第10話 壊れそうな月
ティーパーティーはシャロンが先に帰ってしまったことを除けば、突然の珍客が現れたにも関わらず成功に終わった。
帰りには焼き菓子の詰め合わせと、師匠が作ったもふもふちゃんを紙箱に詰めたものをお土産に持たせた。
「またいらしてくださいね」と言うと「殿下の結婚式とどちらがお先でしょう?」と茶化されたので、「それまでにもっとたくさんおしゃべりしたいです。北部についてもっと教えてくださいね」と感じ良く微笑んだ、と思う、多分。
少なくともラカムは「あざとかった」とは言ってなかった。
さて、問題の師匠だ。
一体どういうつもりで現れたのか?
ティーパーティーをやっている、というのはどこかの噂話で聞いたのだとしても、参加する? 普通?
弟子の社交活動にもっと暖かい目を向けてくれてもいいと思う。
もちろんラカムは別。
来てくれるとは思わなかったけど、うれしくないわけじゃなかった。ただ⋯⋯ほかの令嬢にも微笑むのはあまりよろしくないと言うか。やだなぁと思う自分がやだ。
ラカムのことになると時々おかしくなる。
冒険をしていた頃はちっともそんなふうに思ったりしなかった。頼もしいなと思ったけど、もっと頼もしいガイがいたし。相談なら神の御心に適う解決の仕方をヒューが教えてくれたし。
ラカムは⋯⋯ラカムはわたしのなんだったんだろう?
例えば師匠は若いのに申し訳ないけど親代わりでしょう。少なくとも肉親のような。
でもラカムはわたしがこうして過去を振り返ってもなにも出て来ないのに、わたしの命を自分の命で救ってくれた。
――それって、少し重いかも。だってその重さで心の天秤はもう傾いちゃって、平行に戻れそうにない。
今更だけど⋯⋯恋って大変なんだね。
「プリンセス、私を呼んだかな?」
「し、師匠! バレたら大変です。淑女の寝室に恋人でもない男がいたなどと! 大体どうやって幾重にも張ったシールドを破ってきたんですか?」
「心配ない。きちんと塞いできたよ。宮廷魔導師たちの立場にも関わるからね」
もう、と怒って見せる。いっつもなんだかんだ丸め込まれちゃうのは、やっぱりずっと面倒を見てもらってたせいでなにもかも隠すところもないからなのか。
「悩み事かい? 私に話すといい。北部に行くのが不安かい?」
「北部は⋯⋯」
はぁ、とひとつため息が落ちた。
「陛下の命ですし、勇者の伴侶として行くつもりです。もちろん冬の厳しい寒さに今の身体がついていけるのか不安ですけど、どうしようもなければ厳冬期の二ヶ月、王宮、もしくは別邸で過ごせばいいとラカムも心配してくれてますから」
「ふぅん。私を連れて行けばいいじゃないか。毎日、城中の部屋を暖かくしても尽きない魔力がある」
「あのですねぇ、それならわたしにも無いわけじゃないですよ」
「確かに。しかし王女殿下に強大な魔力があることは今は誰も知らない。あの男以外は。知られてはいけない」
「⋯⋯ですね。気を付けます」
細い月は、まるで闇夜にぶら下げられた飾りのように今にも揺れそうに見えた。ひょっとしたらどこかにぶつかって割れてしまいそうに。
「私はね、アン、君を助けられなかったことを後悔している。あの男のようにすべてを投げ打てなかったことをね。
しかし、それと生涯を共にするのとは話が違うんじゃないのか? 助けてもらったから彼に人生を捧げるのかい? 私を愛してはくれないのか?」
「⋯⋯考えたこともありませんでした。だって師匠に会った時、わたしは本当に薄汚れた女の子で、誰かに愛される自信なんてこれっぽっちもなかった。まして、自分に誰かを愛する資格があるなんて」
「でも今、君は恋をしている」
痛いところを突かれた。
胸の奥がズンと痛む。
ラカムのことを考えると、また発作を起こしてもおかしくないとさえ思う時がある。
もしもラカムと離れる時が来たら⋯⋯わたしはどうしたらいいんだろう?
「そんな顔はしないで。さぁ、月を見て。今からあの月は揺れるよ」
小さい頃、悲しくなるとそんなマジックをよく見せてもらったことを思い出す。
月は、ペンダントのようにゆらゆらとゆっくり、揺れ始めた。右、左、右、⋯⋯。
突然、顎を持ち上げられて正気に戻る。ハッとした時にはもう遅くて⋯⋯わたしは師匠と本当のキスをしていた⋯⋯。そんなの許されない⋯⋯。
「こんな卑怯な手は使いたくなかったんだけど、アン、君が冒険者などに固執するから。
――さぁ、ゆっくり目を閉じて、これから花咲く草原に飛んでいくよ。次に会う時には必ず私を『ユーリ』と呼ぶんだよ⋯⋯」
花は踊るように風に舞って、花びらが水のように空気中を流れていた。空は曖昧なシャーベットオレンジで甘い香りが一面中漂った。
浮遊感。
わたしは身を横たえているだけでもまるで水中に身を浮かべているようだった。
眠い⋯⋯とにかく眠い。そろそろ寝る時間なのかもしれない。月が⋯⋯。
◇
翌朝は不思議な夢のせいであまり眠れず、ぼんやりしたまま朝食を取った。ラカムが額に手を当てて「熱はないな」と呟いた。
それがなんとなく不快で、わたしは「病人扱いしないでちょうだい」と言った。
午前中はティーパーティーのお礼状が届いていたのでその返事を書いた。
かわいらしい令嬢たち。みんな、雪国の生まれだけあって肌が真っ白で美しかった。白い肌、バラ色の頬、美しいアントワーヌになかった唯一のもの。
最近、少し体力がついてようやく頬に赤みが差してきた。
ああ、雪虫。
デスクの上を雪虫が飛んでいる⋯⋯。取り逃したのかもしれない。それとも北部のことを考えて、知らず知らずに呼んでしまったのか。
意識がゆらゆらする。
「アン!」
ハッと正気に戻る。なにを見た? 幻覚? ここは雪国ではないのに。
「どうした? 具合が悪いのか? それとも」
「なんでもない。なんでもないから離して」
「お前、朝からおかしいぞ」
わたしはラカムをキッときつく見た。
ラカムは怯んだ。
「婚約者だからと言ってまだ結婚もしていないんだし、あまり干渉しすぎないでよ」
「⋯⋯わかった。無遠慮だったよ。気を付ける」
ようやくラカムは部屋を出て行った。
はぁ、と大きなため息が出る。
一体なんだっていうんだろう? ラカムのこととなるとこんなにイライラするなんて。
昨日まではどうやって暮らしていたんだろう?
ラカムがずっとそばにいて――よく平静を保てたものだ。
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