第20話

 邑長の小屋に着いた私は、そこでアントラと別れた。彼は少し心配そうな表情をすると、今日は田畑で野良仕事をするから気が向いたら来てくれと言った。私が頷くと続いて、途中で洞窟を見ても決して入るなと伝えて去っていった。何の事かわからずに私は尋ねようとしたが、彼はそそくさと去って行く。アントラが居なくなると、ほぼ同時に扉が開いて長が現れた。彼は黒い着物を纏っていた。

「中に入れ」

 長は私にそう言うと、奥に引っ込む。私はその後に続いた。昨日と同じ囲炉裏の周りに対面で座ると邑長は再び口を開いた。

「昨日の続きだ。お前も薄々感付いているだろうが、この邑は地図に載っていない。外の世界から隔絶されているんだ。だから外の様子を探りたい。お前が知っている限りでいいから、東京と他の場所の事を話せ」

「僕からも質問があります。良いですか?」

「こちらの質問が先だ。終わったら掟の説明をするから、その後だ。但し、答えられる事には限りがある」

「……わかりました」

 長の態度にはムラマツを彷彿とさせるものがあったが、ムラマツは単に無愛想なだけだったのに対し、この男は高圧的で、昨日から私を鋭い目付きで見ていた。今も同じだ。私は長に反感を抱いたが、不承不承頷いた。

「改めて聞くが、お前は東京から逃げてきたんだな?」

「はい。敵の空襲が激しくなったので」

「東京は大被害を受けたと言うが、それはどの程度のものだ?」

「辺り一面が焼け野原です。まともな建物は殆ど残ってません。僕の家も焼けてしまいました。1部のコンクリート造りのビルが焼け残っただけです」

「何人死んだ?」

「……新聞には書いてませんでした。でも、母さんは10万人近い人が亡くなったと言っていました」

「新聞に載ってないのに、お前の母親は何故わかるんだ?」

「母さんは病院で看護婦をやっていて、医療関係者の知り合いが沢山いますから、そう言う人達から聞いたそうです。でも、この事は他人に話してはいけないと言われました」

「お前の家は東京の何処にあった?」

「神田区です。家が焼けた後は、母さんの勤める病院に身を寄せていました」

「学校の多い所だな。学校も焼けたのか?」

「あらかた焼けました」

「師範、いや東京文理大もやられたか?」

「あそこは小石川区だから直接見てはいないけど、本館を含む校舎の大半が全焼しました」

「そうか……」

 長は視線を下に移すと、暫くの間無言になった。東京文理大は正式には東京文理科大学という校名で、現在の筑波大学の母体となった大学である。主に旧制中学校の教員を育成する目的で創立された。旧制中学校とは、おおよそ今の中学校と高校を一体化した様な学校である。

 この時の私には、相手の質問の意図がわからずに只ぼんやりと、この人はもしかしたら、あの辺りの出身なのだろうかと思うだけだった。

 私は改めて長と名乗る男を観察した。体格はムラマツよりも一回り大きいが、全体的に細身である。髪の毛や顎に生やした髭は幾分白いものが混じり、年齢もムラマツと同じくらいに見えた。私の視線を感じた長は、自分の振る舞いを誤魔化す様に咳払いを1つすると、再び質問を始めた。

「敵は今、何処まで来ているんだ?」

「先月の大本営の発表だと、硫黄島の守備隊が玉砕したそうです。母さんの知り合い達は、米軍がそこに戦闘機の飛行場を造るから、これから空襲は一層激しくなると言ってました。沖縄に上陸するのも時間の問題みたいです。もしかしたら、既に始まっているのかも……」

「だからお前は疎開したのか。東京の奴らは、この後どうなると考えているんだ?」

「この後……、軍隊は本土決戦になると言ってます。それに備えて普通の人達が軍事教練を受けています」

「お前は、この戦争に勝てると思うか?」

 それまでほぼ矢継ぎ早に繰り出されていた長からの質問に、半ば自動的に答えていた私は、急に出された新しい問いの、その異質さに一瞬、虚を突かれた。

「え?」

 そんな事、今まで誰も聞いてこなかった。

「首都を焼け野にされているのに、本土決戦なんかやって、それでも勝てると本気で思っているのか?」

「それは……」

 思っていなかった。

 アメリカとの戦争が始まった3年前とは、明らかに世間の雰囲気は違っていた。あの頃の日本軍は本当に優勢で、大人も子供も毎日戦勝のニュースに沸いていた。戦場は遥か遠くにあった。今も大本営はラジオや新聞で戦勝を伝えているが、それを聞いても最早、誰も浮かれてはいない。これだけ勝っているのに、何故東京や大阪が焼け野になるのか?自分の住んでいる街が何故、戦場になっているのか?その疑問を深く胸に抱えるだけだ。

 そして、その疑問は誰にも話せない。それが当時の日本だった。だが、この男は堂々と言い切っている。私は動転してあちこちに目を動かし、最後に邑長を見た。

 笑っていた。なんとも底意地の悪い笑い方だった。私は長の事が更に嫌いになった。

「まあいい。質問を変えよう。お前が疎開した村は、今どうなっている?敵の空襲を受けたか?」

「……あそこは田舎なので、今のところ被害はありません。でも、僕の少し前に東京から陸軍の研究所が避難して来ました」

 私の言葉に長は鋭く反応した。

「軍の研究所だと?何をやっているんだ?」

「そこまでは僕にはわかりません。小学校の半分を接収して、警備の為に憲兵隊が駐留しています」

「何、憲兵隊だと!何人居るんだ?そいつらについて知っている事を全部話せ!」

 いきなり目を剥いて大声を上げた長に私は驚いたが、昨日の記憶を辿りアラシとイデの会話を思い出す。

「たまたま憲兵隊長の話を聞きましたが、50人程らしいです。なんでも、この一帯で怪しい電波が発信されていて、隊長はスパイが研究所を探っていると疑っています。村の出入口に当たる道と、汽車の駅に兵隊を置いて見張るつもりです」

「怪しい電波?それは何だ?」

「詳しくはわかりません。でも、研究所の職員は地震のせいだと考えています。僕の知っているのは、これで全部です」

「お前は村のどの辺に住んでいたんだ?」

「村長さんのお屋敷です。僕の縁戚がそこで下男をやっていて、一緒に住み込みで働いていました」

ここで邑長は急に黙り込んだ。不審に思った私が目をやると、彼はごまかす様に咳払いをした。

「……よし。もういい。質問は終わりだ。最後に邑の掟について教える。これを見るんだ」

 長は懐から2つに折られた一枚の紙を取り出すと床に置いた。

 そこには異様な事柄が記されていた。

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