第3話 お話の世界なら

『今日は、学習発表会でなにをやるか決めました。わたしがぼんやりしている間にいつのまにかみんなは手をあげていてびっくり。なんと、わたしの一言で劇に決まってしまいました。ダンスがしたかった、となりの席の小林君にはにらまれてしまいました。わたしのせいじゃないのに。あーあ、もっと早く手をあげればよかったな。そうしたら、きっと、なにも言われずにすんだのに。にらまれずにすんだのに』


 日記帳に、そこまで書いてわたしは手を止める。

 なんだかさえない一日だったみたい。そのとおりなんだけど、日記帳に書くとさらに今日あったことがずしんとくる。だけど、書かずにはいられない。日記帳にはきだすと、ちょっとだけ今日が過去のことになったみたいに思える。なんでかな。

 一日の終わりに日記を書くのは、わたしの日課だ。最初は国語の授業の宿題だった。クラスのみんなが日記を書いて、先生が赤ペンで返事を書いて返してくれていた。

 今はそんな宿題はないけれど、おこづかいでかわいいノートを買ってきて毎日書いている。

 わたしは伸びをしてから、日記帳をぱたんと閉じる。なんだか今日はすごく疲れた。

 明日になったら小林君も今日のことを忘れてくれているかな。そうだったらいいな。わたしは、まだちょっとびくびくしてしまうと思うけど。

 今日のあったことばっかり考えていたら、頭がきーんとして眠れなくなってしまう気がする。

 わたしは本棚からお気に入りの本を手にとって、読みかけのページを開く。わたしがすきなのはファンタジー。

 そういえば、香苗ちゃんは劇で別の人になれるのが楽しいって言ってたっけ。

 わたしは劇で他の人の役がやりたいとは思わない。だって、誰かに見られているのは怖い。失敗したら怖い。

 別の世界に行っているような気分になれる劇も、見るだけなら大好きなんだ。だけど、自分がなにかの役をやるのは別。

 本は違う。

 本の中でならなんにでもなれる。人前にも立たなくていい。誰にもじゃまされない。

 わたしはわたしだけの世界で冒険者にもお姫様にも、動物にだってなれる。

 大好きな世界の中で、好きなように冒険できる。

 だからわたしは本が好き。お話が好き。

 ページをめくって、お話の中に入り込んでいるうちに、わたしは今日あったことなんていつの間にか忘れていた。

 嫌なことがあっても、この世界にいる間はとっても幸せな気分でいられる。わたしがわたしじゃないみたいに。

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