恋愛カレンダーは死者の声
オフィス街と繁華街の境。
薄暗い路地に面した雑居ビルの4階に、古びた看板が掲げられた探偵事務所があった。
薄暗い室内には、机と椅子、古びた書棚が雑然と並んでいる。
机には、調査資料が散乱し、ヨレヨレのジャケットを着た男が座っている。
長い黒髪の女性は、事務所の惨状にため息を付きながら言う。
大学生のアルバイトで
「先生、家は探偵事務所ですよ。探偵の愛読書と言ったら推理小説です。いい加減、探偵らしい事をして下さい」
弘二は苦笑する。
「綾野君。探偵は本来、人探しや浮気調査が仕事で事件の捜査なんてしないんだよ」
梨花の持つ探偵という仕事の夢と希望を弘二はたやすく打ち砕く。
梨花は頰を膨らます。
アニメやドラマを観て難事件を解決する探偵に憧れてバイトに応募したのだ。
ただ、そんなドラマの様な事件は、そうそう起こらない。
そうそう起こらないが、言葉を返せば、たまにある。
梨花が現実に落胆していると、事務所のドアが開き一人の女性が入ってきた。
「こちら。探偵をされているんですか?」
依頼人だ。
「どうぞ、こちらにお掛け下さい」
梨花はソファーへと案内し、弘二は依頼人の女性と向かい合う。
依頼人の名は伊藤
結菜は深刻な表情で口にした。
「私の兄・直樹のことで依頼に来たのですが、聞いて頂けますか?」
弘二は深刻な表情で話す結菜を
それは彼女の兄が自殺した件に関してだった。彼女の兄である直樹は、2日前から会社を無断欠勤し連絡も取れず、不審に思った結菜が管理人立会の元。マンション二階にある部屋に上がり込むと腹部から血を流した直樹を発見した。
包丁による失血死だった。
警察による捜査の結果、ベランダの鍵はかかっていなかったが玄関は施錠されており包丁から本人の指紋しか検出されなかったことから、自殺と判断した。
「恥ずかしい話し、兄は女性にだらしない人でした。何人もの女性と交際していたんです」
彼女は憔悴しきった表情で語る。
梨花は写真を差し出した。それは直樹の部屋にあったカレンダーで、複数人の女性の名前と予定が書き込まれていた。
加藤彩。
松本理恵。
渡辺瑞希。
谷口愛美。
荒谷美雪。
5人もの女性と同時交際のスケジュールは、恋愛カレンダーとでも銘うつべきだろう。
「自殺ではないという根拠は?」
「兄は亡くなる前、女性と言い争うのを目撃されているんです。それに……」
結菜は、直樹を発見した時なぜかカレンダーの一枚を引きちぎって掴んでいたことを口にした。
その一枚は4月だった。
「4月? 今は2月ですよ。どうして、わざわざ4月を……。これってもしかして」
梨花は弘二に訊く。
「ダイイングメッセージ」
弘二は唸った。
【ダイイングメッセージ】
死亡した人物が死の間際に残したメッセージのこと。多くは殺人事件の被害者によって犯人を示す目的で残される。
1963年8月の波崎事件では犯人の苗字を残し、1985年5月に徳島県池田町で起こった保険金殺人事件では被害者が血文字で加害者の実名を記している。
梨花は事務所にあるカレンダーを捲り、4月を眺める。4月の出来事が犯人を示唆しているのでは無いかと思ったが、4月の祝日は昭和の日があるだけだ。
ありえないと思いつつも、訊いても被害者の交際相手に昭和生まれはいなかった。
「4月は、日本では卯月。英語だとapril……。もしかしたら犯人は4月生まれじゃないでしょうか」
梨花の提案に、弘二は可能性を感じて依頼人に訊いた。
「それは私も思いましたが、4月生まれの人はいません」
結菜の言葉に振り出し戻るが、弘二は助手の言葉が気になって依頼人に訪ねた。
「失礼ですが、ご両親のいずれかはヨーロッパの方ですか?」
「はい。母がフランス人です」
弘二は結菜の言葉に、スマホで検索を行う。
フランス語で4月は、avrilであった。
それと同時に弘二の中で閃きが広がっていく。
「……分かりました。犯人は、この人です」
弘二は恋愛カレンダーにあった人物の名前を口にした。
◆
数日後。
自殺と思われた事件は急展開を迎え、殺人事件として再捜査が行われ、交際相手であった谷口愛美が容疑者として逮捕されることになったが、それは弘二の働きかけによるものだった。
梨花はスマホで事件のことを見ながら驚いていた。
「先生。どうして谷口愛美が犯人だと思ったんですか?」
弘二は梨花の質問に不適な笑顔で答えた。
「avrilの語源は、女神アプロディーテ(Aprodite)。その女神が司るのは《愛と美》なんだ」
そう言って弘二は読みかけだった伝奇小説に視線を向けた。
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