第5話 世の理、因果律、運命の輪

 その声は堂々として力強く、一瞬にして魔法陣を消してしまった。

 遠くに控えていた侍女たちには、タンポポの綿毛が一面に飛んだように見えたに違いない。その、不思議な生き物たちも消滅し、侍女を除くと温室にはわたし、ラカム、背の高い少し年上の魔法使いが残った。

「エイミー、マリア、悪いんだけどここでお茶ができるかしら? お客様なの」

「三名様分ですね、畏まりました」

 ふたりはパタパタと走って行った。わたしたち三人は二人を見送ると、顔を見合せた。


「師匠~! どうしてここがわかったんですか?」

「私は王室魔導師のひとりだ。⋯⋯アン、あの魔法は使ってはいけないと教えただろう? お陰で魂の器が壊れ、君のかわいい顔が見られなくなってしまったじゃないか」

「またまたぁ。師匠はお叱りもスイートですね」

 きゃっ、なんて言っているとぐいとラカムの逞しい腕がコルセットのウエストに回された。

「誰?」

「あれ? 会ったことなかった? アンの魔法の師匠のユーリ・ジェラルド教授。元は魔法研究所の教授だったんだけど、森に捨てられたように暮らしてたアンを拾って、魔法を教えてくれたの」

「アン、そんなに褒めないでおくれ。それじゃあ私の魔力が素晴らしいみたいじゃないか」

「師匠の魔力は素晴らしいです! 魔法理論も最高だから、わたしがこうして魔法陣もちゃんと描けるようになったんですよ」


 わたしは師匠が大好きだった。

 文字通り、孤児同然だったわたしを自分の家に連れて行き、一から魔法を教えてくれた。

 しかも、この世の全てを愛せるような美しい魔法を主に教えてくれたのはこの人だ。

「お嬢様、お支度が整いましたよ」と声がかかるまでラカムは一言も話さなかった。




「ところで――」

 カップを持ったまま、ラカムはチラッと長い黒髪の師匠を見た。

「君がややこしいことをしてくれた張本人か。悪魔との取り引きみたいなことをして、このままではアンが転生の輪から外れてしまうじゃないか。なんて考え無しなんだい」

「お言葉ですが、それではアンを失っても良かったかのように聞こえます」

「⋯⋯アンを引き止めたよ、十分すぎるほどにね。君たちが村のギルドに立ち寄っていた時だったね。旅に出ると言ったアンをどれ程止めたか。

 ――アンの実力はずば抜けて素晴らしいものだった。君も見ただろう? あんな伝説級の魔法を高速詠唱でとなえるなんて、彼女にしかできないよ。

 私はね、アンを愛していたんだ。ずっと手元に置いて、一緒に研究を続けるつもりでね。それなのにアンは君を生かすために魔法を発動させ、君はアンを甦らせるために神と契約しただと? バカかね、君たちは」


「師匠! わたしが守ろうとしたのはパーティーですよ」

「その前に訂正願いたい。『愛してる』ならどうしてみすみす彼女を殺すんだ? 高位の魔法使いなんだろう?」

 師匠の手は、カップの持ち手を握りしめたまま、プルプルと震えていた。ああ、黙っていれば誰もが虜になるイケメンなのに、残念なことに激しやすい⋯⋯。

「いいかい? 世の理、運命の輪、私たちはそういう世界で生きている。魔法というのはそういった世界の成り立ちの因果律で成り立っているものだ。アンは君たちを助けた。しかし、自分というものをすべて引き換えにした。これが因果だ。だが君のしたことは――」

「お説教は結構です。世界の成り立ちにも興味はありません」

「しかし! 因果律を曲げると世界に影響が出るかもしれないんだぞ」

「知ったことじゃないです」

 ラカムはマカロンをひとつ、口に放り込んだ――。


「アンを失ったことで、俺の世界は一度、終わりましたから。最初、契約したもののアンの甦った魂が見つからなかった。神はそこまで親切ではなかった。

 しかし結婚のためにアントワーヌ王女殿下とお会いした時、すぐにわかりました。弱々しい彼女に、燃えるようなアンの魂の源を見つけたんです。

 話になりませんね。アンを連れ戻したいのかと思ったけれど、因果律などに縛られているなんて。俺たち冒険者が一番嫌うもの、それが『運命』です」

 離れて見ていたエイミーとマリアが、話の内容は聞こえなくてもこちらの気迫でまずいことになっていると感じている。わたしは下がっていいわ、と合図をした。


 わたしは自分がどんな顔をしているのか、まったく想像がつかなかった。

 ふ、二人の男がわたしのことで言い争っている!?

 ないでしょー?

 わたしなんかどうせ今、本物のアンじゃないんだし、アントワーヌの前で争われたところで!


「よし、国王に話をしよう。君は別の姫君をもらうといい。私が彼女をもらい受けよう」

「は? なにを言ってるんですか?」

「こう見えても首席王立魔導師なんでね、陛下は私を無視できない。魔塔が反乱を起こしては困るからね」

「は、そんなの通用しませんよ。あなたこそほかの姫君をどうぞ。アンの魂を呼び戻したのは俺だ。つまり、誰よりもアンが必要なんだ」


 じーんと来てしまった。

 もちろん、同じパーティーで過ごす間に情が湧いただけかもしれないけど。でも。

 今まで考えないようにしていたことが、氷が溶けるように解けていく⋯⋯。

 ラカムは自分を犠牲にしても、わたしを救ってくれた。例え、それが少し間違った形であったとしても⋯⋯。わたしの魂は、ラカムに縛られている。

「師匠⋯⋯わたし、生まれ変わって本当に良かったのかなってずっと思ってました。そんな価値が自分にあるなんてとても思えなかったし。

 でも、ごめんなさい、二人の話を聞いてて思った。わたし、生まれ変わって良かった! 例え因果律をねじ曲げたとしても⋯⋯」

 師匠はなにも言わずにわたしの、アントワーヌの紫色の瞳をじっと見つめていた。その真意はわかりかねた。

 わたしと結婚、というのは、今までのようにそばに置きたいだけに違いないし、ラカムを試したのかもしれない。それだけのことだ。


「アン、君の魂の器は残念ながら変わってしまったが、どうやら魔力というのは魂と共にあるものらしい。

 いいかい。今度こそ安易に魔法を使ってはいけないよ。王立魔法研究所、とは名ばかり、王宮と魔塔の関係はあまり良くない。君の魔力を知ったら、君は排斥される恐れもある」

 ラカムは師匠を見て頷いた。テーブルの下のわたしの手をギュッと握った。

「そばにいるんだから、この跳ねっ返りの相手は頼んだよ」

 では、と椅子を引くと、師匠は温室を出て行った。背中が少し寂しそうに見えたのは、勘違いではないかもしれない。




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