19への応援コメント
ハヤシダノリカズさま、「うたぼっちの里」へのご寄稿、ありがとうございます。連載中とのことですがとりあえず本日UP分のこちらまで拝読させて頂きました。全くの偶然ですが、19篇のなかで最後のこのぼっちが一番好きでした。反語であるのかないのかわからなくなってしまう論理的カオスの面白さを感じたからです。他にも第2,3,4,10,14,15話など、そこはかとなく可笑しくて共感できる「さる詞」たちでした。特に14など、拍手を送りたくなりました!
ただ、率直に申し上げますが、文学作品としては個人的には大きな不満を覚えます。どの「詞」も日常の言葉と論理で理屈を述べているに過ぎないような気がしたからです。たとえば科学論文がどんなに凄い宇宙的真理を見出し、それを見事に証してみせても、普通、文学作品として評価されないのは、それが言葉を単なる「意味」をのせる論理符号としてしか扱っていないからです。意味や理屈は詩や歌にとっては出発点でしかなく(あるいは出発点ですらなく)、言葉が、理性では捉え切れない人の生理や、自らの重さや、色彩、明暗や、香りや手触りなどを奏でてはじめて文学としての生命を得るものではないかと思っています。左脳で書かれた言葉は窮屈です。作品は何を語るかという以上に、いかに語るかであって欲しいと願っているのですが如何でしょうか?
作者からの返信
ええ。その通りだと思います。すみません、こんなモノで企画に参加してしまって。
詩とは感性に訴えるものであって、ロジックから遠いものだろうと私も思います。私の書いているこれらは、感性(右脳)に訴えるものではなくて、論理(左脳)に訴えるものであろうと思います。
でも、残念ながら、私は感性が枯れている論理型の人間なんですよね。
ただ、私は谷川俊太郎さんの詩がけっこう好きでして。彼の紡ぎ出す言葉はまあまあロジカルで論理の飛躍があんまりないように思うんですね。
そして、ここまで書いてきたこれらは、私なりの叫びでして。
私自身、論理を超越した文章で、感性に訴えるナニカをこれから書いていけたらなと思っていますが、これまでに書いたこれらも、私と同じような感性を持った人には刺さる可能性があるのではないかと思っています。
詩は技巧を感じさせない技巧で、読んだ人を感動させるもの……そんな事も思います。
私のロジカルな散文は、技巧と言える技巧もないのに、技巧を読み手に思わせてしまう分、詩としてはとても拙いものでしょう。
それでも、これが私ですから。
私を表現しているものですから、これらは私にとっての詩なんです。
そして、友末さんのアドバイスはこれからの私にとっての栄養になりましたから、これからはちょっとずつ変わっていくかも知れません。
そこも含めて生暖かく見守ってもらえたら幸いに思います。
的を射たコメント、ありがとうございました。
編集済
26への応援コメント
うんうん、と頷いてしまう詩が多いです。
南極は沙漠
雲は雨になりたい
舌打ちは音楽にならない
このあたりが特に印象的でした。
あと全然関係ないんですけど、今日、バスケの試合を見てきました。
アルティ―リ千葉対神戸ストークス。
千葉負けましたが、今期43勝4敗らしくって、東地区優勝のセレモニーやってました。
つまり、希少な負けゲームを見たわけです(笑)
生の試合はやっぱりスピード感も迫力も違って面白いですね!
選手の皆さん大きくてコートがちっちゃく見えました。熱い応援も、タイムアウトのたびに出てくるチアのお姉さんも素晴らしかったです。
こんなところで語るなよという、超余談で失礼しました!
作者からの返信
ありがとうございます、鐘古こよみさん。
舌打ちは音楽にならない これは、私も気に入っています。
おお、初観戦でしたか?いいですね!
A千葉は今季のB2リーグで異次元の強さを誇っているチームです。昨季もめっちゃ強かったんですが、昨季は昇格を賭けたプレイオフで惜しくも敗退してしまいまして、今季はその雪辱に燃えているのが遠くから見ていてもアツイチームです。
中国籍選手のリューさんがめっちゃデカかったでしょ?226センチらしいです。
180センチって、普通に街を歩いていたら背の高い人と見えると思いますが、バスケでは小さいんですよね。コート上にいる時は小さく見える選手も実際に対面すると大きいって事がよくあります。226って訳の分からない大きさでしょうねー。
バスケは高さとスピードと戦略のスポーツで、頭の良さも必要となります。A千葉に現在在籍している岡田選手は以前京都に在籍していた選手で、プロバスケ選手でありながら公認会計士でもあるという漫画の主人公みたいな人だったりします。
いや、スミマセン。こちらこそ、長々と語っちゃって。
私はバスケ好きが一人でも増えたら嬉しいって思っているファンの一人ですので、また機会がありましたら、観戦して欲しいです。