第21話
決して上質とは言えない和紙に筆と墨で書かれた文章は中々の達筆だったが、内容を目にした私は思わず眉をひそめた。それは次の様に箇条書きになっていた。
・この邑に住む事をカミ様に許されたのだから、住人はカミ様とその御使いを敬う事。
・カミ様の住まう洞窟には立ち入らない事。
・邑長の命令に従う事。
・邑から決して出ていかない事。
・生きていく為に働く事。
・住人同士で争わない事。
・住人同士で過去の話をしない事。
・本来の名前を捨てて、邑長の与えた名前を使う事。
・酒や煙草を作ったり、使わない事。
・ユキは邑長の跡継ぎだから彼女を敬う事。
・絶対にユキに危害を加えてはならない事。
この11の項目の内、最初の4つと最後の2つは特に重要という意味なのか、朱色の墨で書かれている。私は呆気に取られるしかなかった。
「ここでは紙は貴重だから渡す事は出来ない。頭に入れておくんだ」
邑長はそう言うと11カ条の掟が記された紙を私の方へ押し出した。私はそれを再度、食い入る様に見つめる。頭の中には疑問の群れが渦巻いていた。
何だ、これは?
殆どの掟が異様だったが、取り分け眼を引くのは何と言っても一番目だった。
カミ様?
掟には、はっきりとそう書かれている。神様ではなく、カミ様だ。
「こ、このカミ様って何ですか?」
困惑した私は、思っている事をそのまま口にしてしまった。
「馬鹿者!口を慎め!」
途端に長は、雷の様な怒りの声を上げた。私は全身をびくっと震わせる。
「この邑はカミ様がお造りになったのだ!カミ様を侮辱する様な言い方をするな!」
「ご、ごめんなさい……」
顔面を紅潮させた長の怒りは本物で、獣の様な目付きで睨んでいる。私はその剣幕に押されて咄嗟に謝った。数秒間の静寂がとても苦しかった。荒い息を吐く長は感情を押し殺す様に言う。
「今回だけは許してやる。2度とするなよ」
私は顔を青くして小さく何度も頷いた。それを見た長は漸く怒りを収めた。
「ここに居る間に、この掟を心に刻んでおけ。特に紅く書いてある項目は重要だ」
正直言って、カミ様というのも、目の前の男の激しい怒りも全く理解出来なかった。ただ1つ悟ったのは、カミ様などと言うモノを口にするこの男は、どこかおかしいという点だけだ。しかし、ここで少しでも反抗的な態度を取れば、何をされるかわからない。私はこの状況を一刻も早く終わらせる為に、ひたすら従順でいる事を選んだ。
数分間、紙を凝視し続けて掟を覚え込む。幸いにも記憶力は良い方なので、11カ条の内容を頭の中にしまう事が出来た。
「覚えました……。もう大丈夫です」
邑長は紙を手に取り、自分の懐に戻した。
「よし、俺からはこれで終わりだ。今度はお前の番だな。何か聞きたいか?」
さっき聞いたら激怒したじゃないか。
私はそう思ったが、知りたい事について慎重に言葉を選んでから訊ねた。無論、カミ様については除外した。
「どうしてこの邑は、地図に載ってないんですか?」
長は答えた。
「ここは何百年も昔から、行き場を無くした者達が逃げ込む場所だった。飢饉で食えなくなった奴、戦で負けて追われた奴、地位や財産を奪われて生きられなくなった奴。そう言う連中を受け入れてきたんだ。だから人には知られない様に地図に無いんだ」
古い伝承で平家の隠れ里などがあるが、それと似た場所が実際にあったのか。私が疎開した村から、それ程離れていないだろうに、よくもこれまで発見されなかったものだ。
「時代も世の中も変わったが、この邑は今だって変わらない。世間で居場所を無くしたり、逃げるしか無い者達は少なからずいる。掟だから詳しくは聞かないが、お前だって同じだろう。他の住人達も皆、似たり寄ったりだ。何処にも行けない者だけが、カミ様のお導きを受けて<迷いの森>を抜けられる。皆、そうやってこの邑に入れたんだ」
私はここで漸くお導きの意味を知った。<迷いの森>で起きた不思議な感覚は、カミ様のお導きだったのだ。カミ様という存在には懐疑的だが、そのカミ様のお導きで<迷いの森>を抜けた者だけが邑に入れるという手順には納得した。そして、自分が何処にも行けない者達の、その内の1人である事を実感した。
しかしそれでも、長の次の言葉を聞いた私は衝撃を受ける。
「この邑は秘密の場所にしておかなくてはならない。だから掟にある様に、邑から決して出てはいけない」
私の背中に、一筋の冷たい汗が流れる。
「こ、この邑に入ったら、2度と外の世界には戻れないんですか?」
「そうだ。邑の全住人を守る為に、誰も外に出てはいけない」
そんな……。
私は早くもここに来た事を後悔していた。
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