ターン2-7:偽りの彼女『仙堂寺あずさ』


 *


 雨が早朝から降り続く翌日。休日という事もあり、時間に対する持て余しを感じてPCデスクに張り付き、昨日のあずさに頼まれていた動画の編集作業に精を出していた。


『8月12日土曜日13:40』

「あぁ、もう午後か」


 手元にあるスマホの画面に新着の通知が届いた事に気づく。

 あずさが通話アプリでメンションをしてきていた。


「…………」


 作業の片手間にスマホを弄りつつ、アプリを開いて彼女のアカウントにメッセージを送る。


『今なら話せるぞ』


 片手のスマホをデスクに下ろしたのと同時に既読がつく。


『ダーリンの声が聞きたい』

『寂しい』

『部屋立てたし、おいで』

『わーい♥♥♥♥♥♥』


……といったやり取りの後にハートのスタンプが沢山送られてくる。


――めっちゃ女子じゃん。


 いつ見てもコミュ力が高いなという思いを持ちつつ、キリの良い所で編集を切り上げて通話を始めることに。


『やっほーダーリン元気かなー』


 あずさの機嫌の良い声がヘッドホンのスピーカー越しに聞こえてくる。

 今日の彼女は鼻歌を奏でて楽しそうだ。


――魔性を感じさせられるような彼女の歌声には何度も癒やされてきたな。感謝しかないよ。その歌で俺の心が救われてきたんだから。


「元気だよ。ところでさ」

『うん』

「動画製作の方はまあ順調だ」

『さすが私の認めた助手君だねー』


 表情が分からないがニコニコと嬉しそうにしているだろう。


「明日くらいにはエンコードしたデータをみせるから。それで要望とかあればフィードバックしてくれ」

『ほいほい』

「あとはそれくらいかな」

『じゃあ、今度は私がダーリンに話したいこと聞いてほしいかなー』

「どうぞ」

『今日会いたいなー』

「昨日会ったばかりだろ?」

『連れないなーって思う』


 いや、仕事してるんだし。それくらいはさせろよ。


『動画の仕事くらい私のお家でやれないこともないよ。ダーリンの為に必要な機材とか出せると思うし』

「最低限、俺が必要だと思う機材とPC環境があればいける」

『じゃあ後でメッセージに纏めておいてね。それとアレルギーとかあるかなー?』

「蕎麦はダメだな」

『じゃあ大丈夫そかー』


――何か食事でも用意してくれるのだろうか?


 丁度お腹が空いていたので助かる。


『よかったら一緒にお部屋でご飯を食べようよ』

「なら丁度いいタイミングだったな。実はこの後にでも食事を取ろうと思っていた所だったんだ」

『ふふん、遠くのダーリンがお腹を空かせてるのが分かっちゃうなんて。うちはエスパーかも』

「んなバカな」


 軽い冗談を交えつつ談笑が終わる。


『じゃあ、お家デート楽しみにしてるね。沢山おいしいご飯を作って待ってるから』

「ああ。沢山食べてあずさを悦ばせてやるよ」

『はぁ、やっぱりその言葉……うちの心をかき乱す罪な言葉だよね……。ダーリン……あなたの事を心から本当に愛してる。後で会えたときにね……あなたとの愛を確かめ合うことがしたいかなー』

