CHAPTER6 機械な女

 プルプルプルっ

「もしもしアンドリューだ。蜂の根源をお前だけで倒したって本当なのか?」

「えぇ、足だけ刺されたけど問題ないわ。それよりもあなたが電話してくるってことは、ただの確認だけじゃないでしょ?」

「あぁそのことでちょっと伝えることがある。ちょっと時間もらっていいか?」

 イエスと答えるとアンドリューは回線を一度保留にし、15秒後に再び繋がる。本来重要な話はセーフハウスですることが決まりのようなものだが、電話で話すというのはどうやら緊急性があるものだろう。

「実はボスが秘密裏に今回のテロリストについて調べてたんだ」

「あのカサンドラが…?」

 彼女はまずアンドリューが最初に伝えてきた内容に驚いた。普段自分から行動するはずのないカサンドラが調査していたからだ。一体何を考えているのだろうかと思うが、今はそんなことを追求している暇はない。

「遺体の身元からわかったんだが、やはり今回の蜂人間、DAに所属していた男だ。名前はアンソニー・ピータース30歳。アメリカンマフィアの生き残りらしい」

「あら、マフィアの生き残りにしては銃が下手なのね?それで他にわかったことはあるの?」

 あのアンソニーという男がDAにいたのなら幹部なのだろうか?だがどうしても何故奴がスズメバチを使役し、思うままに操れるのかがいまいちわからないが、おそらく意思疎通が可能なことは間違いない。蜂は本来飛ぶ昆虫だがアンソニーが飛行したりした場面は見られず、この前ナイトクラブでのカマキリ男は明らかに腕の動きがカマキリそのものだった。やはり個体によってタイプが大きく異なるのだろう。

「アンソニーは組織の幹部の一人だった。調べたら幹部はあと4人いるみたいなんだ」

「4人?じゃあ少なくともリーダーの周りには幹部が5人いるのは間違いないのね?」

「あぁ、厄介だがおそらくな。まだメンバーが誰かなのかわかってないが、おそらくザラ・ベネットという女が幹部の一人なのは間違いない。このあと写真送るから確認してくれ」

 そう言った後電話は切れた。スマホを確認すると写真一枚と女のプロフィールが書かれた文面が送られている。確認してみると意外なことが書かれていた。


○ザラ・ベネット

 年齢は39歳。元はニューヨークでピラティスのインストラクターを務めていた普通の女性。2022年にマットという男性と婚約。しかし同年の9月5日、二人共ある日不注意で運転していたトラックにはねられてしまう。この事故でマットは死亡。幸いザラには息があったが瀕死の重傷で命を繋ぐために心臓を摘出し、機械心臓を埋め込む形で蘇生された。その後機械人間となってしまったことでインストラクターの仕事を辞め、行方をくらましていたがつい最近DAに所属した。そして今はDAの幹部としてリーダーに仕えている可能性が高い。


 写真を見た感じ裏社会とは無縁と思える笑顔の優しいショートヘアの女性だが、写真が撮影されたのは事故に巻き込まれる前のものだろう。どうしてもザラには心の底からの悪意があるとは思えなかった。ただ単にザラは不慮の事故の被害者で、機械心臓を埋め込む形も本来望んでいなかったかもしれず、悪く言えば無理矢理生かされたに等しいとも感じてしまう。

「この写真の女が、キャプテンが言ってたザラ?普通に笑顔だよな?」

「このメッセージだけじゃザラって女のことはわからないけど、できれば戦いたくないわ…話せばわかるはず」

「何考えてるんだあんた、相手は敵なんだぞ?」

「そうとは限らないわ!」

 ポールは思わず怒られたことに驚いて思わず気を付けの姿勢になる。彼女は暗殺者として冷徹で残虐なはずなのにどこか敵と呼べる相手でも共感できる点があれば信じようとするのが彼女の持つ優しさなのだ。

