第92話 悪魔のささやき
「くっそ! くそがッ!」
机を思いきり叩く音が鳴り響き、店内が一瞬静寂に包まれる。
本来ならば、粗暴な態度を取る人間は店外へと追い出されるのだが、今回荒れている客は冒険者ギルドのギルド長。
高級な酒をいくつも注文してくれる太客であり、横柄な態度が目につくもののいつもはここまで荒れていないということもあり、店のマスターは追い出すに追い出せずにいた。
完全にやけ酒という感じであり、あまり触れたくなかったのだが、マスターは話を聞いてみることに決めた。
「グアンザさん。いつになく荒れていますね。どうなされたのですか?」
「ああ!? 関係ねぇだろ!」
「関係なくありません。他の街のギルド長とはいえ、私の店の大事なお客様ですから。何かあったのならお聞かせください」
「……………………糞野郎にコケにされたんだ! Dランク冒険者のくせに調子に乗りやがって!」
「コケにされた? ギルド長のグアンザさんがですか?」
「そうだ! ギルドで一番偉い俺がだぞ! 絶対に許さねぇ!」
Dランク冒険者。グアンザがコケにされる。そしてこの怒りよう。
爆弾を解除するつもりで渋々話しかけたのだが、思っていたよりも面白そうな内容で興味が出てきたマスター。
「Dランク冒険者と仰ってましたが、Dランク冒険者にコケにされたのですか?」
「そうだって言ってんだろ! 俺に喧嘩を吹っ掛けてきて、そんで……俺の腕を斬りやがった! あの糞野郎!」
「斬られた。……もしかして以前の仰られた交流戦ですか?」
「……ああ。【紅の薔薇】の連中もあっさり敗けやがって!! 全敗はねぇだろ! 俺の面を汚しやがって! あー、全員ぶち殺してェ!」
もっと聞きたいが、荒れに荒れているせいで迂闊に聞き出すことができない。
断片的な情報から推察するに、主要都市のギルドが集まって行われた交流戦。
そこでDランク冒険者にグアンザが率いる【紅の薔薇】が負け、更にコケにされた上で斬られたということ。
凄まじく面白そうな話であり、そのDランク冒険者が非常に気になってしまう。
「それは……災難でしたね。グアンザさんに楯突く愚か者がいるなんて」
「絶対に後悔させてやる……! 思い出しただけで――ぐっそがァ!」
マスターが話を聞いてもグアンザの怒りが収まることはなく、思い出したからか更に荒れ狂った。
内容からも今は触れない方がいいと察したマスターも、今日は店を閉めて好きにさせることに決め、グアンザは一人夜中まで荒れ狂った。
そして一人酒を飲みまくり、泥酔状態で宿屋へと戻るグアンザ。
記憶を失うぐらいまで酒を浴びるように飲んだのだが、それだけ酒を飲んでもグレアムのことが頭から離れず、酔いきれない上に怒りが収まらない状態。
こんなことは生まれて初めてのことであり、殺したいほど憎い相手。
目につくものを蹴り上げながら、宿屋へと戻っていたグアンザだったが、そんなグアンザに一人の男が声をかけた。
「バーでの会話聞こえていました。あなた、冒険者ギルドのギルド長さんなんですよね?」
「あぁん!? てめぇは誰だ!」
「申し遅れました。私はグラナッドと申します。あまり大きな声では言えないのですが……魔王軍の幹部をやっております」
月明かりに顔が照らされ、グラナッドと名乗った人物の顔が見えた。
一見は人間にしか見えないが、グラナッドの目は黒目しかなく……その目を見たグアンザは、グラナッドが嘘を言っていないことを直感的に理解した。
「……本当に魔王軍の人間なのか? 冒険者ギルドのギルド長に声をかけるとは随分不用心だな! まさか王都に紛れ込んでいるなんて思っていなかったぞ」
「グアンザさんだからお声を掛けたのです。……殺したいほど憎い相手がいるのですよね? 手引きしてくれませんか? そうすればその人間を殺して差し上げます」
まさに悪魔の囁き。
冒険者ギルドは数多もの冒険者を束ねる組織であり、そのトップの人間が魔王軍に手を貸すなんてことがあれば崩壊が始まる。
……ただ、今のグアンザはそんなことがどうでもよくなるほど、憎くてたまらない。
このタイミングで声を掛けてきた違和感。
紛れもない魔王軍の幹部。全てに疑問を持っていて尚、グアンザは大きく一つ笑った。
「グレアムをぶっ殺してくれるなら、魔王軍であろうと一度だけ手伝ってやる! 本当にやってくれるんだろうな?」
「もちろんです。例え人間との約束であろうと、約束を反故にすることはありません。契約内容は私がグレアムという人間を殺す。グアンザさんは魔王軍の幹部である私に全面協力する。大丈夫でしょうか?」
「ああ。本当に殺してくれるなら問題ねェ!」
「それでは契約成立ですね。それでは――まずはそのお体を拝借させて頂きます」
「……は?」
グラナッドがそう言葉を告げた瞬間、グアンザは体の力が一気に抜ける感覚に襲われた。
この瞬間にグアンザは自分が間違いを犯したことに気がついたが、あまりにも遅すぎた。
「それでは大事に使わせて頂きます。くふふふ、悪魔との契約は簡単にかわしてはいけないのは常識のはずなのですがね。……本当に人間はよく分かりません。弱くて馬鹿で無能な者がトップにいるのですから」
グアンザの顔は怒りが抜け落ちた代わりに別人のようになっており、そして悪魔のように嗤いながら夜の街へと消えていった。
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