第14話 初めては楽しみに取っておいて
勇者ふたりを迎えた応接室はティーセットが並べられ、使用人たちには下がるように指示した。
わたしは魔法で話を聞かれないよう、以前の誰かの忠告を守った。
「いやぁ、どこから驚いていいのかわかりませんよ」
僧侶服に身を包んだヒューは驚いてばかりだった。
なにしろなにも知らずに城からの尋常ではないメッセージで呼び出されたのは不幸だと言える。うん、同情。
「わたしたちの秘密はたくさんの人にバレては困るのよ」
「それはわかりますが、いやはや、あの跳ねっ返りが王女殿下に。え!? まさか凱旋式の時も?」
「アンがアントワーヌだったよ」
ラカムが微妙な顔で苦笑した。
「俺の嫁さん、最高だろう?」
「その⋯⋯アンが最期の魔法を詠唱した時には火事場のクソ力的なもので難度の高い魔法を成功させたものかと思ったんですよ。それからラカムが『命の鎖』の術を使うと聞いた時には驚きましたよ! 教団でも禁忌として扱われている呪文をどうやって知ったのか」
「片っ端から聞いて歩いた。――嘘。俺、教会育ちなんだ。アンみたいな神聖力はないけどね。聖騎士団には推薦されそうになったよ」
「どおりでキレイな太刀筋のはずですね」
わたしも知らない話にぽけーっとなる。そう言えば、わたしってラカムのこと、冒険者だってことしか知らない。教会育ち⋯⋯ラカムも孤児だったんだ。
「昔語りはすきじゃないんだよ。湿っぽくなる」
「ま、まぁそうですね」
「俺にはヒューが貴族の出だったことが驚きだった」
「え? そうなの?」
ヒューは男爵家の次男坊で、教会の神官としての修行の一環として旅に出ていたという。
もしも、ヒューが旅に出ていなかったら。
「わたし、生き返らなかったし、先日も魔界行きだった」
「いやいや、アンがいなければ我々パーティーはみんな今頃、墓の下だったんですから」
申し訳なさそうに、ヒューはそう言った。
「アンは力はすごいんですがね、察知能力が鈍い。あなた、耳たぶになにか着いてますよ。気付いてますか? それもかなり
「ええっ!? 取れてないの?」
「⋯⋯なんだよ、それ」
「えーとぉ」
ラカムがジト目になってる。
くぅ、こんな時まで二枚目だし。
「花嫁の印だって」
今度はがくーっとうなだれた。
「あの姿のアンを愛してるのは俺だけだって自信があったのに」
「あなた、アンに失礼ですよ。アンも早く消しなさい」
「はぁい」
上手くするりと外せるかわからなかった。ここはアントワーヌの力を借りないわけにはいかないだろうと。
指先に力を集中して、耳たぶを挟むようにして祈りを捧げる。パァっと真っ白な光が一面を照らして、指先から清浄な力が届いたことがわかる。⋯⋯この印を着けた者の不在も。
――ただ、光とともにまたふわふわした雪虫たちが発生して駆除に追われた。どうも彼らはホワイトフェザードラゴンの眷属らしい。
ホワイトフェザードラゴン。
これまでその姿の片鱗を見たことはなかった。けれども今回の件でわたし、アンの守護龍だということが判明した。アントワーヌは亡くなった以上、魂の守護者はいない。
とても珍しい龍なので、今まで見たこともなかったけど、その背中に乗ると懐かしいような不思議な気持ちになった。
もしかすると、わたしの亡くなった両親が幼かったわたしのためにつけてくれたのかもしれない。両親のことはまったくわからない。こんなものを従えられるのは、ただの平民ではなかったからかもしれない。
いずれにせよ、死が訪れたあの日ではなく、昨夜だけ現れたというのは意味深だった。わたしの死はやはり運命だったのかもしれない⋯⋯。
わたしの命は運命の輪から外れた。
そんな考えにわたしは囚われた。
◇
結婚式に向けての準備はわたしには着いて行けない恐ろしい早さで進められた。
特にマギー夫人ははりきってしまい、マナー講座はより厳しさを増し、ダンスのレッスンは熾烈を極めた。
毎日、足がくたくたになるまで踊らされて、アントワーヌの方は体力の限界だった。そんな日はラカムが寝るまで手を握ってくれた。
彼は着実に使用人たちの信頼を得て、真夜中にレディの寝室に入る権利を得た。
恐ろしい程の努力と執念!
