CHAPTER9 悪魔の誕生

 フレデリック・ギレスピーは42歳。アンドリューより2歳年上だ。しかし奴も元から悪魔だったわけではなく、元々は結婚もして息子を授かり、大学病院に勤務していたこともあって収入は非常に高かっただろう。だが途中で道を間違い、いや、むしろ別の「悪魔」が奴の道を強制的に間違った方向に導いたのだ。

 DAの5大幹部はアンソニー、ニコラス、ホフマンが死に、残るメンバーはザラとヴィッキーの2人。ザラは既にタコ女として覚醒しているが、このままの流れならヴィッキーはトカゲ女になるだろう。ザラは気分屋でいつも外に出ているため、今奴の自宅にいるのはフレデリック本人とヴィッキーだ。

「ボス?アンソニー含め男たちやられたよ。残るはザラと私だけよ?」

 ヴィッキーはかなり焦っている様子だ。Green Roseの大戦力はスカーレットにアンドリュー。幸いザラがかなりの大戦力であるためまだどうにかなるかもしれないが、気分屋のザラなら戦いをすっぽかす可能性もある。

「心配ない。お前にはこいつを用意した。ザラのタコ女はかなり成功した例だが、これも私の自信作。トカゲ、それも猛毒のコモドオオトカゲだ」

「まさか、コモドオオトカゲって恐竜みたいな、泳げて木にも登れる恐ろしいトカゲよね?」

 ヴィッキーはどうやら少し博識なようだ。コモドオオトカゲ、コモドドラゴンはインドネシアに生息する猛毒トカゲだ。口の中には腐敗菌が含まれており、家畜や野生の哺乳類を餌にしている。噛まれたら敗血症で死に至るが、奴らは獲物が弱るまで待つ。人間が犠牲になった事例も報告されている。ヴィッキーは薬品を打つと、無事に適合したようだ。

「何この爪。まるで本物のトカゲみたいね?」

 試しに近くに置かれていたパイナップルの皮に爪を立てると紙のように剥がれ、さらに横払いに手を払うとパイナップルは真っ二つに割れた。

「爪だけじゃない、お前の唾液は猛毒が入ってる。キスをされた相手は毒で苦しむだろう」

「この力最高ね!スカーレットは私のキッスで死ぬ…考えただけで最高!」

 ヴィッキーはハイテンションのままフレデリックのもとを離れた。ヴィッキー・スティルマンは28歳。5大幹部の中の最年少メンバーだが、元は半グレ組織に所属していた裏社会の人間。噂によると殺してきた遺体は自ら食べて処理し、組織からも恐れられていた食人鬼だという。そんな女がコモドオオトカゲにもなれば捕食本能も相まってかなり強敵になる。

 部屋に一人残っていたフレデリックは2枚の写真を眺めている。1枚目は白衣を着たフレデリックが写る集合写真。おそらく元職場のメンバーと一緒に撮影したのだろう。そして2枚目の写真は妻と息子が一緒に写る家族のスリーショット。やはりヒカリが言っていた結婚歴があるという話は本当のようだ。

「私は狂うことでしかこの罪は償えない…」

 償えない…とは奴がよく言う言葉の一つだ。一体どうして家族を持った男が悪魔へと変身したのだろうか?


 フレデリックは大学の医学部を卒業後、アメリカ陸軍へと入隊し、衛生兵(メディック)として活動を始めた。奴の腕は言葉では言い表せないほどの神業であった他、戦闘力も極めて高く、主戦力として軍を引っ張るほどの優秀な兵士だった。軍でトップクラスだった奴はあっという間にグリーンベレーに昇格し、そこでも優秀な実績を重ね続け、誰が見ても頭脳明晰で完璧な兵士だったに違いない。軍隊での生活が10年近く続いた後、除隊後はある大学病院に所属し、主にガン患者の手術を担当する外科医となった。そこでも多くの命を救い続けてきたが、その一方で新薬の開発に夢中になりすぎていた。