「ごめんなさい…けどDAとの戦いは私の指示に従いなさい。勝手に人を殺すのは、ただの悪魔の所業よ…」

 ついカッとなってしまったことを謝り、ただザラのことを信用したい気持ちが強いため、もう少しザラの経歴について調査することにした。


 ザラ・ベネットは元ピラティスのインストラクターだが学生時代はバレリーナとして活躍していたこともあり、身体が常人と比較にならないほど柔らかい。スカーレットも身体が柔らかいが、ザラとは比べ物にならない。さらに機械人間になったことで痛覚が人間の頃より鈍っており、下手すれば首を真後ろにまで曲げられるほどだ。さらにザラはフレデリックに黙ってROBOTICSとタコの遺伝子を融合させた薬品を盗み、打った結果見事に適合し、タコ女になったのだ。元々身体が柔らかいことを活かし腕と脚の力を脱骨させ、タコの足のように標的に巻き付けて絞め殺すことができる。さらに口からスミを吐いて目潰し攻撃までできるほか、自分の形を変えることはできなくても壁や地面の模様に合わせて擬態する能力まで獲得している。間違いなく蜂男のアンソニーよりも厄介な相手になりうるだろう。

 タコ女になってからもザラはひたすら自身の身体を柔らかくするためにストレッチを毎日欠かさない。理由はスカーレットを殺すためであり、たとえ自分にとって恨みのない人間でもフレデリックからの命令なら誰であろうと殺すしかない。それしか生きる道がどうしてもなかったからだ。

「ザラ、私に黙って盗んだくせには、うまく合ったようだな?だが素晴らしい、まさか蜂よりも完成度が高いとは…」

 本来フレデリックに黙って無断で使用した場合は何らかの処罰を受ける可能性があるが、それ以上にザラの適合力に関心するばかりでそんなことなど忘れていた。

「随分諦めがいいのね?あんたの目的はあのスカーレットって女を殺すことなの?」

「それだけじゃない。私には償わなきゃいけないことがある。そのために私は、邪魔な者から排除して私の理想郷を創り上げるんだ。おっと、話し過ぎたな」

 ついフレデリックはザラに自分の話をしすぎたと感じたのか、それ以上話すことはしなかった。ザラはストレッチをやめると早速タコの能力を試し始めた。腕を脱骨させるとさらに新しい能力があった。何とその能力は腕を10mまでルフィのように伸ばすことができるのだった。

「脱骨できて腕まで伸びるなんて、スカーレットとかいう女の首なんて簡単に折れるのね…最高よ」


 スカーレットはあの後自宅に戻ってザラが巻き込まれたとされる2022年9月5日の"10tトラック轢き逃げ事件"の詳細をインターネットや当時の新聞記事を読んでいた。アンドリューからのメッセージに書かれていた通り、婚約者のマットはトラックの衝撃をもろに喰らって即死だった。ベテランの刑事でも直視できないほど胴体がグチャグチャだったらしい。そして瀕死の重体であったザラは一切反応がなかった。緊急搬送された後一度死亡が確認されるが、当時研究と開発が進められていた機械心臓を埋め込まれて命を繋いだ。ここまでの話ならアンドリューが教えてくれた事実と全く同じだ。轢き逃げした犯人は事件後間もなく逮捕。逮捕されたのはニューヨークの運送会社に務める55歳の男性トラビス・コーリンズ。

「飛び出した奴が悪い」

 と容疑は認めているがトラビスは信号無視をしており、ザラたちに一切過失がないにも関わらず全く反省をしていなかったという。当然実刑判決を受けるが、その後のトラビスの行方は一切わかっていない。

「酷いわ…ザラもそうだけど、婚約者はバラバラになっちゃうなんて…けど機械人間にまでなるなんて、医者は勝手にそんなことするのかしら?」

 事件概要はわかってもどうしても引っ掛かることは何故ザラは機械心臓を使ってまで生き返させられたのだろうか?それは本人か当時の医者に話を聞かない限り解明ができない。

「当時搬送された病院は、ニューヨークのキャーレント記念病院ね。また一肌脱ぐか…」

 彼女はスマホを取るとアンドリューに電話をかける。

「お願いがあるの。明日キャーレント記念病院に潜入する。けどいくら私でも病院に探りを入れるのは難しいわ。偽造の身分証を適当に作って、と卒業した大学は看護系とかならどこでもいいわ!」

