1 妹は悪役令嬢④

 ユリシスの負った怪我は打撲と裂傷で、全治一カ月と言われた。四日ほど安静にしていたが、いつまでも寝ていられないので医師の言い分は無視して、ベッドから起き上がった。幸い、頭の裂傷は深くはなく、落下した際に打ち付けた背中や腰の打撲は我慢すればいい。

 痛み止めの薬草を飲み、ユリシスは馬車で登城した。今日は国政会議があり、公爵の身であるユリシスは参加する義務がある。

「おお、モルガン公爵。階段から落ちたと聞いたが、大丈夫なのか?」

 会議室に入ってきたフィンラード国王であるランドルフ・ド・モレスティーニはユリシスを見るなり、大げさなほど驚いて言った。ランドルフ国王は太った身体にでつけた黒髪、青いひとみの中年男性だ。女好きで、気に入ると配下の妻でも寝取る暴君だ。不摂生がたたって、高血圧でどう息切れ眩暈めまいを起こしやすい。自分の容姿が劣っているのを自覚しているので、見目の麗しいユリシスを毛嫌いしている。

「問題ありません。お気遣いに感謝いたします」

 ユリシスはにこりともせず、受け答えた。会議室には円卓があり、国の中枢を担っている面々が参加している。総勢十五名、宰相であるリンドール侯爵が議長となり、書記が会議の内容を書き記す。議題は治水事業のしんちよくや災害に関する報告、各領地の収穫量の報告、魔物の討伐や隣国の情報など多岐にわたる。

「今日はこの辺りでお開きとしましょう。残りの議題は明日へ」

 昼休憩を挟んで日が暮れる頃まで話し合いを続け、宰相がそう締めくくった。明日の予定時刻を確認して、国王が退室したのちにそれぞれ会議室を出るのが通常だ。

「おお、そういえばモルガン公爵。明後日は王宮に氷細工師が来るのだ。そなたも妹を連れて登城せよ。氷の手配が間に合わないかもしれぬのでな」

 会議室を出る直前、ランドルフ国王が思い出したように言った。

「は。仰せのままに」

 急な予定を入れられ、内心いらちは募ったが、国王の命令とあらば聞かぬわけにはいかない。ユリシスは礼儀正しく受け答え、ランドルフ国王の後に会議室を出た。廊下で待機していた護衛騎士がユリシスを出迎え、まゆひそめる。

「閣下、大丈夫ですか? 顔色が悪いです」

 ユリシスを護衛しているのはユリシスが抱える騎士団の副団長だ。名前をニース・ベルフォンといい、子爵家の出だ。長身でがっちりした肩幅に、赤毛で眉の太いしい青年だ。騎士団長の次に剣技の立つ男で、ユリシスは信頼している。

「問題ない」

 口ではそう言ったものの、やはり階段から落ちたときの後遺症はまだある。ユリシスは四肢の痛みを感じて、重い脚を無理に動かしながら馬車に戻った。帰る道すがら、目を閉じて仮眠をとっていたが、ふと脳裏にイザークの声がよみがえった。

『一週間後、王宮から呼び出しを受けて……』

 そういえばイザークが言っていた一週間後とは、明後日のことだ。予定になかったイザベラとの登城が現実化した。

(まさかな。偶然だろう)

 第一王子の婚約者であるイザベラが登城する機会は多い。その時は、ユリシスは単なる偶然と思い込んだ。

 だが二日後──。

 王宮の庭で氷細工師が氷を削って作った白鳥を眺めていたユリシスは、侍女の悲鳴と第二王子の怒鳴り声、イザベラの泣き声に、イザークの予言めいた言葉を再び思い出すことになった。

「僕の大切な城を! お前なんか処刑してやる!」

 最初に聞こえてきたのは、侍女の悲鳴と、第二王子のかんしやくを起こした声だった。何事かと氷細工師の近くに集まっていた貴族の面々は同時に振り返った。今日は快晴で、用意していた氷は少し溶けかかっていた。ユリシスは氷魔法を使い、水を氷に変え、氷細工師と王妃から感謝の言葉をかけられた。

 一緒に来たイザベラは、第一王子のところに行くと言って、どこかへ消えた。妃教育も始まっているので、イザベラが粗相をするとは思ってもいなかった。それがそもそもの間違いだろう。

 後から知ったのだが、イザベラが会いたがっていた第一王子は剣の練習をすると言って、イザベラと交流を持たなかった。代わりに第二王子がイザベラの手を引き、国王からの賜りものをイザベラに自慢しながら見せたらしい。

「私が悪いんじゃないわよ! あんたがちゃんと持ってないからでしょう!」

 イザベラは最初第二王子に食って掛かっていた。ユリシスや王妃が到着した時には、目をり上げてけんするイザベラと第二王子のトーマスがいた。二人の足元には壊れたガラスの破片が転がっていて、おろおろする侍女がそれをかき集めている。

