた。まったく何を期待しているというのだろう。私がお母様に逆らうはずないのに。

 

 ところが予想外にもリリスが口を開いた。


「……お義母様、いい加減にしたらどうです?自分の娘まで巻き込むなんて。貴女のその癇癪に付き合わされるミラにどれほどの悪影響があるのか知らないのですか?」

「なんですって……?わたくしがミラに何をしたというの!」

「そりゃあ誰だって人に噛み付いてばかりの母親を持つ子供になんて近づかないです。貴女のその行動のせいでミラは学園で孤立してるんですから!」

「そ、そんな出鱈目……!」

「嘘だと思うならミラに聞いてください。貴女の悪評のせいでミラまで悪く言われてるんです!」

「…………」


 あぁ、驚いて声も出なかった。まさかリリスがそんなことを言い出すなんて。確かにお母様の影響で私の評判は悪いけれど、それを言うなんて。

 というか、リリスは気づいていたのか。ご友人方に大切に大切に守られて、学園での私の評判なんて知らないとばかり思っていた。


 黙ったままの私をお母様は信じられないような目で見る。そしてすぐに形だけの微笑みを浮かべた。


「ミラ。何か、言って?」

「…………」

「嘘よね?否定するわよね?まさか――」

「もちろん、お母様は関係ないわ。ただ、少しだけ私が失敗しただけですから」

「そう、そうよね!でもミラってば学園で浮いているの?それでは大人になって社交界に出る際に困るわよ。きちんと学生の内から人脈を広げなければいけないわ。大丈夫、わたくしの子だもの。きっと上手く出来るわ」

「えぇ。お母様のように社交界の花になることが目標だもの」


 自分で言っておいて、なんて白々しいのだろう。でもこの目標は決して嘘ではないのだ。幼い頃、まだリリスの存在を知る前。私は確かにお母様のことを目標としていた。周囲は魔性に魅入られたかのようにお母様をちやほやしていたし、それを当然のように受け取るお母様はひどく美しかった。そんな姿に憧れていた。……今は、ちょっと分からないけれど。


 嬉しそうなお母様はペラペラと若い頃の武勇伝を話し始める。それを聞いているフリをしながら、ちらりとリリスの方を見た。そして直ぐにそれを後悔した。


 痛ましげに歪んだ表情。彼女は、リリスは、私を憐んでいた。何故、リリスが私を憐れむ?理解できなくて、不気味だった。彼女に同情されるなんて、と怖気が走る。

 


 幼い頃から憐れむ視線が嫌いだった。私は可哀想な子じゃないのに、お母様のことを愛しているのに、周囲の人々はクスクスと噂する。


『あんなヒステリックな母親を持つなんて』

『ラザーノ伯爵家は崩壊寸前だとか』

『愛されない子。なんて可哀想なの』


 パーティーに出る度、両親が喧嘩する度に言われる言葉。子供に罪はないだとか、あんな家に生まれるなんてとか。正義ぶった眼差しで私を見定める人達。自分の物差しでしか他人を測れない人達。それが、燃やしてしまおうかと思うほどに、嫌いだ。


 そしてリリスにそんな風に見られるのは、ひどく屈辱で――恐ろしかった。

 



 そこからの記憶はあまりない。お母様はリリスに興味をなくしたのかもしれないし、まだ言い争っていたのかもしれない。少し具合が悪いと退出した私を使用人が労るような目で見ていた。いや、それすらも私の妄想なのかもしれない。


 ただ、ひどく疲れていた。


 ベットに横になり目を閉じても眠気は来ない。ぐるぐると頭の中をお母様とリリスの言葉が巡る。あの二人の口論などいつものことなのだから無視しておけば良いのに、今日に限ってそれが出来ない。


「……大丈夫。忘れなさい、ミラ。あと少しの辛抱よ。だってあと少しでリリスは聖女となるのだから」


 そう、あとほんの少し我慢していれば良い。そうすればお母様は落ち着いて、前までのような生活に戻るのだ。あの退屈で閉鎖的で、それでいて安穏な私とお母様の世界。リリスが正式に聖女に選ばれてこの家を出ていけば全てが良い方向へ向かうのだから。


