第16話 吉兆の日

 その日は指折り数えた通り、やって来た。

 教会の高い塔の上に青空。白い鳩が旋回する。

 陛下に手を引かれて、白い王室の紋章が入った馬車に乗る。馬まで白い。

 向こう側でラカムも白い馬車に乗るのが見える。今日は別々だ。

 青い空に白い鳩が旋回する。――吉兆だ!


 ◇


 まさかバージンロードを陛下⋯⋯お父様と歩く日が来るなんて思ってもみなかった。どうせ陛下にへこへこしている貴族の誰かが代表して歩くのかと。

 でも、こうして一緒に歩いてくれるのには陛下なりの思いやりがある。わたしをどこぞの馬の骨にくれてやるわけではなく、わたしの王女としての地位を確立してくれてる。

 この先、ヘボい貴族にバカにされないように。

 王宮を出て結婚するということは、王位継承権を放棄することとほぼ同義だ。

 皇太子になにかがあった時以外に、わたしの出る幕はない。

 だから、陛下は自分が娘の後ろ盾だと示してくれたんだ。今更ながら、深く感謝する。


 バージンロードを途中まで行くと、そこでラカムが緊張した面持ちで待っていた。ラカムは陛下に「きっとしあわせにします」と小声でそう言った。わたしはラカムのそんな律儀なところがすきだなぁと思って、頬を染める。

 陛下は意外にも「よろしく頼むぞ」と仰ってわたしの手を離した――。


 新しい世界の始まりだ。


 ◇


 披露宴のパーティーでは新しい伯爵に取り入ろうとする貴族が列をなしていた。ラカムが貴族年鑑をすべて暗記したとは思えない。適当な返事が聞こえてくる。

 それでも北部の家で押さえなければいけないところはチェックして渡したので、念入りに挨拶⋯⋯してくれたらいいんだけど。


 やがて音楽が始まって、宮廷音楽家たちがワルツを演奏し始めると、お約束通り、ラカムは客人の人波を抜けてわたしの前に膝まづいて手を取った。

「一曲目は私と踊っていただけますか? マイレディ」といった具合に!

 その姿は練習の時と違って颯爽としていて、とてもステップを踏み外すような人には見えなかった。 

 わたしは彼の、わたしの手を引く横顔をぽーっと見てしまい、たくさんの人に自分たちが注目されていることを忘れてしまった。


 ――予定通り、ワルツは緩やかで、それでいて華やかに見えるものを踊った。

 ターンする度にドレスの裾が回る。披露宴のドレスは淡い水色で、それはあまり派手ではなかったけどマギー夫人のダメ出しはなかった。装飾も銀を主体に、アクセサリーは真っ白い真珠を選んだ。

 ラカムのリードは完璧で、どこでこんなに練習したんだろうと不思議に思う。

 でもそんなことより、リードされて思うようにステップを踏む楽しさは何物にも代えがたいものだった。アントワーヌもきっとそう思ったはずだ。

 くるくると踊ると、ダンスの終わりにはフロアに人の姿はなく、ものすごく大きな歓声が上がった!

 たくさんの人たちの祝福の中、わたしたちは認められて夫婦になった。


 招待状を書いたシャロンたちも四人で挨拶に来てくれて、ツンとしたシャロン以外、わたしたちは同年代で和気あいあいと過ごした。

「それでは殿下⋯⋯いえ、伯爵夫人はすぐに北部に立たれるのですね」

「ええ、ここにずっといても北部のことは本で見る限りですし」

「わたしたち⋯⋯」

 ミリアムが言い出しそうにしている。そんなになにかあるのかな、と気になる。

「しばらく首都にいるんですけど、戻ったら遊びに行ってもよろしいでしょうか?」

「もちろんです! みなさんはわたしの北部での最初のお友達じゃないですか」

「そんな! もったいないお言葉」

「じゃあお願いします。お友達にしてください」

「夫人、お止め下さい。わたしたちがお友達にしていただきたいのです」

 これはもう水かけ論なので、わたしが折れた。

「できるだけ早くいらして下さいね」と。


 その後はヒューとガイがやって来た。

 踊れなくなったわたしと違い、ラカムには待ち列ができていた。余程さっきのダンスが素晴らしく見えたに違いない。

 新しいわたしを初めて見たガイは「あの時助けてくれてありがとうよ」と彼らしく謙虚にそう言った。

 そういうことはもういいんだよ、とわたしは笑った。そうだ、みんな生きている!




 パーティーの途中で疲れてしまったわたしは、バルコニーで熱気を冷ましていた。

 ふぅ、と一息ついてベンチに座り、宮廷のバラ園を見下ろしていた。⋯⋯こことももうすぐお別れだ。

 なにもいいことなんてなかったはずなのに、なにもかもが愛しく見えてわたしは自分の肩を抱いた。

 そこにふわっと、なにかが掛かった。

「失礼、レディ。肩が寒そうだったので」

 振り向くと、そこにはブロンドの巻き毛の男性がいた。人のよさそうな顔をしている。

「あ、伯爵夫人、ご結婚おめでとうございます。僕はシャロンの兄のダニエル・キンダーです。妹と仲良くしてくださってありがとうございます。妹はあの通りですので、なかなか打ち解けた友達ができなくて」

「キンダー侯爵の御令息ですのね」

「そういうことになります。ですが、よかったらくだけた呼び方でお呼びください」

 と、言われてもねぇ、と思う。わたしが『夫人』なのに『ダニエル』とは行くまい。

 でもそのシャロンとは似ていないアライグマのような丸い瞳を見ているとそんなことは言えなくなって、つい「ダニエル様」と声をかけてしまった。

「はい。そうお呼びいただきうれしいです。北部のことならなんでも僕に聞いてください!」

「ご親切にありがとうございます。あの、ジャケット⋯⋯」

「そのままでいいです。いつかお返しいただければ」

 再会のフラグを立てられてしまった。

 でもそこに、いつでも丁度いいタイミングで現れる男が来て、彼も怖気付く。

「ラカム、キンダー侯爵の」

「ああ、これからよろしく。妻がお世話になったようで」

「こちらこそよろしくお願いします。あの、末永くおしあわせに!」と言うと一度振り向き、ホールに早足で戻ってしまった。


「なにを話してたの?」

「特になにも! 上着を借りたの」

「俺じゃ足りない?」

 ラカムは後ろからわたしを優しく包んだ。ドキッとしたけど毎回ここで負ける訳にはいかない。

「足りないわよ! 今日は何人の令嬢と踊ったの?」

「⋯⋯さぁ? なんか次から次に来るものだから数なんてわからないよ」

 ハァーッと、わざとらしく大きなため息をつく。バラの花もきっと揺れた。

「だから、そういうところ。わたし以外はダメだからね」

「じゃあパーティーは食い専門になる」

「パーティーは社交場だからいろんな方に顔を広げないと。そうじゃなくて」

 今度は後ろからギュッと力を込めて抱き締められ、不覚にもキュンと来る。

「わかってる。早く部屋に帰ろう」

「わかってない! 絶対わかってないから!」


 新婚初夜というのは、実在するのだろうか?


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