 アンドリューが話す前に彼女は電話を切る。

「おいもしもし!もしもし!ったく、やっぱりあいつには振り回される。しょうがねぇな」

 彼女に頼まれた通りアンドリューは偽造身分証を作り始め、コロンビア大学卒業の"メアリー・エイムズ"という名前に設定した。翌日彼女はアンドリューからメアリーの身分証を受け取り、キャーレント記念病院に看護師の採用試験として面接を受ける。メアリーと身分を変えた彼女の変装はただ髪の毛を三つ編みに縛っただけの簡単スタイルで、トレードマークの丸メガネを外して裸眼になった。

「メアリー・エイムズです。本日はよろしくお願い致します!」

「看護師のオーブリーです。よろしくお願いします。えぇっと、メアリーさんはコロンビア大学出身なのですね?看護師として働くのは初めてになりますか?」

「はいっ!未経験ですが一生懸命頑張ります!」

「うんっ、ありがとうございます。まず当院では研修から入ってもらおうと思います。先輩方がみっちり着いてくれるので、是非安心して働いていただけたらと思います」

 その後約1時間面接し、メアリーことスカーレットは看護師の研修業務から従事する形で採用された。今回は暗殺が目的ではなく、病院からザラ・ベネットを手術した記録と、その担当医から話を聞くのが目的だ。だが採用された以上は一生懸命働こうとも決意した。しかし彼女は大学を卒業していないのに病院の看護師として働けるのだろうか?とはたから見ればそう思われるだろうが、彼女のIQは驚異の160。あのビル・ゲイツに匹敵するIQだ。だがIQがいくら高いとはいえ彼女にとって看護師の仕事はしたことがない。そのため今は先輩の話を聞いて仕事を覚えなければならない。完全に今回の目的からは外れているが、今は看護師である以上業務を全うしようと彼女の心が燃える。しかし実際担当医を見つけ出す手は働きながら探すしかないため、病院に潜り込めただけでも一歩前進だ。

「おはようございます、本日からお世話になります。メアリー・エイムズです。皆様よろしくお願い致します!」

 彼女が看護師たちに挨拶をすると皆も「よろしくお願いします」と拍手をする。

「ブランドンです。じゃあ早速患者さんの点滴と、怪我した患者さんの応急処置から一緒にやってきましょうか?」

 初出勤日は先輩のブランドンが付きっきりで仕事を教えてくれた。看護師とは患者さんの命を繋ぐための重要な仕事だけあって現場は大忙しだ。彼女は久しぶりに汗水かいて仕事をするという新鮮な経験を得て不思議な感じだが、看護師の仕事は好きのようだ。この日の退勤時間は20時過ぎ。彼女は看護師として働いている期間は予約なしでホテルに宿泊することにした。ホテルに着くと久々に仕事をした疲れからまずベッドにうつ伏せで横たわる。

「けっこう疲れた…でも新鮮ね」

 シャワーを浴びる前に帰り道で購入した赤ワインを開け、ホテルに置いてある備品のグラスに注いでまず一口飲んだ。真夏日で汗をかいて帰った直後に飲んだためか少しアルコールの回りが早い。本当なら料理を作って食べたいところだが、ホテルの中であるためキッチンがなく作ることはできない。さらにニューヨークはあまり歩いたことがなかったため周辺の店はよくわからない。彼女は仕方なくデリバリーピザを注文することにした。メニューは彼女好みのトマトサラミピザだ。

「ピザも悪くないわね。チーズ美味しいっ!」

 シャワーを浴び終わってからジャンクフードを食べながら好物のワインを飲むのはけっこう至福の瞬間だ。意外な美味しさに一人でLサイズのピザを10分で食べ切った。満腹になってさらにワインのアルコールですぐ眠くなり、明日の仕事に備えて今日は眠りに就いた。


