第23話
時計は無かったが、空に穏やかに輝く太陽の位置から推察すると昼頃になっていた。
アントラの小屋に戻ると、中にはウーが1人で家事をしていた。私の顔を見た彼女は外に出ると、長の小屋とは反対側の道を何度も指差した。ウーは口を利けないと先程アントラから教えられていたので、私は彼女の伝えたい事を察した。
「アントラさんは野良仕事をすると言ってました。あっちに行けば良いんですね?」
私の言葉にウーは大きく頷くと一旦小屋に戻り、一抱え程の風呂敷包みを持ってきた。そしてそれを私に差し出す。
不思議に思いながらもそれを受け取った私は、包みの中に幾つかの握り飯と水筒が入っているのに気付いた。ウーの顔を見ると、物を食べる仕草をしている。
「アントラさんのお昼ごはんですね。わかりました。持っていきます」
ウーは私を指差すと、再び食べる仕草を繰り返した。
「僕の分も作ってくれたんですか。ありがとうございます」
私が頭を下げて礼を言うと、ウーは優しそうな笑顔で頷いた。それを見た私は言い様のない気持ちで胸が一杯になった。ここ何年も見ていなかった、優しい人の顔だったからだ。邑長の放つ険悪な雰囲気に辟易していた私は、ウーの表情によって嫌な気分を洗い流す事が出来た。私は感謝の気持ちを込めて再び頭を下げると、彼女が示す方へ歩いて行った。
道の両脇に何軒か建ち並ぶ小屋は、私が進むにつれてまばらになり、やがて無くなった。ざっと小屋を数えたが、その数は50軒を超えていた。住人の家がこの通りだけにあるとすれば、邑の人口は100人前後だろうか。私が疎開した村に比べれば少ないが、山奥に密かに隠れ住む集落なのだから、むしろ多い方なのだろう。私は疑問を抱いた。こんな場所に、果たして野良仕事をするだけの土地が在るのか、と。
道を行く私の前にやがて、学校の校庭くらいの広さを持つ空き地が現れた。そこは地面が平らに整地されており、住人達が集まって何かをする為の広場に思えた。
広場の右手奥にはほぼ円形の池が見えた。かなりの大きさで、邑の水源地はここだろう。そして左手には垂直に近い斜面を持つ小さめの山があり、広場の地面と接する箇所には大きな半円形の入り口を持つ洞窟があった。これがアントラの言っていた洞窟らしい。池と洞窟に挟まれた広場の奥には道が続いており、その先に彼が居るのだろう。
本来ならそのまま進むべきだが、ここで私は足を止めて暫くの間、その洞窟を観察した。長が言った事は正しかったのだろう、少年時代の私は好奇心の強い性格だった。
それは本当に大きく、汽車のトンネルとしても使えそうだった。入り口の両脇には、夜間のかがり火に使う為だろうか、3本の竹で組まれた脚の上に鉄で出来た籠が置かれている。入り口の上部には、太く長いしめ縄が掛けられていた。洞窟の中は暗く、様子が全くわからない。
極めて粗雑な装飾だが、洞窟の中には神聖な存在が祀られているらしい。もしやこれが、掟に示されていたカミ様の住まう洞窟なのか。
とは言うものの、邑長の極端とも言える振る舞いを見た直後でありながらも、私はカミ様など信じられなかった。単なる迷信だとしか思えなかったのだ。そんな私の関心は、洞窟の中に何が在るのかという事のみだった。
何かの御神体でも置かれているのだろうか?
私は吸い寄せられる様に大口を開ける山へと近寄って行った。
入り口の直前まで近付いた時に、慌てて足を止めた。
危なかった。
たとえ意味のない迷信だとしても、この中には絶対に入ってはならない。一見した所、自分の周りには誰1人として居ないが、邑に来たばかりの身で、衝動的な好奇心の為に易々と掟を破る訳にはいかない。アントラも洞窟には決して入るなと言っていた。私の身を案じての言葉だったのだ。そして何よりも、その時の私には、洞窟の暗闇の奥で誰かがこちらを見ている様な気がしたのだ。
私は頭を振って邪念を追い払うと、広場を抜けて先に続く道を辿った。
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