第13話 偽りの器
気が付くとそこは懐かしい、あの小さな村の外れの小屋の中だった。
わたしはベッドに横たえられていた。
指先を見ると、それはアン・ブリッジのもので、アントワーヌのものでは決してなかった。指先も爪もガサガサ。
まるで、長い夢を見ていたような⋯⋯。
わたしが王女殿下になることなんて決してあることではないし、まして魔王を倒したり、ラカム⋯⋯。ラカム、それは誰?
ベッドで丸くなる。
師匠はまたわたしの知らないところで魔法の研究でもしてるんだろう。部屋には誰もいなかった。
胃が空っぽな気がしてキッチンに行くと、キャベツのスープが残っていたので、それをいただく。
今日も髪は最悪だ。
いつだって寝起きは最悪なんだ。
スープを飲んだらひとつにまとめようと決める。
ひとりの部屋は静かだった。
森の中にいても、次第に夜が近づいてくる気配を感じた。小さく見える空はオレンジと水色の切ないせめぎ合いをしていた。
食器を片して、魔導書に目を通していた時のことだった。馬の早駆ける音が近づいてきた。馬は一頭ではないようだ。
どうしよう? 師匠に急なお客様だとしたら。わたしでは相手が勤まらないかもしれない。
とりあえず衣服を見直して、みっともない髪を結び直す。急にふくよかになったりしないのだから、このままで仕方ない。
「こっちだ!」と若い男の声がする。怖い。師匠の知り合いじゃなかったらどうしよう。
どうしよう、怖い。
「ラカム! あの小屋だ!」
返事はなく、誰かが馬から飛び降りた。そのまま走ってくる。
ドンドンドン、拳を打ち付けるようなノック。
「お願いだ、アン。いるなら開けてくれ」
「小屋の中は魔法がかかっていてなにも見えない。アンも確認できない」
「お願いだ、アン。俺に助けを求めただろう?」
助け?
知らない人に助けを求めるなんて。でも、相手はわたしを知ってる。
「アン、なにがあった? 俺に会えない理由でもあるのか? 北部が嫌だったのか? それとも結婚が?」
北部、結婚、ますます混乱する。手のひらに汗をかく。
「アン!!」
ガタン。
わたしはその人の気迫に押されて閂を抜いた。そしてそっとドアを開けた。
「⋯⋯どちら様ですか?」
ドアの前にいる青年は白銀の見事な髪と、透き通るような水色の瞳を持っていた。その瞳が今、濡れている。
「本当だ⋯⋯ラカムの言った通り、アンは生きてたんだな」
わたしは小首を傾げる。訳がわからないから。
「アン⋯⋯お願いだ。嫌われてもいい。髪を一度、触らせて」
その青年は恐る恐る近寄ると、よりによってわたしの一番のコンプレックスである赤毛を⋯⋯優しく撫でた。不思議な気持ちだった。
「ああ、アン。姿が変わっても構わなかった。けど君の今の姿を見たら⋯⋯抱きしめずにいられないだろう?」
ふんわり。
不思議と嫌な気持ちはしなかった。
極上の羽毛の布団だってこんなにやわらかくないに違いない。
青年はわたしの肩から顔を起こし、わたしの頬に触れた。こそばゆかった。
「アン・ブリッジ。戻りなさい」
後ろの馬から降りた男が神の、太陽を司った紋章をかざして近寄ってくる。怖い。一歩下がる。
「アン、僕だよ。ヒューだよ、忘れたのかい? 君が僕にサインを送っただろう? ほら、机の下の」
「なんのことだかわかりません」
「この森の名前を神聖文字で。上手く隠してあって王室の神官も魔導師も見つけることができなかったよ。さすが王女殿下の神聖力だ」
「なんですか? いきなりやって来て。わたし、なにも知りません。師匠をお待ち願えませんか?」
「その師匠が――」
空は恐ろしいほどの漆黒。
雷の轟音がとどろいている。
稲光が時々、見知った顔を照らす。
「その師匠が問題なんだよ!」
青年は剣を抜いた!
