第60話 砦
連日ラカムは砦の見回りに追われている。
⋯⋯というか、よっぽど帳簿や書類を見たくないらしい。リーアムがわたしでもできる書類を寄り分けてくれて、わたしもサインをする腕が、いい加減疲れてきたところ。
冬でいろんなものが静かに動きを止めてるように見えるけど、毎日は確かに続いてる。日々の生活が、わたしや領民たちを生かしている。
責任ある立場になっちゃったんだからなぁ、働かざる者食うべからずだわ。
外は相変わらずしんしんと積もる雪。
裏手の湖が凍って、裏庭との境がなくなった。広い平原みたい。見晴らしが良くなった。
もしこっちから襲撃されてもよく見えるから安心できる。
魔獣の出没は決して多くなく、時々、ひょこっと現れた。それでも王室から来た騎士たちは実践慣れしてなくて、怪我をする者も頻繁にいた。寒い中で戦うのも不慣れなら大変なのも頷ける。
ラカムだけよ!
経験豊富なだけなのに「アイツら、鎧が重すぎるんだよなぁ」とか言ってて。みんな命が大切に決まってるじゃない。まったく⋯⋯。
「そうカリカリしないで、アントワーヌ」
ヨハンお兄様が優雅にティーカップを傾けた。自分も同じなのに、そのアメジストの瞳で見つめられるとドキッとする。慣れないものって、あるものだ。
この美形の兄とそっくりの容貌を持つわたしを見る度にラカムがなにを思うのか、⋯⋯わたしは知りたい。ラカムは『アン補正』がかかるんだって言うんだけど、そんなもの、あてにならない。
本当のラカムの目で見たわたしを、わたしは知りたい。アントワーヌになってしまったわたし。ただのアンだったわたしならうれしくて仕方なかっただろうけど⋯⋯皮肉なものだ。
はぁっ。
「何度も言うけどラカムなら大丈夫ですよ。国一番の勇者ですよ」
「そう、私が王なら剣聖の称号を与えたいところだけど、前例がないからね、国王も思いつかなかったのかもしれない」
「伯爵で十分すぎますよ! なんの歴史もない家柄なのに。それどころか、わたしたち、親なしなんですよ。ほかの貴族たちにどう思われても仕方ない立場ですもの」
「そうかい? それにしてはいつも君は落ち着いてるよね、アントワーヌ。まるで淑女そのものだ」
「アントワーヌの記憶のお陰です」
目の前にあった美味しそうなラズベリーのマカロンを手掴みで取って、ボリボリ食べた。手に付いた粉をペロッとやると、ふたりは唖然とした顔をした。
ふふん。
◇
その報せが入ったのはそれから間もなくだった。
城からそれ程遠くない砦で飛行型、つまり鳥の大きくなったようなタイプの魔獣が二匹出て、騎士のひとりが腕に深手を負ったらしい。
ラカムはほかの砦に向かっていて、取って返そうとしたところ、目的地にも魔獣が一体出たと報せが入り、戻れなくなった。
お兄様はサッと立ち上がった。
「お兄様!」
「騎士たちだけではやりきれまい。腕は確かな者たちだが、魔獣との戦闘経験は少ない。対人戦ならいいんだが」
「ヨハン様、対策を練りましょう。下手に動くのは悪手です」
ヒューがそう言って、お兄様は少し躊躇ったけれど、腰を下ろした。
「確かに飛ぶ敵は対処が難しいでしょうね」
「ええ、でも翼さえやってしまえばほかの魔獣と変わりないわよ」
「アン⋯⋯」
「でも、魔獣の出没が決して多すぎないとは言え、都合が良すぎない? もしこれが誰かの計画で、弱ったところを襲われるとしたら城にお兄様がいてほしいと思うのよ」
ふたりはわたしを見た。マカロンの粉がこぼれる。
「私が何人か率いて参りましょうか、奥様」
ハイディンがうれしい申し出をしてくれる。実戦を見たことはないけど、ラカムがわたしの護衛につけるくらいだから腕は確かなんだろう。
「ただ、急がなくちゃいけないじゃない? ということで、わたしが行きます」
「どうしてそうなるんですか?」
「アントワーヌ、考え直すんだ」
薄い皿の上で手をはたくと、わたしは立ち上がった。
「ヒュー、心配しないで。ハイディンを送って、怪我した騎士の治癒をしてくるわ」
「治癒ならわたしが」
「雪の中、馬で移動したら時間がかかるじゃない。簡単な魔法だけ使うわ。そうね、髪は覆ってしまうとして、目の色は変えた方がいいかな。じゃ、着替えてくる」
お兄様は呆然として、口を開いたままだった。
ヒューは「仕方ないですねぇ」と言ってハイディンに指示を与えた。
「本当にこの城が攻められた時にはアンがいてくれるのが、ある意味一番安心なんですけどねぇ。ラカムもそう思ってると思いますよ」
「アントワーヌを城に置いておきたいと? 彼は相変わらず愛妻家だな」
「いえいえ、アンの攻撃力は恐らくラカムを上回りますよ。増してアンは複数攻撃も得意ですからね。飛行型なんて右から順番に狙い撃ちですよ」
「⋯⋯そんなに?」
「そこにアントワーヌ様の神聖力をいただいたのですから、無敵ですよ。さて、最悪の事態に備えて我々も準備をしておきますか」
「二つの砦への襲撃が、陽動ということもあるということか。しかも向こうは北部の気候と地理に慣れている。こっちが不利だから準備は万全にしておこう」
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