第59話  うちの嫁は最高

 魔獣が現れたのはこれで三度目だった。

 魔王が滅んだ今、魔獣の動きは沈静化してるはずなのに、どうしてこんなに頻繁に現れるのかわからない。砦からの一報が入る度にラカムは剣を取った。

「ご主人様はせっかちですよねぇ」

 暇そうにハイディンがそう言う。黒髪にルビーのような紅い瞳を持つハイディンは鋭くて近づきにくそうに見えるけれど、本当に気さくな人だ。そしてマイペース。彼が目当てでパーティーに現れたご婦人は、ちょっとがっかりするかもしれない。

「あのくらいの魔獣なら砦の小隊だけでも十分倒せるのに、ご自分の手で討ちたいんですかねぇ」

「そうねぇ、確かに。⋯⋯主人不在のこの城も無防備になるわよねぇ」

 ⋯⋯⋯⋯。

 みんな、嫌な考えに思い至って冷や汗をかく。

「いやいや、いくら皇太子殿下でもそんなにエグいことはしないでしょう」

「そうだよアントワーヌ。もしそうなったとしても、私がラカムの分を埋められると思うよ」

「奥様、悪い考えは悪いことを呼ぶといいます。やめましょう、まだ起きてないことを考えるのは」

 わたしは刺繍枠を膝の上に置いて、みんなの方を見た。


「別に『悪いこと』なんか考えてやしないわ。第一、アンドリューなりキンダー侯爵なりが攻め込んできたら、絶好の迎撃チャンスじゃない! この城は落ちたことがないんでしょう? 一泡吹かせればいいのよ。『手を出したら怖い目に遭うぞ』って」

 その場にいたみんなは唖然とした。

 動きが止まって、まるで時間ごと凍りついたようだった。

 わたしは時間を進めるためにティーカップに指をかけた。


 まぁ、小さな魔獣たちが現れる度にのこのこ出て行く領主様も領主様だけど、小さい魔獣の裏に大物がいて、ぬっと姿を現すのはよくあること。

 ヤツらは知能がなさそうに見えて、そうでもない。統率された動きがある程度できる。

 弱い者は、強い者に従っている。

 ――と、ラカムも経験からそれを恐れているんだと思うんだけど、やっぱり大将っていうのはこういう時にドンと構えてないとねぇ。チョロチョロしないで騎士に任せることで、騎士たちも信頼を得られていると感じるわけだし。

 ハイディンなんか将に絶対向いてるし、その力量は見ていてわかるものなのに、ずーっとわたしの子守り係だ。かわいそうに。

 王都に出ても活躍できそうなものを。

「王都なんてつまらないですよ。式典への参加ばかりで実践はまずないですからねぇ。平和ボケしますよ」と本人はいつか言っていたけれど。


 でも確かに今、攻められたとしても、お兄様がいらっしゃるから頭脳も物理的攻撃も問題ないし、ヒューも頼りになる騎士たちもいてくれる。

 それでも足りなかったら一発を打ち上げてあげるし。ふっふっふっ⋯⋯。魔王に比べたらアンドリューなんて。

「アン、目が邪悪すぎます」

 わたしのバックボーンをなんとなく知っているハイディンが笑いを堪えようとして、手にしていたティーカップをカタカタ鳴らした。

 もう! 邪悪なんかじゃないわよ。歯痒いだけ! ラカムの座標は大体把握してるから、飛んでみようかしら。

 ⋯⋯やめておこう。お仕置が怖すぎる。「奥様は外に出て風邪をひかれたようだから、しばらく部屋から出さないように」なんて命をマリアやエイミーに平気で出しそうだもの。それでふたりは更に悪いことに全部わかっていて「かしこまりました」って言うに違いないもの。⋯⋯ケッ!


 ◇


 城の重い門が開く音がして、兵たちの帰還を知る。

 ラカムになにもなかったことはわかってはいるんだけど、刺繍枠を投げて窓辺に走り寄る。――ほら、目のいい彼はわたしを見つけてこっちに手を振った。

 ほっ。

 わたしの周りには素敵な人ばかりだ。それでもわたしを庇護してくれるのはラカムで、わたしにとってラカムは特別だ。命が繋がってるんだから、当たり前とも言えるけど。

 ラカム、ラカム、ラカム⋯⋯。いつからわたしはこんなに愚かしい弱々しい女になってしまったんだろう?


「アン! 帰ったぞ」

「おかえりなさい」

「なんだよそのやる気のない姿は。階段を滑り降りるように駆けてきて、夫に抱きついたりしないの?」

「心配いらないもの。それともラカムは王国一の剣でゴブリン一匹に屠られてきたりするわけ?」

「今回はゴブリンはいなかったよ」

「あー、あー、もういいから。はい、右向いて、左向いて、くるっと回って。怪我なし。問題なし」

 なんだよまったく、とラカムはブツブツ言いながら着替えに行った。ラカムに傷がないのはわかっていた。少し離れていても感知できるから。

 でも本当はちっとも心配しなかったわけじゃない。魔獣に遭って倒せるだけの力があっても、不意討ちに遭うかもしれない。思わぬアクシデントが起こるかもしれない。

 自分も冒険者だったからわかる、悪いドキドキ⋯⋯。


「ほら、キレイにしてきた」

 ラカムは両手を広げた。わたしはそっと彼の腕の中に入って背中に手を回すと、気付かれない程度に疲労回復の魔法をかける。

「気付くって」

「え!?」

「うちの嫁はいい嫁だよなぁ。最高」

 ⋯⋯気付いてたらしい。

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