わたしは大変なことになったと思い、小さな印を指で結んで高速詠唱をした。青年が吹き飛ぶ。
「なんてことだ! アン、ラカムを忘れたのかい?」
「いいんだ、これくらいのことは覚悟ができてる。どんなに抵抗されたって、アンに思い出してもらうさ。その上でこのクソ魔導師と比べてもらおうじゃないか!」
鋭い剣先をするりと躱し、師匠はなにかを呟いた。見間違いでなければ――師匠の目は金色に変わっていた。あれは――。
「気をつけろ、ラカム! アイツ、悪魔だ!」
後ろの僧侶が叫び、そして魔除けの紋様を描き始めた。ああ、あの形は知ってる。かなり高度な魔除けだ。
わたしはどうしていいのかわからずに呆然と立ち尽くした。
師匠が悪魔?
それとも乗っ取られている?
「諸君、驚いているようだな。ユーリという男は元々存在しない。ユーリはアスモデウスとタロット使いの女の間に生まれた半妖だ!」
「アン! 危ないからこっちに来るんだ」
「そんな、師匠が」
「アン! 言うことを聞いてくれ」
「ああ、だからこそ溢れるほどの魔力を持っていたのね!」
わたしの両頬は涙で濡れていた。
わたしだって親のように慕っていた彼が半妖だなんて、にわかに信じられなかった。けど、あのキスは――。
「我、命ず。この真なる力を持ちて、内なる力を解放する。
自分でもどうしてこんなことができるのか不思議だった。師匠に教わったわけじゃない。
アントワーヌの力を近くに感じた。でも彼女からは助けしか得られていない。
森の中の羽根を休めていた鳥たちが一斉に飛び立つ。
雪虫が一面に舞い散り――。
「見ろよ! ホワイトフェザードラゴンだ!」
そこには真っ白い羽毛を持った、巨大な龍がいた。その聖なる力は穢れたすべてを拭っていく。
わたしは吐き気を感じて座り込んだ。雪虫たちが魔力の奔流とともに森中を飛び回る。
「アン――アンよ。もう無駄なあがきはやめるんだ。儀式は終わっている。さぁ、お前の姿を見るがいい。神が与えた偽りの魂の器はわたしが壊した。もうどこにも行くところはないだろう!」
「アン! アイツの言うことを信じるな! 俺は君がどんな姿だろうと変わらず愛すると誓いを立てている。恐れることはない。早く、こっちへ」
「でも、でもどうやって? わたし、師匠だってわかってて討つことなんてできないよ。例え半妖でも、わたしを一人前にしてくれたのは師匠だもの」
「アン、
「⋯⋯ラカム、わたしを置いていって」
その時、上空から白い翼を散らして白龍がわたしを背中に乗せた。その背には清浄な気が流れ、わたしはみるみるうちにアントワーヌへと姿を変えていった。
「おのれ、私の施した術を破るとは。さすが私の花嫁だ!」
「じゃあアンの魂の器の話は嘘だったんだ、な!」
ラカムが魔王を討伐したというその剣で、一回り身体が大きくなった半妖に斬りつけた!
「師匠!」
師匠は身体を大きく歪め、地面に倒れ込んだ。
「アン、私のアン。私を愛しているのではないのか――?」
「師匠のことは愛しています。でもそれは雛が親鳥に抱く愛なんです。わたしの愛しているのはやっぱり⋯⋯」
「⋯⋯偽りの魂の器では辛いこともあろう。しあわせになるといい⋯⋯」
「師匠――!」
傷だらけの身体で、その半妖は姿を消した。白龍の咆哮を身に受けて⋯⋯。
「アン!」
「ラカム!」
わたしは龍から降りるとラカムの許に走り寄った。ラカムはいつもよりずっと強く、わたしを抱き締めた⋯⋯。
「骨が折れるよ」
「それくらいのバツは覚悟しろよ」
「バツ?」
ラカムはわたしの鼻をつまんだ。
「浮気のバツ!」
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