 経歴によると2016年頃に同じ大学病院で秘書を務めていた"サマンサ"という女性と結婚。そして2017年には息子の"ケヴィン"が誕生する。妻のサマンサはフレデリックと結婚したことによって寿退社し、子育てに専念するがいつも新薬の開発ばかりで帰りが遅い夫に対して不満を持っていた。妻の不満が限界に達すると、遂にあることを言い渡されてしまう。

「ちょっと待ってくれよ!いきなり離婚なんてないだろ?考え直してくれよ!」

「もう無理よ…たまには早く帰って来てねと言ってもあなたは仕事仕事ばっかり…いくらあなたが優秀でも、父親としては全くダメなのよ…」

 妻が奴に突き付けたのは一方的な離婚だった。当時住んでいた家はフレデリックの名義で契約していたため、妻と息子はそのまま家を出て行ってしまう。確かに毎日新薬の研究に開発と帰りはいつも夜中であったことで子育てに参加したことなんて数える程度しかなかった。妻が毎日手料理を作って待っていても、夫が帰って来ない影響でいつも食材が無駄になっていつもインスタント食品で済ましていた。離婚後も相変わらず新薬の開発に勤しんでいたが、心の中では息子にも会いたい。だから妻にはある提案をしていた。

「もしもしサマンサ?久しぶり…」

「何よ…?あなたとはもう離婚しているから用なんてないわよ…」

「来月、1日だけでもいいからケヴィンに会いたいんだ」

 奴は仕事に熱中しすぎていたことを反省しているようだ。妻と息子のことも愛している。妻にとって「いつも悪かった」などの言葉は表面上の振る舞いとしか思っていなかったが、今回の電話は嘘を言っていない様子だった。考えた結果、妻は一つ提案をする。

「わかったわ…ケヴィンはずっと私たちと一緒に動物園に行きたがってたの、覚えてる?」

 ケヴィンはその当時4歳。ケヴィンは大の犬好きで、他の動物も見てみたい気持ちでずっと動物園に行きたがっていた。

「勿論覚えてるよ!絶対連れてくから、お前にもケヴィンにも会いたいんだ」

 フレデリックは一旦新薬の開発を全て忘れることにし、息子たちの願いを叶えるため、動物園に連れて行くことを決めた。父親として息子の笑顔をまた見たい気持ちがフレデリックにもあった。

「わかったわ。じゃあ来週の日曜日、あなたの家まで行くから、絶対行くと約束よ?」

「約束するよ!日曜日待ってるから」

 フレデリックはようやく息子の願いだった動物園に一緒に行くこと。それを叶えるために期待を持っていたが、これが悪夢への入口に変わる…

 2021年7月19日、フレデリックとサマンサは離婚して2ヶ月が経っていた。サマンサはあのとき夫の仕事に対する情熱を理解しきれず、一方的に離婚を突き出したかもしれないと疑問を持っていたため、ケヴィンがずっと行きたがっていた動物園に連れて行ってくれることがわかった以上考え直そうとも思った。

 当日、朝の9時頃約束通りフレデリックの自宅にサマンサとケヴィンが訪れた。この日は日帰りでサンディエゴの動物園に行く日だ。かなり大きな動物園で、ライオンやキリンなどは勿論のこと、大型の爬虫類や珍種もいるため子供たちにも大人気だ。

「パパぁ!」

「おぉ〜ケヴィン!パパも会いたかったよ!」

 久しぶりの再会に喜ぶ父フレデリックと息子ケヴィン。その様子を見ていたサマンサは夫の気持ちに偽りがないことを確信する。

「久しぶりね…本当にいいの?」

「当たり前だろ?今日は俺も楽しみにしてたんだよ。約束、守らせてくれよ?」

「ありがとう…じゃあケヴィン、行こっ!」

「はぁ〜い!」

 運転はフレデリックだ。動物園までは3時間近くかかるが、車の中で久々に交わす会話も楽しみの一つだ。朝の9時過ぎに出発したため、動物園に着く前に一旦昼食を済ますことにする。ハンバーガー店だ。

