1 妹は悪役令嬢③

 目が覚めた時、ユリシスは寝室に寝かされていた。広い寝室にはてんがい付きの大きなベッドと調度品、全身が映る鏡や簡単な書き物をする机や椅子が置かれている。いつもの見慣れた自分の寝室だ。いつの間にか夜になっていたようで、ベッドの傍にあるサイドボードにはランプの明かりがともされている。

 ベッドの脇には椅子が置かれ、沈痛な面持ちのイザークが座っていた。

「う……」

 ユリシスは何度か瞬きをして、うめき声を上げた。ハッとしたようにイザークが身じろぎ、すぐにユリシスをのぞき込む。

「気がつかれましたか、公爵様」

 起き上がろうとするユリシスを助け起こしながら、イザークが言う。イザークは今年二十六歳になるユリシスの執務補佐官だ。平民だが、王立アカデミーを首席で卒業した頭脳めいせきな男だ。赤茶色の髪に、とびいろの瞳、背が高く、ひょろりとしている。五年ほど前に本人が公爵家に売り込みに来て、有能さを買って採用した。先を読む力に優れていて、仕事能力は右に出る者がなかったので、今では常に傍に置いている。

「俺は……俺は、どうした?」

 ユリシスは上半身を起こしながら呻くように言った。痛む頭に手を当てると、包帯が巻かれている。

「公爵様、痛みはございますか? 公爵様は公女様をかばって、階段から落ちたんです。頭から出血して、大変なことになるところだったんですよ」

 イザークに教えられ、階段を落ちた記憶が脳裏によみがえった。

「イザベラは!? イザベラは無事か!?」

 思わず大声を上げたのは、ユリシスにとってイザベラはたった一人の家族だったからだ。イザベラを失うことは耐えがたい痛みだった。

「落ち着いて下さい。公女様は無事です。公爵様がかばったので、怪我一つありません。今は自室にいらっしゃいます」

 イザークになだめられ、ユリシスはホッとして肩の力を抜いた。

 イザベラは十五歳のまだ少女といっていい年頃だ。白い肌にぱっちりした青い目、ユリシスと同じく青みがかった長い銀髪、美少女といっていいだろう。

 氷公爵と呼ばれる自分にも弱点はある。唯一の家族、イザベラだ。イザベラのためなら何でもしようと思っているし、どんなおねだりも聞き入れ、どんなわがままも受け入れた。

 そのイザベラが無事と聞き、ユリシスは心からあんした。

「イザベラが無事ならいい」

 頭の痛みも忘れ、ユリシスはひと息ついた。

「俺はどれくらい意識を失っていたんだ?」

 どんよりした様子のイザークに尋ねると、「十時間ほどです」と言われる。階段から落ちたのが昼時だったので、窓の外は真っ暗だ。

「出血はありましたが、医師の話では、傷は深くないそうです。明日あしたまた、医師に診てもらって下さい」

 イザークはちらちらとユリシスを見て、ため息をこぼす。いつも冷静沈着といった様子のイザークが何か言いたげなので、ユリシスも気になった。

「俺が寝ている間に、何かまずいことでも起きたか?」

 イザークは平民だが、論理的な思考を持ち、公爵である自分にもおくさない性格をしている。何度も危ない場面を助けられたし、信頼が厚いのだ。そのイザークが何か大きな重荷を抱えているそぶりなのは、非常に気にかかる。自分が死にかけて危機感でも持ったのだろうかと思ったが、イザークの悩みはそんなものではなかった。

「公爵様……。今から私が話すことを、真面目に聞いてもらえますか?」

 重々しい口調でイザークが切り出し、ユリシスはまゆを寄せた。

「何だ? 俺がお前の話を真面目に聞かなかったことでもあるか?」

 ユリシスがムッとして聞き返すと、イザークが苦笑する。イザークはユリシスの背中に大きな枕を二つ置き、楽な体勢で話ができるようにした。

「そうですね。あなたはいつも私の話に重きを置いて下さいます。……実は私には、前世の記憶があるのです」

 言いづらそうに話し始めた内容に、ユリシスは面食らった。

 前世の記憶……?

「どう説明したらよいのか……。私はこの世界で生まれる前に、別の世界で生きた記憶があるのです。そこは文明の発達した世界で、……私が発明したと言われる魔法具は、その世界で日常的に使われたものを模したものだったのです」

 ちらりとこちらをうかがいながら、イザークが言う。魔法具と言われて、驚いた。そもそもユリシスがイザークを傍に置こうと決めたのは、イザークがいくつかの画期的な魔法具を発明していたからだ。髪を即座に乾かす温風を発する魔法具や、食料を冷たく冷やして保存期間を延ばす魔法具、夏の日に風を送る魔法具など、イザークは天才的な発明品をいくつも作っている。公爵家にその魔法具と自分を売り込みに来た時に、ユリシスはこの者は天才だと気づいた。素晴らしい発明品の数々をどうして自分で売り出さないのか疑問に思ったが、平民出のイザークは貴族社会につてがないと言い、公爵家でこれらのものを売ってほしいと頼み込んできた。イザークの経歴を知り、すぐにユリシスは契約した。発明品は瞬く間に売れ、イザークは働かなくてもいいくらいの資金を得た。イザークはユリシスのために働きたいと申し出たので、その頭脳を見込んで右腕としたのだ。

