第19話 はじめて
陛下から賜った北部の城は、四角い岩を積み上げて造られた堅牢な城だった。
本邸と別邸は直角に繋がり、その間には高い円形の塔がそびえ立っていた。
その頑丈そうな造りがいっそう、ここは雪深く、また国境近くであることを思い知らせた。
城の背景のような高い山脈は他国からの侵入を防ぎそうだったが、代わりに魔獣が出るという話だった。
つまりヤバい。
あはは、うふふで暮らせる城ではない。
どんなに素敵な庭園や彫刻があっても、暢気に暮らせるところじゃないんだ。
わたしは馬車から降りるエスコートをしてくれたラカムの手をギュッと握りしめた。
「そんなに緊張しなくても、この城はまだ落とされたことがないって聞いたよ。ここからはよく見えないけど山間地との間に湖もある。前面はこうして要塞になってる。騎士も配備されてる。ここが俺たちの新居だ」
「そう言われてみると安心だから不思議」
「広い庭園もあるし、湖でボート遊びもできるよ。城自体はこじんまりしてるけど、分相応ってことでね」
ラカムがそう言うと、ミルズとハイディンというふたりの騎士が前に出た。ミルズはアントワーヌに負けず劣らずのプラチナブロンドに青い瞳、ハイディンは黒髪に珍しい赤い瞳をしていた。
「伯爵夫人にご挨拶申し上げます。これから夫人の護衛をさせていただくミルズと申します。よろしくお願いします」
ハイディンもまったく同じことを言った。
「護衛騎士が付くってことは、いつでも一緒にいられるわけじゃないってことか。やっぱりそうよね」
「そこ、残念がってくれてうれしいよ。なんだか領主としての仕事がいろいろあるらしい」
わたしたちはまったくの平民の出だったので、領主の仕事については紙面上でしか見たことがなかった。王宮を出る前に学んではきたものの、今ひとつピンと来なかった。
「まぁ、なんとかなるわよ。いつだってそうだったし」
「そうだよ、俺を頼れよ。でも乗馬の練習はきちんとしろよ。なにかの折に必要になるかもしれないからね」
「僭越ながら奥様、私ミルズが奥様の乗馬の教師をさせていただきます」
てっきりラカムが教えてくれるものだと思っていたのでビックリして、すぐに言葉が出なかった。
「奥様の教師ということで、誰がするのか騎士団ですごく揉めました」
ハイディンは人懐こく笑った。
他人にわたしの稽古をさせるなんて本当にラカムは忙しくなっちゃうんだなぁと思うと、楽しそうに見えた乗馬の授業もくすんで見えた。それから、わたしはラカムにどこまで甘えてるんだろうと反省モードに入る。
「奥様、わたしたちもおります!」
マリアが両手を握りしめてそう言った。
「今まで通り、なんなりとお申し付け下さい」
エイミーも祈るようなポーズでそう言った。
そうよね、さっき自分で言ったじゃん。なんとかなるって。
味方もたくさんいることだし!
◇
荷物の整理を侍女たちがしている間、城のことをいろいろ教えてもらう。
まず執事のスコット。柔和そうな白髪の紳士でほっとする。
それから侍女頭のニコル。ちょっと頭が硬そうだけど、礼儀もなっているし頼りになるタイプかもしれない。
ラカムの補佐をしてくれるリーアム。ラカムと同世代で真面目だけどユーモアのセンスがありそう。くせっ毛の栗毛にそばかすがチャーミングで童顔だった。
早速リーアムがやらかした。
「奥様が王国一美しいと評判でしたから、護衛は誰がやるのかものすごーく揉めまして! なんと総当たり戦ですよ! っていうのは冗談ですけどね。いや、こんなに美しい婦人にお仕えできるなんて使用人としてしあわせですよ」
「リーアム、お前は俺の補佐官だからな。アンと口をきくな」
「ラカム様、あんまりですぅ」
人物の選考は元々城に在中してた者以外はラカムが決めて雇った。
さすが冒険を長く続けてきたラカム、人を見る目があるわぁ。
ニコルが「奥様はお疲れでしょうから、お茶をいれましょう」と申し出てくれた。
そうなんだよぉ、もうくたくた。わたしは床にへなへな~としゃがみ込んで「お願いするわ」と言った。
「うちの奥さんは身体が弱くて体力がないんだ。廊下でへばってたらいつでも呼んでくれ」
ラカムはそう言っていつも通りわたしをひょいと持ち上げた。周りのみんながビックリする。⋯⋯顔に書いてあるのよ。
「わかりました。奥様を休めるところにお連れすればよろしいでしょうか」
「それはダメだ。アンを抱き上げるのは俺の楽しみだからな」
ふふ、とラカムは笑った。なんてヤツだ。ひとを自分の物みたいにいいやがって!
◇
と、とうとうその晩がやって来てしまった。
部屋が暗い⋯⋯。
ベッドサイドのランプの灯りが揺らめいて、なにもかも曖昧な空間だ。
お風呂を上がったわたしは侍女たちにバラの香水をまるでバニラエッセンスのように振りかけられ、寝室にポイされた。
マリアが「やっとですね!」とガッツポーズを見せた。「お部屋はロマンティックに飾りましたからごゆっくりどうぞ。朝は起こしにまいりませんので、呼び鈴でお呼びください」。
はぁぁあぁぁ!?
そんなに準備されちゃってんの?
みんなの顔を見ると、そろって満足そうな笑顔を浮かべていた。
チッ、やられた~。
こんなところでラカムを待ってるなんて「食われろ」と言われてるのと一緒。
ソファにもベッドにもバラの花びらが散らしてある。ううう⋯⋯。
覚悟がないわけじゃない。だって拾われた命だし。これくらい投げ出しても⋯⋯いや、命は一度投げ出したんだった。じゃあ同じじゃないって、そういうわけにも――。
キィッとドアが開いて、外の光が斜めに部屋に差し込んだ。
「アン? なんか真っ暗だな、あ?」
わたしは小さくなってベッドサイドに座っていた。それ以外、居場所を見つけられなくて。
「⋯⋯なんかごめん」
「いいの。今まで待たせたわたしが悪いんだし」
アン、と言ってラカムはガウン一枚でわたしの方に歩いてきた。わぁ、その時が!
「とりあえず目を瞑りなよ」
「え?」
「今日ばかりはアントワーヌじゃなくてアンを抱きたい」
じーんと来てしまう。ちゃんと考えてくれてたんだなぁと。乙女心なんてちっともわからないものかと。
「⋯⋯魔法、使う?」
「それはいい提案だけど⋯⋯魔法はもういいよ。アンが魔法を使わなくてもいい毎日を送りたいんだ。誠心誠意、君を守るから。――想像力だけで許してくれ。そこにあるのは美しいエメラルドの瞳だよ」
ラカムはランプを吹き消した。
窓の外の星明かりだけがわたしたちを照らしていた⋯⋯。
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