お陰でわたしは忌々しい夢を見ることなく、安心して眠ることができた。
忌々しい夢はやって来ると、白い羽根に覆い隠され、わたしは龍の背に乗っていた。
聖なる力がわたしを眠りの中でも守ってくれる――。その話をするとラカムは「安心だよ」と微笑んだ。
ラカムにかけた迷惑を考えると心がひどく痛んだ。
そもそもわたしはラカムによって生かされたわけだし、彼にこれ以上、迷惑をかけられる立場にない。
どうやってその恩恵に礼を尽くしたらいいのか、考えは空回りして、勉強にも身が入らなかった。
これこそが、師匠のもたらした弊害だった。
「あのぉ」
「どうしたの?」
「⋯⋯いつもありがとう」
「どういたしまして」
万事が万事、そんなふうでお礼もきちんと言えない自分に失望した。ラカムの澄んだ瞳を見ると、心が痛んだ。
自分のせいでないとはいえ、別の人の花嫁になろうとしていた自分は最低だと思った。
「ラカム、話があるの」
「なんだい?」
「あの、ずっと有耶無耶にしてたけど⋯⋯いろいろ迷惑をかけてごめんなさい!」
ラカムは自分の座っていたソファの隣をポンポンと叩いた。座るように、という合図だ。
「迷惑はかかってないんだ。早く気づかなかった自分にガッカリした。悪魔が近寄っているのによりによってお友達ごっこしてたなんて、教会育ちが聞いて呆れるよ。
アンが気付かなかったのは、アイツに育てられて信頼してたからだ。育ててくれたことには変な話だけど俺も感謝しなければいけない。アイツは恩人でもある。だけどどうしても許せないのは」
ラカムは拳を強く握り、顔を伏せた。
やっぱり殴られたりするかしら、とその心づもりでここに来たことを思い出す。
「優しくするから、いい?」
「どうぞ」
目をギュッと瞑る。
優しくってどれくらいだろう?
聖騎士候補だったくらいなんだから。
スッと顔を持ち上げられる。キターと思う。歯を食いしばって、きっと間抜けな顔をしてるに違いない。
⋯⋯突然ふわっと、やわらかいものが歯を食いしばったわたしの唇に触れた。一瞬触れて、すぐに離れる。
わたしはそろそろと目を開いた。
「歯を食いしばらないで。ごめん、我慢も限界」
優しいキスは初夏の森に降る雨のように、いくつも降ってはまた続いた。そして⋯⋯。
すっかり緩んだ歯を割るようにして、その⋯⋯。
キスは長く、長く続いた。
「初めてを楽しみに取っておきすぎた自分が大馬鹿者だと思う。アンを好きになるのが自分だけだなんて、どうしてそんな傲慢なことを思ってたんだろう?」
わたしは唇を閉じるのを忘れてぽかーんとしていた。
「わたし、穢らわしい?」
「バカだな、悪魔を魅了する程、清純なのに」
「⋯⋯わたしも初めてはラカムだと⋯⋯」
ラカムは手指を組んで、大きく上体を伸ばした。
「欲を言えば、アンの姿の時にしたかった! 誰が見ててもすればよかった! 突然すぎてもすればよかった! 後悔ばかりだよ」
「あんなにみすぼらしいのに?」
「俺にとっては世界一の女の子だ。命を懸けても惜しくないくらいにね」
甘いキスは頬に飛び火した。でもそれで終わりだった。
「残りは結婚してからに取っておこう」
残り!? ドキーンとして心臓が口から飛び出しそうになる。その心臓もバクバクしていた。
「浮気はもう勘弁だよ」と彼は付け加えた。
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