 だから、私は耐えられる。


 そう考えているうちにやっと眠気がきて、それに抗わずに眠りに落ちた。




♢ ♢ ♢



 そして、ついに正式にリリスが聖女として認められる日がやってきた。


 そもそも、聖女とは何か。

 古い伝説によれば、世の闇を払い世界を良い方向に変える力を持った女性のことを聖女と呼ぶ。慈愛に満ち、強い光の魔力を持って人々を癒す聖なるヒト。魔を見ることの出来る瞳を持ち、聖女がいるだけでその国は豊かになり、その美しい心によってどんな悪人でも一度話せば改心してしまうという。

 ただ、現代における聖女は少し違う。強い光の魔力を持っている少女という点は同様だが、その基準は教会が決めている。別に魔を見る瞳や癒しの力は無くても良い。つまるところ、教会の権威を象徴し国をまとめるために選ばれた者が聖女となるのだ。


 だからまあ、結局のところ出来レースだ。教会は自分達に都合の良い少女達を選定し、王族や貴族がその中から好みで聖女を決める。だから見目の良い少女が多いし、ある程度の後ろ盾がないと聖女にはなれない。

 ラザーノ伯爵家はこれでも建国時から続く名門であるし、リリスの見た目は十分に美しい。さらに高位貴族に友人がいるとなれば聖女の地位は確定したようなものだ。


 さらに、聖女といえば騎士。

 聖女が決まる時、五人の騎士も神託によって選ばれる。そして彼らは巡礼を行うのだ。そんな御伽噺が現実に行われる、ましてやその騎士に第二王子殿下が選ばれるかもしれないとくれば、学園中が盛り上がるのも当然だった。


 誰もがそわそわしている明るい雰囲気の学園で、針の筵である私の隣でカイルは言った。


「だからといってリリス穣が聖女に選ばれるなんて。あぁ、なんと退屈で面白みもなく興醒めな結末なんだろう!ちっ、本当に貴族連中はつまらない」

「貴方も貴族ですけれど。それにリリスが聖女なんて誰でも納得する結末でしょう。一体何が不満なの?」

「へえ。君までそう言うのかい?あんなに義理の姉妹を疎んでいる君が?」

「えぇそうよ、残念ながら。リリスが聖女ということには酷く、心の底から、納得しているわ」


 だって、そうとしか形容し難い。リリスの行動を思い返しながら私はカイルを鼻で笑う。


『初めまして、ミラ!貴方と姉妹になれて嬉しいわ』

『敬語の方が良いと思ったけれど、それじゃあ舐められるって言われて……貴族って難しいのね。色々教えてくれたら嬉しいわ』

『学園に行け、なんて!ちょっと無茶よね。でもミラがいるなら大丈夫だわ』

『ミラ、お義母様に……何か言われたかしら。余計なお節介だったらごめんなさい。ただ酷く傷ついているように見えたから……』


 明るく、優しく、慈悲深い。誰にだって平等で誰にだって好かれる。ただお優しいだけなら良かったのだ。でも彼女は、リリスは――


「私が一番知ってるわ。リリスの強さ、リリスの美しい心を。彼女はね、優しいだけじゃなくてとっても強いの。理不尽だと感じたら立ち向かうし、自分の主張を曲げないけれど、相手のことを極限まで尊重するの。受け入れられなくても、それを察しても、態度を変えたりしないの。自分の出来る範囲で全力を尽くすし、範囲外だったとしても諦めないで最後まで別の方法を探すの。本当に、聖女の心を持っているの。……私がそれを、一番知ってる」


 私がリリスを疎んでいると、リリスが気づいた時。彼女はひどく悲しそうな目をして、何かを言いかけて、それを飲み込んだ。それからあまり話しかけてこなくなった。たまにこちらを見ていると感じる時もあるけれど、距離をとって私のことを尊重してくれた。彼女はそれによって酷く傷ついているというのに。