「あぁキャプテン、スカーレットって女どこいったんすか?」

「何だマルコか、あいつならニューヨークに行ったよ」

「ニューヨークに?まさか観光っすか?」

「馬鹿言え!潜入調査に行ったんだ。それよりもお前、口の利き方には気を付けろよと何度も言っているぞ」

「チッ…」

 マルコの態度の悪さはやはり変わっていないようだ。一度アンドリューに腕を折られかけたことをサラッと忘れているかのような挑発ぶりで、もしカサンドラにそんな態度を放ったら何をされるかわからない。

「大体な…俺だからいいがボスに舐めた態度はとってないだろうな?」

「とってないっすよ。それより俺用事あるんで失礼しまぁ〜す」

 そう言ってマルコはアンドリューから与えられた暗殺者リストに一切目を向けることなく去っていった。やはりマルコに関してはポールも疑問を持つ点がいくつかある。

「キャプテン、あいつ一体何なんですかね?」

「さあな、ただ嫉妬深いだけなんじゃないか?」

 マルコはポールより2年以上前に組織に入ったのだが、確かにポールの方が訓練の吸収が早く、先輩であるが故に追い抜かれてしまったという屈辱もあるのだろう。だがマルコは努力という努力をしていなかったため、新人に追い抜かれるのは自明の理と言ったとこでもある。

「ところで少し話が変わるんですけど、この前キャプテン、スカーレットさんには勝てなかったと言ってましたか?」

 ポールはぶん殴られる覚悟で質問をしたが、意外にもアンドリューはあっさりと答えてくれた。

「あぁ、あいつを組織に入れたのも俺で訓練を叩き込んだのも俺だが、あいつが最初の暗殺任務に向かう前に一度実践で戦ったんだ。俺は初めて部下に負けるって言う経験をしたんだ」

 元々彼女は組織の中でもトップグラスの実績を残していたこともあって20歳でアンドリューを圧倒する戦闘力を身に着けていたのだ。さらに自分が教えたことのない武術、それを通り越した殺人拳をも使いこなしていた。そのため彼女は若き組織の主戦力となり、その時点での最強はアンドリューであったのだが、彼女がアンドリューに勝つ形で最強の座を塗り替えたのだった。

「特にあいつのキックは殺人級だ。何とか腕で受け止めたが、喰らってたら俺も死んでただろう…」

 唯一彼女だけがアンドリューに対して「キャプテン」と呼ばず、名前を呼び捨てにしている理由が敗北を喫したからという事実にはやはり驚いた。じゃなきゃ彼女も組織のトップ2の人間に対してタメ口でなんか話さないだろう。

「俺はあいつなら暗殺者だけじゃなく、正義のヒーローとして戦い抜いてくれると信じてるんだ。あいつは暗殺者いや、人間として強くて優しいからな」

「でも凄いですね…キャプテンの信頼をここまで得ているなんて」

「さぁっ、俺からの話は終わりだ。そろそろ俺たちも調査に入るぞ!」


 やはり看護師の出勤時間は早朝と早いが、早起きなんて彼女にとっては朝飯前だ。

「ふわぁ〜!コーヒー飲んだし、今日もスカ…じゃなくてメアリー!行きますか」

 ホテルからキャーレント記念病院まで徒歩圏内だ。歩いて20分で病院に到着し、すぐに着替えを済ませると早速仕事が入る。今日で出勤2日目だが、持ち前の習得スキル、さらに組織の訓練で応急処置を学んでいたこともあって業務なんてもうお手の物だ。さらに美人なことから患者さんもメロメロで、迷惑なことに用もないのにナースコールを押されてしまう。

「はぁ〜い、デイビットさん何かございましたか?」

「いやいや、用はなかったんだけど、メアリーちゃんと話したくなっちゃった!」

「申し訳ありません、こういったことはできかねます。対応が遅れて他の患者さんを助けられないことだってあります!」

 声が張るのを抑えた言い方だが、患者さんにはきちんとことの重大性が伝わったのか素直に頷いた。

 彼女が次に従事したのは公園の遊具で膝を怪我した7歳の男の子の処置だ。膝の怪我とはいえ真夏日ならばい菌も入りやすく、さらにけっこうな範囲で膝から血が出ている。男の子は痛がってメソメソと泣いたままだ。

