1 妹は悪役令嬢③
目が覚めた時、ユリシスは寝室に寝かされていた。広い寝室には
ベッドの脇には椅子が置かれ、沈痛な面持ちのイザークが座っていた。
「う……」
ユリシスは何度か瞬きをして、
「気がつかれましたか、公爵様」
起き上がろうとするユリシスを助け起こしながら、イザークが言う。イザークは今年二十六歳になるユリシスの執務補佐官だ。平民だが、王立アカデミーを首席で卒業した頭脳
「俺は……俺は、どうした?」
ユリシスは上半身を起こしながら呻くように言った。痛む頭に手を当てると、包帯が巻かれている。
「公爵様、痛みはございますか? 公爵様は公女様をかばって、階段から落ちたんです。頭から出血して、大変なことになるところだったんですよ」
イザークに教えられ、階段を落ちた記憶が脳裏に
「イザベラは!? イザベラは無事か!?」
思わず大声を上げたのは、ユリシスにとってイザベラはたった一人の家族だったからだ。イザベラを失うことは耐えがたい痛みだった。
「落ち着いて下さい。公女様は無事です。公爵様がかばったので、怪我一つありません。今は自室にいらっしゃいます」
イザークに
イザベラは十五歳のまだ少女といっていい年頃だ。白い肌にぱっちりした青い目、ユリシスと同じく青みがかった長い銀髪、美少女といっていいだろう。
氷公爵と呼ばれる自分にも弱点はある。唯一の家族、イザベラだ。イザベラのためなら何でもしようと思っているし、どんなおねだりも聞き入れ、どんなわがままも受け入れた。
そのイザベラが無事と聞き、ユリシスは心から
「イザベラが無事ならいい」
頭の痛みも忘れ、ユリシスはひと息ついた。
「俺はどれくらい意識を失っていたんだ?」
どんよりした様子のイザークに尋ねると、「十時間ほどです」と言われる。階段から落ちたのが昼時だったので、窓の外は真っ暗だ。
「出血はありましたが、医師の話では、傷は深くないそうです。
イザークはちらちらとユリシスを見て、ため息をこぼす。いつも冷静沈着といった様子のイザークが何か言いたげなので、ユリシスも気になった。
「俺が寝ている間に、何かまずいことでも起きたか?」
イザークは平民だが、論理的な思考を持ち、公爵である自分にも
「公爵様……。今から私が話すことを、真面目に聞いてもらえますか?」
重々しい口調でイザークが切り出し、ユリシスは
「何だ? 俺がお前の話を真面目に聞かなかったことでもあるか?」
ユリシスがムッとして聞き返すと、イザークが苦笑する。イザークはユリシスの背中に大きな枕を二つ置き、楽な体勢で話ができるようにした。
「そうですね。あなたはいつも私の話に重きを置いて下さいます。……実は私には、前世の記憶があるのです」
言いづらそうに話し始めた内容に、ユリシスは面食らった。
前世の記憶……?
「どう説明したらよいのか……。私はこの世界で生まれる前に、別の世界で生きた記憶があるのです。そこは文明の発達した世界で、……私が発明したと言われる魔法具は、その世界で日常的に使われたものを模したものだったのです」
ちらりとこちらを
「あれらのものを日常的に使う世界……?」
イザークの話を簡単には受け入れられなくて、ユリシスは首をかしげた。
「はい。何故私が公爵家に魔法具を売り込みに来たかというと、公爵様が実力主義であることを存じていたからです」
ユリシスの顔色を窺いつつ、イザークが続ける。
「実は私には未来が分かります」
思いがけない発言がイザークの口から出て、ユリシスはぽかんとした。
「いきなりこんなことを言われても信じられないでしょうが、実は今日公爵様が公女様をかばって階段から落ちてこめかみに怪我を負うのも、すでに決められていたことだったのです。お会いした時には傷がなかったので、きっと単なる偶然とこれまで思い込んでいたのですが、パッケージの絵の通り公爵様が傷を作って、私もこれ以上黙っているわけにはいかなくなりました。その……説明がとても難しいのですが、公女様は悪役令嬢なのです……」
徐々に歯切れの悪い口調になったイザークに、ユリシスはますます困惑した。
「パッケージの絵とは何だ? 意味が分からん。悪役令嬢? 貴様、俺の妹を
自分のことはともかく、イザベラを悪く言われると頭に血が上る。ユリシスが険しい表情で身を乗り出すと、イザークが慌てて手を振る。
「滅相もありません。ともかくですね」
イザークがキッと
「このままでは、公爵様は大変危険な状態になります」
「三年後には王家に反逆して、最悪の場合処刑されるんです! 私はそれを阻止したい!」
いきなり反逆と言われ、ユリシスは
「ちょっと待て、何で俺が反逆者になるんだ? 王家とは仲良くもないが、反逆するほどでもない。第一、イザベラは第一王子の婚約者だ。
あらぬ疑いをかけられて、ユリシスは失笑した。イザークは頭がおかしくなったのかと思ったのだ。もしかしたら、仕事の詰めすぎかもしれない。有能ゆえに仕事を振りすぎたのかも。
「それが問題なんです! 公女様はこのままいくと、王子から婚約破棄され、処刑されます! それに激怒した公爵様が、王家を滅ぼそうとするんです!」
イザークに声を荒らげられ、ユリシスは
「イザーク、少し働きすぎたか?」
ユリシスは同情気味に告げた。
「は?」
「未来が分かるなど、訳の分からないことを言い出すくらい、疲れているということだろう? まさか俺が怪我をして、精神的疲労でも感じたか? 俺は大丈夫だ。すぐにこんな怪我、治る」
ユリシスがぽんとイザークの肩を
「本当なんです!」
イザークはムキになったように言うが、そんな馬鹿らしい話を信じるほど愚かではない。
「分かった、分かった。やはりお前にばかり、仕事を割り振りすぎたな。お前が期待に
ユリシスは疲れを感じて額に手を当てた。イザークの途方もないほら話を聞いて、頭の痛みが戻ってきた。
「俺はもう休む。お前も、そうしろ」
ユリシスは軽く手を振り、重く感じる身体を横たえた。イザークは何か言いたげに何度も口を開いたが、
「公爵様。ではこれだけ、聞いて下さい。一週間後、王宮から呼び出しを受けて、公爵様と公女様は出かけます。王宮で公女様は第二王子のお気に入りのガラス細工を壊してこっぴどく𠮟られます。どうか、その出来事が本当に起きたら、私の話を信じて下さい」
真剣な様子で訴えてくるイザークに、ユリシスは「分かった」と適当に返事をした。王宮から呼び出される用事は特にない。昨日呼び出しを受けたばかりだ。
イザークを信頼していろんなものを任せてきたが、少し調整が必要だと感じていた。
頭の痛みが薄らぐのを期待して、ユリシスは目を閉じた。
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