「何でも食べな。俺の奢りだから」

「ありがとうパパ!」

「お腹空いたわね」

 フレデリックはアボカドバーガーでサマンサはエビバーガー、ケヴィンは子供用の小さいお子様バーガーだ。ハンバーガー自体がけっこうな大きさで、肉厚なパティから溢れ出る肉汁で大きさと糖質もボリューミーだ。

「腹いっぱい?ちょっと休憩してから行くか?」

 ハンバーガー店から動物園まで5kmも離れていないが、流石人気の動物園であって駐車場の周りは渋滞だ。車を停めるまで30分近くかかってしまったが、13時過ぎには動物園を眺めることができた。ケヴィンはやっと行けたと大喜びし、飛び跳ねるようなテンションにフレデリックも少し驚きだ。

「ほらほら?迷子になっちゃうよ?パパと手繋ごう」

 フレデリックがケヴィンに愛を向けているのを見るのはほぼ初めてかもしれない。動物園はかなり広くて午後の時間だけでは全部回れないかもしれないのは少しもったいない。今日はケヴィンが見たい!という動物に絞って一緒に見ることにしよう。だが、少しの油断がフレデリック、サマンサ夫妻をどん底に落とすことになる…

 15時半頃、ケヴィンは疲れを知らずにはしゃいでいたが、フレデリックとサマンサは少し疲れが出ていた。一旦コーヒー休憩をとることにし、サマンサとケヴィンはテーブルに座って待っているはずだった。フレデリックがコーヒーとケヴィンのオレンジジュースを買って戻ると何故かサマンサが慌てている様子だった。

「お待たせ〜、あれ?どうしたんだサマンサ?」

「ケヴィンがいないの!座ってたとき、ちょっと私が横を見てたら急にいなくなって!」

「何だって!?俺は周りを探すから、サマンサは迷子センターか警察に通報してくれ!」

 パニックになるフレデリック夫妻。周りにいたお客さんも状況がわかったのか、ケヴィンの捜索を協力している。フレデリックは似ている男の子に声をかけるがどれもケヴィンじゃなかった。

「ケヴィン!」

 また声をかけた男の子もケヴィンじゃない。男の子の母親は不審者と勘違いしたようだ。

「ちょっと何なんですか?」

「すみません…」

 捜索開始から1時間が経っていた。その時間では警察も駆け付けており、動物園の他に外の範囲までの大捜索が行われる。しかし次に知らされたのはケヴィンの発見ではなく、檻から巨大なアミメニシキヘビが脱走しているという報せだった。しかしニシキヘビを見てフレデリックの背筋は一瞬にして凍ることになる…

「嘘…だろ?」

 ニシキヘビの胴体はまるで何かを飲み込んだかのようで異様に膨らんでいた。園長は呑気に暴れそうなニシキヘビを檻に戻そうとするが、警察が実行したのは銃での殺処分だった。警察からの一斉射撃を受けたニシキヘビは完全に死んでいるが、そこで警察も異様に膨らんだ胴体に気付く。

「なぁ、これまさか…?」

「これは解剖すべきだな…」

「ケヴィン…」

「何ですって?早く解剖の準備だ!急げ!」

 サマンサは恐怖と動揺、そして不安で手脚の震えが止まらない。真夏なのに一気に冷え込んでいる。フレデリックとサマンサは手を握り合い、ニシキヘビの犠牲になっていないことと、息子が無事に発見されることをただ祈るしかできなかった。だが現実は悪夢だった…

 解剖されたニシキヘビからは全身を粉砕骨折した男の子が発見された。何とケヴィンだったのだ…!