「……参ったな。鉄仮面の君にそんな顔をさせるなんて」

「うるさいわよ」

「ははは、それならリリス穣が好きだと認めてしまえば良いのに」

「……嫌いだわ。この世の何よりも嫌い。でも、」

「この世で一番認めてる、だろう?君の難儀な性格は分かっているとも。……見ていて面白いし、ね」


 片目を閉じてキザに笑うカイル。全くもってこいつは性格が悪い。ただそんな性格の悪さに救われる自分がいるのも確かだった。


 カイルが立ち上がって手を差し出す。私は少し癪になりながらもその手をとった。


「ほら、君がそんなに気にする相手の晴れ舞台だ。学園の生徒が全員強制参加なのは納得いかないが、聖女の儀式へ向かおう」

「ありがとう、そしてそんなに嫌なら着いてこなくていいわよ。どうせ私の反応が見たいだけでしょうし、ねっ!」

「ははは」

「何なのよその笑い方!」



 たぶん、きっと。

 この時が私にとって最も美しい時間だった。





♢ ♢ ♢



 カイルと共に聖女の儀式が行われる聖堂へ行くと、そこはもう人でごった返していた。一目でいいから聖女誕生の瞬間に立ち会おうと王族から平民まで熱心に前を見つめている。これでも関係者のため、最もリリスに近い座席へと移動する。ざわざわとこちらを見る視線が不愉快だった。


 そこには既にお母様がいた。目にした瞬間、カイルから表情が消える。人のお母様になんて目を向けるんだ、と思いながらも私はお母様に駆け寄った。


「あぁ!ミラ!やっと来たのね、こんな場所にいるなんて不快でしかないわ、早く終わらないかしら……あら、カイル殿もいたのね」

「ご無沙汰しております」

「そう、婚約者と仲が良いのは良いことだわ。ただもう少し慎みを持ちなさいね、ミラ。今後カイル殿と子を産む時に周囲からなんと言われるか分かりませんからね。でも流石わたくしの子、こんなに婚約者を夢中にさせてしまうなんて、ふふふ」

「えぇ、お母様の子ですもの」

「まあ!ふふ、貴女が隣にいてくれればこの空間でも耐えられるわ。良い子ね」


 そう言ってお母様は私の頭を撫でる。慈愛のこもった目でひどく嬉しそうに撫でられると、触れたところから暖かいものがぽかぽかと身体に流れていくような気がした。ごてごてと飾られたネイルが私に一切当たらなかったことも、お揃いの家紋の入ったブローチを付けていることも、何もかもが嬉しかった。


 お母様に聞こえない小さな声で、カイルがぼそりと呟く。


「全く、本当に、全然分からない……何が良いんだ」

「いいのよ。お母様がお母様であるというだけで私は愛しているんだもの」

「僕に愛してるなんて言ったことないくせに……まぁ君のそういう自分の愛を誇りに思っているところが好きなんだけども」

「あ、そう!」


 赤く染まる頬を隠すように、私は前をむいた。お母様もカイルも前を向く。聖堂がぼんやりと暗くなる。



 儀式が始まった。


 淡く光るトーチを持ったリリスが聖堂に火を灯す。白いシンプルなドレスを着た彼女は、見た人全てが聖女だと納得するような、神に愛されるとはこのことかと感じるような、そんな神聖な姿をしていた。

 誰かがほう、と息を漏らす。私も知らず知らずのうちに息を止めていたようだ。それほどにリリスは美しかった。


「汝人々に認められし乙女、その聖なる魔力を持って世の魔を払うことを誓うか」

「はい、誓います」

「汝聖なる魔力を持つ乙女、その慈愛の心を持って世の為に成すべきことを成すと誓うか」

「はい、誓います」


 朗々と聖句を読み上げ、誓いの言葉を口にしていくリリス。

 跪き、祈りを捧げ、誓う。

 時間も忘れ、誰もがその姿に魅入っていた。



 一連の儀式が終わり、リリスがふう、と息をついて笑顔を見せると周りから割れんばかりの拍手が鳴り響く。カイルも私も、聖女に祝福の拍手を贈る。


 だが。

 背中につう、と冷たいものが伝った。見ると、横にいるお母様が拍手している周囲に対し憎悪の目線を走らせていた。


 ぱち、ぱち、ぱち


 周囲からは未だ大きな拍手が聞こえるというのに、私とお母様の間だけ何の音も無くなったような気がした。誰もいないお屋敷のような、そんな寂しい静寂を感じた。


 私に気づいたお母様は微笑む。すっかり止めた拍手を見て微笑む。私もつられて笑みを浮かべた。誤魔化すように、安心させるように。


 そんな私を止めたのは、儀式を担当する司祭の声だった。


「これより、聖女に仕えし騎士の選定を行う!」


 わっ、と拍手が更に大きくなる。誰だろう誰になるかな誰が良いだろう、そんな声があちこちから聞こえてくる。

 ふと、近くにいた集団に目を向けた。第二王子や公爵令嬢――リリスと親しくしている者達の集団。彼らは一際大きな拍手をしながら、聖女への祝福と自分が選ばれる自信を持って顔を明るくしていた。

