第16話

〈迷いの森〉が包み込む闇の中、立ち往生した私は暫くの間考えていた。

 やはり分の悪い賭けだった。しかし不思議と後悔はなかった。あの村にも、東京にも戻りたくない思いは依然として消えなかった。

 白い少女の言葉が頭の中に甦る。お導きが必要だと彼女は言った。やはり、何の事かわからない。一体、誰のお導きなのか?

 私は半ば諦めながら眼を閉じた。どうせ眼を開けていても森の暗闇を迷うのだから、閉じても同じ事だと思ったからだ。

 そのまま私は歩きだす。白い少女はテストの制限時間については何も言わなかった。それはすなわち、どんなに時間をかけても、失格者には彼女を見つける事は出来ないという意味なのだろう。逆に言えば、合格者は簡単に見つけられる。このテストの合否には、努力など関係ない。初めから資質のみが問われているのだ。だとしたら、あれこれ考えるのを一切止めて、暗闇の中をただ進もう。

 思えば東京大空襲の時に、私は死んでも不思議ではなかった。あの場に居た者達は皆そうだった。たまたま、その時の成り行きで運良く生き残ったに過ぎない。地獄の様な業火の中で、生者と死者を分けたのは当人の意思や努力ではなかった。それは丁度、今の状況と同じだった。

 ならばここで命を失ったとしても、東京で私にもたらされる筈だった死が、遅れてやって来ただけの事だ。

 実に矛盾する話だが、その時の私の心には、死にたくない気持ちと、母には申し訳ないが、いつ死んでも仕方ないという思いが完全な形で共存していた。

 そんな心境で歩いている内、不思議な現象が起こっている事に私は気付いた。眼を閉じているにも関わらず、1本の樹にもぶつからない。〈迷いの森〉には、かなりの密度で木々が生えている。普通ならあり得ない。あたかも、森の方から道を開けている感覚があった。

 もしかしたら、これがお導きというものなのかも知れない。あの少女が去り際に残した言葉通りに私は、その感覚に従う事にした。

 私は目蓋に一層力を込めて、決して眼を開けない様に歩き続ける。その時の私は、登りながら降りる、左右を同時に曲がる、進みながら後ずさるという相反する動きをしている気分になっていた。当然、自分が何処に向かっているのかはわからないが、それこそが正しい方向なのだと何となくわかる。

 やはり、私は何かに導かれているのだろう。あの少女の言った事は正しかった。しかしながら、誰が自分を導くのか、その正体は不明のままだった。

 どの位の時間が過ぎたのかは知らないが、不意に前方で微かな光を感じた。歩を進める毎に、その光は強くなり、そして安定する。

 ここだ。

 そう確信した私は、ゆっくりと両目を開けた。

 30メートル程先に、森の切れ目があった。光はその奥から差し込んでいる。電灯ではなく、松明の炎らしい。そのオレンジ色の炎を背にして、あの白い少女が立っていた。彼女は心配げな表情をこちらに向けていたが、やがて私の存在を認めると、驚喜の声を上げながら大きくその場で飛び跳ねた。

 物凄い勢いで私に駆け寄ると、彼女は抱きついた。仰天する私に向けて大声で言う。

「テストは合格や!あんたは導かれたんや!ようこそ、私らのむらへ!」

 尚も強く抱きつく少女の温かみに戸惑いながらも、森の切れ目の先にある、開けた土地に幾つかの建物が並んでいるのを、それらから何人もの人影が出て、こちらに近付いて来るのを私は見た。

 この物語はここから始まる。

 何処にも居場所を失くした孤独な少年と、同じく何処にも行けない異形の美しい少女の、甘く悲しくおぞましい物語は、ここから始まる。

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