「ケヴィン!ケヴィン!嘘だろ…?何でこんなことに…」

「いやあぁ…ケヴィン!私が一瞬でも目を離すから…!」

「いや…!俺がしっかり見ていれば!」

 このときは誰のせいにし合うなんてことは一切なく、フレデリックもサマンサも自分の管理能力が甘かったと自分を責め続けるばかりだ。この日は一睡もできずに1日が過ぎ、後日警察から事件の内容を知らされる。

 警察が突き止めた事件の内容はこうだ。フレデリック夫妻が休憩に利用していたカフェエリアの近くには大型のアミメニシキヘビが収監されていた。このとき動物園の園長であるテリーは檻を閉め忘れており、ニシキヘビの脱走に気付いていなかった。好奇心旺盛なケヴィンはサマンサが少し目を離してしまった隙にニシキヘビを見に行ってしまう。ニシキヘビは大型の鹿ですら巨大な胴体で獲物を絞め殺してから丸呑みするため、突然4歳のケヴィンは一切の抵抗も敵わず絞め殺されてしまう。実際司法解剖の結果は、全身を粉々に砕かれるほどの複雑骨折だった。そしてそのまま呑み込まれてしまった。という結論だった。

 当然フレデリック夫妻はこの真実に絶望。その後動物園側は園長のテリーが裁判にかけられることになり、動物園は事件以降多くのマスコミが押し寄せるようになり、テリーには業務上過失致死罪が問われた。実際事件当時ニシキヘビの檻を開けて餌をあげ、中の掃除を終えた後に檻の鍵を締め忘れていた姿が園内の防犯カメラに写っていた。ケヴィンが呑み込まれる瞬間は写っていないものの、動物園にいたニシキヘビはその一匹しかいない。さらに模様から見るにケヴィンを呑み込んだヘビであることは間違いなかった。もしテリーに罪が問われなかったとしても、防犯カメラの映像は既に公になっているため、動物園の閉園は100%免れない。

 フレデリック夫妻はテリーの有罪判決をめぐって裁判のときを待っていた。2人には優秀な弁護士が付いているため、裁判自体に問題はないが、勝ったところでケヴィンはもう帰って来ない。サマンサはフレデリックがケヴィンを愛していた事実を改めて知ると、一方的に離婚したことを反省するかのようにあることを言い出した。

「今まであなたばっかり責めてごめんなさい…」

「いいんだ。俺はあの子から目を離してしまった…」

「ケヴィンのことを考えると、私も後追いしたいくらいよ…けど、私はもう一度母親になりたいの…」

「サマンサ…?」

 サマンサは泣きながら話す。

「私…もう一度あなたとの子供を生みたい…」

「本当か…?」

 妻からの願いを聞いたフレデリックはもう一度父親になる決意を固め、そしてずっと熱中していた新薬の開発も一旦全て忘れることを約束した。医師として、そして父親として生きていく決意を固めると、裁判についてより前向きになることができた。

 ケヴィン死亡事故が起きてから約2ヶ月後、フレデリック夫妻と園長テリーの裁判が始まった。まずテリーは園長でありながら飲酒をして業務を行っていたことが明らかになり、事件当時もほぼフラフラの状態だったという何とも胸糞な話だ。当然フレデリック夫妻はその事実を知らず、サマンサは今にもテリーに飛び掛かりそうになるが必死に堪える。そのためニシキヘビの檻を締め忘れたことは自明の理であり、何とケヴィンが呑み込まれたときには酔っていたあまり昼寝をしていたのだった!裁判官含め多くの傍聴人も呆れ返っており、当然判決は有罪。執行猶予はついたものの懲役刑となり、フレデリック夫妻からは多額の損害賠償が請求され、さらに事件がよりメディアに取り上げられたことで動物園も閉園となった。テリーは最後まで自分の罪を認めなかったが、裁判に決着がついた事実は揺るぎない。フレデリック夫妻は再び一緒に暮らし始め、次の妊活に励むが、再び悪夢が忍び寄るのだった…

