第17話

 白い少女は私の手を繋いで先頭に立ち、松明が焚かれている方へ歩いて行った。彼女の後に森の切れ目を通り抜けた私は、唐突に開けた空間に現れた。そこには1本の樹木も無く、代わりに等間隔に建てられた丸太小屋が並んでいる。私の前には幅のある道が敷かれ、小屋の各々へと細い支線を届かせながら奥へと伸びていた。

 これまで見てきた風景との余りの違いに、私は只絶句する。私の目の前にあるのは、紛れもなく1つの集落だった。そんな私と少女に向かって、数人の男女が近寄ってきた。

「一体、どうしたんだ?」

「その子は誰?」

「もしかして、新入りかい?」

 口々に質問する彼らに対して、少女は笑顔で頷く。

「新しい仲間や。よろしくね」

 短時間で周りには結構な人数が集まり、好奇の目で私を見つめながら話かけてくる。一方の私は、何が起きているのか理解が追い付かずに混乱するばかりだった。

〈迷いの森〉の更に奥深く、これ程の人間が住む場所があるなど、全く信じられない思いだったのだ。疎開した小学校の廊下の壁に、この辺りの地図が貼ってあったので何度か見た事があるが、村の外れからは只、山々が延々と続いているだけだった。つまりここは、地図に無い集落という事になる。

 そんな中、呆然とする私と白い少女の元へ、怒気を含んだ男の声が近付いて来た。

「どけ、どかんか!」

 声の主は群衆を押し退けて私達の前に立つ。

 背の高い、長い顎髭を生やした男だった。男は白い少女に向かって唸る様に言う。

「ユキ、また森に入ったのか!そいつは誰だ!」

 白い少女は男の剣幕に気圧される事無く、平然と答えた。

「ええやんか。私の勝手や。この子は森で迷ってたんや。エイジって言うねん」

 男は私を睨む様に見下ろした。私は自分の背筋が震え上がるのを感じる。数秒間そのままの状態が続いたが、男は素早く背を向けると苦々しげに言う。

「2人共、ついてこい」

 私と少女は男の先導で、建ち並ぶ小屋に比べてやや大きめの建物に入った。

 扉を閉めて、囲炉裏のある座敷に上がる。

 男が囲炉裏の奥に座ったので私達は対面に並んで座る。

「私はこのむらおさだ。お前の名前は?何処から来た?」

「僕は……」

 私が言いかけると、小声で少女が囁く。

「下の名前だけでええで。どうせ名字なんて意味ないから」

 訳がわからないまま、私は彼女の言う通りにした。

「エイジです。東京から疎開して来ました」

「今は、あの村に住んでるんや」

 少女が口を挟む。

「ユキ、お前は喋るな。今はこいつ、エイジに聞いているんだ」

 少女は不服そうな表情で口を閉ざした。どうやら彼女はユキという名前のようだ。長と名乗る男は私を見ながら質問を続ける。

「東京から疎開?どういう事だ?あそこは今、どうなっている?」

「米軍の空襲を受けて大被害を受けたんです。知らないんですか?」

「東京が!」

 長という男は大変な衝撃を受けた様だった。私はその反応に内心驚いていた。いくら情報統制があるとは言え、流石にこの事はニュースとして日本中に流れている。現に疎開先の村人は皆、知っていた。それを知らないとはどういう事だ?

 長は腕組みをしながら暫くの間、何かを考えていたが、私とユキが退屈の余り互いに目配せを始めた頃、おもむろに口を開いた。

「〈迷いの森〉をどうやって抜けて、ここに来た?」

 再びの質問に、私はユキと沼で出会った時からの話をした。長はユキを見て言う。

「ユキ、本当か?お前が直接連れて来たんじゃないのか?」

「そんな事せんわ!私かて邑の一員や。お導きのない者にここへ来る資格がないのは知ってるわ!この子は自力で邑の入り口に居る私を見つけたんや!」

長は私に視線を移した。

「エイジ、お前はお導きを感じたのか?」

 私は、沼で別れたユキを見つけるまでの不思議な体験を語った。長とユキは興味深そうにそれを聞いている。一通り説明した後に、私は付け加える様に言った。

「……あれが、お導きなのかは僕にはわかりませんが、少なくともユキさんの手伝いはありませんでした」

「私の時とは違うなあ……」

 驚いた口振りのユキに長は答える。

「お導きの形は人それぞれだ。私の時も2人とは違った。前もってユキからお導きの事を教えられてはいるものの、それだけではこの邑には辿り着けない。エイジ自身がお導きを与えられたのは間違いないようだ」

「それじゃあ……」

 ユキは灰色の瞳を輝かせる。

「エイジを邑の住人として認める。しかし、子供が1人でここに来るのは極めて珍しい。エイジの世話役が必要だ」

「それなら私が世話役を選ぶわ!適任者がいるんや!」

「わかった。お前に任せる。今日はこれで終わりにするが、エイジには未だ聞きたい事があるから明日続きをやるぞ。いいな?」

 長は私を見た。私は小さく頷く。

「立って。こっちや」

 ユキは私の手を取って立ち上がると、小屋の扉を開ける。その背中に長が声をかけた。

「ユキ、今後は気安く〈迷いの森〉へ行くな。外の者がお前の姿を見たらどうするんだ」

 白い少女は一瞬身を強ばらせると、吐き捨てる様に言った。

「気安く行ってる訳やないわ」

 ユキと私は小屋を出た。扉を荒々しく閉めたユキは大股で歩き出す。私はその跡を付いていった。彼女はぶつぶつと愚痴をこぼした。

「鬱陶しいおっさんやで。エイジ、あいつの事は信用したらあかんよ」

「で、でもここの長なんでしょう?そう言えば、どうして村長じゃないの?」

「詳しい事はその内教えたる。あんた、腹減ってるやろ?」

 目まぐるしい状況の変化のせいで忘れていた空腹感が、今頃になって私に甦ってきた。

「……今日はほとんど食べていないんだ……」

「安心しい。腹いっぱい食べさせてやるわ」

 今の世の中でそんなに沢山食べる事が出来るのか。半信半疑のまま、私はふらつく足でユキの跡を追った。

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