「……俺もあずさのこと……愛している……」


 こんな甘い言葉を返すのも気恥ずかしいなと思いつつ、通話を切り支度をする。


――愛しているか。本当にお互い愛し合っているのか? なぁ、今の自分……。


 あずさに愛を囁かれた際に感じだ胸のうずき。

 それはもう1人の彼女の事を思い浮かべたからだ。


「まあ、腹が減ってるし。それに旨い飯を食わせてくれるなら行くしか無いだろ」


 あずさが演じる限り、俺は彼女の彼氏を演じ続けるしかない。

 彼女に誓ったあの言葉を今になって反故にする事なんて出来ない。

 家を出て共用の駐輪場に保管している原付バイクに跨がる。

 ついさっきまで雨が降っていたはずだった。

 しかし幸運にも外に出たあたりで止んでくれた。


――運が良いな。いい午後の時間が過ごせそうだ。


 *


「あれ、なんだろう?」


 自宅を出てから数分が経過したあたりで不審な行動をする後続車に気づく。


「さっきからずっと。黒塗りの高級車がずっと付いてきてるような……?」


 黒塗りの古いクラウンが一定の距離を保つようにして、自分が走らせているバイクの行く道先に合わせて追従してきている。

 その車を見かけるようになったのが、家を出て少ししたあたりだった。


「まあ、偶然だろ」


 偶然にも行く先が一緒なのかもしれない。


「途中で迂回するか」


 あずさの自宅近くにある住宅路を迂回する形で走行する事を決めて、そのまま目の先にある交差点を左に曲がる。

 そうする事でこのまま見覚えのある生活道路に入る事が出来る。


――後は彼女の家に向かって走れば良いんだけれど。


「……やっぱ付いてくるよな……なんだよ……」


 先ほどのクラウンは未だに後からついて来ている。


「後ろからノロノロと。何でバイクに合わせてついてくるんだ?」


――あずさと約束してた時間に間に合うといいなぁ……。


『ダーリン待ってたよー!』


……と言って出迎えてくるなり、彼女は飛び込んで抱きついてくるに違いない。

 頭の中で思い描くあずさの可愛らしい姿に顔がほころぶ。


――旨い飯。どんなのが出てくるか楽しみだな。


 そう思っていると……。


《ブゥオォオオオオオン!!》


「え?」


 突然に後ろのクラウンが急加速するエンジン音が鳴り響くのに気づいて振り向くと、距離にして約100メートルの距離まで車間を詰めて来たのを目の当たりにする。

 自分が走らせる原付が出せる最高速度は約70キロが限界だ。

 それを知っていてなのか、クラウンはもの凄い勢いで更なる加速をつけて迫って来ており。


――ぶつかる!?


 ここままでは殺されると思い、俺は思わずアクセルハンドルを最大限にまで回して加速した。


「あぁ、ダメだ追いつかれる……!」


――もしかしてあの時に感じていた黒い視線って……まさかっ!?


「ストーカーが俺を殺しに来たのか!?」


 バイクが壊れるなんてどうでもよく、焦りを募らせても思うように行かない緊急事態を乗り越えようと必死に前を走り続ける。

 この先を走る生活道路に逃げ場はなく、狭い一本道が続いて避けることも出来ないまま後ろから迫り来るクラウンに対しての抗う術はなく……

 

「あっ、だめだ」


……背後から覆い被さるように黒い殺意と車の気配が迫るのを感じた直後に……


《ガッシャン!!》


……空白の痛みを伴う感触と、強い衝撃を後ろから受けると共に体が宙を舞った。


――あ、前に飛んでる……どうしてこんな……?


 その直後、俺は頭から堅い地面に強くぶつかった。


「……ぁ……ぁ……いたい……」


 言葉が上手く出せない。

 右腕がやけに軽く感じ体の神経をやったのか、あるいは衝突した際に背中からフロントガラスに直撃した時に後頭部を強くぶつけてしまったのか。

 目で見て判るのは右腕が身体から離れていた事くらいか。


――どちらにせよ致命傷だ……これ……死ぬなぁ……。


 頭に被っていた筈のヘルメットは近辺に砕けて散乱しており、事故の生々しさを俺に突きつけてきている。

 雨が再び降り出してきたようだ。


――誰かが泣いているのかな……?


 ポツポツと体にかかる雨水の冷たさと、触れてくる水の染みる痛さに不思議と感情が込み上げてくる。


――遥……ごめん……君に今まで嘘をついていた……本当は君を……。


「あい……して……る……」


 今頃は何をしているのだろう。

 遥はまた俺を歓ばせようアパレル巡りをしてショッピングをしているに違いない。

 目がかすみ出し眠りにつくように瞼が落ちていく。

……ふと意識が落ちようとした瞬間……


『お前のせいだからな……!! お前のせいであずさが遠くに行ってしまった!! そのまま苦しんで死ねぇっ!! あひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!』

「どう……して……?」


 その言葉はこの世の悲しみを全てを背負う男の罵声だった。

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