「大丈夫?あぁ痛いね。お姉さんが治してあげるから、ちょっとだけ我慢できる?」

「痛いの嫌だぁ…」

「このままにしてるともっと痛いわよ?」

 男の子の母親はそう言うがいまいちかけていい言葉がよくわからなかった。

「よしっ、じゃあ頑張ったらこのキャンディあげる!頑張れそうかな?」

 男の子はキャンディと優しい彼女の笑顔を見て落ち着きを少し取り戻した。

「うん…オレ、頑張るよ」

 男の子が勇気を出して彼女にそう告げると、彼女は消毒液を沁みすぎないように量を調整しながら患部に当てる。

「んん…!」

 やっぱり消毒液が傷に沁みるようだ。少し長めの消毒が終わると、軟膏を塗ったガーゼを当てて包帯で固定した。これで処置が完了だ。

「これで終わったよ。よく頑張ったね!約束のキャンディよ」

「お姉さんありがとう!」

「ありがとうございます!」

「いえいえ、ではこれでお会計になりますので受付でお待ち下さい。お大事にどうぞ!」

 こうして処置を無事に終え、勤務2日目にしてこの手際の良さには先輩たちもかなり驚いている。

「凄いじゃないメアリーさん!」

「いえいえ、ありがとうございます」

 そこから間もなくして休憩時間となり、彼女は自販機でアイスコーヒーを買うと休憩室に座る。休憩中こそ彼女にとって病院に探りを入れられる最大の時間だ。聴力を研ぎ澄ませながら医師たちの会話をくまなく聞き取り続けたが、残念なことに「機械心臓」というワードはまだ聞けることはなかった。大胆な行動をとると探りを入れていることがバレてしまうため、この目的で大事なのは待ち続ける根気と仕事への取り組みだ。結局この日も調査に進展はなく、今日のところは収穫なしと諦めて帰ろうとしたが、一つ隣の部屋から何か電話する声が耳に入る。

「はい、はい、ですから当院ではもう機械心臓を使った治療はできないんです!確かに命を繋ぐための治療ですが、それは人間としての尊厳を奪う行為に等しいんです!再三言いますがお断りです!」

「お断り?もしかしてこの病院、元は機械心臓を使った治療には反対だったというの?」

 どうやら電話している男性医師が当時ザラの緊急手術を請け負った主治医の可能性が高い。今の時間は21時過ぎ、唯一防犯カメラが設置されていない更衣室に入った瞬間を見計らって医師の喉元にメスを突き立て、声を出させないように口を塞ぐ。

「んん~!」

「騒がないで…!あなたにどうしても聞きたいことがあるわ。今は私の言う事を聞きなさい」

 そう言われてしまえば素直に頷いて従うしかない。首を縦に振るのを確認できてすぐに口から手を放す。

「あんた…!昨日から入ったばかりの看護師さんだろ?一体何のマネだ!?」

 少し声を荒げたためまたメスを喉元に突き刺すとすぐに黙った。

「単刀直入に言うけど、私はメアリー・エイムズじゃないわ。調べごとがあってこの病院に忍び込んだ捜査官よ」

「捜査官…?あんた警察なのか?一体、病院の何を調べに来たんだ!?」

 医師は彼女のことを警察だと思っており、さらにメスで突き立てられたこともあってかなり動揺している。しかし話を聞かなければ目的が達成できないため、できるだけ冷静になってもらうよう彼女も慎重になる。

「あなた、機械心臓を使って今まで何人治療したの?それとあなたの名前はわかってるわ。2022年にザラ・ベネットの主治医を務めたティム先生ね?」

 そう。彼こそがザラ・ベネットに機械心臓を埋め込んで蘇生させた張本人、天才外科医のティムだ。彼女の質問を受けたティムは動揺し、崩れ落ちるかのように更衣室の椅子に腰掛けた。