「ただいま!」

「おかえりなさい!今日も早かったね?でもそこまで気を遣わなくていいのよ?」

「いやいや、俺はきちんと患者さんを救ってから帰ってるからさ、無理なんてしてないぜ?」

 サマンサは自分に気を遣い過ぎているかもしれないと少し申し訳なさを抱えていたが、また妊活に専念できることは何よりの喜びだった。再婚して以来フレデリックは約束通り一旦新薬の研究開発を白紙に戻し、本来の外科医としての責任を全うした。確かに現状抱えている患者は多く、たまに帰りが深夜になる日もありはしたが、サマンサは夫との愛を再び深め合えて幸せを感じていた。テリーとの裁判を終えて僅か一月後のある日、この日は急患人の手術を担当していたため、家に返って来たのは日付が変わった深夜1時だった。当然妻はこの時間には就寝しているのだが、家で靴を脱いでから変化に気付き始める。

「あれ?サマンサ、いないのか?」

 フレデリックは元グリーンベレーのエリート。妻が寝ていても部屋に入れば気配で留守かどうかはすぐわかる。部屋に入る前に妻がいないかもしれないとすぐに感じ取ったのだった。しかし思い違いかもしれないと思い、いつも妻が寝る寝室へ入ると。

「サマンサ?サマンサ?何でいないんだ?」

 電気を点けて部屋中を探し回るがおらず、妻がいつも使っているスマホと財布も見当たらなかった。おそらく買い物に行ったまま帰っていないのだろう。妻がいつも買い物に出掛ける時間は大体13時頃。その時間に家を出ていたのならそのまま帰っていないかもしれない。警察に通報する前に一度妻のスマホに着信を入れるが、既に使われていないのアナウンスしか出なかったため、何か事件か事故に巻き込まれたと確信し通報。

 フレデリックからの事情聴取を受けた警察は、よく妻が買い物に行くスーパーや周囲の人間に聞き込みを開始。スーパーの防犯カメラには買い物をしている妻が写っており、まずフレデリックの予想通り買い物に行っていたのは事実だ。しかし問題はスーパーを出てからの有力な手掛かりがなく、目撃情報は挙がっているがどれも事件に繋がる証言はなかった。有力な証拠が見付からず1週間が経った頃、用務員の男性がとある通報をした。それも「人の手のような物が川に流れている」という通報だ。その右腕の太さや手の並び的にも女性だ。ニュースを見ていたフレデリックは妻とは無関係の内容だと考えようとしたが、女性の腕というワードに引っ掛かり、心には嫌な予感がよぎる。すぐさま警察に連絡を入れ、指紋の鑑定は勿論のことマニキュアを調べるように要望。だが警察の捜査によって驚愕な事実が明かされる。

「フレデリックさん…鑑定の結果なのですが」

 警察官はかなり渋った表情だ。表情を見たら既に疑いから確信へと変わっていた。

「身元は、あなたの奥様でした…」

「そ…そんな?何でだ!?サマンサ…どうして…」

 指紋と塗られていたマニキュアから間違いなくサマンサのものだった。現在は右腕しか見付かっていないため、まだサマンサ本人が見付かっていない。そのためまだ生きているかもしれないと信じたかった。

「あと気になるのが、この断面、何か大きな動物か何かに噛まれた跡に似ているんです…」

 フレデリックは写真を見ただけで何に噛まれたのかがすぐにわかった。

「ワニだ。それも大型の、おそらくイリエワニ」

「ワニ?ですがこの近辺に動物園とかないですし、それにどの川もワニなんていないはずですが…あれ、フレデリックさん…?」

 フレデリックは大量に汗をかいていた。だが表情は変わっておらず身体の震えも見えない。ただ汗をかいているだけだった。

「すみません、今日はこれで失礼します。お時間いただきありがとうございました」

「どうしたんですか?フレデリックさん」

 警察の声掛けにも反応しないフレデリックは後ろを振り返ることもなく去り、それ以降一切警察に顔を出すことはなかった。この日からフレデリックは行方を晦まし、警察は行方不明者としてリスト入りさせた。

