第57話 みんなの役に

「アン、お前、よく食べるなぁ」

「散歩したらお腹が空いたのよ」

 散歩と言っても雪の積もり始めた外は歩けないので、屋内をぐるぐる回る。少しでもお腹を空かせないと、アントワーヌといったらちんまりしかご飯を食べない。

 食べないと体力がつかない。

 吐く気で食べる。

「けほっ」

「ほら、急いで食べるからだよ。無理するな」

 水を渡してくれたエイミーが目をキラキラさせてこっちを見ている⋯⋯。嫌な予感しかしない。

「奥様⋯⋯もしかして」

「「えええッ!?」」

 みんなの声が重なって、とても貴族の食事とは思えない。有り得ないほど大きな声が上がる。わたしもだ。

「きっとそうですよ! お医者様を呼びましょう。忙しくなりますねぇ。ああ、いいですねぇ。ずっと憧れてたんです。暖炉の前で小さな靴下を編む奥様⋯⋯」

「そういうの、ない! 吐き気もないし! ちゃんと⋯⋯ちゃんとほら」

「俺、なんか感極まっちゃっていい?」

「ちがーうってば!」

 しーん。沈黙。今度は誰も喋らない。時間が止まったみたいだ。


「奥様、悪阻のない妊娠もあると聞きます。わたしの2番目の姉がそうでした。食欲が突然すごくなって、たくさん食べると思っていたら、お腹に赤ちゃんがいたんですよ」

「アン?」

 やめてくれ、その期待に満ちた視線。そんなものを送られても赤ちゃんはできない。

 第一⋯⋯領主としての仕事に慣れるまで子供は持たないでおこうと言ったのは、ラカム本人なのに。

 じとーっとラカムを見る。

「ご期待に沿えなくてごめんなさい。その、月のものは順調に来ているので、それはないです」

「エイミー?」

「⋯⋯ですよね。先走りすぎました。姉の時も突然だったので⋯⋯」

 ラカムは見るからに残念そうなため息をついた。

「あー、そうなのか」

「子供、欲しいの?」

「当たり前だろう? なんていうか愛の結晶だし、俺はチビ共と一緒に育ったから子供はすきなんだよ」

「⋯⋯ごめんなさい」

「『急がない』って言ったのは俺だから。いいんだよ」

 覚えてたんじゃない!


「じゃあそのドカ食いは?」

「えーと⋯⋯」

 みんなが納得のいく答えを探す。

 まさか、ファイアーボールを飛ばしたいからとは言えない。秘めたる野望だ。

 多分、ラカムはわたしがまた戦闘に復帰するのを反対するに違いない。『命を蔑ろにする』。わたしたちには有り得ないことだから。

「冬を乗り越えるために少しでも体力をつけなくちゃと思って」

「それはいい心がけですね。アントワーヌの体といったらいつ折れてもおかしくないくらい細いですから」

 ヒューがにこにこした。

 ヒューが納得してくれれば、ほかのみんなも納得だ。

 みんながわたしの皿にあれもこれものせてくる。そんなに食べられるわけがないってば!


 ◇


 窓の外をビーズのように細かい雪が降り積もっていく。今日もまた積もるなぁと思う。

 窓際に椅子を持ってきてそれを眺めていたわたしにエイミーが声をかける。

「奥様、そんなところに長くいらしたら冷えますよ」

「そうね⋯⋯」

 手がかじかんでくる。懐かしい感触。

 ここは居心地がいいけど、アントワーヌの身体はあまりに弱いので「あれもダメ」、「これもダメ」となる。まぁ、妥当なんだけど、わたしとしては面白くない。好奇心が満たされない。

 城の前の雪をのける騎士たち、城門上を除雪している者もいる。

 うちの酔狂なご主人様もあの中に混ざっているんだろうなぁ。

 わたしなら溶かすだけじゃなく、蒸発させられるのになぁ。そしたらみんな、寒い思いをしなくて済むのに⋯⋯。

 ああ、約立たず。


「そんなに雪が珍しい?」

 ラカムが声をかけてきた。

「駆け出しの頃は雪深いところでも嫌がらずにやったな」

「そうね」

「どんなに寒いところでも魔法の炎のお陰で冷えることはなかったよ。いつも助かったけど、今思うと、アンの魔力が尽きる心配もあったんだな」

「尽きないよ」

「アンならね」

 わたしは俯いて、なにも言わなかった。手元にあった本はページを開かれたまま、めくられる予兆はなかった。

「アン、誓ったはずだよ。これからは俺がアンを守るって。だから、そんな顔するなよ。俺を信じろよ」

「⋯⋯歯がゆいの」

 ラカムはわたしの髪を撫でた。わたしの、わたしのものではない髪を。

 やわらかい絹糸のようなその髪を彼はどんなふうに味わっているんだろう?


「今までは魔法を使うことでみんなの役に立てたのに、今はなにもできないんだもの。⋯⋯この体はわたしの魔力の反動を受け止められないし。なんにもできない」

「アン⋯⋯」

 ラカムはわたしの脇に座り込んで、手を握った。そしてゆっくり、言い聞かせるように語った。

「その気持ちはよくわかる。俺だって逆の立場だったら、できることを探すと思うよ。⋯⋯もし良かったらだけど、騎士たちのしもやけを治してやってくれないか? 真っ赤になって痛々しいんだ」

 ラカムには勝てないなぁと思う。

 考え方のひとつひとつが大人なんだもの。

 わたしに口ごたえのひとつもさせてくれない。

「わかったわ。神聖力ならそんなに反動ないと思うから、そのしもやけのひどい騎士たちを集めてちょうだい」

 わたしはドレスの裾をつまんで立ち上がった。お姫様業というのも、退屈なものだ。


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