わたし、勇者の嫁じゃないんですが!?

月波結

第1話 禁忌の呪文、唱えてみせます

 その時、キメラが大きな口を開けてこちらに迫ってきた!

 仲間たちパーティーの体力は限界に達していて、魔王の玉座まであと一歩、届きそうになかった。

 ⋯⋯こうなったらみんなの命だけでも。生きていさえすれば運良く移動呪文テレポテーションを僧侶のヒューが唱えられるかもしれない。


 わたしは、長い詠唱に入った。

 身体がぽわっと眩い光に包まれるのを感じる。

 師匠にこの魔法は使ってはならないと教わった。

 禁忌に触れる。わたしの命は神の手のうちだ。

 ふわっと浮き上がる。

「アン! やめろ!」

 剣で相手の攻撃を防いでいたラウルは、わたしを振り返りそう叫んだ。

 ううん、いいの。今までわたしに良くしてくれたみんなを守りたい。例え、わたしの身体が消滅し、命の器から魂が粉々になって飛び散っても。わたしの魂は転生輪廻の輪から外れるだろう。

 ウォーリアーのガイがキメラに攻められている。

 もう少し、もう少しだけ待って。

 長い、長い詠唱は、終わりの時を迎えた。身体からすごい量のエネルギーが迸るのを感じる。

「アン!」

 ラカム、アンタっていつもそう。他人ひとの心配して、キメラに食われても知らないんだから。

 だってわたしは、もう消えちゃうんだから――。

 サヨナラ、良くしてくれてありがとう。元気でね。

「アン――!」

 ラカムがその長い腕を伸ばした。でも、届かない⋯⋯。


 砕け散った。


 ◇


 窓の外の陽光が萌黄色に芽吹く若葉を照らす。

 春だ――。恵みの春がやって来る。

「お嬢様、お庭がにぎやかになってまいりましたよ」

「そうね、穏やかな空気を感じるわ」

 侍女たちの手によって、わたしは窓際のソファへ移される。日光浴の時間だ。

 庭園を見下ろすと、庭師たちが忙しく働いていた。

「お嬢様、ラカム様のいらっしゃるお時間ですが、いかがいたしましょうか? お庭にもお茶のご用意はできますが」

「そうね、でも冷えるといけないからよしておくわ。応接間に用意して」

 かしこまりました、と言って、侍女のエイミーが下がった。

 わたしはまだ身体が弱っていて動くことが難しかった。この一ヶ月ほど前、流行病で死の淵に立ち、なんとか神の御心のお陰で命を取り留めることが叶った。

 誰も彼も奇跡だと言った。


 その時だった。

 ラカムという青年とその冒険者一行が城にやってきたのは。

 彼らはかねてから王国の悩みの種だった魔王を無事に倒したというのだ! それには国中が沸いた。

 もう、魔物に襲われる心配をしなくて済む。

 民たちの安堵の声に、わたしもうれしくなった。ベッドの中から喜びを深く感じた。

 ところが父王が勇者を募った時の条件のひとつ、これが問題で――。

 魔王を破った者に、姫を授けるというものだった。

 要するにラカムはわたしをもらい受けにきたんだ。お嫁に出る、ということは姫としては当たり前のことで受け入れなくちゃいけないんだとはわかってるんだけど⋯⋯あの人の目が怖い。目が合うと、頭痛を抑えるので精一杯になってしまう。



「しかしラカム様って勇者って感じじゃいい意味でないですよね? 確かに一目見たときにはひぇーって感じの出で立ちでしたけど、綺麗になられたら、銀髪に青い瞳が映えて、その辺の貴族よりずっとスマートに見えますもの。こう、スーッと細身で長身ですし」

「まぁ、マリアはラカム様贔屓なのね」

「姫様は違うんですか?」

 くすくす笑ったわたしはドキッとする。

 死の淵をさまよっていた時、実は彼に似た青年に会った。わたしの手を握りしめようとして、手はするりと抜けてわたしたちは離れ離れになったけど、そういう夢も含めて曖昧な接点みたいなものがわたしには怖かった。

「姫様、ラカム様がお待ちですよ!」

 その時、強引にドアを開ける音がして、侍女たちが「きゃあ!」と声を上げた。

 そこには件のラカム様がいらっしゃった。


「アントワーヌ様、お迎えに上がりました。無礼をお許し下さい」

 侍女たちが歓声を上げる。わたしはまるで人形のように抱きかかえられた。

「ラカム様、⋯⋯困ります」

 彼の顔は間近にあった。銀髪、流れる水のような青い瞳、見た目にそぐわず逞しいその腕は難なくわたしを抱き上げた。

「アントワーヌ様? どうかなさいましたか?」

 ハッとしてわたしは顔を背けた。まるで何事も無かったかのように。

「いいえ、なんでもありません。下ろしていただけるとうれしいのですが」

「なに、私の剣よりずっと軽い。このまま庭園に行きましょう。トーマス殿に頼んで庭にティーセットを出してもらいましたから」

「ラカム様、今はもう爵位をお持ちなんですから執事は呼び捨てになさって」

「ああ、そうだった。なにしろ卑しい町育ちなもので。しかし、姫様が恥ずかしくない品位を、私も身に付けなければいけませんね」

 ラカム様は伯爵位を賜った。誰にもできなかった国の一大事を救ったんだから当たり前だ。わたしは伯爵夫人となるわけだ。

「では」

 彼がターンすると、ドレスの裾がふわっと揺れた。春の風の悪戯のように――。


「今日もイケメンでしたねぇ。目の保養になります」

 エイミーがそう言うと、マリアが歓声を上げる。

「トーマスが止めるのも聞かず、足早にこの部屋までいらしたんです。使用人たちはどよめいてましたわ。なにしろテーブルに用意し始めたものを全部庭園に出すことになりましたし」

 エイミーは少し困った顔で苦笑した。

「あれこそ英雄なんでしょうね。ラカム様が一言『すまない』と言ったら、みんなよく働きましたこと」

 苦笑は微笑みに変わり、今度はわたしが困り顔になった。

「国王陛下がアントワーヌ様の輿入れの話をしたところ、体調が万全でないのだからゆっくりで構わないと仰ったそうですよ。お優しいところもお持ちなんですね」

「そうね、助かるわ」

 確かに彼は正式なマナーを身に付けているとは言い難いけれど、終始、紳士的だった。まるでそれは⋯⋯。

「お嬢様?」

「心配ないわ。いつもの頭痛よ」

「お嬢様? 大変よ、お嬢様が⋯⋯!」

 そこで、意識が途切れた。

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