第71話 友達のハグ

 シャロンのしてくれた実に刺激的な話でお茶会が盛り下がるかと思えばそんなことはまったくなくて、それまでのペースのまま、最後まではしゃいで終わっていった。

 ミリアムはわたしにさよならのハグをしてくれた。普段、気軽に貴族同士でするものじゃないんじゃないかと思ったので感激してしまった。

 感激すると涙が出る。

 生理現象だ。

 みんなギョッとしてわたしを見た。


「申し訳ありません、夫人! わたし、分をわきまえず、軽はずみすぎました!」

「違うの。ええ、違うの」

 場はせっかくの盛り上がりを台無しにしてしまった。でもわたしの中にも『女の子』がいるんだ。


「あまりにうれしくて」

 今度はまた場が静まった。わたしは顔を上げるチャンスを見つけることができなかった。

「あの、今までのこと、皆さんご存知でしょう? とてもお友達のできる環境じゃなかったから、気軽にハグしてくれる友達がいるなんてうれしくて。⋯⋯しあわせだわ」

 別室から戻っていたアイリも含めて、四人はそれぞれ順番にわたしをハグしてくれた。その温もりこそ、まさに春を知らせた。


「わたしたち、なにがあってもずっとお友達でいましょう」

 正義感の強いミリアムが力を込めてそう言った。言葉数は少ない現実主義のカタリナは、ミリアムにいちばん近い存在なのにちょっと悲しい顔をした。

 シャロンが「女だからこそできることもあります。例えばこういう場での情報交換とか。もしもわたくしたちがそれぞれ嫁いでバラバラになったとしても、心の中ではずっと繋がっていましょう。懸命だわ」と思わぬことを言った。


 みんなそれぞれ思うところがあったようで、しんと静まったまだ肌寒い春の空気の中、「それではまた」と馬車に乗って帰っていった⋯⋯。

 まだ黄色に近いやわらかな葉をつけた枝先が、やさしい風に揺れた。


 ◇


「やるなぁ、マルコ。昇格させた意味があったなぁ。でもほかの女のことを思いながらお前を守れるのか!?」

「もう! 前みたいなことにならない、いい兆候じゃない。どうして茶化すのよ」

「ハイディンを追い出したのも、お前を慕ってたからだって知ってた?」


 悔しいことに顔が真っ赤になってしまい、それを見せまいとラカムの頭を枕でこれでもかと殴った。

 ラカムはただ笑っていた。

 まったく! 冗談がすぎるのよ!


「知ってる? マルコも小さな男爵領の三男坊なんだよ。ふたりは釣り合いが取れてるし、何より北部内での結婚は結束を固める意味でも好ましいよね」

 わたしの拳は強く握られた。

 その手は細かく震えた。

「酷い! 若い女の子の初恋まで政治のネタにするの? みんな、自分の意に添えない結婚になっても受け入れようと必死なのに」


 ぽんぽんと、ラカムが自分の隣にわたしを呼ぶ。少し悲しい気持ちのまま、ラカムの隣に行く。

 彼はわたしをふんわり、抱きしめた――。

「意に沿わない結婚でごめん」

「⋯⋯そんなこと一言もいってない」

「顔に書いてあったんだ。ほら、この眉間の辺り。『わたしにも選択権はなかったわよ』って」

「それは――! その、死んでたし、その時はアントワーヌだったし」

 ラカムはおかしいのを堪えられないというように笑った。


「そう、確かに君は死んでたと言えるかも」

「プロポーズ、なかったし」

「下賜されちゃったからなぁ」


 ラカムはわたしの薬指を持ち上げてキスをすると、「一生を捧げるよ。⋯⋯何度言ったかわからないけど」と微笑んだ。

 笑えない事実だった。

 わたしの魂はラカムの魔法でこの地に縛られ、ラカムの魂は神によって縛られている。

 こんな状態でわたしたちが生きていると言えるのか、甚だ疑問だ。

「わたしのすべては⋯⋯知ってるでしょ? ラカムだけのものだから」


 照れくさくなかったかと訊かれたらうんとは言えない。十分、照れくさかった。


「シャロンはアンドリューと踊ったって」


 不自然に話題を変えてみた。どっちにしろ話すつもりでいたし。

「耳に入ってるよ。王都の情報もちゃんと把握してるよ」

「じゃあ、わたしより先に、わたしの友達の大切なことを知ってたんだ」

 ラカムはくすっと笑った。

「すっかり仲良くなったんだね」

「わ、わたしなんかが貴族のお嬢様と仲良くなるなんておかしいわよね?」

「そんなことないよ。アン、君は誰から見ても魅力的だから俺をハラハラさせるんだろう?」


 なんて甘い言葉を吐きながらにやにやしてるなんて。ほんと、なんて言うか不謹慎。

 ラカムだって――ラカムだってその、あの、どんな女性にも魅力的だと思われてるくせに。

 嫉妬、情けない。

 でもわたしが赤毛だった頃からラカムは見事な銀髪で青く、流れるような瞳を持った端正な顔立ちをしていた。あの頃と変わったのは、少年のような悪戯っぽい眼差しが、真摯な男性のものに変わったってこと。


 そう、みんな、ラカムに惹かれる⋯⋯。


 パンッ!

 目の前で手を鳴らされて「きゃっ!」と声が上がった。ラカムはその数々の伝説を作った両手で、わたしの頬を包んだ。瞳と瞳が合って、互いにキスをする。

「なに、考えてるの? キンダー侯爵令嬢のこと?」

「アンドリューのやり方は、その、他人をバカにしてるわ。自分がそんなに大事なのかしら?」

「その答えなら、誰だって自分が大事だよ。俺はアンが一番だけどね」

「ま⋯⋯」


 ごくん、飲み込む。言わない方がいい。

 その、絶対的な愛情は魔法のせいかもしれないだなんて。また笑われるに違いないもの――。

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