 フレデリックは証拠なんかなくても、犯人の正体は一発でわかった。サマンサを殺した犯人はもう確信的なものだった。犯人の正体は間違いなくテリーだ。見付かった右腕の断面はワニの噛み跡。考えなくてもわかると思うが、殺害した後に遺体をワニに食べさせて証拠隠滅を企てたのだろう。

「絶対に許さねえ…」

 フレデリックの心にあるのは復讐心しかなかった。テリーの居場所はすぐにわかり、テリー自身もフレデリックをこの世から消すことにより、動物園での惨劇の過去を消し去ろうと目論んでいるだろう。案の定テリーは閉園した動物園の側にある下水道に近い地下にいた。裁判で見たときより髭が濃くなっており、すっかりやせ型の体型になっていた。

「お前、フレデリック・ギレスピーか。丁度よかった、俺もお前を探していたんだ」

「サマンサを殺したのはあんたなのはもうわかっている…なぜ殺したんだ?」

「お前ら親子さえいなければ、あの動物園は閉園することはなかった…息子とやらが勝手にあいつの餌になっただけじゃねえかよ…おかげで俺の職務怠慢までバレちまったんだ…」

 テリーの言い分は何もかも自分勝手なものばかりだった。

「それで俺たちを消して罪から逃れようと思ったのか…?」

「そうだよ!まずあんたの女を殺し、ワニに食わせた。けど今日でお前を殺して、ワニに食ってもらえ!」

 テリーは持っていた鉄パイプで殴りかかるもフレデリックは元グリーンベレー。素人の攻撃は当然当たるはずがない。テリーはあっけなく鉄パイプを奪われ、指の突きでその目は潰される!そして首を180度反対に曲げられてしまった。

「ハハハ…ハハハハ…」

 フレデリックは手の平を眺めながら首をへし折った感触を感じていた。

「お前が食ってもらえよ…」

 テリーの遺体をワニの池に放り投げると、奴の遺体はみるみるうちに食い尽くされた。

「そうだ…私の人生は、あの子が死んだときから狂う運命だったんだ…だが、狂うだけじゃ終わらせない…私は、悪魔としてサマンサとケヴィンの無念を晴らすしかないんだ…ハハハ…」

 フレデリック・ギレスピーはこの瞬間に悪魔となった。奴がキメラを作り出そうと考えた理由は、ケヴィンの死に関わっており、ヘビ以外にも人間の命を奪ってしまう動物は数多い。動物が人間の命を奪ってしまうのなら、いっそのこと人間と動物を組み合わせて究極の生命体を造ることで人間と動物が平等に生きられると考えたからだ。当初はその程度しか考えていなかったが、数度の実験を繰り返すうちに自分の想像以上に強力な個体が出来上がった。やがて平等に生きれるためと考えることを辞め、自らが強力なバットになってアメリカの支配を目論んむ。そしてDAを結成し、Green Roseを消し去ることを計画したのだった。