「ベネットさんは初めて機械心臓によって蘇生された患者さんだった…だが私は機械心臓を使うことは元々反対だったんだ。けど、必死に生きようとするあの人を見たら、どうしても救いたくて従ったんだ…!」

 ティムは語っている途中で涙を流していた。

「普通に考えてみれば機械心臓を使ってでも蘇生させる方法は悪い風には聞こえないけど、でもどうしてあなたは反対派だったの?」

「私にも機械心臓を取引している企業とかはわからない。けど機械心臓を入れるとその人は機械人間になる。機械人間になると見た目は勿論、声や動作だって機械的になる。もし本人が望んでいなかったら機械人間になってまで命を繋ぎたいなんてみんながみんな思うはずがない!けどあのときベネットさんは一切喋れなかったし、彼女の意思も確認できなくて、仕方なかった…」

 まだザラ本人を見たことはないため機械人間がどのような者がよくわからないが、ティム曰く見た目は明らかに人間じゃなくなるため、社会的障壁のハンデを背負うに等しかった。

「機械心臓の取引と治療をしなければ病院が潰される可能性もあった。医院長が言うには昔からこの病院と取引する中では大きいなんてものじゃないほどの規模だと聞いたことがある。けど、私はどうしても患者さんの意思より先に救いたい気持ちに従って使うしかなかったけど、私はこんな形で救うのは間違いなのか正しいのかわからなくなったんだ」

「あなたの判断は別に間違ってはないわ。言わなくてもわかると思うけど、話すことができない患者さん相手には無理にやるべきではなかったかもしれない。お医者さんは人の命を扱うから葛藤するのは当然だし、どんなエリートでも救えない命がないなんてあり得ないわ…」

 彼女の言うことはティムの心に突き刺さり、自分の判断は間違ってはいないことへの安心感と、やはり自分自身も多くの命を救ったが救えなかった命もある。

「あなたがやるべきことは、一つでも命を救えるように全力で医師でいること。違う?」

 ティムは非常に涙脆いのか眼鏡を外して涙が止まらなくなった。

「捜査官としての私の役目は今日で終わり。今日で失礼するわ」

「待ってくれ!あんたさえ良ければ臨時で働いてもらえないか?」

「お気持ちは嬉しいです。たった2日だけだったけど、私には捜査官としての本来の役目があるから、今日で失礼します。ありがとうございました」

 やはり彼女は看護師としての仕事は大好きのようで、お別れの挨拶は丁寧だった。もし自分が暗殺者でもなく普通に社会生活を送っている身なら迷うことなく看護師になっていたのかもしれない。

「本当は…もうちょっと働いていたかったけど、本来の役目がある」

 彼女は独り言で未練の言葉を漏らし、病院の外から出る頃はもう日付が変わりそうな時間だ。もうアンドリューは寝ているかもしれないと思い、電話で報告するのは朝にしよう。彼女は今どき珍しい24時間営業のバーに入り、1日目以上に疲れていたのか、ワイン1杯とジントニックを飲んだらついうたた寝をしてしまった。