「あれらのものを日常的に使う世界……?」

 イザークの話を簡単には受け入れられなくて、ユリシスは首をかしげた。

「はい。何故私が公爵家に魔法具を売り込みに来たかというと、公爵様が実力主義であることを存じていたからです」

 ユリシスの顔色を窺いつつ、イザークが続ける。

「実は私には未来が分かります」

 思いがけない発言がイザークの口から出て、ユリシスはぽかんとした。

「いきなりこんなことを言われても信じられないでしょうが、実は今日公爵様が公女様をかばって階段から落ちてこめかみに怪我を負うのも、すでに決められていたことだったのです。お会いした時には傷がなかったので、きっと単なる偶然とこれまで思い込んでいたのですが、パッケージの絵の通り公爵様が傷を作って、私もこれ以上黙っているわけにはいかなくなりました。その……説明がとても難しいのですが、公女様は悪役令嬢なのです……」

 徐々に歯切れの悪い口調になったイザークに、ユリシスはますます困惑した。

「パッケージの絵とは何だ? 意味が分からん。悪役令嬢? 貴様、俺の妹をろうする気か」

 自分のことはともかく、イザベラを悪く言われると頭に血が上る。ユリシスが険しい表情で身を乗り出すと、イザークが慌てて手を振る。

「滅相もありません。ともかくですね」

 イザークがキッとまなじりを上げて、ユリシスをくような目で見てくる。ふだんは淡々としているイザークが珍しく強い姿勢で話してくるので、ユリシスも驚いた。イザークは大きな決意を持って自分に話している。

「このままでは、公爵様は大変危険な状態になります」

 こぶしを握りながら言われ、ユリシスは目が点になった。

「三年後には王家に反逆して、最悪の場合処刑されるんです! 私はそれを阻止したい!」

 いきなり反逆と言われ、ユリシスはあつにとられた。

「ちょっと待て、何で俺が反逆者になるんだ? 王家とは仲良くもないが、反逆するほどでもない。第一、イザベラは第一王子の婚約者だ。えんせきとなる王家に歯向かう馬鹿がいるか」

 あらぬ疑いをかけられて、ユリシスは失笑した。イザークは頭がおかしくなったのかと思ったのだ。もしかしたら、仕事の詰めすぎかもしれない。有能ゆえに仕事を振りすぎたのかも。

「それが問題なんです! 公女様はこのままいくと、王子から婚約破棄され、処刑されます! それに激怒した公爵様が、王家を滅ぼそうとするんです!」

 イザークに声を荒らげられ、ユリシスはあきれ返った。イザベラが婚約破棄? 処刑? やはりイザークは頭がいかれている。王家との婚約が破棄されるなど、よほどのことでもない限りあり得ない。何故妹が処刑されるのか。それに王家を滅ぼすなんて、一公爵家にできるはずがない。公爵家が所有する兵はあるが、王家のものとは比べ物にはならない。

「イザーク、少し働きすぎたか?」

 ユリシスは同情気味に告げた。

「は?」

「未来が分かるなど、訳の分からないことを言い出すくらい、疲れているということだろう? まさか俺が怪我をして、精神的疲労でも感じたか? 俺は大丈夫だ。すぐにこんな怪我、治る」

 ユリシスがぽんとイザークの肩をたたくと、ムッとしたように腰を浮かせた。

「本当なんです!」

 イザークはムキになったように言うが、そんな馬鹿らしい話を信じるほど愚かではない。

「分かった、分かった。やはりお前にばかり、仕事を割り振りすぎたな。お前が期待にこたえてくれるから、つい……。今後は少し、調整しよう」

 ユリシスは疲れを感じて額に手を当てた。イザークの途方もないほら話を聞いて、頭の痛みが戻ってきた。

「俺はもう休む。お前も、そうしろ」

 ユリシスは軽く手を振り、重く感じる身体を横たえた。イザークは何か言いたげに何度も口を開いたが、あきらめたように肩を落とした。

「公爵様。ではこれだけ、聞いて下さい。一週間後、王宮から呼び出しを受けて、公爵様と公女様は出かけます。王宮で公女様は第二王子のお気に入りのガラス細工を壊してこっぴどく𠮟られます。どうか、その出来事が本当に起きたら、私の話を信じて下さい」

 真剣な様子で訴えてくるイザークに、ユリシスは「分かった」と適当に返事をした。王宮から呼び出される用事は特にない。昨日呼び出しを受けたばかりだ。

 イザークを信頼していろんなものを任せてきたが、少し調整が必要だと感じていた。

 頭の痛みが薄らぐのを期待して、ユリシスは目を閉じた。

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