「DAの大将も、中々壮絶な過去ね?」

「酷えな…」

 ヒカリの調査報告を聞いた彼女たちは驚きを隠せない状況だ。

「フレデリックって、まさか奥さんと息子さんも亡くしているなんて…」

 さらにフレデリックの顔写真は非常に穏やかな表情で、悪魔とはとても思えないような男だ。

「スカーレットちゃん?」

「ん?あぁごめん…」

「スカーレット、お前まさか戦わないつもりじゃないだろうな?」

「そうなのか…あんた?」

 彼女の表情はどこか曇っていた。それもフレデリックの写真と資料を眺めながらだ。

「わかったスカーレット。気持ちが固まるまでは俺が戦う。ポールもいいな?」

「は、はい」

 アンドリューは彼女が考えていることは何となく察し、おそらくフレデリックの過去と無念に共感しているのだろう。

「あんたの考えもわかるけど、あの男は何人も殺してるんだぞ?許せる相手じゃない」

「私だって何人も殺したわ…それも300人以上も」

「いや、あんたは世界を護るためにだろ!?」

「そうだとしても、人殺しが正当化されることなんてないわ。私がここに足を踏み入れて、一人の暗殺者になったときから、私はいつか地獄で裁かれる覚悟なのよ。何人も殺してきた私を、それでも英雄なんて呼ぶの?」

 彼女は本来吸わないはずの煙草に火を点けると、そのまま項垂れる。曇った表情を見たアンドリューは一旦ポールを連れて彼女のもとから離れると、部屋には彼女とヒカリのみが残る。

「スカーレットちゃん、あなたの気持ちはわかるわ…私だって調査を終えてから、胸がはり裂かれるような気持ちだったわ。けど、あの男を止めない限り、また犠牲は増えるわ…」

「ヒカリちゃん、フレデリックは私が倒す…残りの幹部は譲れるけど、フレデリックだけは手を出さないでほしい。勝手だけど、約束してほしいの」

「わかったわ。それに元グリーンベレーのフレデリックを相手にするなら、スカーレットちゃんが適任ね」

 ヒカリはフレデリックとの戦いは全て彼女に任せることにした。しかしヒカリも伊達に訓練を重ねていたわけじゃなく、幹部の一人くらいは倒したい気持ちだ。


「キャプテン、本当にあれでよかったんですか?」

「そうだな、おそらく今はあいつの気持ちに従うしかないかもしれない。フレデリックの所在がわからない以上今は手も出せないし…」

「ん?どうかしました?」

「静かに…?何だこの気配は?」

 突然アンドリューの背中が急に凍るように冷たくなった。それに冷や汗も止まらない。この感覚は今まで味わったことのない感じに足が止まったままだ。

「(何だこの感じ…)」

 恐る恐る後ろを向くと、悪魔は姿を現した。

「私を探しているんだろ?」

「お前は…!?まさか!」

「キャプテン…この男って?」

「私はフレデリック・ギレスピー。お前たちの標的だ」

 彼の目の前にいるのは紛れもなくフレデリック本人だ。ヒカリが用意した写真と改めて見比べても本人としか言いようがないが、何故アンドリューとポールのことを知っているのだろうか?

「貴様、何故俺たちのことを知っているんだ!?」

「愚問だ…私の可愛いバットドローンを使って、お前たちの戦いを観察していたんだよ。キメラ計画の改善点、私が究極のバットになるための研究も兼ねてな。だから私はわざわざ邪魔な幹部を雇って使わせたんだよ」

 そう。スカーレットやアンドリューの戦いはフレデリックが開発した超小型のバットドローンを使って偵察されていたのだった。Green Roseがフレデリックの尻尾を掴めなかったのは、幹部を巧みに利用することで調査をミスリードしていた。そして潮時だと感じた頃にヒカリたちPANSYに匿名でタレコミをし、あえて正体を明かさせるように仕向けていたのだった。

「どうした?私に会いたかったんだろ?」

「(ダメだ…足が動かない…!)」

 震えるポールを見たアンドリューは得物を取り出し、恐怖心を消し去って殺意を向ける。

「まさか貴様から会いに来てくれるなんてな。丁度いい、こっちは好都合だ!」

 挑発した直後にフェイントではない一発を撃つも、その一発は奴の超反応で躱される。さらに大型のリボルバーを撃った直後は反動で隙が生まれてしまう。

「早撃ちなんて動作を見ればわかるんだよ…」

「何!?」

 奴が仕掛けたのは一切無駄のない膝蹴り、だが彼も何とか手を入れてガード。

「(何だこの速さは…)」

 ガードを入れたことで彼の反応が遅れ、次に飛んできたのは奴の頭突き!