「お客様…?」

 バーテンダーは彼女に大丈夫かと聞こうとしたが、彼女の幸せそうな寝顔を見ると聞くのをやめた。

「このお客様…可愛い寝顔だなぁ」

「にゃにかゆったぁ…?」

「(ギクっ?)何だ寝言か…まあごゆっくり」

 可愛い寝顔といい酔ったときの寝言のキュートさは天使を通り越してもはや女神様だ。

「むにゃむにゃ…あっ!ヤバい寝ちゃってた、って今夜中の4時…あぁすみません!寝ちゃってたみたいで…」

 彼女は3時間近く寝てしまってたらしいが、バーテンダーにとって3時間も女神様レベルの寝顔を見れて大満足だろう。

「いえいえ!もう大丈夫ですか?」

「すみません、ちょっと寝ちゃってたので少し多めですが受け取ってください」

「いやぁそんな、こちらとしては全然問題ないんですよぉ?」

「じゃあこの分は、私の奢りよ!じゃあね!」

「あっ…ありがとうございます!ヤベっ、名前だけでも聞いておきゃよかったぁ…」

 バーを後にした頃は4時半前。真夏日だからか太陽がほんの僅か顔を覗かせるが、彼女の身体にはまだ少しアルコールが残る。

「そういえば靴下履いたまんまだったぁ…でも今脱ぐと流石に汚いわよね?シャワー浴びそびれたし…」

 今は取り敢えず大嫌いな靴下を履いたまま歩こうと諦めるしかなかった。早朝からオープンするカフェで朝食と朝コーヒーを済ませる頃には完全にアルコールが抜け、泊まっていたホテル付近の駐車場に停めていたラングラーを運転し、ニューヨークからペンシルベニアまで4時間走らせた。


「ったくくだらねぇことばっかだぜ!アンドリューもポールってガキも…それに天才スカーレットとかよ!」

 マルコはやはりアンドリューに毎日仕事について叱責をされても結局自分から努力しないことで周りに追い抜かれる。それでもマルコは懲りていなかった。

「ねぇあんた、もしかしてGreen Roseの人間?」

「誰だお前は?(何だこの女、人間なのか?AIロボの類にも見えるが)」

 マルコに声をかけた女はショートヘアで顔の皮膚一部は剥がれてターミネーターのようになっている。

「私はDAのザラ・ベネット。あなたはマルコ・フィダルゴね?」

「何で俺の名前知ってんだよ!?」

 ザラはマルコに奇妙な微笑みを向ける。

「でも丁度良いぜ!お前をここで殺して、組織に箔が付けれるからなぁ!」

 ザラに明確な殺意を向けて襲いかかる。だがマルコは全く努力もしたことがなくDAの幹部たるザラに敵うはずもなく、パンチは大振りに空を切る!

「(コイツ…全く当たらねえ!)」

 ザラはまだ攻撃を避けているだけだが、やがて避けるのが飽きたような表情に変わる。一方的に攻撃をして当てようと必死になっていれば視野が狭くなり、簡単に両腕を掴まれる。そして口内から出すスミがマルコの顔面にブシャーと放出される!

「うわぁ~!目が…チクショー!!」

 さらにヤケクソになったマルコはザラの背後に回り込み、運良く首に腕を回すことができた。

「このまま絞め殺してやるよ!」

 だが背後に回らせたのはザラが故意に生んだ隙だ。そのことを知らずマルコは力いっぱい首を絞める。だが1分以上絞め続けても一切呼吸が止まる気配がない。

「そろそろ死ねよ!グっ…!カァ…」

 しかし苦しみ出したのはマルコだ。ザラは腕と脚だけじゃなく首の骨まで脱骨させることができるため、物理的に絞殺や窒息死させることができない。マルコの首はルフィのように伸ばしたザラの腕が巻き付いており、勿論腕が二重になって巻き付けられれば窒息死まであっという間なのだ。このまま絞め殺されると思ったが急にザラの腕が緩み、解かれた途端うつ伏せに崩れ落ちて悶え苦しむ。しばらく悶えているとザラの後ろから人影が現れる。その正体は悪魔のフレデリックだ。

「まさかザラに立ち向かう命知らずのガキがいたとはなぁ…だが、お前は使えるかもしれないな」

「今度は誰だよ…?」 

「お前はGreen Roseの中で下っ端らしいよな?」

 フレデリックはマルコの側に駆け寄ると、契約書のような書類を掲示した。

「今日から私のもとで働くのなら、前金として10万ドル支払ってやる」

 こんないい好条件を出されればマルコはすぐに目の色を変えて承諾してしまった。元々マルコはGreen Roseでの仕事をつまんなく感じており、後輩に抜かれるばかりでスカーレットには憎悪にも勝る嫉妬心を燃やしていた。結局組織を裏切り、DAの一人としてフレデリックに仕えることになる。ただの使い捨ての駒であることも知らずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る