第61話 エメラルド

 じっとしてなんていられなかった。

 わたしを戦闘に駆り立てる気持ち。

 領地を守りたい気持ち。

 ラカムを心配する気持ち。

 いろんな気持ちがわたしの背中を押す。


「奥様、何事ですか!?」

「事情は後で。とりあえず馬に乗るわ。準備をしてちょうだい」

「奥様、そういった防寒具は⋯⋯」

「仕方ないから男性ものでいいわ。次はラカムに用意してもらうからね」

 と言っても暖房魔法を使うからそれほど問題は無いんだけど、耐久力はあったほうがいい。

 わたしは男物のマントを、自分の丈に合わせて切った。

「このことはラカムには内緒よ」

 しっ、と人差し指を立ててマリアに微笑むと、急いで階下におりていった。⋯⋯息が切れそうになり、ちょっとこの先が心配になる。


「奥様、準備が調いました」

「じゃあ行きましょうか?」

「厩から馬も出ているはずです」

 うん、冷えないうちに行ってあげよう。

「アン! くれぐれも無理は禁物ですよ! あなたはわたしたちの切り札なんですから」

「わかってる! 倒れない程度にしておくわ」

 ハイディンはわたしについて城を出た。馬具もしっかり調っている。

「馬は一頭で」

「しかしそれでは」

「大丈夫。その方がいいの。それから、ちょっと驚いてね」

 両の瞼に指先を当てて目を開くと、わたしの瞳はエメラルドになっているはずだ。髪は防寒具の中だから、隠す必要は無いはず。

「用意周到ですね」

「驚かないの!?」

「あの⋯⋯祭りの日に」

 ああ、確かにあの日、わたしはグリーンの目をしていたっけ。

「奥様が魔術を使われるというのは、なんとなく知ってはいたものの目の前で見ると不思議な気持ちです」


 わたしたちは一頭の馬に乗った。

 ハイディンには振り落とされないように注意をして。そして――。


 走り出した馬はするすると坂道を登るように空中へと浮かんで行った。

「馬を空中に飛ばして、風で後押ししてるの。わたしたちの周りは暖かい空気で覆ってるから寒くないでしょう?」

「はい、こんなに速いのに空気抵抗もありません」

「さぁ、案内して!」

 矢のように飛ぶ馬は程なくして問題の砦を捉えた。馬を降りる準備をするよう、ハイディンに伝える。

「いい、できるだけソフトに地上に降りるから、落馬しないでよ」

 浮遊魔法レビデーションをかけて、着地する。

 円筒型の砦の塔は魔獣二匹に攻撃され、騎士たちはなすすべなく翻弄されていた。

「あれね!」

「行けますか?」

「わたしはから、悪いんだけど急いで上がってきて援護してね」

 ハイディンは力強く頷くと、ワンテンポも置かず走り出した。


 さて。

 グリフォンのまだ大人になりきってない小さな個体。それでもグリフォンなんて上位の魔獣はそうそう出ないはずなのに。

 ここ数年の魔物の出没歴でも、真冬にグリフォンはほぼ見なかった。

 考えていても仕方ない。一息に上まで飛び上がる!

「奥様!?」

「おい、奥様がいらしたぞ。怪我人を!」

「みんな、もう大丈夫です。わたしはアントワーヌに似てますが違う魔法使いです。――エメラルドとでも呼んでください。みんな、ちょっとだけ下がっていられるかしら」

 兵たちは建物の少し奥に避難した。

 わたしはひとり最前に立って、久しぶりの懐かしい呪文を詠唱する。ただし! 撃つ数を間違えたらいけない。アントワーヌの身体がもたない。

 そうなるとまた形勢は不利になる。


揺らめく炎よ、弾丸となれ!ファイヤーボール

 グリフォンの翼に二発ずつ、コントロール良く飛ばす。かなりの集中力が必要となるが、そこはお手の物。

 雪の中に、肉の焼ける匂いがジュッと漂う。

 キィィィという鳴き声を上げて、二匹は落ちて行った。そこにまだ戦える騎士たちが追いかける。

「奥様!」

 わたしはと言うと、その場にへたりこんでいた。呼吸が浅い。心音が激しい。

「やった?」

「とりあえず敵は落ちました」

「あとはやれるかしら?」

 ハイディンは目を細めて下を見た。グリフォンの声と、騎士たちの上げる気合いの声が混ざり合う。

「奥様、私も行ってきましょう。新人も入っているみたいですから。奥様はなるべく寒くないところに退避していてください。必要になったらお呼びします」

「ふふっ、頼もしいわね。ところで今のわたしはエメラルドなの。間違えないでね!」


 ハイディンはわたしをまるでラカムのように抱えると、砦の石造りの質素な部屋の中に放り込んだ。できた部下だ。これでわたしだけ連れ帰るようなら、彼への評価が下がるところだった。

 わたしは暖炉の前で冷えた手指を温めた。

 あんなに住み慣れたはずの戦場は、想像の何倍も険しいものだった。慣れとは怖いものだ。

 身体が集まると、同じように部屋に放り込まれた数人に声をかける。

「旅の魔法使いです。簡単な治癒魔法なら使えますから」

 ここにいるのは手酷い傷を負った騎士たちばかりだった。鋭い嘴と爪、羽根の一撃を食らったんだろうというのが目で見てとれた。


 傷に手のひらをかざし、神聖力の回路を開く。手のひらに光を集めるイメージをして、集中する。

 その時、目の前の景色がフラッと傾いて、目の前が一瞬暗くなる。

 周りが騒がしくなる。

「えーと、ちょっと疲れてるのでこの姿勢のままで失礼します~」

 石畳の床に倒れたまま、白い光を負傷兵に当てた!

 よし、完璧じゃないけど血は止まった。

「次に出血の多い方、動けたらこちらに⋯⋯」

「このバカ娘が!」

 バチーンとお尻を引っぱたかれる! 何事かと思って見ると、ラカムが! ラカムが後ろに立っていた!

「治癒魔法の使える聖騎士が来てる。怪我人はそこへ」

「ご主人様! その方に我々はお礼を――」

「いいから、いいから。昔馴染みなんだよ」

 はいはい、みんな部屋から出てね、とラカムはみんなを追い出してしまった。



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