「グワァ!(何だこの威力…)」

 何とか立て直し、素手で駄目なら次に仕掛けるのはナイフ攻撃だ。だが奴にその刃先が届くことはなかった。そしてナイフを奪われた彼は右肩を刺されてしまう!

「うわぁ!」

 痛みのあまり彼は膝をついてしまう。

「どうした!?これが組織のNo.2なのか!」

 奴の挑発でプライドを傷付けられた彼は何とかナイフを抜く。まだ右肩しか傷を負っていない状態だ。まだ劣勢ではない。彼はGreen Rose特有の武術で絶え間ない攻撃を仕掛けるが、奴は元グリーンベレー且つ戦闘の天才。戦闘力は奴の方が上だった。彼の攻撃は虚しくも当たらず、隙を見せてしまえば奴の一撃を喰らい、まるで視認できないようなスピードで連打を喰らってしまう!2人の戦いを見るポールは完全に恐怖で硬直状態だ。だが勇気を振り絞って何とか奴を目掛けて発砲し、攻撃をやめさせることには成功した。

「う…うぅ~…」

 彼の顔はもう痣だらけだ。

「中々勇気あるガキだ…若い奴が、死に急ぐか?」

 まるで人間ではない目でポールを見る奴はゆっくりと歩み寄る。だがポールにできたのは足止め程度でしかならず、恐怖で尻もちをついてしまう。アンドリューはもう立っていられないほどのダメージだ。だが危機的状況で救い手が舞い降りる!

「待ちなさい!」

 その救い手は何とスカーレット、そしてヒカリだった。連絡がとれなくなったアンドリューを心配して様子を見に行った際、彼が使用する銃の特有な銃声を聞きつけて駆け付けたのだった。

「あなたのことはもう知っているわ。フレデリック・ギレスピーね?」

「流石調査が早いな。お前は組織のトップとも言える女、スカーレット・グリフィンだろ?」

「そうよ。あなたは家族を持ってた優しい人だった。けどあなたは亡くなった奥さんと息子さんのために、間違った方法で自分の人生すら投げ棄てた。あなたも、社会の被害者…」

「お前に何がわかるんだ…あのテリーって園長は自分の否すら認めず、ケヴィンが死んだことが公になったことで奴は何を言っていたのか、知らないだろ?あんたの息子が勝手に呑み込まれたせいで俺の人生メチャクチャだ!と言ったんだぞ!」

 今見ているフレデリックは悪魔ではなく一人の人間としての目だった。

「私はサマンサとケヴィンのことを決して忘れない。私が究極になることが、私の償いだ!」

「その方法は間違ってるわ!」

「私に狂いはない!」

 彼女はフレデリックの無念を改めて理解する。だが彼女にはまだ戦えるほどの決意は定まっていない。

「スカーレット・グリフィン…お前の顔は改めて覚えた。上司とやらはこの通りだ、傷を癒しておけ。それとガキ…若い奴が、死に急ぐな」

 そう捨て台詞を吐くとフレデリックは去って行った。

「大丈夫?酷い痣ね…」

「お前以上にボコられたよ…」

「でも不思議ですよね。あの男、まるで俺にアドバイスでもするような…」

「想像以上に妙な奴ね…」

 彼女はアンドリューをおんぶし、PANSYのアジトへと戻ると、メディックの治療を受けた。顔の痣と右肩にナイフを刺されたことが大きな傷で、幸い骨折などはなかった。

「いいアンドリュー?フレデリックは私が倒すわ。奴には私が適任よ」

「俺も同意見だぜ。頼んだぞ」

 Green Rose内でもフレデリックを倒すのはスカーレットだと決まった。

「行くわよ。ポール、ヒカリちゃん」

「あぁ、キャプテンのために」

「スカーレットちゃん、用意OK!」

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