「お前が押さなきゃ、落っことさなかったよ! どうしてくれるんだ! 僕の宝物だったのに!」

 トーマス王子は泣きながら、イザベラにつかみかかる。トーマスはまだ十歳の子どもで、アレクシスの弟だ。年端もいかない男の子だったので、イザベラは逆にその腕を摑み、小さな身体を押し返した。トーマスは見事に引っくり返り、火がついたように泣きだす。

「イザベラ!」

 一連の騒動を目にしたユリシスは、その場にいた貴族たちが震え上がるような声で怒鳴りつけた。当然、当のイザベラも真っ青になって飛び上がり、まゆを寄せるユリシスを見て、わーっと泣き出した。

「王妃様、申し訳ありません。妹が第二王子の宝物を壊してしまったようです。この償いは、必ず致しますので」

 ユリシスはロクサーヌ王妃に、ひざまずいて頭を下げた。ロクサーヌ王妃はランドルフ国王にはもったいないほどの器量よしで賢妃と呼ばれる女性だ。二人の子を産み、四十歳になったはずだが、金髪に青い目と見た目は今も若々しい。ロクサーヌ王妃は、ちらりとざんがいに目を向けた。ガラスで城を作るのはかなり困難だ。おそらく魔法を使って作られたのだろう。

 相手に非があろうと、第二王子の持ち物を壊した時点で、公爵家としては謝罪しなければならない。イザベラもそれくらい心得ていると思っていた。まさか暴力に訴えるとは。

「まぁまぁ。子どもたちの喧嘩ですわ。トーマスも、そのように壊れやすいものを庭に持ち込むなんて、愚かなふるまいですよ」

 国王と違い、賢妃と名高い王妃は、この場の状況を見てそう言った。

「だって、だって……、僕の……」

 トーマスは王妃の前で泣きじゃくって、ちらちら周囲をうかがう。おそらく自分の味方を探しているのだろう。

「けれどイザベラ。あなたも淑女として乱暴すぎます。妃教育が滞っているようね」

 王妃はじろりとイザベラを見て、冷たく言い放つ。とたんにイザベラはがくがくと震え、ドレスのすそをぎゅっと握った。

「も……申し訳……ありません……」

 目に涙をいっぱいめて、イザベラがか細い声で謝る。イザベラも王妃を敵に回してはいけないことくらい分かっているようだ。氷細工を見に来た王妃の招いた貴族たちは、この状況を半分面白がっている。

「これは大変ですね」

 人々の輪からさりげなく現れたのは、氷細工師の男だった。浅黒い肌に黒縁の眼鏡をかけた金髪の青年で、服の上からも分かるほど鍛え上げられた肉体を持っていた。ガンダ国の出身と聞いているが、わざと野暮ったいかつこうをしているように見えた。氷細工師の男は、地面に転がったガラスの破片をじっくり眺める。

「どうでしょう、私が氷で壊れたものを彫ってみましょうか」

 氷細工師の男が言うと、トーマスの顔がぱっと輝いた。

「ほ、本当!? 城を小さくしたものなんだ!」

 トーマスが意気込んで言う。氷細工師の男が笑顔でこちらを見たので、ユリシスは大きくうなずいて手を上にかざした。

「氷魔法、塊となれ」

 ユリシスがそうつぶやくと、風が起こり、近くの池から水が集まってきた。ユリシスが魔力を注ぐと、目の前に大きな氷の塊が一瞬にして出来上がる。

「素晴らしい。公爵様と組めば、私はどんな場所でも食っていけそうです」

 氷細工師はにこにことして言い、早速氷を削る道具を持ち出し、瞬く間に城の形を作り上げていった。

「何と素晴らしい腕前か」

「ええ、本当に。我が家にも招きたいわ」

 氷細工師の腕前に、貴族たちも感嘆している。ふだんは平民を馬鹿にしている彼らだが、一芸に秀でた平民に対しては寛容だ。

「どうでしょう。これに保存魔法をかければ、出来上がりです」

 氷細工師の作った氷の城は、見事な出来栄えだった。ユリシスは当然のようにその氷の城に保存魔法をかけた。これで半年くらいは形を維持できるだろう。

「トーマス王子、半年ほどしたら形が崩れてきますので、そうしたらまた保存魔法をおかけ下さい」

 ユリシスはトーマスの前にひざをつき、そう言った。

「うわぁ! すごいよ! 僕の持っていたガラスの城とほとんど同じだよ!」

 トーマスは氷でできた城を抱え、泣いたことが噓のように喜んでいる。ほとんど同じと聞き、ユリシスはちらりと氷細工師を見た。

「先ほど見せていただいたので、記憶を頼りに作りました。王子様に喜んでいただき、恐悦至極でございます」

 氷細工師は優雅に一礼して言う。

「見事なものよ。氷細工師には褒美を取らさねばならぬな」

 王妃は満足そうに氷細工師を褒めたたえる。不穏だった空気は氷細工師のおかげで和やかになり、その後のお茶会も滞りなく進んだ。

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