 

「一人目は――」


 呼ばれる度に歓声が上がった。

 勇者の子孫、騎士団長の息子、平民から成り上がった騎士(彼はリリスの幼馴染だとか)、そして第二王子殿下。神に選ばれた騎士達は嬉しそうに、誇らしそうに聖女へ忠誠を誓っていく。リリスも馴染みのある彼らが自身の騎士となることに照れながらも、ほっとしているようだった。



 そして、最後の一人。誰になるだろう、と観衆の注目を浴びながら、司祭は騎士の名を呼ぶ。




「最後の騎士は――カイル・レンダーク!」


 ひゅっ、と。

 呼吸が止まった。


「……うそ」


 うそだ、嘘だ。あり得ない。

 だってカイルは私の婚約者で、リリスとほとんど話したことなんてなくて、礼儀作法だって最低限だし、騎士なんて似合わないし、幼い頃から捻くれていて性格も悪くて。そして私のことを、好きだと、言ってくれて。


 でも、彼は。

 国有数の魔法使いで、地位も見た目も聖女の騎士にふさわしい。


 全てが遠い出来事のように感じた。顔から血の気が引いていく。周囲の音が聞こえなくなっていく。

 人々の歓声も、驚愕して固まるカイルも、私を見て辛そうに目を伏せるリリスも、霧がかかったかのように全てが曖昧で煩わしい。


 だって、当たり前のことじゃない?そう囁く誰かが頭の中にいる。

 貴女みたいな女にカイルが付き合ってた方がおかしいんじゃない?聖女様にはカッコいい騎士が必要じゃない?一番の理解者面してリリスやカイルに心配をかける貴女ミラなんて、邪魔でしかないでしょう?

 

 分かっている、分かっていた。カイルに自分がふさわしくないことくらい。リリスにお似合いなことくらい。でも、でも、だからって。

 そう駄々をこねる私の思考は、金切り声で断ち切られた。


「嘘よ!」


 お母様。立ち上がって、顔を真っ赤にして、リリスに掴みかかろうとして衛兵に抑えられた。ヒステリックに叫び出す。


「嘘、嘘、嘘!だってカイル殿はわたくしのミラの婚約者だもの!わたくしの娘からも奪うつもり?!この卑しい女狐め!何が聖女よ、貴女なんて卑怯で穢らわしい豚の娘でしかない!」

「ち、違います!騎士を選ぶのは私の意思じゃありません!」

「あぁ嫌だわ!わたくし達貴族に近づいて、今度は何を要求するの?!男を誑かすことだけが得意な母親にそっくり!」

「っ、」

「何よ、喚きなさいよ、いつもみたいに反抗しなさいよ!無理よねぇ、そんなことしたら聖女様じゃなくなるもの!」


 平民を見下すお母様らしい言葉。みっともなくて醜い、その喚き散らす言葉。誰かが見ているとかそんなことを忘れ去ったお母様の姿は、普通見ていて嫌な気持ちになるものだろう。


