第18話 教会の小さな剣士

 北部への道のりは決して『新婚旅行』などと呼べるものじゃなかった。

 最初の二日、キンダー侯爵領を通って王室の別荘に泊まったところまでは良かった。

 それでもアントワーヌの身体では最近、ずいぶん丈夫になったとは言え、馬車酔いが酷く夜は身体がまったく動かなかった。

 正直、もうこれ以上馬車は勘弁、という気持ちだったけれど、アンとしてのわたしは王室の馬車より楽な乗り物はないことを知っているので我慢するしかなかった。

 三日目になると、アントワーヌはもう座っていることができず、途中、湖畔の高台で馬を休めるためにも休憩を取った。

 マリアとエイミーは北部まで着いて来てくれることになり、早速世話になる。お尻が痛いなんて、もう恥ずかしくて本当にイヤになる! この時ばかりはアントワーヌの体質を呪った。


 厚みのある織物を敷いてもらい、ラカムに膝枕してもらう。みっともないけど気持ちいい。なにしろこの身体と来たら『無理ぃ!』、『降りたい!』の連呼でうとうと昼寝さえさせてくれない。

「大丈夫か?」

「⋯⋯無理ぃ。置いて行って」

「できるわけないじゃないか」

 ラカムはわたしの頬をそっと撫でると急に大きな声を出した。

「奥様が熱を出した! 休憩したらすぐに次の別荘へ行こう」

 ああ、熱っぽかったのか⋯⋯。元々、身体はすこぶる丈夫だったので病気に気づくのが遅い。

「ごめんね」

「馬車の中でも膝枕してやるから、少し我慢して。冒険者だった時は馬にだって乗ったのになぁ」

 まったくその通り。

 旅をしていた時にはこんなに快適な馬車に乗れる程、裕福だった時はなかったし、谷間や山間地を行く時はもっぱら馬に乗った。

 馬が多かった時にはひとりで乗ったし、足りなかった時には相乗りもした。なのに、だ。

 今は馬車酔いで動けない⋯⋯。


 ガタン、ガタン、と同じ音しか立てない馬車をわたしは恨めしく思っていた。ラカムの膝は心地良く、お尻の下に敷物をしいてもらったのでさっきまでよりはかなり快適ではあった。

 でもこの音だけでも耳の中でこだましてとても堪らなかった。

 わたしは思い付きでラカムに話をせがんだ。

「なんだよ、子供の頃の話って。ほかの子供と変わらないよ」

 嘘だ。ラカムは教会育ちだって言ってたもん。

 じっと目を見る。

「わかった。降参。でも触りだけな」

 にこっと笑顔を作る。ラカムも少しリラックスした表情になる。


「俺はお前の予想通り、町外れの小さな教会に捨てるれてたんだ。布にくるまれてただけで、なんの親の手がかりもなかったってシスターは言ってた。

 それで教会のみんなに良くしてもらって、そのうち日曜日にいつも説教を聞きに来る剣士と出会った。まだ十になる前かな?

 俺は捨てられたこともあって、ずっとただ強くなりたかった」

「その人が教えてくれたの?」

「ああ、街の人だったんだけど、夏の間、避暑に来ていて毎日剣術を習いに行った。翌夏まで稽古を続けてまた会いに行った。そんな年が十二になる頃まで続いて、それで聖騎士になればいいと教えられたんだよ。よく言えば住み込みで剣術を習えるわけだから」

「いい人だったんだね」

「ああ、あとで知ったんだけど貴族だったらしい。なのに孤児だった俺にあんなに親切にしてくれた人はほかにいないよ」

 表情が緩んで、ラカムがその人にどれくらい好意を持っていたのかがわかる。

「ただ――自分の夢のために教会を出ることができなかった。お終い」


 え!?

 今は教会を出て、僧侶ではなくて冒険者になったのに?


「不思議だろう? ――十五になった時に言われたんだ。『あなたはもう十分育ったから、外でも生きていけるわね』って。これがおかしな話で、そう言ったシスターが何故かポロポロ涙を流してるんだよ。こっちは泣きたい気分なのに、さ。

 まぁ、そんなわけで今の俺になったって言ったら通じる?」

「うん。⋯⋯寂しかったね」

「いいんだ、今は寂しくないから。この前、匿名で程々の金貨を送っておいた。今頃、驚いてるんじゃないかなぁ?」

「バカね、今じゃラカム・ディケードの名前は国中に広まってるんだもん。あなたが英雄になったって、シスターも知ってるよ」

「確かに」

 馬車の揺れは道が良くなったのか静かになってきた。木漏れ日が美しい。

「今度行く時は一緒に行くね」

「もっと馬車に乗ることになるけど?」

「ひどい! それまでにもう少し慣れるもん」


 馬車はわたしたちを確実に次の別荘地に送り、わたしは見事に寝込んでしまった。


 わたしたちは話し合った結果、身体に悪い結果が出るかもしれないけど、アントワーヌの力を借りることにした。十分注意して、神聖力が漏れないように気を付けて。

 神に祈りを捧げると白い光が身体を包んで、幾分、身体が楽になった気がした。


「やったー! もう二度と城には辿り着かないかと思った!」

「俺もだよ。お手上げだった」

 ごめんね、とギュッと手を握る。神聖力を使ったせいか、やけに手のひらが温かい気がして冷たいタオルを用意してもらう。

「あー、新婚旅行も楽じゃないなぁ。初夜はいつ来るのかわからないしなぁ」

「そういうこと言うから気持ちがそっちに向かなくなるんでしょー!」

「だってもう夫婦なんだし」

 静かに手を繋いでキスをしたのは、神様に見られているような気がしたからかもしれない。それとも、教会の話を聞いた後だったからかも。


「考えたんだけど、明日はバレないように浮遊魔法を使おうと思うの」

「いくら魔力が豊かだからって、体調も悪いのに一日中、そんなことさせられないよ」

「それ以外、方法ないもん。⋯⋯北部に行ったら乗馬を習うから、だから、今日は寝るまで手を繋いでいて⋯⋯」

 わかったよ、という言葉を聞く前にわたしは眠りに落ちた。彼の手はひんやりして、とても気持ちが良かったから⋯⋯。

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