第2話  命の鎖、勝手に縛らないで下さい

 暗い、暗い闇の底のような場所にわたしはいた。まるで打ち捨てられたかのように。手足が鎖で縛られているかのように、重い。

 そこに今度は目を開けていられないほどの光が一瞬にして現われ、手でひさしを作ってもなにも見えない。光は光でしかなかった。


「アントワーヌ。目を覚ましたか」

「一体ここはどこですか? あなたは誰? わたしをかどわかすと重罪になります。早く返してくだされば――」

「心配いらぬ。ここはお前の意識の世界だ」

「⋯⋯」

「すっかり私を忘れたか? 私はお前が記憶を取り戻す助けに来た。そうでないとどちらの魂も消滅してしまう」

 魂の消滅! 重々しい言葉に怯む。

「アントワーヌ・ジ・ブルム。自分の死を受け入れられぬようだな」

「え? わたしは生きています。今日だって庭園で陽光を確かに浴び――」

「アン・ブリッジ。神の禁忌に触れる呪文を使ったことは許したはずだ。いい加減、意識を取り戻しなさい。アントワーヌの意識のままではもうこの身体は長くもたない。魂の器は新しい魂を待っている。それは、お前だ」

 曇っていた意識が段々、鮮明になってくる。わたしは――そう、《一度死んだ》。そしてバラバラに砕け散った魂の欠片を、神の手で拾い上げられたのだ。

 わたしは――アントワーヌじゃない!


「困ります、王女殿下のお身体を器にするなんて、大それたことです」

「そうではない。これからお前にはアントワーヌとしてやってもらわなければいけないことがあるんだ」

「それは――」

「おいおいわかるだろう」

「王女殿下の魂はどこに?」

「もうとっくに消滅した。私の手の届かないところでな。魔王の最期のあがきだ」

「では王女殿下は」

「お前だ。無事に歴史を改変することなく進めることを願うぞ、よ」


 意識はくるくると螺旋を描いて回り落ち、魂の器と呼ばれるものにすっぽり、はまってしまった。目を開くとそこは、王宮のベッドで⋯⋯ラカムが、横に控えていた。

「アントワーヌ! 目を開けたのか?」

 その声で部屋中がざわめいた。アントワーヌ、馴れ馴れしく声をかけやがって。

 わたしは小さく頷き、ラカムに手を伸ばしかけたところで⋯⋯意識が落ちた。


 ◇


 小鳥の囀り。

 ヒバリかしら?

 まさかまたそんなものを聴けるようになるなんて、運命って奇妙なものね。天井にやわらかい光が反射していて、綺麗⋯⋯。世界ってこんなに美しかったっけ? ずっとオークとか、ゴブリンとかばかり見て――。

 わたしはガバッと身を起こそうとして、へなへなと枕に吸い寄せられた。身体の自由がまったくきかない。

「大変! お嬢様が意識を取り戻されたわ! エイミー、医者を呼んで!」

 ラカム様、今は困ります、というマリアの声が聞こえる。ラカム⋯⋯ラカム? えっ? わたし今、寝起きなんだけど!

 冒険中もわたしがいちばん早起きだったから、誰にも寝顔を見せたことはない、はず。

「ラ、カム?」

「まぁ、なんてこと? お嬢様がラカム様をお呼びだわ!」

 いやいや、そうじゃない! ラカムの生存確認がしたかっただけで、来られたら困るって。

 ダメってジェスチャーをしようと足掻いても手が思うように動かない。

「きっとラカム様の献身的な祈りがお嬢様にも通じたのね」

 違う。そんなもの、感じてないって。

 ラカムは立派な貴族のような衣装を身に付けてわたしのそばにやって来た。

「水差しは?」

「こちらです」

 いやー、マリア、この男から水を飲まされるなんて!!

 ⋯⋯ふぅ。干からびていた喉が、不覚ながら潤う。

「⋯⋯アン?」

 聞こえるか聞こえないか、という震える声でラカムは呟いた。わたしはまだ重い頭をぷいっと、彼の顔が見えない方に向けた。するとラカムは驚いたことに、その白い手袋をはめた手で、わたしの顔を自分の方に向けた。頬に、熱が。

「アン、戻ってきたんだな、ようやく」

 不思議なことに彼の目に涙が滲んだ。

 わたしを見る目が今日は怖くない。

 強引さより手のひらが温かい。

「ラカム、わたしになにかしたのね?」

 走ってきた医師まで人払いして、ラカムは語り始めた――。


 ◇


 あの時、確かにわたしはバラバラになったこと。

 その隙をついてキメラを倒し、わたしを失ったことで士気が上がったパーティーが一気に魔王軍を蹴散らし、命からがら魔王を倒したこと。

 そして、そして――ラカムが神と命の鎖の契約を結んだこと。

 それは誰かの命をこの世に縛るために、自分の人生を神に本当の意味で捧げるということ。

 ラカムは、それをわたしの魂に使ったんだ!


「王女との結婚なんてどうでも良かったんだ。第一、国王は狡猾で、病弱でもらい手のない第一王女を俺にくれると言った。体のいい厄介払いさ。それでも顔くらいは、と思って礼節を重んじて会いに来てみたら、なんだよ、中身はお前じゃないか!」

「ひと目でわかったの!?」

「わからないわけないだろう? 俺が魂を縛ったんだから」

「ヒューに反対されなかったの?」

 ヒューはパーティーにいた敬虔な神官だ。彼の助けがなければ、ラカムには魔法陣ひとつ書けないはず。

「アイツら軟弱だよ。アンの死は悲しいけど、現実を受け止めろってさ」

「それはそうよ、死人は死人だもの」

「そうじゃない。魂まで砕いて俺たちを守ったのに、英雄として凱旋するとか、俺には考えられなかった。どうせ古の魔術だ。成功するかもわからない。じゃあ、やるしかないじゃないか。そうだろう?」

「そうじゃないよ、わたしなんかのために」

「違う。俺なんかのために、だ」

 わたしの頬には涙がポロポロこぼれ落ちて、その雫をラカムが指ですくって自分の唇につけた。

「もっと、お前を大事にすべきだった」

「ラカム⋯⋯ラカムだけを守ったわけじゃないんだよ。責任感、感じすぎ」

「それもそうか」

 照れくさそうに彼は笑った。

 窓辺から春の風がそよと入った気がした。

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