 なのに、私は。

 どうしようもなく嬉しくて愛おしい。


 あまりの姿にドン引きしていた衛兵達が、追い出そうとお母様を掴みあげる。

 でもそれを止めたのはリリスだった。


「待って下さい。……本当は、後でやるつもりでした。きっとひどく傷つけるから。きっと嫌われてしまうから。でも、それでも、その姿はあまりにも哀れだわ」


 リリスは真っ直ぐにお母様を見つめる。

 聖女はその手を暴れる女へと向けた。彼女の身体が輝き出す。


「お義母様。貴女は魔に憑かれています」


 その言葉に、聖堂中がどよめいた。驚愕の視線がお母様を捉える。


「きっと、最初はただの嫉妬だったのでしょう。小さな魔を宿していただけなのでしょう。でもそれが私に――聖女に会って活発になった。だから、貴女は……」

「う、うるさいうるさいうるさい!何が魔よ、何が聖女よ黙りなさいこの女狐!私はどこもおかしくなんかないわ私は魔に取り憑かれてなどいないわ!この嘘つきめ!」

「いいえ!だって、私には貴女に取り憑いた魔が見えるもの!」


 聖堂のざわめきが最も大きくなった。 

 現代の聖女は魔が見えないというのが当たり前。だが、リリスには見えるのだ。リリスは本当に、伝説の聖女そのものだった。

 その事実は誰もが驚愕するにふさわしいものだったし、リリスならばと納得するもの。緊張に包まれた聖堂がお母様とリリスを捉えた。


「出て行きなさい、魔のモノよ!この哀れな人を解放しなさい!」


 一際リリスの輝きが眩しくなる。私でも感じる光の魔力が辺りを満たす。全てを浄化し、魔を追い出す聖なる光をリリスが操る。美しい光が最高潮に達すると――お母様から黒いモヤが湧き上がった。




 リリスの言うことは本当で、お母様は魔に憑かれていて、――あまりにも長く魔に囚われていたお母様は、ことり、と糸が切れたように死んだ。それはもう、呆気なく。


「これで魔は払われました。もうこの人を侵すモノは無いでしょう。……ごめんなさい、お義母様」


 リリスは涙を流した。そのあまりに物悲しく美しい姿、そして魔を払った聖女への期待で、聖堂は今日最も大きな歓声を上げた。


 これは最も新しい聖女の伝説。

 慈悲深い聖女の物語、その一番初めの頁。

 自分を虐げた義母にまで憐れみを持って最期を与えた、聖女リリスの原点。




 に――なった。



 私は聖堂から逃げ出した。


















♢ ♢ ♢




「はあ、はぁっ、は、……」


 息が切れる。貴族令嬢としてあり得ないほど取り乱して、聖堂に背を向けて走る。


 たえられない。


 無理だった。もうあの場になんていられなかった。リリスが正しいあの空間に一秒たりともいたくなかった。


 だって、お母様が死んだのだ。

 リリスによって殺されたのだ。


 魔に憑かれていた?ずっと?

 そんなこと信じられなかったし信じたくもなかった。


 理性は言う。

 リリスが正しいと。お母様はおかしくなっていたと。魔が払われて良かったじゃないかと。人としての尊厳は守られたのだから、リリスに感謝しなくてはいけない、と。

 感情が言う。

 嫌いだと。リリスなんて大嫌いだと。カイルを取ったリリスが憎いと。愛おしい、大好きなお母様を殺したあの女を許せない、と。


 自分が間違っていると分かっているからこそ、辛かった。納得出来なかった。どうすれば良かったのか分からなかった。


 涙が溢れて止まらなかった。誰もいないところへ行きたかった。


 ひとしきり走って物陰に座り込んだ。身体中の力が入らなくて、世界は真っ暗で、全てが私の敵であるかのように感じた。



 このまま死んでしまおうと、そう思った。





 だから、その声が信じられなかった。


「……ミラ、」

「……なんで、カイルがここにいるの。はやく、リリスのところへいきなさいよ。聖女様の騎士よ、とっても名誉な役割だわ。貴方に勿体無いくらい」


 いつものように軽口になっているだろうか。気にすることなんてないと言えているだろうか。

 カイルにだけは見つけられたくなかった。でも、カイルだけには見つかる気がしていた。


 涙を見せたくなくて顔を俯かせる。すると、カイルが私の側にかがみ込んだ。


「断ったよ」

「……は?」

「聖女の騎士、断ったのさ」


 あまりにも軽く言うものだから、最初何を言っているか分からなかった。


「リリス穣も罪悪感を感じていたみたいだし?辞退したいと言ったら了承してくれたとも」

「……は、」

「僕にとったら君といる方が楽しいからね。あまり僕の愛を舐めないで欲しい」

「だって、でも、」

「君のその矛盾だらけで、醜くて――だからこそ人らしい心が愛しい」

「え、あ、……」

「だから……死なないでくれ」


 いつも飄々として、余裕ぶっていて、胡散臭く笑うような人だ。なのに、


「君が好きなんだ」


 最後の言葉はこれまで聞いたことのない必死の響きを持っていて。先ほどまでとは違う、透明な雫が流れた。




 これは物語にはならない。

 慈悲深い聖女の伝説の裏側、傷ついた心の話。

 ハッピーエンドにはならなかったけれど、カイルに救われた私の話。

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